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汝を示せ ―全てを失い、手に入れるもの―  作者: ひるのたきび
第一部 渇望するもの

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第2話  短刀

扉の向こうは、拠点だった。


先に遺跡へ入った者たちが遺したものなのか、粗末ながら人の営みの跡がある。壁際に簡素な寝台。火の入った炉。棚には食料と、必要最低限の装備が並んでいた。奥では、幾人かの人影が黙々と何かをしている。


冒険者は棚を検分した。剣の予備が何本か。細身の投げ刃。回復のための薬。ひととおり揃っている。ただ一つ、斧だけがどこにも見当たらなかった。


つい先刻、自分が捧げたもの。それがここには置かれていない。


偶然だろう、と冒険者は思った。深くは考えなかった。


背後で扉が閉じる音がした。振り返ると、開いていたはずの扉が固く閉ざされている。押しても引いても、びくともしない。どうやら、もう戻れないらしい。


分かっていたことだ。


この遺跡の噂を聞いたのは、あの静かな町でのことだった。古代の遺跡には、さまざまな言い伝えがあった。そこでは全てを失い、全てを手に入れるという。そこではどんな才も意味をなさないという。そこでは、未来を知ることになる。――嘘か真か、もはや誰にも分からない。


ただ一つ、確かなことがあった。いま生きている誰の知るかぎりでも、その遺跡に挑み、すぐに逃げ帰った者を除いて、誰も、戻ってきていない。


大昔には、戻った者たちがいたと語る者もいる。だが、彼らが中で何を見たのかを知る者は、どこにもいない。


普通の者なら、避ける話だった。だが、目的を見失っていた男にとって、その確かさだけが、むしろ甘く響いた。戻ってこられないほどの何かが、そこにある。ならば、それでいい。男はそれを、最後の冒険と定めたのだった。


戻った者は、逃げ帰った者だけ。ならば、逃げ帰らなかった自分は、進むしかない。


棚から剣の予備を手に取った。鞘から半ばまで抜き、刃を検める。なかなかの上質だった。こんな場所で、と思うほどに物が良い。腰に差した。その隣に、短刀があった。


なぜそれに目が留まったのか、自分でもわからなかった。使ったことはほとんどない。剣があれば事足りる武器だ。理由は、あとから付いてきた――狭い場所では、剣は振るえない。予備は、あっていい。だが、手が伸びたのは、考えより先だった。柄の握りを確かめ、鞘ごと帯に差す。妙な据わりの悪さがあったが、悪くはなかった。


棚の食料には、手をつけなかった。この場所のものを腹へ入れる気には、まだなれなかった。携えてきた乾いた食料を齧り、寝台で身体を休める。炉の薪が時おり爆ぜて、その音の返りだけが、部屋の広さを教えた。


寝転んだまま、冒険者は奥の人影たちを眺めた。


一人は、炉の前で薪をくべている。一人は、棚の前に立ったまま、動かない。そしてもう一人は、何も持たない手で、同じ動きを繰り返していた。振りかぶり、振り下ろす。素振りのようだった。だが手の中には何もなく、その動きは奇妙に空っぽで、型だけが残った抜け殻のように見えた。


この遺跡に挑んだ者たちの、成れの果てか。


ふと、そう思った。才を捧げ尽くして、進むことも、戻ることもできなくなった者。入り口で自分は、才のない者にはここは墓場だろうと見立てた。その答え合わせを、いま見ているのかもしれなかった。あるいは、はじめからここに居るものなのか。確かめる術は、なかった。問うたところで、答えそうな顔は、一つもない。


人影のひとりが、ふと、こちらへ顔を向けた。


炉の火から少し離れた片隅に、その者は座っていた。膝に書物のようなものを広げ、絶え間なく何かを書きつけている。冒険者が動くたび、その手がわずかに止まり、生気のない目がこちらへ向く。そして、また筆へと戻る。見ているようで、見ていない。そんな目だった。


気には留めなかった。この場所に、生きた人間がいることのほうが、むしろ不思議なくらいだったから。


十分に休んだのち、冒険者は奥へと足を向けた。


道中、剣で事足りる場面がほとんどだったが、一度だけ、狭い岩間で剣を振るえない状況があった。冒険者は帯の短刀を抜いた。最初は勝手が違い、突きが浅くなる。だがすぐに手が覚えた。刃の短さを、間合いの詰めで補えばいい。三度、四度と繰り返すうちに、身体が納得していく感覚があった。


そのとき、頭の片隅に、すっと像が結んだ。短刀という武器の扱い。その輪郭が、確かに濃くなった。


――成長だ。


ここ数年、感じたことのなかったものだった。英雄と呼ばれ、極めたと思っていた。もう伸びしろなどないと思っていた。それが今、こんな端武器ひとつで、久しく忘れていた手応えが返ってくる。


ふと、思い当たった。


斧を捧げたあの扉で、残ったものへ何かが流れ込んでくる予感があった。あれは、これだったのではないか。


失った分だけ、別のどこかが伸びる。


一度言葉にしてしまうと、妙にすんなりと腑に落ちた。捧げるとは、ただ失うことではないのかもしれない。移し替えることだ。都合のいい読みだと、頭の隅では分かっていた。確かめる術も、ない。だが、手の中の手応えは、本物だった。だとすれば――まだ、伸びる。伸びしろなど、とうに尽きたはずのこの身体に、まだ先がある。


冒険者は短刀を鞘に戻し、奥へ進んだ。


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