【050】アデイラ公妃の微笑
「それでは、ルトニア王国での戦いについて、お聞かせいただけますか?」
アデイラが身を乗り出すように問いかけると、ダレルは誇らしげに顎を引いた。
「は。かつて大陸を統一したアルバート王を輩出した国、確かに栄光の歴史はある。
ですが、今のルトニアはその名にふさわしい国ではありませんでしたな。
サイサリス公国と領地を接する、コンラッド侯爵が寝返った事もあり、
ルトニア王家の求心力は、ほとんどありませんでしたな。
兵士たちは慢心し、迎え撃つ気構えも浅い。こちらとしては、拍子抜けするほどでした」
「皇太子も捕らえたと聞いております」
「はい、初戦での策が奏功し、速やかに確保いたしました。
以後の抵抗も散発的なもので、統治も順調に進んでおりました。
傭兵団が苦戦する場面など、ほとんどなかったと言ってよいでしょうな」
ダレルはどこか誇らしげに胸を張りながらも、誇張は避け、淡々と語った。
その姿に、アデイラはわずかに口元を緩めた。
「そうなのですね。では、これからサイサリス公国はますます隆盛を極めることになるのでしょう」
その声音に、ダレルはかすかな違和感を覚えた。
言葉では称賛しているはずなのに、そこに心がこもっていない。
やはりこの方は、サイサリスの隆盛を、心からは喜べぬのだ
アデイラは今なお、祖国アンドラへの誇りと郷愁を手放せずにいる。
ルトニア王国を併呑し、サイサリス公国は明らかにかつてのアンドラ公国を凌ぐ大国となった。
もはや両国の力関係は逆転しつつある。
だが、それを認めたくはないのだろう。
それとも逆に、その血筋を活かしてアンドラを手に入れる手立てまで見えているのか?
ふと、オリバー大公がどこまで考えているのかが気にかかった。
しかし、そんな思考を顔に出すことはなく、ダレルは静かに言葉を継いだ。
「そうですね。オリバー大公のご意向次第ではありますが、
ルトニア王都を手中に収めた今、次は南部のベネット侯爵、西部のリアム侯爵を攻略し、
北部に進出して、商都ハンザを手に入れる事も、フランク王国への進出も可能です。
サイサリス公国の拡大は、まだ終わらぬはずです」
ダレルの言葉を受けて、アデイラはふと黙り込んだ。
その沈黙が周囲にどう映るかなど気にかける様子もなく、彼女は物思いに沈んでいる。
そんなアデイラの姿を見て、ダレルは内心で苦笑した。
なんというわかりやすい方だ
どこか無防備なその表情に、わずかな哀れみにも似た感情が胸に湧いた。
そして、空気を変えるように口を開いた。
「そういえば。今回のルトニア王国への出兵について、アンドラ公国ではどのような話が出ていたのでしょうか?」
ダレルは、出陣準備に追われていたこともあり、アデイラに尋ねそびれていた過去の疑問を、今になって投げかけた。
「隣国であるサイサリス公国が、歴史あるルトニア王国を数日で攻略した。
その知らせに、私の生家であるアンドラ公国では驚愕と共に恐れを抱いたと聞いております。
特に、事前に一切の通達がなかったことが問題視されました。
もしご相談があれば、数千、あるいは数万の援軍を送る用意もあったでしょうに」
その言葉に、ダレルはやや苦笑しつつ首を振った。
「確かに、筋としてはその通りかもしれません。
ですが今回の作戦は、相手の隙を突くことが肝でした。
だからこそ、味方の兵たちにさえ行き先を明かさず、大規模演習の名目で兵を集めたのです。
公妃のご実家とはいえ、事前に情報を漏らす余地はありませんでした」
「今回の作戦を事前に知っていたのは、オリバー大公、ビアトリクス様、ローガン侯爵。
それと、ローガン侯爵が指揮した補給部隊の一部程度です」
ビアトリクスの名が出た瞬間、アデイラはわずかに目元を動かし、心穏やかでない様子を見せた。
だが、その表情はすぐに抑えられ、まるで何事もなかったかのように整えられる。
とはいえ、その感情を完全に押し隠すことはできなかった。
「そうですか。実際、私の耳には何の話も入っていませんでした。
公都にいる者たちも、ほとんどが事前には何も知らされていなかったようです。
ですが、ビアトリクスは知っていたのですね。
父娘そろって、私だけには何も伝えない。いったい、どのようなお考えなのでしょう」
そこまで言いかけたアデイラは、ふとダレルの視線に気づき、言葉を飲み込んだ。
語尾を曖昧にしながら、話題を締めるように唇を閉ざす。
ダレルはその未完の言葉に深入りすることなく、あえて話題を戻した。
「それで。アンドラ公国が恐れを抱いたというのは、サイサリス公国が強大になりすぎることへの不安からでしょうか?
それとも、我が軍の軍事力そのものに対する恐怖、ですかな」
気を取り直したように、アデイラはゆっくりと口を開いた。
「その両方でしょうね。
本来、サイサリス公国とは、アンドラ公国の庇護と援助あってこそ成立した国のはず。
それが今回、目を見張るほどの快進撃を成し遂げ、アンドラ公国の面目は丸つぶれです。
動揺しない方がおかしいでしょう」
「当初は、一進一退の攻防が続くことを想定し、アンドラ公国が仲介に立つことで影響力を維持しようという思惑もありました。
ですが、ふたを開けてみればサイサリス公国の圧勝。もはや介入の余地すら与えられなかったというのが実情です」
その声音には、悔しさと同時に、複雑な感情が混じっていた。
「兄、シュール大公は、まだ余裕の構えを崩していませんが、レギレウス将軍は違います。
彼は、アンドラ公国そのものの存亡にかかわる事態だと、強い危機感を抱いているのです」
「それで、アンドラ公国は今後、サイサリス公国に対してどのような手を打つおつもりなのですかな」
問いかけながら、ダレル団長の内心には小さな高揚が灯っていた。
アデイラ公妃がレギレウス将軍と連絡を取り合っている。その意外な情報は、彼にとって思わぬ収穫だった。
彼は自覚している。
自分はサイサリス公国の重鎮ではあっても、オリバー大公あっての存在にすぎない。
国家間の外交や軍略に自ら関わる機会など、これまで皆無に等しかった。
だからこそ、こうして国と国の思惑が交錯する話題に自分が触れられることに、妙な喜びと興奮を感じていた。
そんな彼の様子を察したかのように、アデイラはほんのわずかに口元を緩め、肩をすくめる。
「さて、どうでしょうね。今のところは、様子見といったところでしょうか」
その声音には、何かを含んでいるようでもあり、何も明かす気がないようにも聞こえた。
アデイラの真意は、あくまでその奥にあるのだと、ダレルは直感的に感じ取った。
「今晩、お邪魔いたします」
そう言ったダレルに対し、アデイラは何も言葉を返さず、ただ静かに頷いた。
それだけで、すべてが通じた。
公妃アデイラとダレル団長。
かつて戦場を駆けた歴戦の将と、サイサリス公国の公妃でありアンドラの誇り高き姫君。
本来なら交わるはずもない二人は、いつしかオリバー大公の目を盗み、密かに男女の関係を結んでいた。
それは激情による一時の過ちではない。
むしろ、互いの孤独と渇望が引き寄せ合った、長い時間をかけて育まれた静かな共犯関係だった。
この夜、公都の奥深くで交わされた密やかな会話は、
やがてサイサリス公国という国の根幹に、目には見えぬ亀裂を生じさせていく。
その兆しは、まだ誰の目にも映らなかった。
けれど確かに、その歪みは、すでに始まっていた。




