隠されし庵
最後の祈祷を終わらせ、身を清めてから自室に戻ると、この館の執事が待っていた。
「どうしたんだ?」
「先ほど、メサンがやってまいりました」
「こんな時間に?」
館を訪れたメサンという人物と、今の夜という時間に驚いた。
「フェテン様がお呼びとのこと。伝言だけで、すぐに帰りました」
「緊急のことではないようだね。だが……ドーイ、祭服を用意して」
「ただいま!」
「今から庵に向かうので、ビーテルには一応耳に入れておいてくれ。それと、ヒリンを呼んで」
「かしこまりました」
執事の礼を見て、急いで準備をする。
司祭のローブに、ロッドを携える。正式な訪問を求められているかは定かでないが、心構えをするに越したことはない。
武衛衆の頭目のヒリンが到着、ドーイと連れ立って館の裏手から出る。
清めの泉へ行く道の途中の、隠された横道へと入る。
うっそうと茂った藪の間を道なりに抜け、数分歩けばその庵にたどり着く。
崖があり、そこにへばりつくように簡素な小屋があった。
薪が燃やされ、レストの訪問を待ち構えているようだ。入り口の引き戸のそばに、この庵におわす方に侍る使用人——メサンが立っていて、こちらを見るとうやうやしく頭を下げた。
「お待ちしておりました。中へどうぞ」
「ああ」
からからと彼の手で引き戸が開かれ、なかに入る。
庵は、入り口こそ土間だが、内部は洞窟だった。
大昔の神の伴侶が修行するために自ら掘ったらしい。
3つほどに部屋のような空間が分かれ、その一番奥に、その人はいた。
「来たか」
あまり大きな部屋ではない。岩肌をそのままにラグを敷き、小さな祭壇と聖像がある。
その手前に低い座椅子に腰掛け、煙管をくゆらせる老人。
白を基調とした服に小さな体をつつみ、背筋はぴんとしている。
けれどシワだらけの顔に総白髪、ほとんどまぶたに力がはいらず瞳が見えない。90歳を数えているという翁だ。
「参りました。……村長もいらしていたのですか」
その翁の横に立っているのは、このテルウェシ村の村長のラアイだった。老年の、こちらもシワが目立ち始め、特に眉間に谷ができている。背は高めだが体躯が細い。薄茶色の髪をいつもの通りきれいに撫でつけ、じろりと碧眼でレストを睨む。
翁——フェテンはにやりと唇を歪めた。
「まあ、大層な格好で来たな」
「何分、お呼びになられているとしか……」
「おお、聞き捨てならんことをラアイから聞いたからな」
「……ビーテルの怪我のことでしょうか」
「であるな」
ふう、と煙を吐き出し、フェテンは長い眉毛を動かした。
「奴が大事だというのにこの爺には知らせぬとは、薄情よの」
「申し訳ございません。ですが、お心を煩わせるのも忍びなく」
頭を下げつつちらりとラアイを見たが、やや憤った表情のままだ。
「……まあ、他ならぬマイナイが決めたことだ、このことはいったん聞かなかったことにしよう」
「フェテン様!」
村長が非難するような声を上げ、うわんと洞窟に響く。
けれど、レストは取り合わない。
「ありがとうございます」
「よい。ビーテルはどんな様子だ」
「足の怪我もあるため動きづらそうですが、それ以外は元気です。今は館で養生させています」
「ふむ、まだ奴には働いてもらわんとな」
煙管をふかしながら、フェテンはもう興味がないというようなポーズだ。
「分かった。呼び立ててすまんな。ラアイも。休むといい」
「はい、フェテン様もお休みください」
「……御前を失礼します」
ふたりで頭を下げ、部屋を出た。
無言のまま庵を出て、そのすぐ目と鼻の先で、村長が足を止めてレストを振り返る。
忌々しそうな、いつもの表情。
「……フェテン様に護衛も送らんとは」
「いえ、武衛衆は増やしました」
「たかが2人だろう!いったいフェテン様をなんと、」
「騒ぎ立てる段階ではないと言いましたでしょう」
村長の癇癪はいつものことだったが、これは別だ。
「祝事役襲撃の件はまだ伏せる、あちらにはこちらが慌てれば慌てるほど機会を与えるようなものだと。……フェテン様のお気持ちを考えれば、今言うべきではなかったかと」
「何かあってからでは遅い」
「それには同意しますが。ですが、むやみに動けばあちらの思うつぼです」
ヒリンもドーイも、レストたちの言い合いを見ているが、止められもせずはらはらしている。村のツートップの争いだ、なかなか勇気もないだろう。
「……フェテン様には直接危害が及ぶことはないでしょう。なぜなら、今この状況がありがたいのはあちらも同じだからです。明確に事が起こるとすれば、フェテン様の身に何かあったとき、です」
「お前、なんという、」
「それに、襲撃はただの揺さぶりです。言ってみれば自分たちの存在をアピールしたいだけの、稚拙な自己主張。大祭が前回に引き続き成功したことに腹を立てたのでしょう。——それと、外からの客人も迎えている」
村長を見据えて、覇気をほんの少し繰り出す。
「今騒げば、有効な手だと思われまた襲撃は起こるでしょう。次は誰を犠牲にしたいのですか」
「……っ」
「——村長にも、護衛を増やしました。くれぐれもお気をつけて」
ロッドを軽く地に打ち付けると、はっと村長は息を吐き出す。
「お前は、そうは思っていないだろう」
「……?」
「私がいなくなれば、お前に異を唱える者はいなくなる。この村はお前のものになるであろう」
「ものとか、そういうのやめてください。俺はマイナイとして神と村を守ろうとしているだけです」
呆れと失望、そんなものが胸をよぎる。
「望まれる限り私はマイナイとして振る舞います。それ以上のことはしません。そもそも村は貴方に任せきりではないですか」
「次は、誰が村長か……分かったものではないだろう」
「少なくとも私ではありません」
これは皮肉かな、と自分でも思う。ラアイはわずかに目を泳がせ、それから無言で去っていった。
「……マイナイ様」
ヒリンが気遣わしげに声をかけてくるが、それに首を振ってレストは苦笑した。
「戻ろう。ビーテルに報告しなければ」
さわりと風が吹く。
明日は雨かもしれない。




