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【023】ルーク王子の沈黙の誓い

沈黙を守るルーク王子に興味を失ったオリバー大公は、ゆっくりと視線を玉座の間に巡らせた。


居並ぶ武将たちの中に、自らの娘ビアトリクスの姿を見つける。

その瞬間、ふいに口元を綻ばせ、思いついたように言い放った。


「どうだ、ビアトリクス。いっそのこと、お前があの男を婿に取ってはどうだ」


まるで妙案を閃いたかのように、満足げな笑みを浮かべながら。


「父上!」


ビアトリクスは思わず声を上げた。驚きと戸惑いが混じる声音には、動揺が隠せない。

だが次の瞬間、


「父上とは何事か」


低く鋭い叱責が玉座の間に響き渡った。

さらに大きく見開かれたオリバー大公の視線は、鋭さを増して彼女を貫いた。

その眼光に射抜かれ、ビアトリクスは咄嗟に言葉を失い、目を伏せる。


最初は父と娘のやり取りだと思っていたが、それは錯覚だった。

目の前にあるのは親子の対話ではない。

君主と臣下、大公と配下としての命令であり、娘の縁談などではなく、サイサリスの政略の一手でしかなかった。


「オリバー大公。このような場で申し上げるのは恐縮です。

ルーク王子は今後、人質として生かされるお立場にあると承知しております。


そのような境遇の方と結婚を結ぶことは、到底考えられません。

加えて、一夜にして王都を陥とし、王国を滅ぼされた相手との結婚など、どうかご容赦ください」


それは公女として、臣下としての答えだった。

この場で同情を見せれば、父の不興を買うだけでなく、自らの立場を危うくする。

だからこそ彼女は、冷ややかな理屈を選ばざるを得なかった。


だが、内心の理由はそれだけではない。

ルトニア王国の民は初代アルバート王への崇敬が強く、王家は代々、同族同士で結婚を重ねてきた。

血の結びつきは濃く、ビアトリクスにとってその家系の者との結婚は、そもそもあり得ない話だった。


いつか誰かと結婚する日は来るだろう。

だが、それが今であるはずもなく、滅びた王国の王子であるはずもない。

ましてサイサリス公国の公女として、父の前では辛辣な言葉を口にせざるを得なかった。


この場で同情を示しても、得られるものはなく、あるのは父の不興と軽蔑だけである。


しかしオリバー大公は、その拒絶を拒絶とは受け取らなかった。

むしろ政治の駒を動かす手順をひらめいたかのように、口元をわずかに歪める。


「なるほど、人質のままでは結婚できぬか、ならば順番を変えればよい。

先に結婚を結び、子をもうければ、その子をルトニア王国の正統な王に仕立てられる。

お前とルークの間に子ができれば、もはや人質などという扱いはできまい。

ふむ、それも悪くはない」


そう言い終えると、大公は一度視線を外し、玉座の肘掛に身を預けた。

場の空気がわずかに緩む。


言葉を吟味するように短い沈黙を置き、同じ低く太い声が再び響く。


「ビアトリクスよ。もう一度確認しておこう。

お前さえ望めば、あの男との結婚も可能だ。

今日でなくとも良い。気が変わったら、いつでも言え」


その声音には命令口調ではない、歪んだ柔らかさが混じっていた。

父としての感情とも異なる響きに、ビアトリクスは戸惑いを覚える。


彼女の記憶にある父は、公国の君主として冷徹かつ明快な人物だった。

物心つくまで父親らしい温もりを感じることは、ほとんどない。

むしろ養育係のキール将軍の方が、はるかに父親らしい存在だった。

愛情のある叱責に包まれて過ごした日々が、その差を自然に広げていった。


だからこそ、大公が「父として」語ろうとするとき、彼女の心には必ず波紋が広がる。

その言葉は本心なのか、それとも別の思惑なのか。

娘としてではなく皇女として育てられた自分には、情愛よりも公国を継ぐ責任だけが与えられてきた。


もし今の言葉が本心なら、父は何を望んでいるのか。

ふと確かめたくなる思いが胸に芽生える。


玉座の間に目をやると、そこには父の姿と、その足元に跪くルークの姿があった。

重い沈黙が場を包み込んでいる。


やがてオリバー大公が、思い返した様に、低く響く声で口を開いた。


「ルークの取り扱いについて、意見のある者はいるか」


オリバー大公が武将たちを見渡すが、誰も声を上げない。

彼を人質として軟禁することで反乱の芽を摘めるのは明らかであり、反対する理由も必要もなかった。


ルトニア王国は血統を重んじる国であり、今やルークこそが唯一その象徴たり得る存在だった。

だが、命を懸けて侵略者に反旗を翻す者など、もういない。


「他に意見はないようだな。では後日、王宮前で鞭打ちの刑を執行する。

安心せよ、命までは奪わん。民衆への見せしめだ。最後に何か言いたいことはあるか」


今回は明らかに回答を期待する口調だったが、ルークは一言も発さなかった。

語っても、聞く気のない相手に何を伝えられるというのか。


胸奥の激情が静かに燃え上がる。


「私を生かすだと?

ならば覚えておけ。必ず復讐する。

たとえこの命が潰えようとも、一族の誰かが誓いを継ぐ。

我らの国、ルトニア王国を侮るな。

歴代の王たちの血を引く者は今もこの地に在る」


衛兵に追い立てられ、ルークは静かに玉座の間を後にした。


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