アルコナ
剣の訓練は週に3度は行っている。
4年に一度の奉納舞のこともあり、基礎は必要だと指導を受けて、10年以上。
2日ぶりに握った剣をぼんやり眺めていると、不意に声がかかる。
「何かございましたか」
声に我に返るとヒリンが見下ろしているのが目に入る。木陰で休むレストがぼうっとしすぎていたのが心配だったのか。
背の高い男だ。背は低くないレストの頭一つ分高い。武人らしいしっかりとした体格に、顔立ちは穏やかだ。赤茶の短い髪に、緑の瞳。10歳近く上で、武衛衆宗家の当主だ。
「いや……俺に、剣の才能ってある?」
「才能……ですか。一般的な剣術なら、あるといえばありますし、ないといえばないかと」
「言い方があいまいだな」
「そうですね……忌憚なく言われていただきますと、」
「訓練中はいつもそうだろう?」
「ええ、そうでしたね」
特に表情も変えずさらりとそう流すヒリンは、幼い頃から護衛としてついていてくれた兄のような存在で、あまりおたがいに遠慮もない。
「基礎的な部分は完璧に近いです。あとは実戦を経験すれば、数度でそこらの冒険者以上に戦えるでしょう」
「それは、ある方ってことだな」
「もちろんです。ただ、貴方様には、決定的に欠けているものがございます」
「欠けている?」
「はい。相手を打ち負かそうとする闘争心です」
「……なるほど」
自覚はあったので、頷いた。
長くもない人生で、倒すべきだという相手がいなかったのも大きな要因だろう。
剣術は楽しい。けれどそれを使って倒す敵も思い浮かばなければ、目的がない。
「よくわかったよ」
「ですが、私どもが必ずレスト様をお守りいたします。ご心配なさらず」
「ああ、頼むよ」
最近物騒だから、武衛衆としては気合を入れなければならないところだろう。
ちょっと違う方向に解釈されたが、まあいい。
ラグヴィルと、あのエリメンとかいう傭兵は禁止したところ以外は常に剣を携えていた。
それを言ったら武衛衆もだが、彼らの一部として認識していたようで、とくべつ疑問にも思っていなかった。村ではそれ以上の武装はなく、せいぜい狩りに向かうときの弓くらいだ。
なんとなく、自分にとっての剣とは、と少々哲学的な思考になった。
かの傭兵には、商売道具で相棒といったところか。戦っているところを見たことがないが、きっと強い。何故かそう思う。
(そう言えば、全然彼のことは知らない)
傭兵で、ヒリンと大して年齢は変わらないだろう。王都で活動しているということだろう、王太子殿下と親しくしているようだ。あまり愛想はないけれど、悪い人間じゃない。
——エリメンとは、どんな関係なのだろう。
昨日会って、なぜか聞きたくなった。
仲間だろうというのは、見てわかるのに。
一体どんな仲で、どうして一緒にいるのか。
(聞いて、どうなる)
自分には関係のないこと。
無理矢理思考を切り替える。
——やはり、自分には剣舞を極める程度の目的がちょうどいい。ちょっと剣を扱えるからといってしゃしゃり出るほうが周りにとって迷惑だ。
「もうちょっと時間はあるね?もう一度さっきの教えてよ」
「承知しました」
たとえ教える相手に欠けていると評しても、指導には余念がないヒリンは事もなげに礼をした。
剣の訓練を終えたあと、汗を流して自室に戻ると、すでにドーイが次の準備をして待っていた。
「お召し物はこちらに。今ケディンにお茶の用意をさせております」
「ああ、ありがとう。大祭を挟んだから、ミニアとは久しぶりだね」
「そうですね。先ほど到着されたようですが、レスト様に早く会いたいとおっしゃっていたようです」
「じゃ、早くしないとな」
言いながらレストに手早く服を着付けているドーイは側仕えの堂に入っている。
簡易の司祭服だから装飾がなくて楽だ。腰ひもの結びを確認し、羽織に長くない袖を通すと、ドーイがさっと経典を掲げてくれたので、手に持った。
いざ、次代の『アルコナ』の待つ部屋へ。
「レスト兄さま!」
「ぉわっ、と」
扉を開けた途端、腹に衝撃が。
思わずたたらを踏んで見下ろすと、見慣れた桃色の小さな頭がくっついている。
「ミニア」
「兄さま、さびしかったよー!」
「うんうん、久しぶりだね、ミニア。でも、私たちのご挨拶は」
「……う」
不満そうに唸って、その小さな頭が離れた。
大きな黄緑色の瞳を半分閉じて、ふくふくとした頬を膨らませてから、幼い少女は両手を胸の上に重ね、腰を折る。
「……エメテークさまにうるおいをあたえしマイナイさま。われらきょうだいのえにしが今日もいとしきものでありますよう。こんにちは、マイナイさま」
「エメテーク様に瓶を捧げるアルコナ様。我らきょうだいの縁が今日も輝かしきものでありますよう。お久しぶりです、ミニア殿」
ミニアに向かって、同じように胸に経典を持った両手を重ねて腰を折る。
レストの言葉が終わるやいなや、ぱっとミニアは顔を上げてまた抱きついてくる。
「ちゃんとできたでしょ?」
「ああ、えらいぞ。じゃあ次は、ドーイにご挨拶」
「うん!」
ドーイはもう流れはわかっていて、片手を握って胸に押し当て、両膝を床につけた。
「エメテークさまのめぐみをいただきしはらからよ、われらの山が今日もかがかしきものであふれますよう。こんにちは、ドーイ」
「慶ばしきお言葉を頂戴します。麗しきアルコナ様、今日も御身にエメテーク様の恩恵が注がれますよう」
「……どう?」
「完ぺきだ」
「やったー!」
にっこりと笑顔になるミニアはワンピースの裾を揺らして小さく踊る。
手間がかかるが、こうやって毎回正式な挨拶をさせるのは、ミニアがレストの次に神の伴侶——アルコナになると決まっていて、今は行儀習いの時間だからだ。
男性ならマイナイ、女性ならアルコナ。
これらはしきたりで名前が決まっており、選ばれる者全員がそう呼ばれる。
早くから神の伴侶たる自覚を持ち、この村を率いる最高司祭としての振る舞いを身につけるために、神の選定を受けた子どもは当代マイナイ・アルコナに教えを授かる。
ミニアは1年前に神の選定を受け、アルコナになることに決まった。まだ幼いが、素直にレストの言う事を聞き、自分は後に同じ立場になるということは理解しているようだ。賢い子だ。
「あ、ねえねえ、この前の、けんぶ?すごかったよ兄さま!」
「ああ、ありがとう」
「たんたん、って!ひゅっひゅっ、て!きれいだったしかっこよかった!ねえ、私もいつかやるの?」
「ああ……どうだろう、それは君次第だな」
「しだい?」
「君がやると決めて、がんばれば剣舞をやってもいいよ」
椅子に座らせながらそう言うと、壁際に控えていた花事はなんとも言えない顔をした。
だが、気づかないフリをする。
「やってもいいの!?」
きらきらと顔を輝かせるミニア。
初めて見た奉納舞が気に入ったようだ。
「ただし、本当に大変だと思う……剣はね、とっても重いんだ」
「おもいの?」
「そう。今の君と同じくらいの重さじゃないかな」
「ええー」
「大きくなって、君がアルコナを務められる頃だと、持てるかな?」
「う、うううん」
自分のまだ小さな両手を眺めながら唸るミニアに、なかなか現実的だな、と微笑ましくなる。
「昔は、剣舞はマイナイの踊りだったんだ。アルコナは、別の踊りがあるんだ、杖術っていう」
「じょうじゅつ……」
「私の杖を見たことがあるだろう?ああいうのを持って踊るんだ」
「そうなんだ」
真剣に聞くミニア。
男女奉納舞の得物が違うのは、伝統的なものだった。
いわれは女神を楽しませるために、神の伴侶が踊ったということだ。今は剣と杖と定まっているが、始まりはそれに加えて槍と扇と布——長いショールのようなものを振り回すらしい——と、いくつもバージョンがあったらしいから、伝統といっても長く伝わっただけだろうというのがレストの見解だった。
何故レストがミニアの剣舞を否定しなかったのかというと、自分がまさに、その得物で苦労したからだ。
レストがマイナイになったのは、5歳だった。
大祭は、その2年後に行われた。
——7歳児に、伝統だからと剣を振り回せという非常識な花事がいたのだ。
出来る出来ないの次元ではない。なのに当たり前だと主張する大人に、レストは子供ながらに怒り、ビーテルたちの手を借りながら調べたのだ。
伝統とはいかにいいかげんなのか、ということを。
結果、古い記録に残っていた原初の踊りと、過去数代にわたる、なんでもいいから踊っておけ、というかなり好き勝手な奉納舞の事実を探り当て、ついでに男女で剣と杖が明確に別だという決まりも、記録には書かれていないことを暴露した。
だから、ミニアが剣舞を選び、真剣にその修練をするのなら、問題はない。
「ゆっくり決めるといい。そのうち杖術も見せようか」
どうせならと杖術も一通り踊れるように練習はしている。
「兄さまがやってくれるの?」
「うん。あんまりやらないから下手くそだけどね」
「いいよ!あっ、おねがいします!」
「よくできました」
他の人へのお願いごとは言葉にするように、と、教えたのをちゃんと覚えていた。
結局、7歳のレストは間に合せの短剣で剣舞を行った。
前回と今回は身長も力も足りたので、宝物庫にある剣舞のために打たれたという100年前の宝剣を使った。何も伝統を壊したいわけじゃない。
「……そうだな、花事。ビーテルに宝物庫の立ち入り許可を貰いたい。奉納舞の剣と杖をミニアに見せたいんだ。彼の休んでる部屋はわかるよね?」
「はい。かしこまりました」
控えていた花事に申し付けると、彼は部屋を出て、すぐにかわりの使用人が入ってきた。
「……しつれいします、お茶をおもちしました」
経典を開く前に、今度はケディンがおっかなびっくりお茶の道具を持って入ってきた。
彼はまだお茶は淹れられないが、道具の準備や片付けなどを任せていた。ずっと館にいるベテランの使用人が彼から茶道具を受け取り、準備を始めた。
レストがケディンを見守っていると、気づいたケディンはぴゃっと飛び上がりそうなほど背を正し、それからガバリと腰を折る。
「こ、これでしつれいしま、すっ!」
「うん、ありがとう。一刻以内には部屋に戻っててね」
「は、はひ!」
「……」
ドーイが頭が痛そうに眉根を寄せた。
「ケディン、またねー!」
ミニアが無邪気に手を振ると、ケディンはほっと表情をゆるめ、手を振り返そうとし、はっとレストを見てまた顔を青くしてあとずさった。
「ごっごめんなさいぃ!」
そのまま部屋を出ていくので、全員の目がレストに戻って突き刺さる。
「ううん……まだ誤解されてるようだな」
「ケディンとどうしたの、兄さま」
「ちょっとね」
「なかよくしてね?」
「うん」
俺はそうしたいんだけどね、と胸のなかで独りごちる。
行儀習いの意味もあって、1年ほど前にレストに付けられたケディンだが、その当初は年頃の通りのやんちゃだった。
それを、ちょっとばかり躾けたら——それ以来、レストはケディンにとって恐怖の対象となったらしい。
自分の小間使だ、ちゃんとしてほしいのもあるけれど、仲良くもしたい。
「まあ、そのうち打ち解けてくれるのを待つしかないな」
「うちとけ?」
「ケディンが私と仲良くしたいって思ってもらえるようになればいいなって」
「そうなのね」
可愛らしい顔をせいいっぱい真剣にして、ミニアは頷いた。




