第3話 守りを失う
扉は、いくつも続いた。
その前には決まって格の違うものがいて、決まって冒険者に打ち破られた。そして扉に手を触れるたび、あの言葉が流し込まれる。そなたの才を捧げよ。
冒険者は、捧げ続けた。
ある扉では、槍を捧げた。長く修めた技能だったが、剣がある以上、出番は多くなかった。抜け落ちる感覚にも、もう慣れた。惜しくはあったが、痛くはなかった。そして、残ったものが、また少し濃くなった。失った分だけ、別のどこかが伸びる。法則は、もう疑いようがなかった。
選び方に、迷いはなかった。剣から遠いものから、捧げる。斧も、槍も、そうやって選んできた。使わぬものから捨てる。それで足りるうちは、それでよかった。名を挙げるほどもない小技も、いくつか、その順で消えていった。だが扉を重ねるうち、剣から遠いものは、じきに尽きた。
その次の扉の前で、冒険者は初めて考え込んだ。
浮かぶ像を、順に眺める。剣は、論外だ。短刀も、いまや懐の戦いを支えはじめている。攻撃の手を失えば、魔物を破れず、先へ進む術そのものが絶える。回復の魔法は、命綱だ。補助の魔法も、あらゆる場面の底を支えている。
残るのは、守りだった。鎧。盾。受け。
どれも、軽々に出せるものではなかった。一撃を確かに受け止め、いなし、返す。それが、数十年かけて組み上げてきた、自分の戦いの型だった。守りを抜けば、戦い方そのものが崩れる。扉の前で、冒険者は長く動かなかった。
だが、どれかを出さねば、扉は開かない。
攻撃を失えば、その先で詰む。治す術を失えば、いつかの傷がそのまま命取りになる。守りなら――貰わなければいいし、貰ったところで、治せる。回復という備えが、まだ手の内にある。失っても、すぐに命へは届かないもの。見渡すかぎり、それは守りのほかになかった。
そう腹を決めて、鎧の技能を手放した。厚い鎧をまとい、その重さを苦にせず動くための技能。
抜け落ちた瞬間、肩が沈んだ。
まとっていた鎧が、鉛に変わっていた。重さは、何ひとつ変わっていないはずだった。その重さを支える術だけが、身体から消えていた。冒険者は留め具を外し、一枚ずつ、その場に脱ぎ落とした。数十年連れ添った重さが、石の床で鈍い音を立てた。
鎧を捨てた身体は、やけに軽く、同時に心もとなかった。心もとなさは、見込んだ上だ。傷は、治せる。そう己に言い聞かせた。
次の扉で、盾を捧げた。このときだけ、わずかに指が重かった。剣の次に長く連れ添った、相棒のようなものだった。一撃を確かに受け止め、いなし、返す――あの戦い方ごと、手放すことになる。だが、鎧を失った身体に、盾だけを残して何になる。あの守りは、鎧と、盾と、受けの三つで一つの体系だった。一本抜けば、残りは柱ではなく、ただの棒だ。中途半端に抱えるより、まとめて捧げて、残りを濃くしたほうがいい。それに――傷は、治せる。
腕から外した盾は、ただの重い板になっていた。扉の前に、置いていった。
理屈は、どこも間違っていなかった。一つひとつは。
その次の扉では、受けの技能を捧げた。相手の一撃を正面から受け止め、いなす――守りの、最後の要だったもの。
鎧、盾、受け。守りを形づくっていたものが、三つの扉で、立て続けに消えた。
攻撃を受けるという選択肢が、なくなった。
これは、堪えた。
受けを捧げた次の階層で、冒険者は初めて追い詰められた。人型の魔物の一群。以前ならば、盾で正面を固め、一体ずつ確実に削っていけばよかった。だが今の身体は、受けることを知らない。
先頭の一体が斬りかかってくる。受けよう、と身体が動きかけ――その術が、ないことに気づく。技能は消えている。構えの形すら、思い出せない。もう、そういう身体ではないのだ。
一体の斬撃が、肩を裂いた。
熱が走り、遅れて痛みが来る。冒険者は後ろへ跳んだ。
受けられないなら、当たらなければいい。
答えは、一瞬で立った。だが、身体が従わなかった。長年、受ける戦い方をしてきた身体は、斬撃を前にすると、まず足を止めてしまう。止まってから、受ける術がないことを思い出す。その半瞬が、命取りになる。頭では分かっているのに、できない。頭と身体のあいだに、これほどの距離があるとは、知らなかった。
二撃目を辛うじて逸らし、三撃目は完全にかわしそこねて脇腹を掠められる。息が乱れた。
こんなことは、いつ以来だろうか。
冒険者は退きながら、必死に身体の使い方を組み替えた。踏み込みを止め、重心を浮かせ、相手の間合いの外へ外へと逃げる。無様だった。かつて英雄と呼ばれた男の動きではなかった。壁を背にしかけ、転がるように位置を変え、それでも幾度も掠られた。だが、生きるためには、それしかなかった。
その切迫が、身体を追い込んだ。何度も掠られ、幾度も冷や汗をかき――そして、ある瞬間、噛み合った。
相手の斬撃の、起こりが見える。
肩が、わずかに沈む。それが、振りかぶりの前触れ。半歩退けば、届かない。退いた勢いのまま、がら空きの胴へ短刀を差し込む。
かわし、返す。かわし、返す。
気づけば、魔物の群れは沈黙していた。
冒険者は肩で息をしながら、傷ついた身体の奥に、新しい像が生まれているのを感じ取った。回避。そして、返し。追い詰められたことで、無理やり引きずり出された技能だった。しかも、なんとなく手にした短刀と、驚くほど相性がいい。
新しく身についたものは、習熟の高まりがやけに速かった。気のせいではないだろう。死線を越えるたびに、それは濃くなっていく。
濃くなっていくのは、技能だけではなかった。息は、長く続くようになった。足の裏は、暗がりの岩を確かに掴む。英雄と呼ばれた頃には、この身体もとうに出来上がっていたはずだった。その素の身体が、いま、また伸びている。技能の底で、肉そのものが作り替えられていく感覚があった。
その先の階層で、回避は面白いように利いた。
一度掴んでしまえば、あとは速かった。起こりを見る。半歩で外す。外した勢いで、返す。魔物の斬撃が、やけにゆっくり見えるときさえあった。掠り傷はいくつか増えたが、まともな一撃は、もう一度も貰っていない。受けていた頃より、むしろ被弾は減っていた。
守りを捧げて、守りが堅くなった。
おかしな話だった。だが、悪い話では、なかった。
戦いの合間に、冒険者は肩の傷へ手をかざした。
意識を向ける。開いていたものが、閉じていく。脇腹も、同じように塞いだ。掠り傷の類は放っておいても構わないが、癖で消しておく。戦いのあとに、身体を整える。物心ついてからずっと、そうしてきた。息を吸うのと変わらない、当たり前の手順だった。
傷の消えた身体で、冒険者は岩壁に背を預け、短い休息を取った。どこか遠くで、水の滴る音が、数を数えるように続いていた。
ふと、あの書物のことを思い出した。
遺跡の噂を聞く、少し前のことだ。町の外れの、埃をかぶった書庫でのことだった。特に理由もなく開いたそれは、三百年ほど前の記録だった。
かつて、地の底から現れ、国々を呑もうとした、恐ろしい魔王がいた。世は絶望に沈みかけた。だが、一人の英雄が立ち上がり、幾多の苦難の末に、ついにその魔王を打ち破ったのだという。世は救われ、英雄の名は、長く語り継がれることになった。
華々しい、絵に描いたような英雄譚だった。
うらやましい、と思った。
その英雄には、振るうべき相手がいた。命を賭けるだけの理由があった。持てるものを、余さずぶつける場所があった。まぶしいほどの、上り坂の物語だった。それに引き換え、自分の才は、行き先を失って、錆びるのを待つばかりだった。
今は、どうだ。
肩を裂かれ、追い詰められ、死にかけた。そして、そのぶんだけ、確かに伸びた。極めきったはずの自分が、まだ変わっていく。錆びるのを待つだけだった日々は、あの最初の扉の向こうに置いてきた。
坂を、上っている。
冒険者は立ち上がり、なお奥へと進んだ。その足取りに、迷いはなかった。




