忘却の徒
さかのぼる日は11月3日ジンクスファミリー拠点、古城ヘィルメスにて。ケヴィン誘拐のその話はもうその日の夕方にはジンクスファミリーのボス、アデルへと届いていた。これまでカイのために親身になって事件にかかわりつづけていたアデルにも、日にちと状況に対する擁護の限界が近づいていた。そこでおきた新たな誘拐騒ぎは、その日数をごまかし、彼やジンクスファミリーをとりまく重要なポストの人々に根回しすれば事たりるような程度の重要さに見えたが、彼は安心はしなかった。
「今日の内に、ベルノルトを一階会議部屋によびよせろ」
存外チープに見え放棄された古城の小さくそそり立つ塔の傍らで、散歩をおえてジョウロを手にしたまま、ボスはスーツのジャケットを羽織り、そんな風に部下・コンシリエーレのエレナに伝えた。エレナは表情のよみとれない女性だった、ただ凛々しい瞳は、まるでこけしや人形の瞳のように精錬されて美意識を刺激して、その二つの丸を見つめるだけで、人間はいくつかの彼女を見つめるアイデアと屁理屈を探し出そうとするだろう、彼は二つの髪をたばねた団子に似た球状の丱髪をもち、チャイナドレスににた、左右の腿をひらいたドレスのようなスーツを着ていた。
カイは、その夜行われた一団会議の果てで、ついに、エメ、というよりすでにジルとケヴィン少年も呼ぶその女性に対する明確な答えを導きだす事ができなかった。けれどその胸に抱いたロケットペンダントの中に、光る輝きを持つ写真を大事にその手のひらで覆うと、深夜2時、やっと重い腰を起こして、ベッドへと向かう決意をつけたのだ。
ロム医師は、仕事場で寝るといった。廃拠点ファラリスは無防備に思えたが、その一時間後に起きた物音で、カイが目を覚ますと、スーツ姿のベルノルトがベッドのそばにものの数分で立っていて、こう呼びかけた。
(ベルノルト、ここは二階だぞ、どうしてこんな夜更けに)
(事務連絡があります、しかし、あなたは少し眠ったほうがいい、明日からきっと忙しくなるでしょう)
カイは二階にあがり、うなされながら一分刻み事に目を開けていた。ベルノルトのおかげでやっと不安を彼の布団やまくらにぶつけ、それを千切れんばかりににぎり、それに顔をおしつけて、そのまま深い眠りにおちた。
ベルノルトは、その夜眠らなかった、かれはもともとショートスリーパー気質であるといえ、しかしその夜は暇をもてあまして、カイが眠っているのをいいことに、かたわらで、コーヒーを飲んでいた。
しかし、彼にしてみれば厄介な事にまきこまれた。カイは組織の用心棒のような立ち位置だときいていた。そもそも彼の逸話とくらべればこの好待遇にもその意味は読み取れる。けれど、彼が、ベルノルトがカイに嫉妬していたのはその事ではなかった。
ベルノルトは、もともと優秀な医者の家系に生まれ祖父も父もそうだった。自分はビジネスに関心をもっていたので、厳しい家庭ではあったものの、文明や文化の変化の流れを受け入れざるをえず、彼は優しく甘やかされてそだった。だからこそ、ケヴィンには、自分の持たざる何かの一面が隠されているように思えて仕方がない。そう思う事が、悔しかった。
ビジネスに可能性を感じて、国内の多種多様な業種を志し、あるいは時に、国家試験をへて、公務に従属した事もあった。けれど彼は真反対の歴史をもつ。考えたくはなかったが、あの敏腕の、彼が敬愛してやまないボス、アデル。彼がカイを気に入っているのは紛れもない事実、そこにあるセンスに関して、彼はひときは身長にその名にたるかを読み取るためのメモをつけていた。
彼の胸には、いつなんときもメモとスカーフがあった。そしてペンもともにあり、気にかかるすべてを記述しては、夜な夜なひらいて、一人で何かと照らし合わせては、その重要な箇所を読み取ろうとするのだった。
「私に足りないのは、ビジネスの責任者であるセンス、それだけではなかった、私にたりないのは」
まぎれもない、人から信頼をもぎ取る力、求心力、人望、そしてそれを誇示するセンスが、自分には圧倒的に欠落している。路地裏の猫のような、ベルノルトにそれが存在している可能性すら考えるのをためらった。しかし、彼は熱心だった。熱心であるがゆえに、良薬口に苦しというような心得で、彼のことをずっと見張っていたのだ。いまも、そんな調子だった。
それから7日も、カイはその部屋と仮の住居であるナナシの街の南“ファラリス”をからにした。むろんそんなことは初めにやって置くべきことだ。敵に居場所がばれたのであれば、すぐに場所を移すべきだった。話しをもどすと、ベルノルトは、カイにある選択を迫った、11月4日の朝の事だった。
「カイ、アデルがせかしている、これからは心を決めるべきだ、限られたリソースと味方で、敵と戦うか、それともアデルに支援を要請するか、アデルも事態が広がりすぎた事を深刻に感じている、もっとも真意はよみとれないがね」
カイとベルノルトは、リビングにてテーブルを境にして、ベルノルトはたちすくみ、カイは暖炉にはぐれものの近い小さな椅子にこしをかけて、向かい合う事さえなしに、互いに別々の方向をみて話しをした。カイはテレビのあるキッチンとの境をみていたし、ベルノルトのほうも、ガラス越しのベランダのほうをみていた。
同じ日、隣町ダシクローファミリーの拠点“コリュバーン”では、ボスクローが、二人の手下であるラヴレンチとソスランにある命令をしたその二日後、11月5日に又表情を変えた狂気の行動が、ボスクローの缶詰となった執務室で行われていた。
「私は、全てわかっている、すべてわかっているさ」
山積みの書類から、ひとつづつ書類をとりだして、機械的にハンコをおしあてる、それでいてかれは、そのすべてを即座に判断して、良し悪しと必要な情報を、その分厚い頭の中に秘められたコンピュータに一時記憶として溜めていく。
有能なコンシリエーレ・セナにとって彼のその彼の傲慢さこそが、当面の自分の向き合うべきで、厄介な仕事となっていた。
「今はともかく、ヘイトは彼ら二人に向っている、しかし自体は収束したともいえない、彼が、お気に入りのメイドの一人を殺害してから、組織の内部はいつ自分がその手にかかるか、戦々恐々としている事態、有様だ」
しかしそのメイドは、もう元気はつらつとして、その当時の記憶と意識をうしなって、執務室前にじんどってくびをかしげて顎に手を当てて物を考えるセナの横を通りすぎていった。
「あ、君……名前、なんといったかな?」
「はい!!??」
にこにことしたメイドは、自分から物を語った。
「私、名をヤナといいますが」
恐れるに足らず、このパンドラの国のほとんどが、ありとあらゆる人間を番号において管理して、その生体が死に陥ったときにかぎり、そのクローンを生体の代わりに割り振る、そういう決まりになっていた。彼女は死んだが、蘇生されていた。それが本当に、生前の彼女とまるで同じとは、消してだれにも確信はできないのだが。
11月6日の午前、ロム医師はまたカイを呼び寄せた。それはかつての仕事場である、あるボロ屋の中だった。ナナシの街、ナナシの街の中央から真東、東区に近い一角にあった。
「情報屋に対するお前の信用を、お前はどうとらえているのだ、裏切りについて……過去は清算されたのだろうか」
いうまでもなく、情報屋の話だろうとおもわれる、ケヴィンはまるで父に叱られる子供の様に、それとみてとって、診療室のベッドに腰をおちつけ、診療室のカイにとって右手と窓際に近い、医者の椅子をみて、すぐに眼を落した。
「なあ、これはお前の責任でもある、だがな、この場限りの事をいっているんじゃない、お前は信用をうやむやにするところがある、まるでその、自分の事情に人を巻き込むのをよしとして、お前のための状況を望んでいる、それもかけをしている風にみえてなれないんだ、いつかいったことがあったよな?」
「はい……」
いつぶりだろう、自分より年上の、年長者にこのように全うな叱りを受けるのは、彼が語る事は予想ついたが、自分の感覚では簡単にたどり着くことのできない愛情表現だった。呼び出しをうけてから、敢えてカイは汗をかいてこの場所に向ってきていた。なので彼は汗をかいていた、ここまでしばらく歩いてきた。わざと車を遠くにおいて、自分の苦労をその体に刻み込むように歩いた、それでいくらか、失われた人々の痛みがわかるだろうか、そんな気持ちでいっぱいでいた。その中で、ロム医師がいつかいうだろうこと、自分がほったらかしにしておいたことについても未だある隠し玉についても、真摯に向き合うつもりでいた。
「いいか、俺はいったぞ、お前はすぐに問題を混同するのだと、それによって周りが被る被害について、お前はどう考えているんだ、まるで自分の過去をテーブルの上に放りだして、あとのことは他人まかせにしているようだ、人任せじゃないか」
いうまでもない、情報屋の事だ、過去の事だ、それらすべてに優柔不断だった自分は、その状況すべてを同じテーブルにおいて、自分が救うはずで、救うべきだったものすべてをその混乱と混沌の中に引き入れてしまった。自分は、優柔普段な楽天家なのかもしれない。なぜ自分でなく彼等が危ない目にあうか、そんなことを想像もしたくなかったのだろう。
「自分は、楽天家なのかもしれない、自分は本当に何かを救っていい人間なのか今でもわからない」
瞬間、衝撃が、右から左へと走った。カイ本人は、まるで映画館の見る映像のように、どこか俯瞰でそれをみていた。そこでようやく自分には眼窩と眼球という器官があることに思い至った。映画館の中でみる映像のように、どこか遠くで起こっている自体のように思われた。予想外のことにでくわして、ようやくそれが自分の事だと理解できたのは、二つの目が視覚の極端な揺らぎに違和感を覚えたからだった。
その時、予想された自体と予想されなかった自体におそれを抱いた。痛みなどない、むしろ痛みがないことこそがカイの感じている苦痛だった。
“自分は正常さを理解できない”
そんな思いがカイにはあった。
「お前!!!お前の正義や、悪の基準など、ほかの誰にも、ほかのどんな存在にも、どうだっていいことだ、だが、カイ!!!お前のその優柔不断さに期待した、信用した、その他の人間をいつまでそうやって、お前自身のものであるかのように、ずさんに適当に扱うつもりなのだ!!!」
はっとめをあけて正面をみた、老体、杖を必要とするほどに弱った足腰、そこからきた強烈な一撃の閃光。それは痛みを通じてやっと理解した、彼は自分をひっぱたいたのだ、あまりにも原始的な暴力で。しかし彼はちゃんとわきに医師の道具をおいて、只の人間としてカイの頬をたたいたのだった。
「何を、そんなにかっとしているんですか」
かとおもえば、その言葉をはっしたあと、老人は泣いていた。なぜだかわからなかった。しかし老人は、時折嗚咽混じりの口の中から、整理された毛むくじゃらの顎とほほから、ひねりだすように言葉をつづけた。
「お前は、お前は、痛みや苦痛について、麻痺してしまったのかもしれない、お前の苦痛は、私が一番よくわかってやるつもりだった、だが、お前に決意を迫ったわしの気持ちにもなれ、これは信頼だ、ひとつの信頼だ、お前にかけている、お前の痛みが、お前の麻痺した感情が、もう一度お前らしさを思い出す事を、わしは薮医者だ、闇医者だ、だからいろんな人間の人生をみてきた、だがお前程、全てをあきらめ、全てを諦めたふりをした人間は初めてだ!!お前は少年を救う事で、いつか自分が救われたいと考えたのではないのか!」
驚きと、怒号が入り混じった声が響いた。いつのまにか時間がすぎていて、西日が強く、自分のほほをさしている。なんでこんな目に、なんでこんな目に自分があっているのだろう、自分はただ、かつてエスピィミアだった。ただそれだけの事なのに、なぜそれが、こんな状況で、あの過去がこんなにも悲しくも愛おしいのだろう。自分はまだ、何かを隠し、隠しもっているとでもいうのだろうか。
「私は、ウソをついていません」
再び閃光がはしった。それは視界ではなく、単なる神経の衝撃と知覚にすぎなかった。それらを避ける必要は感じられなかった。それは医者としての彼を信用しているからだった。働く頭を呪った。
「こらああ!!!」
老人は、何度も彼を殴った。いくら血がでようと、痛みが頬をかすめようと、カイは表情を変えなかった。
「ごほっ」
ひとつ、歯がぬけた、だがそれだけ
「予測できないことはさける、そんなお前がどうして彼をたすけたのか。予測出来ない事に対する自分の勇気がたりないのをおそれていたのではないか、お前は架空の他人をつくってそれが自分だという事にして殻をつくった、ケヴィン少年はこの状況に巻き込まれたのだ!!」
カイは返事をしなかった、ロム医師は、もう強くはあたらなかった。
「いいか、お前、私の言った言葉をもう一度よく聞く事だ」
「……すみません」
肩を落とし、只老人の前に座りおびえたように縮こまる若者に、老人が放った。
「それからジルの事だ“お前、彼女を、どう思っているんだ”」
西日が運んできた光は、屋内に影をつくった。その影に、彼は、カイはもう一人の自分をみた。自分もまた、彼女の事をしらない、彼女もまた、自分の事をしらない。夕方になると、ロム医師の診療所には彼のまだ小さな息子と、それから近所の金のない少年少女たちが、炊き出しに集った。ロム医師は子供たちに囲まれて笑っていた。月夜にてらされてロム医師が民謡のようなものを口ずさむと、その子供たち皆がまねた。ロム医師が何より子供を愛し、愛されているのだと、カイはしっていた。
11月7日の事、カイはその日一日、完全な休暇をとって、ナナシの街を散策した。あわよくば彼らの足どりや新しい情報がどこかで見つかればいいなどと少しは期待していたのだ。
しかし一日街を駆け回っても、商店街、路地裏の路、繁華街、足取りどころか、その匂いすら感じられない。いったいどこへ消えてしまったのか。いくつかこの後の展開で確実に自分の有利になる展開をイメージして、ロム医師と相談に相談をかさね、必要な物を用意してもらったが、それでも不安だ。それが役にたつためには、相手の実像がつかめていなければならないし、アデルの情報からすると、それも確かな事ではなかった。かつて、ジルといた時の自分は、こんなにふがいなかったのだろうか?それもいまでは不確かな事にも思える。けれど彼女と過ごした時間、仮面をしていた自分が仮面をしている事で彼女と対話ができた時間が今でも思いだされる。だからこそそのとき、自分が失っていた過去が、その対話の中に現れていたように思う。
ベルノルトは、ナナシの街の中央にいて、そのときある行動の時期をねらっていた。彼はある秘密をともなって、都市の闇から闇、影から影を行き来した。それはためらいでもあった。けれど同じ場所にいくためのためらいだった。午前10時ごろのこと、やがて何かを決意したように、歩道から車道を覗きこむ、横断歩道のラインと建物のはざま、その先の路地がみえた。
「……いくか」
やがて、東区との境をいったりきたりして、携帯端末を確認しながらもナナシの街側のある目的の場所へと向かおうとする。その思い手のひらと足の重みは、自分のしてきた罪を暴露する前の少年かもっと悪ければ、古びた老人のようだ。きっと向かわなければいけない正義との対峙と、その制裁をおそれて、ある場所に向かう事ができない。
東区の境目を探るように歩く、時折見える公園に、機械天使の像は必ずといっていいほど掲げられている。騒音にまじって、体を人工改造したサイボーグ化人たちの行き交う姿がその目に映る、憂鬱に、裏切りの味を感じていた。それはつよくかんだ唇からもれた血の味だった。
「……行くぞ」
もはや使われることのなくなった敷地の、使われなかった、コンビニエンスストアの古びた看板をかかげた賑わいの跡地に、すぐその裏手に針葉樹の林があって、獣道の奥に、朽ち果てた廃墟とも見分けのつかない家屋があった。しかしそれは表向きのもので、それはハリボテにすぎない。知る人ぞ知る、闇医者ロムの居住区兼、診療所である。
「こんにちはー」
のれんには、闇医者ロムとふるくさいペンキで書かれている。壁中にはどこの言葉ともわからない言葉が羅列された新聞のきりぬきやメモがびっしりとならんでいて、時に笑顔を見せる真新しい機械の手足をつけたばかりであろうすぐその場面の写真。待合室にはロボットがかまえていて、それは三角の頭をもつ簡易的な事務だけをこなす旧式人格をもったアンドロイドだった。
「旧式人格か、それもそうだ、残された遺産のほかに、それ以上の英知をもってはいけない、こうしたアンドロイドは、複製、それ以外の目的は認められていない。」
闇医者の存在はグレーゾーンだった。サイボーグ関連の法律によって膨れ上がる医療費と、貧困層の格差問題を解決するために、公は目をつむり、市民もまた同じだった。安い労働者が必要で、郊外やスラムに居場所なき人々がつどうごとく、ここパンドラでは、国の試験を通り、資格をもたない医師がいるのは、日常的な光景のひとつだ。
しかし、ロムに限っては状況が違っていた。彼が実は、医師免許をもっている事を、彼に親しいもの以外は、しる事はない。ただ腕のいい闇医者、時に薮医者とののしられるのだ。ロム医師は、その信念のためにあえて自分の身を公の名誉と地位ある医師と、それにともなうごたごたを解決するために、こんな地位なき人間を演じているのだ。
「顔認識機能にて、患者様のデータを照会します……ベルノルト様ですね、面かいのご予約があります」
ひと呼吸おいて、相手は自分から名乗り出た。
「私は製造番号336Eー16、Xmedei社のケナです」
アンドロイドのケナに挨拶して、ドアの先をいくと、奥でもう待ち受けていた。ドアが軽く開いていて、それをノックすると向こうから返事があった。
「失礼します」
部屋に入ると、手術着をきたロム医師は老眼鏡をかけてこちらをのぞき込んでいた、視界が安定しないようだ。その鼻筋にかけていた手をほどくと、すぐに手術着の両方の腕まくりをしてみせ、その後、入口へとちかづいてきた。
「や、やあ、ベルノルトか」
相手は自分の顔をみてたじろいだ。それもそうだ。彼はカイをたきつけたが、しかし、カイに真実など話してはいないのだから。
「ロム医師……我々はもはや共犯です、私たちは彼に隠し事をしている、しかしいつまでも黙っているわけにもいかないのです」
「進展は、あったのかな……?」
のぞき込むようなロム医師、先ほどまで何かしら機械をいじる作業をしていたのか、ゴム手袋とオイルの匂いがいりまじって奇妙な不快な匂いをふりまいた。
「交渉はまとまりました、相手方はほかのマフィアグループに手助けを求める用意もしていない様子で、こちらが裏で用意をするもないようです」
「不快だな、妙に静かだ」
そうやって二人が一通りの近頃の出来事を話し終えると、さらに先ほどまでベルノルトがいたほうの、待合室から別の声が響いた。
「こんにちは、あなたは、顔認証……照会しました、こちらへどうぞ……さん」
話しつつもベルノルトがのんきに腰に手を当てていると、ドアの向うから、もう一人の客人が到着した。
「やあ、きたね、“二重スパイ”ケネスくん」
「……」
たしかに最後の待ち人は、ドブネズミのケネスだったようだ。しかしなぜ、彼がここにいるのか、裏切り者のはずの彼が、自慢げに振り返りながらネクタイを正すベルノルト、もはやすべての準備をととのったとでもいうように、あるところに電話をかけた。
「ま、まってくれ、心の準備が」
慌てふためく老医師ロム、それを手で制したジェスチャーをとり、電話の呼び出し音をとぎることなく、ベルノルトは小声でいった。
「 もはや時間も条件も、味方の援助も限られている、ケネスだって、こうしなければ本当に裏切ったかもしれない、決断はせまられているのです……アデルの手によって 」
仕方なくひるんで、電話にめがけて伸ばした手を取り下げるロム医師、そのたらこ唇が、まるでいいわけをさがすように、月をさかさまにしたような形でゆがんだ。
――同じくロム医師の診療所にて、それから3時間。――
カイは、ロム医師によって恐るべき事態の真相を知らされる。
(ガッ!!)
数秒前と同じ、首元をつかむ音。さきほどまで、つめよっていたのはカイのほうだった、けれどすぐに立場が逆転してしまった。同じ場所、ロム医師の診療所の暖簾をくぐった中の左、彼の診療室の中だ。カイはロム医師に先程とは真逆に、つめよられかかられていた。
「なあ!!逆に聞くが、お前は、きめたのか?」
普通この場合、カイが怒る事は正しかった。しかしロムは、もう気が動転していたのだ、逆に怒ることで自分の立場になんとか示しを付けようとしていた。つくはずもないことなのだが、ロム医師は青年に対する立ち回りをしらない。
「決めたんですよ、初めから、あなたがいうように自分の本性は良く見えている、だからこそ自分の想像は、最低ラインの悪夢をいくつかもみている、けれど今は最低ではない、あなたがそういったそのギリギリが、今です、まだ余裕はあります、あなた方の計らいもその一つです」
「……」
二人ともしまった。にぎられた襟首の力がゆるまると、カイがやさしくロム医師の手のひらをほどいた。ロム医師はその襟首のぼたんから、壁にかかった時計に目をやる、先ほどまで呶鳴りこんでいた自分の言葉の内容を反芻する。
【お前では、裏切られた人間も簡単に信用してしまうのだと考えたからだ!!】
ロム医師は顔に苦笑いを浮かべた。
(すまん、お前と情報屋をうたがっていたが、結局信じるしかなかったのだ、お前は、お前のその目は、なによりも意思を宿している)
ロム医師は、ベルノルトの共犯という言葉を思い出していた。そうなのだ。ケネスは初めから二重スパイとして働いていて、アデルもまた交渉の立場にあり、ベルノルトを使って相手方、クローファミリーと話をすすめようとしていたのだが……今回のようなことがおきてしまった。勿論そのこと自体はロム医師も把握してはいなかった不測の事態ではあった。
ベルノルトが気を聞かせてケネスを指さしていった。
「そうと決まれば、もはや彼も味方ですね」
そういい、窓際で右手のひらで口元を隠し、左ひじをくんだベルノルトの右の職員用の通用口のような場所で、ケネスは一人、礼儀、礼節を整えた態度をとった。
「勿論、立場上ケヴィン少年誘拐に手をかさなければいけなかったとはいえ、彼等二人の安全も確保していたのも私です、準備をしましょう、何なりとご依頼ください」
膝をつき足を下し、ケネスがカイに首を垂れた。左手は地につけ、右手は立てた右ひざにおいている。そしてななめに左足は膝を地に着けている。それがあまりにも空気の読めない場違いな光景のようで、しかし、いくら“情報屋”がこれほど泥臭い職業であろうとも、やはりその丁寧な礼儀からは、嘘などは少しも感じとれなかったのだった。差し込む昼間際の日が、古びたブラインドのこびりついた汚れを透過して、カイの瞳をてらして、がらんどうの屋内にカイの決意と言葉を乾いた響きに反響させた。
「決めましょう、彼らを救いにいくべきだと」
彼等の中で沈黙が頷いた、暗黙の了解だった。
その後、解散してそれぞれが動きはじめたが、その解散の間際、ロム医師はその後、カイだけを呼び寄せてこんな言葉とともに謝罪の言葉をはいた。
「あ……ああ、すまない……だがちゃんと、監視のためのGPSもつけていたし」
「新しいものをつけましょう、僕に考えがあります」
「ふう」
落ち込んでいるカイの様子をみて、ロム医師は、全てを白状した。これまでの経緯、そしてアデルがバックアップをする体制を整えて来たという事。少々場違いにも思えたが、そんなロム医師だから、カイを信用してこの言葉をくったのだ。後から考えてもそれがいい言葉か悪い言葉かはわからない。
「お前ならできる」
そういって、まず両肩をぽんぽんとなでた。
「お前は、きっと“普通の存在”への思いが強すぎて、お前は自分が出すぎた事をしていると思っている、だが、お前は殺人者じゃない、お前は変われる、もう過去に依存することはない、今のお前な、お前の過去をお前の頭で書き換えることもできるさ」
ロム医師も、カイもベルノルトもケネスもその場を和解して、なんとか和やかな雰囲気を緊張感を伴いながら保つことができた、ベルノルトとケネスとロムは酒場へ、そしてその日をきりぬけたのだった。
11月8日、居場所は皆ちりじりになっていたが、カイは廃拠点ファラリスにいた。朝からカイはというと、秘密の特訓をしていた。もはや、組織の動向はわかっている。ケネスによって敵の情報は集積され、ロムとベルノルトによって整理されていた。その中でも作戦の中核を担うのが、カイだ。だからカイは、あえてその準備の場所にあの廃拠点“ファラリス”を選んだ。
ドンッ、ドンッ……。
銃声はしたものの、それらは狙ったものの中心をねらってあてたというよりも、回りをかすめたような響きが帰ってきた。
「お……おい」
「だめだ、やっぱりだめです、あの銃でなければ……私には、もはや拳銃の才能はないといってもいい」
カイの手のひらで光っていた拳銃の銃身はまっすぐだった、カイは、これからのために、といってロム医師の病院にそれをおいてきたのだったが、まっすぐの拳銃では、廃拠点ファラリスの庭におかれたぼろ机の上の空き缶をすら狙いを定める事はできないのだった。
……やはり、クローファミリーの地下空間1F、玉座の間では、クローが未だにうなだれていた。しかし、そんなクローの耳の中にも組織の中の内情はたえず知らされていくのだ。そのため傍らに、セナが控えていた。ボロボロだった玉座は、別のものと取り替えられている。玉座の間はよく見ると、左右に大理石の柱、その奥に左から、彫刻の女神像とピエロがひかえていた。
「考えてもしょうがない無駄を考える傲慢さ、そのために、私は、この私のための組織を選んだ、崩壊のための組織だ」
うなだれて、訳の分からない事を語る彼のために、変わりにセナがここへ来る者たちの意見をとりまとめ、事務をこなして書類に目を通していた。
「つぎ、なんだ」
「ボス、クロー様のご容態はいかがでしょうか?」
不気味に笑うその男は、科学者のレッサだった。
「貴様か、なにようだ!!」
「セナさま、そんなにかっかされてはこまります、私はただ、すみません私は、彼ボスクローに頼まれた品の量産に成功したのだということを知らせに来ました、もっともいまは、まだ“4つ”ほどですが」
「ほう……」
しかし、とセナはおもった、科学者に任せているとはいえ、自分もその実情を把握しておくべきことだが、彼らの持つ技術に関しては謎が多い、なぜ、自分たちの見知った人間が“あんな化け物に”改良されたのかは、再三説明されても、なんとなくにしかわからない。科学者いわく、“サイボーグ化技術の持つ“縛り”を開放した”という事だったが、
「これがその“緑の結晶”“パンドラの結晶です”」
科学者が傍らに抱えていた小さめのアタッシュケースの中にその結晶があった。それを“食らう”ことによって、サイボーグ化した人間は、突然に変異して、化け物の様な形になり、好戦的になる。
ボスクロー曰く、それは従順な兵士になるのだというが、セナには、単なる獣か化け物としかおもえなかった。なぜなら今でも一階下のラボラトリには、件の……ソスランという構成員が苦しみ、もがいているのだから。彼は顔の半分を、鬼の顔の様にゆがませて、彼のサイボーグ体である腕と足は、もう完全に異形と化しはじめていた。
また別の日、11月9日、練習を終えたのは夕方だった、銃声はすでに病んでいて、カイはトレーニングと称して10キロほどの距離を走り終えてもどってきた所だった。
(行方不明となった少年は、未だに突如として消えたまま、彼の住んでいたアパートでは……警察官が巡回し……)
テレビでは、ケヴィン少年の元の住居、フォレスト・ヴェーレが映っている。
「ただいま……」
リビングにいたロムとベルノルトは、周到な準備をして、もしくはそれを終えてその場所につどっていた。
「カイさん、私はあなたにいわれたより、私の身を危険にさらしてもあなたの依頼を達成しましょう」
「わかった」
「爆薬は用意しておいてくれ、爆薬だけでかまわない」
「は、はあ」
部屋の中、一番奥の暖炉のそばで、ケネスは自分のための新聞紙をいくつもひいて、その上に、腰を下ろしてよごさないようにそこで待機していた。あれからというもの、ケネスは従順だった。
「なあ、本当に俺たちの格好はこれでいいのか?」
ロム医師は、銀行強盗のように、穴あきの黄色のニット帽に鼻と口と目のあたりにはさみで便利な穴をあけて、それをただかぶっていて、狂人じみた派手な色のタイツをきていた。それらはすべて“虚を突くため”敵にとって、こちらが本当に敵なのか、錯乱させるためだ。
「では、明後日早朝、こちらからしかけます」
リビングをのぞき込み、まだあらい呼吸のままで廊下の場所から顔を出したカイは、彼らのほうをみて苦笑した。何よりもベルノルトも別の色、紫のニット帽を頭にかぶっているのだ。
「あの」
そのベルノルトが何事か、この会議の中で提案、話したい事があるようだった。
「私、血が苦手なんです……戦力になりますか?」
何はともあれ、彼らはようやく、ケヴィンを救出する作戦を立てているらしかった。
彼等は確かに救出するらしい。それはそのすぐあとにケヴィンたちに知らされる。
-しかし、その日、11月10日ナナシの街に夜が訪れ、ましてや深夜の3時といったはっきりとした時刻に確証となって表れるまで、そんなことが成功するなどという事は、救出される側のエメやケヴィンですら、決して、本当に安心しきって思う事などはかなわなかっただろう。
それは銃声でもなかった、人の悲しむ声でもわめき声でもなかった。ましてや人の歩く音でもなかった。ただ老いたようなとぼとぼ歩きのネズミが、ケネスのようなおおきなものでもない本物のネズミらしきものの影が、ケヴィンとエメの寝る部屋の前まできて、格子をゆうゆうと乗り越えて飛び越えてくるまでは、そんな事は確信になるはずはなかったのだ。
大家エメは、うつらうつらする意識の中で、助けられる身分におかれていて自分はこんなことを考えている。自分が仮面をつけていた過去の事だ。仮面をつけるという事は、メイクをする事でもあった。自分は時に怪盗の“白鳥”の面をてにして、ときにメイクをして別人のようになり、スパイにも似た諜報、斥候の任務を自分に課していた。しかし時折、それらが本当に自分のした、しでかしたことなのか分からない事があった。それら以外の公の場や、私的な場所では、ごく普通の一般の労働者が思うように、彼女もまた一般の心と思考を抱いて、ごく普通の呼吸をしている人間だったのだ。むしろ彼女は質素で、質素倹約、ゆえに心苦しいように、自分の生命を眺める事があった。つまり彼女はどちらかといえば、ものごとに対して、この世界のどんな物事に向き合うのときにさえも、後ろ向きに一度立ち止まって考えるタイプの人間なのだ。だから、彼女はこう思った。
「仮面をつけたときの自分は、本当の自分なのだろうか、そこにある自信は、本当に自分の自身なのだろうか」
それをもう、カイとわかれて数年、3年ほどになろうか、すでにもう何十回となく、何度となくつらつらとまるでもう一人の自分をめでる時のように考え続けていた。それは時折、彼女の質素倹約さが導いてくる不幸に関して、さらにこと詳しく考えていた。
「例えばこうだ、私が、人助けをするためにものを盗むときの顔、またべつのときには、メイクをして社交的な貴族や富裕層の場に名前ある人間として姿を出す時、そのときにあるギャップについて、悩み悶えていたのだ」
彼女の中には、二人いる。それはイメージするもう一人の人格、サイボーグ体のCOAが見せた夢とか、そういうものではない別の症状として、存在していた。
いわばそれは、自意識の中に潜むギャップだ。彼女はときに、ヘマをして自分が義賊である証拠を、そうした公の場で口にしそうになるときがある、そうしたときにはよく、その場でヘマをするのだ、ダンスに腰をいためたり、何もない場所でつまづく、この心理的な影響と発端について考えるとき、彼女はかつての恋人であるカイの事を、その時もよく考えていた。
「カイは、きっと自分と同じ、仮面をつける自分が引き起こす様々な不具合について理解している、だからこそそこに、その運命に他者を巻き込む事を嫌っている」
しぐさをみれば明らかだった。彼は何よりも、人の運命と自分の運命を色濃くつなげる事にはなはだ疑問があるようだった。自分以外の誰にだって敬語を使うし、私生活を他者と共有する事をとても嫌っている。彼には、ほとんど世界からは、仕事をしている面しか見られないようになっている。
けれど、それは仕事に見せる情熱から湧き上がるしぐさというよりも、自分が感じる“ギャップ”をなんとしても認識して、それに対処するための方法を考えているようでもあった。けれどそれを、カイに直接、ジルはつげたことはなかった。それを考えるときそうしたあれこれに思いをはせるとき、彼女はふと考える事があるのだ。
「もう少し、話し合っていれば結末は違ったかもしれない」
東区も、もう深夜のかけた月に見守られ、天候こそおだやかだが、少し肌寒い景色と雲におおわれている。そこでやっと、ぼんやりとした意識の中を一人さまよってうつらうつらしていた彼女は、牢屋の中にいる自分の姿を足からさかのぼって確認した。ももはおっていて、太ももの上には少年ケヴィンがねている。自分たちは今、同じ牢屋の中にいた。
「パタパタパタパタッ」
左から右へ、先日までケヴィンがいた所へ何者か小動物のような足音と影がはしっていくのをみて、瞬時に目を凝らしていた。彼女は自分のしたにひかれた布団と、少しのやさしさをもったラヴレンチの用意した、すてられたものであろう古い衣服をはおっていた。ケヴィンもまたそれを羽織っているから、変な動物にでも触れられたら不衛生だとおもい、首を左右にふって目をさますために、一度めをぎゅっとつよくつむったのだ。




