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【048】アレックス隊長、壊滅を見届けて

そこへ、アレックスが駆け戻ってきた。

息を弾ませながらも、その表情は晴れやかだった。


「我々の部隊は、チェド湖の西側を南下して偵察任務に就くことになった。

本隊との合流は、サイサリス公国の領内に入ってからになる」


任務が正式に認められたことを、どこか誇らしげに告げるその姿に、デレクたちは思わず声を上げて笑った。


それは嘲笑ではなかった。

無邪気なまでに嬉しそうなアレックスの様子に、自然と笑みがこぼれたのだ。


だが、当の本人は笑われた理由がわからず、少し困惑したように首をかしげている。

なぜ笑われたのかと真剣に考え込み始めるその不器用な姿が、また彼らにはたまらなく愛おしかった。


その時、デレクもバイロンも、そして他の兵たちも、あらためて心に誓った。


この青年だけは、何としても無事にサイサリス公国まで連れ帰るのだ、と。


「さて、アレックス隊長。出発しましょう」


デレクの呼びかけに、アレックスは慌てて反応した。


「し、出発!」


退却戦のさなかでありながら、アレックス隊長率いる九名だけが笑顔を浮かべていた。

その異様な光景に、同行する味方の兵たちは訝しげな視線を向けつつも、黙って退却を続けていく。


やがて、十名の一隊はチェド湖の西側へ抜け、小高い山を登りながら南下を始めた。

その山の中腹に差しかかったとき、彼らの視界に、湖の北側を東へ向けて退却していく本隊の姿が見えた。

先ほどまで共にいた味方たちである。


「おい、あれを見ろ」


デレクが指さした先には、東へ退却中の味方の後方から、ルトニア王国軍が迫りつつある様子が見えた。


後方の部隊が立ち止まり、急ぎ陣形を整え始める。


「退却を諦めて、迎撃に移ったようだな。

アーロン将軍が敵を食い止められなかったのか」


バイロンが静かにつぶやく。


しかし、彼らはまだ知らなかった。

ルトニア王国軍が、アーロン将軍率いる殿軍に対し、いかに的確かつ速やかな策を講じたのかを。


「それにしても、追撃が早すぎる気がしないか」


デレクの言葉に、場に再び緊張が走る。


言葉を飲み込んだ一同は、次の瞬間、目を凝らしながら状況を見守った。


「どうして、デレクたちはそんなに冷静でいられるんだ。

味方がやられているんだぞ」


アレックスは真剣な面持ちで問いかけた。


すると、すかさずデレクが口を開く。


「まさか、戻るなんて言い出さないですよね。

言っておきますが、我々があそこに戻っても、できることは何一つありません。

それに、ああなる可能性が想像できなかったなんて、言い訳は通りませんよ」


アレックスが口に出す前に、デレクはその考えを封じた。

ここで戻ると言い出されたら、すべてが台無しになる。


「それは」


アレックスが何かを言いかけた、その瞬間だった。


兵士のひとりが、切迫した声を上げた。


「山手から、ルトニア王国軍が湧き出てきています!」


報告の声に、誰もが息を呑んだ。

その湧き出るという表現こそ、まさに的を射ていた。


チェド湖沿いの退却路、中ほどの街道を進む味方の隊列に、山の斜面から無数の兵がなだれ込んだのだ。


先頭を進んでいた部隊は間一髪で難を逃れたが、中間に位置していた部隊は、突如現れた敵軍の襲撃に完全に混乱していた。

隊列が乱れ、指揮も通らず、混乱は瞬く間に広がる。


その混乱を、ルトニア王国軍が見逃すはずもなかった。


アレックスたちがいる丘の上までは、さすがに悲鳴が聞こえる距離ではない。

それでも、彼らにははっきりと聞こえた気がした。


聞こえるはずのない味方の悲鳴。


想像を超えた混乱と絶望の波が、視覚を通じて感覚に訴えかけてきたのだ。

目の前で、仲間たちが討たれ、倒れていく光景。


そして、敵はなおも山の陰から次々と姿を現す。

まるで地面の底から無限に湧き出てくるかのように。


組織だった抵抗を試みる味方の姿は、どこにもなかった。


アレックスは、その凄惨な光景をただ見つめるほかなかった。

衝撃があまりにも強すぎて、思考も止まり、身体も動かない。

息すら、うまくできない。


その場に立ち尽くしたまま、ただ戦場の現実を目に焼き付けていた。


「我らの、サイサリス公国軍が、これほどまでに」


アレックスは言葉を最後まで続けられなかった。

目の前で起きている惨状を、まだ受け止めきれていなかったのだ。


そのとき、デレクがアレックスの背中を軽く叩き、努めて明るい声を発した。


「さて、坊ちゃん、行きましょう。我々は、生き残る必要があります」


「おまえは」


アレックスは振り返りながら言った。

味方が命を落としている姿を見て、何も感じないのかと怒鳴るつもりだった。


だが、その言葉は喉元で止まった。


デレクの顔が見えた瞬間、アレックスの胸中に渦巻いていた怒りは、静かに消えていった。


デレクの目は、まったく笑っていなかった。

むしろ、強く唇を噛み締め、悔しさを滲ませていた。

その無言の表情が、何より雄弁にすべてを語っていた。


「壊滅です」


デレクが小さく、そして重く呟いた。

それ以外に、この状況を言い表す言葉は存在しなかった。


あの乱戦の中から、果たして何名が生き延びられるのか、想像もつかない。


今はただ、生き残るために動くしかない。

思考が止まる前に、体を動かし続けるのだ。


この光景は、きっと夢に見るだろう。

何度も、繰り返し、悪夢となって彼らを襲うだろう。

だが、忘れてはならない。

決して忘れてはならぬ。


彼らは涙をこらえながら、味方が討たれていく姿を、しっかりと目に焼き付けていた。

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