【051】サイサリスの躍進、揺れるアンドラ
時は少し前にもどる。
ルトニア王国の王都が陥落し、サイサリス公国がその支配権を掌握したとの報は、瞬く間に周辺諸国へと広がった。
その知らせは、アンドラ公国の公都にも届く。
謁見の間に駆け込んだ伝令は、息を切らしながら膝をつき、声を震わせた。
「サイサリス公国が、ルトニア王国の王都を攻略いたしました!」
シュール大公は、サイサリス公国がルトニア王国を攻略したという報告を受けて、あからさまに驚愕の表情を見せた。
その様子を見て、居合わせていた文官の一人が首をかしげる。
別の情報を掴んでいたのか、それとも何か策があったのか。
思わず問いかける。
「なぜ、そこまで驚かれるのですか」
シュール大公は、平然と答えた。
「事前に聞いていなかったからだ」
報告者は「大変失礼いたしました」とだけ答えたが、
内心では、この先のアンドラ公国の行く末に不安を覚えていた。
その後、大公の執務室で、シュール大公とレギレウス将軍が、
サイサリス公国の行動について話を交わしていた。
「レギレウス将軍。今回のサイサリス公国によるルトニア王国の攻略は、
我が国に事前の相談はなかったのだな」
大公は静かに確認した。
隣国であるサイサリス公国は、れっきとした独立国家である。
ゆえに、アンドラ公国に対し事前に相談したり、許可を得たりする義務はない。
しかし、シュール大公は先代アレクシス大公と自分を同列と見ており、
当時の国家としての上下関係が、いまも続いていると信じて疑わなかった。
その言葉を受けたレギレウス将軍は、
自身の娘婿である大公に対し、まるで愚鈍な人物を見るような不快感を覚えた。
しかし、それを顔に出すことなく、静かに答えた。
「大変申し上げにくいことですが、サイサリス公国からは何の相談もありませんでした」
「レギレウスよ、サイサリス公国には、我が妹も嫁いでいるのだぞ。
なぜ一言の相談もないのだ」
それは私ではなく、サイサリス公国にお尋ねいただきたい。
レギレウスは、喉元まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
一事が万事、この調子である。
まるで「大公としての役割とは、何事もまず私に問うことだ」と言わんばかりに、
全てをこちらに投げかけてくる。
かつて、シュール大公が弟ユーリを処罰した際、
多くの有能な武将や、将来的に政敵となり得る者たちをまとめて粛清した。
その結果、今や大公に進言できる人材は、皆無に等しい。
そして、政治的な判断を下す役目はすべて、レギレウスに集中していた。
権力が集中すること自体には異論はなかった。
しかし、こうして意味のない会話に延々と付き合うことになるとは、
さすがに想像していなかった。
「そうですね。
確かに、アデイラ様はサイサリス公国に嫁がれています。
それに、先代のアレクシス大公も、オリバー大公を非常に可愛がっておられましたから」
「そうだろう。
それなのになぜ、サイサリス公国は我がアンドラ公国に対して、
このように冷ややかな態度を取るのだ」
言葉を変えても、問いの本質は何も変わっていない。
そのことに気づかぬシュール大公に、レギレウスは内心で毒づいた。
それは、あなたが大公だからです。
思わず口に出しそうになるのを、ぐっと堪えた。
代わりに、丁寧な口調で答える。
「それだけ、オリバー大公はサイサリス公国の独立と成長に、
強い自信を持たれていたのかもしれません。
アレクシス大公の時代であれば、
サイサリス公国もまだ成り上がりの弱小国でしたから、
我が国に配慮もあったでしょう」
「ですが今は、大公の妹君であるアデイラ様が、
ある意味では人質として向こうにいる状況です。
こちらから下手に手を出すこともできません。
それゆえに、サイサリス公国は後顧の憂いなく、
ルトニア王国の攻略に全力を挙げることができたのだと思われます」
「そうであるのであれば、ルトニア王国を攻略したことで、
我が国にも何らかの貢物をするべきではないのか。
それが筋であろう」
レギレウスは、あきれて黙ってしまった。
その沈黙を同意とでも思ったのか、
シュール大公は自分の主張が正しいと確信し、重ねて言った。
「なぜ、サイサリス公国は我がアンドラ公国に対して、
何の報告もしてこないのか」
まるで子供の論理だった。
今回のサイサリス公国によるルトニア王国の攻略において、
アンドラ公国は一滴の血すら流していない。
対するサイサリス公国は、たとえ少数だったとしても、
自国の兵士の血を流し、その犠牲をもって戦果を勝ち取った。
それを、妹が嫁いでいるからというだけの理由で貢物を要求するとは、
それこそ筋が通らない話である。
「今回のサイサリス公国によるルトニア王国の攻略は、
我々アンドラ公国とはまったくの無関係です。
完全に我々の与り知らぬところで行われたことであり、
それについて我々が成果を要求するのは、いかがなものでしょうか」
レギレウスは、自分勝手な論理を繰り返し、
まるで子供のように駄々をこねるシュール大公に、静かに苦言を呈した。
だが、大公はその言葉にも耳を貸さず、なおも食い下がる。
「そもそも、今回の攻略について報告してこなかったのは、
サイサリス公国のオリバーではないのか。
兄である私に、何も言う必要がないということなのか?」
レギレウスは、怒気を抑えながら答えた。
「決してそのような意図があったとは思いません。
ただ今回は、サイサリス公国が単独でルトニア王国を攻略できると判断した結果なのでしょう。
そして今後、彼らはさらに領土を拡大していくかもしれません。
ルトニア王国を手に入れたことにより、
次はフランク王国の攻略を視野に入れることも可能ですし、
商都ハンザとも隣接することになります」
ルトニア王国が長らく中央の大国として生き残っていたのは、
商都ハンザとの関係が良好だったからとも言われています。
ファルジュ王がハンザと揉めたという話もありますし、
今回サイサリス公国に討たれたのも、その一因かもしれません」
レギレウスが自分の話に乗ってこないことに、
さすがのシュール大公も、ほんのわずかだが、
自らの発言が的外れだったかもしれないと感じ始めていた。
だが、レギレウスが何の指摘もしてこないため、
そのことには一切触れず、話題をずらす。
「レギレウスよ、今後もサイサリス公国が領土を広げるというのか?」
レギレウスは、落ち着いた口調で答えた。
「その可能性は高いですね。
今回の件で、サイサリス公国は我々が思っている以上に力をつけていることが明らかになりました。
もはや、アンドラ公国の支援を必要とする存在という認識は、捨てるべきでしょう」
「そうなのか」
不安をにじませながら、大公が言葉を漏らす。
レギレウスは淡々と続けた。
「残念ながら、今回のルトニア王国への占領政策が成功すれば、彼らの国力は飛躍的に伸びるでしょう。
そして我がアンドラ公国が、今のまま何の対策も取らなければ、
いずれサイサリス公国に追いつくことは、極めて困難になると思われます」
「対策か、何か妙案はあるのか?」
シュール大公の問いに、レギレウスは少し間を置いてから答えた。
「無いことはありません。ただ、もう少し考えをまとめてからご報告いたします。
もちろん、アンドラ公国に対してサイサリス公国が宣戦を布告してくる事態は想定したくはありませんが、今後のことを本気で考える必要はあるでしょう」
それは、あくまで軽口のつもりだった。
アンドラ公国は、オリバー大公にとって大恩ある国であり、妻の生家でもある。
そこに本気で刃を向けるほど、彼は冷酷な人物ではない。
少なくとも、誰もがそう信じていた。
だが、その冗談は、冗談として受け取ってもらえる相手ではなかった。
その言葉を聞いたシュール大公は、いかにも恐ろしいものを想像したかのような表情で命じた。
「レギレウスよ、宗主国であるティモール王朝に貢物を携えた使者を送り、我々が動く際には後ろ盾となってもらえるよう手を打て」
「かしこまりました」
レギレウス将軍は恭しく頭を下げると、執務室を後にした。
そして自室に戻るなり、自身の孫であり、シュール大公の息子であるブレントとザルファを呼び、三人での打ち合わせを始めた。




