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神のおわす山間の村にて  作者: 鹿音二号


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目覚め

——ここは、どこだろう。

明るくて柔らかい日差し。

足元は花が咲き乱れている。

優しい風が、体を撫でていく。


山で生まれ育った自分が、こんなに、どこまでも平坦で続く、美しいだけの風景は見たことがない。

一体、どうしてこんなところにいるのだろうか。


ふと、風に散る花びらを目で追いかけると、少し離れた場所に誰かがいた。

見覚えのない人物——のはずだった。

なのに、そのほっそりとした女性を見ると、胸がしくしくする。


栗色の長い髪がゆるやかに風になびく。

彼女はじっとこちらを睨んでいるようだった。


「……あなたの来る場所じゃないわ」


女性にしては低めの、響きは柔らかい声。

けれど、どこか物悲しい。


「まだよ、まだ……」

「……?」

「目を閉じて。あなたの帰るべき場所を思い浮かべて。今なら——」

「あの、貴方は、」

「目を閉じなさい」


有無を言わせぬ口調。

仕方なく目を閉じた。


暗闇。

さっきまで感じていた温もりは一瞬で消えた。


「女神よ、こんな恩恵なら、わたくしは必要ございません」


彼女のひっそりとした、切実な。


「どうか、わたくしの——を、……て……」


静かに消える、声。


失墜。

どこまでも、落ちていく。

天地も分からない、なのに恐れはなかった。

ただ、ただ、落ちて——


「……?」


目が、開く。

けれど半分ほどしか、まぶたが上がらない。

ぼんやりと、薄暗い。柔らかな感触が全身を包んでいた。けれど、その柔らかさに埋もれて沈んでいきそうなほど、身体が重い。


「……レスト?」


ふと、耳に入った低い声。


「……おい、起きたのか」

「ゆめ……?」


長く苦しい夢を見ていた気がする。


(おかしいな……)


どこにいても、苦しい気がしていた。

夢でも、それ以外でも。


「もう……いたいのは……」


身を裂くような痛みを覚えている。


「……もう、大丈夫だ」


ぼんやりとした視界には、吸い込まれそうな青がふたつ。


「ここは安全だ。心配するな」

「……」


ひどく眠い。気づけば体中にぴりぴりとした感覚があるけれど、それを押しのけて、眠気が襲ってくる。

ふと、片手が温かい。

指ごとやんわりとくるまれている——なにに、だろう。


「……あたたかい……」


ゆめうつつに呟いて——レストは再び眠りの世界に落ちた。


——完全に目が覚めたのは、一体どれくらい時間が経ってだろうか。


「……う、」

「レスト」

「レスト様!」

「!?レスト様がお目覚めに——」


相変わらずまぶたが半分ほどしか開かないが、意識は自分でもだいぶはっきりしていると思う。

自分はどうしていたっけ、と考えた一瞬、次に鈍い痛みが襲った。


「う、く……っ」

「動くな、お前は怪我をしている」


ただ事実を述べるだけのような低い男の声。どうしてこんなにも安心するのだろう。


「……ラグヴィ、」

「無理にしゃべるな」

「レ、スト、様……っ」


2つの双眸がレストの前にある。青い透き通りそうなものと、うるみ溶けそうな桃色のもの。


「……ドー……」

「はい、はい、レスト、様……!」


ようやく、最初のぼんやりから記憶が戻ってきた。


「……生きて、る?」


いくら、死なせないと言われたところで、それと同等か、それ以上の苦痛を味わった。

今この自室のベッドに寝ているのは、都合のいい夢なのでは。

あるいは、死後の世界。


(ドーイと、ラグヴィルがそばにいるなんて、信じられないな)


動かそうとした手を握られていることに気づく。

ドーイのそれにつつみ込まれて、押さえられていた。


「動かないで……」

「……」

「——レスト様!」


急に騒がしくなった。

泣き笑いのような表情の村の医者が覗き込んで、ビーテルと執事の会話が耳に入ってきた。


「お目覚めになられて、本当に……っ、診察いたします、皆さん外に……」

「……」

「レスト様?」


離されそうだった手を、入らないなりの力で引き留めた。

ドーイが、分かりました、と、手を握り返してくれた。それだけでほっとした。

ひとりきりは、恐ろしい。


「生きてた……ドーイ」

「はい、生きております、レスト様もわたしも……っ」


ぼろぼろと涙を流すドーイの、頭を撫でてやれないのが少し残念だ。

けれど、繋がった手は、あたたかい。


「……あのあと、ラグヴィル様がお戻りになって……」


医者の診察の間に、せがめばドーイが事のあらましを教えてくれた。

あまり具体的なことを言ってくれなかったのは、まだぼんやりしているレストへの気遣いだろう。


「……では、ラグヴィル殿に、俺は助けられて……」


寝間着の下の肌は、全部包帯に覆われていた。酷い状態だろうなと覚悟はしているが、あらかたの治療は終わり、今は包帯を変えたばかりで何をするでもないらしい。


「……みんなは」

「……皆さんは……」


ドーイはぐっと言葉に詰まった。


「リンさんとアドゥさんは軽傷でした。メートさんと、ヨリヒさんも……」

「ヒリンたちは」

「ヒリンさんは……大怪我をされて、今は絶対安静と」

「ヒリンが、大怪我」

「はい」

「生きてるの」

「はい!命は取り留められました」

「……そう、」


聞かされて絶望した、ヒリンが死んだというのは嘘だった。

ほっと、した。

けれど、やはり最後まで抵抗していた武衛衆のふたりは、命を落とした。


(俺のせいなのか、やっぱり)


抵抗しなければ、ふたりは死ななかったかもしれない。

何度目か、涙を目に溜めたドーイが、そっと上掛けをかけてくれた。


「お香が焚いてあるのが分かりますか?よく眠れるんですって。今は……お休みください」

「……眠るまで、そばにいてくれるかな。ごめんね、小さい子みたいなこといって」

「いいえ。ずっと、おそばに……今度こそ、離れません」





目を開けると、うっすらとしか周囲が見えなかった。静かだった。


(誰も、いない?)


とたんに、ぞわりと薄ら寒い恐怖が体の中に膨れ上がる。

——暗い。

寒くて痛い。

おかしい、ちゃんと館に戻ってきて、ベッドの中にいるはずなのに。


(……夢?)


実はこれが幻で、まだあの冷たい堂にいるのではないだろうか。

誰も助けてくれない。

それはそうだ、全部、自分のせいなのだ。

苦しい、息が詰まる、そうだ、これは罰で——


「……ぅ、ぁ」

「レスト?」


声が、した。

低い男の声。

それが耳に入ったとたんに、息ができるようになった。


「けほ……っ」

「ゆっくりと息を吐け。……慌てなくていい、そうだ、ゆっくり……」


黒髪の傭兵が、いつの間にかレストの近くにいた。


(ひとりじゃなかった)


幻ではないのか。

触れようとした手が動かない。


「う、」

「動かすんじゃない」


ぴくりとだけした手を、やんわりと温かいものが包む。


「う、あ……」

「苦しいか、薬を——」

「……っ、いやだ、こわい」


離されそうになった手を握りしめた。


「くらい……痛いんだ、誰もいなくて——」

「……俺がいるだろう」

「いないんだ……神は、どうして、なにも答えてくれない、おれのせいなの?おれがまちがってた?おしえて……っ」


ずっと不安だった。

神の意思は聞こえない。一度も聞いたことはない。だからなにが正しくてなにが間違っているか、自分で考えるしかなかった。

ずっと、不安だった。神は自分を見放したのでは。

いつから、ずっと?


「ごめ、なさい、もう、暗いのはいやだ」

「レスト」


ふと、あたたかいものが頬に触れた。

真っ暗だった視界に、光る青い色があった。


「分かるか、俺だ」

「……っ」

「見えるか?暗いなら、明かりをつける」

「……見える」


青い、透き通った色。


「あんたが何を怖がってるのか俺には分からん。神だのなんだの、俺は知らねえ。俺が信じるのは自分だけだ。傭兵なんてな、生きてりゃ勝ちだ」

「生きて、?」

「生きてるだろ、あんたは」

「生きてる……?」

「そうだ」


頬をあたたかくて、カサついたものがゆっくりと撫でる。

片手がじんわりと汗ばんでいることに気づく。

——熱い、生きている。


「お前は生きた。よくやったよ」

「……ッ」


眼の前の青が歪んだ。

熱いものが目から溢れている。


生きている。

濡れたこめかみを、柔く拭われる。困ったような青色が近くで瞬いた。


「……あの従者がいなかったのがまずかったか?よそ者の俺じゃ気が休まらねえだろう」

「……ーイは、」

「休んでる。気が緩んだんだろう、熱がぶり返した」

「……おれ、あんたが、いい」

「……っ」


ぎょっと、青が揺れた。

気がついたら、さっきまではあんなに寒かったのに、今は身体が熱いくらいだ。息苦しい。


「あったかい……」


彼に触れられたところだけ、心地がいい。




すう、と穏やかな呼吸が聞こえて、ようやくラグヴィルは硬直が解けた。

錯乱したらしいレストに話しかけるために、ベッドの端に乗り上げるしかなかった。シーツの上では手を握りしめられ、もう片手は今はまぶたを閉じたレストの頬に触れさせている。

その姿勢からゆっくりとラグヴィルは背を起こした。


「……勘弁してくれ」


今までだって、おかしいとは思っていた。

マイナイからの信用が最初から大きいのはうっすらと分かっていた。

だが、エリメンがいうような、特別な感情など理解の範疇になかった。それが分からないから、どこかかけちがえた釦のような違和感はずっとあった。誰が誰にどう思っているか、考えたこともなかった。


レストが錯乱したのは、まだ心も体も治らないからだ。けれど、だから嘘も見栄も取り繕えない。マイナイの仮面はかぶれない。


(俺が、いいだって?)


それだけ言って寝てしまった。無防備に。

熱が上がっている、体力の限界だったから寝ただけだ。


うれしい、と感じている自分がいる。

さすがにこの心情がなんなのか、分からないほど鈍ってはいなかった。かつては無くしてしまえればと思っていた、人間的な感情。

同時に、湧き上がってきたのはやっかいな欲だった。


この無防備に眠る男を、自分のものにしてしまいたい。

彼が泣きながら乞うのは神の存在じゃなく、自分であったら、どんなにか。


「……ああくそ、慣れないことすんじゃねえな」


気になったから、村に見に来ていた。

覚えていたから話しかけた。関わるのは仕事と言い訳をして、彼の大事な者たちにも手を出した。

自分から深みにはまっていってはどうしようもない。

エリメンがおかしな顔をするわけだ。


落ち着かない気分をため息で静めて、使用人を呼ぶためのベルに手を伸ばした。




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