昔話(1)
何を緊張しているのだろうか。
ドーイと護衛が心配そうにこちらを見ているが、ここまで来て——ラグヴィルの部屋の前まで来ていて、帰るのもおかしい。
ただ、伝えるべきことを伝えようと来ただけだ、いつも村に通達するのと変わらないはずなのに。
「……」
ノックをする手が震えた。
ガチャリと開いた扉に、驚いて肩を揺らしかけて抑えた。
ラグヴィルの青い目が、真っ直ぐにレストを見た。何の感情も浮かんでいない。
「……なんだ」
「——話が、したい。中に入れてもらえないか」
「……」
言葉はないが、扉を押さえたまま体を除けてくれるから、入ってもいいのだろう。
「ドーイたちは、外で待ってて」
「しかし、」
「内密の話を使者殿とする」
「……かしこまりました」
ドーイが渋々了承した。
中に入ると、ぱたんとドアが背後で閉まる音。
——荷物がまとまって部屋の真ん中にあった。どことなく油の匂いがする。部屋の明かりはロウソクで、カンテラらしいものは見当たらないが……
「話とは」
ぎっと、目の前に椅子が現れた。きょとんとしていると、ラグヴィルはその椅子の背もたれから手を離して、近くのベッドへと腰かけた。
——座れ、ということらしい。
「……王都に帰ると聞いた。王太子殿下に会うのだろう」
「ああ」
座りながら、考えをもう一度頭でまとめて……
「まだ、話していないことがある。私は、それを秘することが正しいのか、分からないのだ。だから——」
喉の奥でなにか詰まったような感覚がして、息をついた。
「貴殿に話そうと思う。もしこれが、村への、神への裏切りになるなら、自ずと私は罰を受けるだろう。だが、後悔はしない」
ラグヴィルは、目を閉じている。
どこか苦しげにも見える。
「貴殿が重要だと思うならば、殿下に伝えていただきたい。お願いする」
「……罰だなんだは正直よく分からねえが、必要なら、王太子に言えってことだな。了解した」
「……頼む」
これで、最悪レストになにかあっても、王太子が何かしら手を打ってくれないだろうか。
(いや、打算はできない)
ともかく、有効に情報を使ってくれればいいのだ。
「……以前、フェテン様が、マイナイを降りて外に行った理由は、と、聞かれたと思うが」
「——ああ」
「フェテン様には……外に、恋仲の人がいた」
「……なるほど」
「神に、マイナイをやめたいと申し出て、その時に天から季節でもないのに花が雨のように降ってきたそうだ。まるで、エメテーク様は祝福してくださっているようだと」
あまりにも神秘的な光景で、目撃者も多数……なにせ、村人全員の前でのことだった。当時の村人たちは年老いているか亡くなった者も多いが、ビーテルたちの世代では今も語り草になっている。
「にわかには信じられんが……」
ラグヴィルが難しい顔をするのも無理はない。
奇跡、魔法。
そんなものは神殿以外に信じられてない。つまり眉唾だとされている。
「じゃあ、戻ってきたのは」
「相手が亡くなられて、その家族には迷惑はかけられないと……それと、戻ってくるようにとフェテン様は神の意思を聞いたと」
「子供だっていたんじゃ……ああ、だいぶ年はいってたのか?50年近く前とかいってたが、90歳の爺さんだしな……よくても40歳か……」
「その、お年も事もあるのだが……」
少し、言いづらい。
「お相手は、男性だった、んだ」
「……ははあ」
なんとも気の抜けたラグヴィルの表情だった。
だが、嫌悪などは見当たらない。そのまま流してくれそうだ。
「……エメテーク様は、花の神……花や植物などの神だが、もうひとつ、愛の神でもある。これはおそらくマイナイアルコナ伝説が絡むから、正確には後に司るようになった、ということだろうが」
「そういうのは分からん、愛の神がなんだって」
なんとなく、どうでもよさそうだが聞いてくれているので続けた。
「だから、本当に愛し合って結ばれる者らには、神の祝福がある」
「……それが根拠で、フェテンが外に行けたってか」
「そうだ。そうして、相手が亡くなられてから、戻ってこられたのも、神の意思だと」
「ふうん、で、それが?」
「……お相手が、高貴なる人かもしれないと」
「……貴族だって?」
ラグヴィルは驚いたようだった。
レストは首を振る。
「分からない。ただ、お相手が村に来た時に、身なりは良かったそうだ。フェテン様に聞いても、お答えにはならないが」
「……分かった。で、それだけか」
「……これからは、この村の実情だ。ほとんど話してはあるが……」
「聞くだけ聞こう」
「……フェテン様の次のアルコナだが……」
ぐっと、手を握りしめたのは無意識だった。
「彼女は、私の母だ」
「……は?」
ラグヴィルが目を見開く。おもむろに手で指折り数え出した。
「あー、フェテンが出ていって、次を決めてあって……それが、あんたの母親?」
「以前言ったと思うが、フェテン様以降、35年務めれば、神の伴侶を降りられる」
「ああ、その、35年後に村のモンと結婚したとか……まさか、」
「私の母であるアルコナは、10歳で神の伴侶となり、35年後に恋仲だった——村長と結婚した」
「村長……村長だって?」
「ああ、現村長ラアイ。その人だ」
「……」
あっけにとられたようなラグヴィルだが、うっすらと気づいていただろう。
村長が——父親が襲撃された日に、彼らの前で失態を演じている。
レストは力なく笑った。
身内の恥だが、伝えておくべきだ。
「母は、どうしても子が欲しいと、1年後には身ごもった。だが、もう出産するには高齢であり——子を産み落としてそのまま、息を引き取ったそうだ」
「……」
「ラアイは嘆き悲しんだということは、ちらりと聞いた。それでも、子供は忘れ形見として、育てるつもりでいた」
けれど、子供が4歳のとき。
「神の儀式があった。これは星読みにより、儀式をすべき時期は決まっている。その時に成人前である子どもすべてを対象に、次の神の伴侶候補が決まる。けど……まさか、アルコナの子供が、俺が選ばれるとは」
「……」
ラグヴィルは無言だった。表情は固くて読み取れない。
「さらに、当代アルコナは、その神の儀の1年後に亡くなった。その……かなり奔放だったから、神の罰だという者もいたが……死因は当時の流行り病だ。俺の乳母もその時亡くなってしまった」
「それで、お前はマイナイになったと」
「ああ。その数年前にフェテン様がお戻りになり、アルコナが亡くなったときもずいぶん村を支えてくださっていた。だから今も、敬われている」
「……じゃあ、爺さんが神の伴侶をまたやればよかっただろ」
「それは、難しかった。フェテン様が出ていった時点で、民ですらないという者たちがいたからな」
「……ああ」
しらけたように、ラグヴィルは鼻を鳴らした。
「俺は、言ったようにマイナイになることは当時ですら疑っていなかった。フェテン様の教えがあったからだろう」
「……結局、あの爺さんかよ」
「ああ、あの方は恩人であり、師でもある。アルコナが……義務を放棄して、そういうことは子供に教えてくれなかったからな。あの方なりに、理由があったらしいが」
「理由?」
「……年齢だ」
レストは苦笑するしかない。
「俺の母であるアルコナは、敬虔な司祭だった。次のアルコナ候補は厳しくしつけられたらしい。けれど、音に聞くフェテン様のこともあり、さらに母であるアルコナは、神の伴侶をやめたあとに子供までもうけた」
「年齢……そのお前の前のアルコナって、年いってたのか」
「彼女がアルコナになったときには18歳。……アルコナを退いても、まあ、結婚は認められようと、彼女が思い描くような生活はできなかっただろう」
「……じゃあ、自分とは違ってうまいこといったフェテンも前のアルコナも、面白くなかったと」
「ああ、ヤケになって素行が悪かったのだろう。ましてや、次の候補は、自分に厳しかったアルコナの息子だ。寄るな触るなという態度だったのはおぼろげな記憶がある」
「……理解できなくはないがな」
「うん、今になって思えば、無理もなかっただろうね」
不幸——とは言いたくないが、彼女にとって全てが不愉快だったに違いない。
まだ、大昔のように一生を神に捧げるのだと言われ続けていれば、そう悲観しなかったかもしれない。けれど、その他にも希望を見せつけられ、それが自分の手に届かないと分かれば……今なら、同情できる。




