神の意思
「首長の代替わりは、当たり前だな」
館の裏手の、今まで用がなかった扉から外に出て、隠された道を行く。
「人間なら歳を重ねるわけであるし、いろんな事情もあるだろう、罪人となった者に領地を任せるわけにもいかない」
レストが話し、村長はむっつりと口を閉ざしてついてくる。
「だが、この村の、マイナイとアルコナは、代替わりという意識がない」
「ええと……どういう意味か、よく……」
エリメンの困惑した様子に、レストはふっと笑う。仮面は外したままだし、エリメンはどうやらそれにも戸惑っているらしい。
「無理はない。そうだな……神の伴侶が、この村に残るために、同じ人形を置くような……依代とも言ったり」
「……すまない、ちょっとそれも」
「難しいな、言葉にしようとするとどこか言いたいことから外れる。……初代と同じように扱われ、振る舞うという、演劇と似ているかな」
「……ちょっとわかったかも」
「よかった。それで、私は、知っているだろうが、子供の頃にマイナイとして神の選定を受けた」
選定を受けた子どもは、次期神の伴侶として修行を始める。
「だが、その当代アルコナが10年も務めぬうちに亡くなってしまった」
記録上最も早い死だったようだ。
次期マイナイは選定されているが、あまりにも幼い。このいまだかつてない事態に、村は紛糾した。
「だが、私はマイナイである以上、務めを果たすつもりだったし——今からお会いする方が、神の声を聞いたと」
レストをマイナイにせよという神託だったらしい。
「その方こそ、当時先々代マイナイだった、フェテン様」
——そのフェテンは、不思議な老人だった。
こぢんまりした枯れ木のような。けれど揺るぎない気配を感じた。
洞窟に部屋を作り、そこからあまり出ないという。
「……そうか、お前さんが」
全員で部屋に入るなり、翁はくゆらせていた煙管を口から外し、じっと見た——ラグヴィルを。
「なんのことだ」
「ビーテルを助けたという男だろう。これは……」
「え?」
「……!?」
「助けた?」
ラグヴィルは老人の言葉がどういう意味か分からず内心首を傾げていたが、他が動揺している。
(なんかまるで、初めて聞いたみたいな)
エリメンには詳細を言っていないから無理もないが、レストにはその件で礼をもらったはずだ。村長は役職上聞いていないとおかしいだろう。
だが、レストの次の言葉で、疑問は解けた。
「それをどなたに聞かれた」
「今見たら分かった」
——どうやら、フェテンは誰にも聞いていないのにラグヴィルを断定した、ということらしい。
「ちょっと来い」
エリメンが慌てたようにラグヴィルの腕を掴んで部屋の隅に行く。
「……お前が助けたって?あのジイサンを?」
「……成り行きだ」
「本当に?お前が?」
「偶然だ」
エリメンの驚愕と不審そうな顔を見て、まあ気持ちはわかる。
自分でも厳密には助けたとは言わないとは思っているが、荒事の気配を感じて見に行った時点で自分らしくないと思っている。
「この村に来てから、お前ちょっとおかしくないか」
「ああ、……そうだな」
向こうから視線を感じて、顎をしゃくってエリメンに気づかせると渋々とレストたちのところに戻った。
「これは、面白いことになったな」
フェテンは何も気にしないとばかりに唐突に続けた。
「で、村では何が起こっている?」
「……それはご存じではないんですね……」
レストが失笑した。
一通り話すと、一度考えるようにフェテンはうつむき、長々と煙を吸った。
「……それで、へウイらが騒いでいる、と」
「このままでは、村が分裂してしまいます」
「まあ、吾の責任だな」
「フェテン様……」
また内輪の話だ。
だが、ここまで連れてこられたのだ、口を挟まなくてもあとから聞かせてくれそうだ。
フェテンはうっそりと笑った。
「……吾はすでにおらぬものよ。いつものとおり、マイナイに決めていただこう」
「ですが、私には……」
「マイナイの意思は神の意思。そうであろう」
「私には、神の意思を聞き取れません」
「いいや、大丈夫だ。だが——」
ふと、フェテンのまぶたが上がり、濁った緑の瞳が薄く見えた。
「橋が見える。のう、ラグヴィルとやら」
「なんだ」
「お前はきっとこの村で望みを叶えられる。だが、それは己が否定すれば簡単に消え去る。永遠に」
「望み?永遠?」
望みなんてものはないと、言いたかったのにフェテンの醸す空気が口を閉ざさせた。
「その時に、吾の言葉が分かるはずだ。そうすれば——」
最後の方はよく聞き取れなかった。
ただ、フェテンの一番近くにいた村長が、ひどく驚いたように目を見開いた。
「それはどういう」
「ふん、すべては神の思し召しだ。お前ももうこだわるのはよせ」
「私は、その、」
うろたえ始めた村長はいいとして、レストの様子が気になった。青ざめ、唇を強く引き結ぶさまが、頼りなく見える。
「大丈夫か」
思わず声をかけた。
その横で、エリメンがぎょっとしている。
ふっとレストが表情を取り戻した。
「すまない、なんでもない、ぼうっとしていた」
「なら、いいが」
よくもないだろう。
状況は、事を前に悪い。
最高責任者であるレストに、どれほどの重圧がかかっているか、まだ村の全貌を知らないラグヴィルですら不安になってくる。
「また来るといい」
凪いだ声で、フェテンは言った。
「吾はここにいる。次もそこの傭兵を連れてくるといい」
「……はい」
胸に両手を当てたレストが、ふらりと外に向かう。
その後ろについていったのは、今にも倒れないかと思ったからだ。
足取りはしっかりしていた。館にたどり着くまでには気を取り直したらしく、所作がいつもの『マイナイ』に戻った。
——仮面を被り直した。
マイナイの部屋にまで一応ついていくと、扉の前には黒髪の従者と武衛衆のひとりが待っていた。
「お戻りに。……?」
ドーイはレストを迎えようと礼をしようとしたが、すぐに異変に気づく。
「どうなさいました?何かありましたか」
「何もないさ」
ドーイのうろたえた目がこちらを見たので、レストの後頭部に目を一瞬やる。……一応伝わったらしく、扉を開けて、まずはお休みください、と真剣に主人に声をかけた。
いつの間にか村長はいない。エリメンは無言でついてきていたが、レストが部屋に入るやいなや、ラグヴィルの肩を叩いて自分たちの使っている部屋の方へと手で示した。
「……マイナイと何があったんだ?」
「……」
エリメンの部屋で、問い詰められる。
ひどく難しい顔をして、エリメンは前髪を手で握る。
「自分で気づいてないのか知らないが、俺が茶化す以上にお前はマイナイを気にしてる。顔を見た時も特に無反応ってことは……前に会ってたんだろう」
「……昔、一度仮面がない状態で会ったことがある」
どこまで話していいか分からず、事実をかいつまんだ。
「それをお互い覚えていた。その時は正体を知らなかったんだ。大祭の後に……直接顔を合わせて、気づいた」
「なるほど。………………お前さあ」
エリメンは、深くため息をついた。
「なんだ」
「……いや、こういうのは下手につつくのもよくないな。お前のことだし」
「たまに本当にお前が何を言っているか分からん」
「そうだろうよ。でもひと言言っとく」
ずい、と指先で胸を突かれた。
「昔に会って覚えてて、正体も知らないのに本人を気にしてるってそういうことだろ」
「……はあ?」
「あーもーいーよ!神様!なぜこいつで俺には春が来ないんですか!」
「……ここの神様は花の神らしいぞ」
「お前分かってて言ってんだろ!」
大仰に天に祈る素振りをするエリメンの、言いたいことが分かるような、分からないような。
なにせ人との付き合いなんて指折り数えるくらいしかない。惰性ばかりのもので……自分が相手にどう思おうと、必要がなかった。
レストに何を思っているか、自分でも理解ができなかった。




