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鉄の地下室。

11月5日東区の“崖っぷちの洞窟”はその日夜を迎えた。夜なよなラヴレンチは、手首を縛った二人の男女、ケヴィンとジルをつれて、地下へ、地下へといざなった。驚くことに、その拠点、ラヴレンチとソスランの拠点の右奥には、さらに地下へと続く扉があった、それは地下を封じる鉄板の扉にふさがれて、岩の下に隠されていた。下へ下へといなざわれるうちにも2、3ケヴィンとジルは言葉をかわした。

 「大丈夫ですか?」

 「あなたこそ」

 その廊下を入る途端からひときわ目を引いたのはガラクタの数々やジャンク品とおぼしきサイボーグの四肢のすてられた姿だった。

 やがて突き当りにたどりつくと、そこは丁字に曲がっていた。ケヴィンは左、ジルは右へ移された。そこにもやはり、鉄のスクラップやジャンク品がばらまかれていて、なぜだか頭部だけがそこに転がっていない事が唯一の救いだった。

 「きみがわるい」

 ケヴィンのその言葉をかきけすようにラヴレンチは自分たちの仮居住区の弁明をしてみせた。

 「ただの捨てられたがらくたたちだ、じきになれる、このジャンク品は比較的いいものがある、君のお気に入りもみつかるだろう」

 そうしてひとことふたことかわすものの、先にケヴィンは左の奥へとうつされ、気味悪さは奥へ行けば行くほど増幅されていた。ケヴィンの服や靴や靴下は湿気を吸収していた、ぐしゃりぐしゃりという音が気味悪く、細菌の繁殖やカビや病気が怖い。自分の四肢さえ、遠ざけておきたいほどだ。突き当りにある世界に、温かい暖炉やベッドを、ファラリス内部のような優れた健康的な場所を空想するが、そんなはずはなかった、不条理の繰り返し、奥にあったのは、やはり鉄格子だった。彼はまた、牢屋に歩織り込まれた。

 さっきのあとには、もはや会話はなかった。視界の左右にはすてられた人間ににた機械たちの四肢、サイボーグのものか、アンドロイドのものか、わからない。しかし監視はやはりケヴィンの前にだけいたようで、ケヴィンはじっと、ラヴレンチの顔を見つめる。しとしとと雨音がこんな地下にさえ響く、浸水の懸念を口にしようとしたが、野暮な風に感じてやめておいた。どのみち明日も知れないわが身の事だ。案じるならば男らしく口をつぐもう。そうしていつしか、夜がさらに更けていった。


 ケヴィンが格子にもたれてうつらうつらしていると、ラヴレンチが時折暗闇からこちらをみていた、その目的もあきらかにしないままに……そのまま考えを放棄しないまま、ケヴィンは短い眠りにはいった。そこで次の映像が流れた。

 あの日、はじめてナナシの街に越してきたときの記憶だ。あの日学校について、転校の初日という事で緊張もしていたし、期待もあった。ところが通学の途中で、まだ職員室に前もって連絡した教員を頼りにたどり着くまでに、突然に悪ガキたちにいじめられた。その後の記憶が揺り起こされるように想起された。廊下をいく間にもタオルをかかえた教師につきそわれ、教室に入ると、期待半分だったこころに、残りの半分がおしよせてきた。その半分は、かかわりたくないという人の半分と、嫌な目にあったねという人々の半分だった。だから彼は決意した。期待半分、緊張半分。それがすごくバランスがいい世界なのだと確信を持った。

 (コツン)

 一歩目の足音は、自分のために発せられた、靴音はよく磨かれた床の音を反響して、新品の靴がそれをいっそうきわだたせた。 

 平穏は、今現実には存在しなかった。彼が今経験している事は、不条理以外の何ものでもない。しかもその不条理は、わが物顔で自分の日常を侵略しようとしている。


 その次、ケヴィンは夢こういうをみた。――数日前、彼は銃を教えてくれる教師のような人物の背中をみていた。それが誰だかしばらく判然としない、しかし、それは徐々に現実の記憶とつながり、カイという人物像をつくりだした。そのスリーピースーツと背筋のピンと張った様子を見るに、紳士らしいマフィア、カイに思えた。次にケヴィンが立ち上がれることにきがついて、周りを見渡すと牢屋がない、指導されているのはケヴィンによく似た少年、そこで二人をとおまきにみながら、くるりと回りこんで顔をみると予想違っていた。少年には顔がない、それはマネキンだった。その背後に立っていて、背中をみせていたのは敵対マフィアのラヴレンチだった。変わりに拳銃はすーっとまっすぐ真下を前をむいていて、それがゆっくりと上にもちあがる。やがて自分の手のひらの中にも拳銃がある。その手も同じく動いていった。拳銃が向けられた先は、カイがたっていた。マネキンも自分も同じように、斜め右前にたちつくすカイを狙っている。トリガーを引く事をせまられ、彼は拒んだ。するといつのまにか、自分の背後から拳銃をつきつけられている。もちろんラヴレンチだ、彼がケヴィンを撃った。大穴があいて、その穴の形状が自然に形成された地下道や鍾乳洞のようなドス黒い、光や湿り気を発した土と石の断面図のようで、その姿にケヴィンは、自分の中に潜むものにおそれを抱いた。くしくもそれは、その後日から続く地獄を暗示していたことは、少年の心のほかに、地底のかすかな自然の光景も、潜む動物たちも、ましてやパンドラや世界中の人々ですら、感知はできなかった。

 ふと目がさめると、目の前にはラヴレンチがいない。――いつか“エスィピミア”についてカイがふわりと触れた事があった。といっても、それはその時カイの過去をすべて、ケヴィン少年がしっていたわけではないのだが、しかしケヴィンにむけて、あの冒頭の暖炉のときに、彼は“仲間”について話した。

 彼のいた一段の中では、奇妙なならわしがあった。それは毎週土曜夜9時になると必ず“自らの過去の傷”についてそれぞれが語り合うものだった。それは集団の長が始めた事で、これにより結束し、組織の妙な誤解が解けるという事ではじめたらしかった。そこでカイは、確かにその後の人生における唯一のともといっていい存在と出会ったという。

 “そんな仲間”が、ケヴィンにはいただろうか。しかし幻想に気が滅入るほど、ケヴィン少年の精神はやわではなかった。

 


 ラヴレンチは、もう夜があけて、空が白んできたころを見計らって、もはや力尽きて抵抗の色もみえないような丁字右の牢屋の前にたった。彼女はまだ、眠っていなかった。

 「どうだ、諦めたか、エスピィミアともあろうものが、こんなに簡単につかまるとはな」

 ジルは考えていた、脱出の方法ではない、何があろうとも、その後に必ず来る助けに備えて、最良の選択をする術だった。彼女には秘密がある、だがその秘密も、ここでは役にたつともわからない、このしけった中では、あらゆる秘密が無力の前にひれふすだろう、もちろんこの中に重火器などがあろうはずもない。それは、この地下道が、先ほどまでいた牢屋のある一階よりもより安全であることをしめしている。それを悟って彼女は口元をにやりと薄気味悪くわらった。

 「女性ともあろうものが」

 「私は高いわよ、あなたの命をもらうわ」

 ラヴレンチは、一瞬足取りをとめた、牢屋の前から、ひとつ、ふたつあとずさりすると、やがて悲鳴にもにた甲高い声をあびせ、それが徐々に笑いをともなっていた。

 「はは、は、ハハ、冗談を」

 「もし私が偽物だったら?……あなたには」

 ジルが何かをいいかけたが、ニガテな話題に触れられてラヴレンチは視線をかわした。そして彼はあとじさりをした。何もわからなくなっていた。肌が敏感に反応して毛がとりのようにあわだつような逆立ちをした。それもそのはず、彼女は女性が嫌いなのであって、彼女の吐いた言葉の意味さえも想像だにできない。その上、彼女は先程奇妙な言葉をいった。

 【もし、私が偽物だったらどうする?私が一人の人間だとは、あなたには理解できないかもしれない】

 そこで一瞬、思考を停止させてしまった。

 「なあ、あの子供も、あの夢をみるのか?」

 少し距離をおいて、ジルの言葉ではじめから近づく気もなく、むしろおびえるようになったラヴレンチに対して、ジルは時折侮蔑のような目線をあびせていたが、この鉄格子の中でできること、少年という言葉に少し前のケヴィンの表情が浮かび、彼を守る意志と、守らなくてはいけない事を思い出した。それはあの日々が、平凡がとても身近に感じられ、悲しみによる冷たい感覚が背筋をつたったためだった。

 「もし、私からあなたにはくべき言葉ではなくて、私からこの場であの子に与える言葉があるとするのなら……」

 ひと呼吸をおくと、ジルは姿勢をかえた。へのじにまけていた膝をかかえて、手のひらを前かがみにしたひざにのせて頭をかかえこんだ。

 「“あなたは、あなたの見たい、あなたの姿の幻想を見るのよ”ただそれだけよ」

 カイとの別れに立ち直れない、仮面をつけて偽名をつくって過ごす日々の中、夜が本当の孤独をつれてくるときにジルはいつも父代わりの男が言った言葉を思い出す。

【彼はむくちだが、あの彼の目には闘志がやどっている、世界を一変さしてしまうほどの……彼に足りないものは何か?ただ、世界を変える覚悟がないだけさ】

 “ブラウン・クーレン”はそういったのだ。


 カイは、人知れず夜の街でたちつくし暇をつぶして遠く目で見る。煙草の煙をふかすと、鼻先をかすめて、それに合わせるようにつま先でリズムをとった。飲み屋のすぐ前の煙草の自販機の前で、煙草の煙が夜の街とグラデーションでとけあうさまを眺めみる。つま先をたてて鳴らすリズム、心音に合わせる。そのジンクスは、彼の人生を変えたりはしなかったし状況を好転させる魔術でもなかった。しかし時折彼が考えるものごとの倒錯を、その思考の混乱を取り去って一瞬爽やかな風を付加した。彼の内面にはらむ矛盾が彼単体では解決できなかった。自分を救う事はできない。かつて地獄を味わった自分を、だから“誰かを救う”という事の中に、彼は悪の中でしか生き延びれなかった自分を重ねていた。けれどそうしたきっかけを他者に求める事に違和感があった。ケヴィンだけは救出しなければならない、あの日から、強盗に出くわした少年だった彼が出くわした幸福を瞬時に絶望に変える“悪意”から、少年を遠ざけておきたかった。それは、彼がなくした家族への愛情とに似ていた。

「自分は、あの時生きたいとおもった、だから“詐欺師”にさしべられた手を信じた、なぜ俺は生き延びてしまったか悪い手段を使ってでも裏の社会で生き延びてしまったのか、手を汚し、ほめられない仕事で……」

 ——カイが幼少期の惨劇を目にして、その証をどこかに置き場所をもとめたとき、そのリズムは確かな答えをもたらさなかった。——その答えに困窮したとき、彼にとっての父的存在、スリ師の“ナゴリ”は、その死の間際、その意味を“自分で考えろ”と残した。人をなるべく傷つけず、富めるものの富み過ぎる事を憎んで、その行き場のない怒りを落ち着ける事のできたのが“エスィピミア”の集団。そこにいた義賊たちは、皆“仮面”をつけていた。裏社会の中に存在する正義を旗印に一つに団結して、仮面をして仮面をした何者かの幸福をいのった。一度幸福が絶望に変わったものたちは、簡単に幸福を愛せはしない、だからこそ“エスィピミア”はカイやジルのように偽名を使う事も、過去を隠す事も許していた。ただ組織内での争いや競争だけが“エスピィミア”の公的機関だった。“義賊”という性質からその心情は、彼の志と居場所を同じくした。“人を傷つけず”“自らの力量とその痕跡を残す”まるで演劇集団のようなふるまいだった。重要な会議や会合の時には、彼等は皆そのように振舞った。

「ブラウ……」

 “エスピィミア”のボスは、彼とも、そしてナゴリとも違う答えをもっていた。

 彼はずっと考え続けていた。そして今も、エスピィミアのボス“ブラウン・クーレン”からその言葉を授けられたそのあとも、それが当てはまる状況を探しつづけ、その本来の意味を取り戻すために活動と思考と言論を続けた。本当の娘のように扱っていたジルをあけわたそうとしたとき、彼はこういった。

「お前は寂しい人間だ、俺とよく似ている、“タトゥー”をいれてみないか?」

 ためらいがちに思考しつづけ、彼はいう。病床での事だった。その肩をたたいて自分がその座を受け継ぐように促した。

「けれどお前は違うのだ、お前は彼女を受け入れる事ができる」

 エスィピミアの内部がごたごたにまきこまれつつあるとき、カイはある新聞記事をみた。2100年代におきた卑劣なテロ犯罪によって近しいものが命を奪われたとき、その代償として入れ墨をいれる人々のいること。その痛みによって家族を奪われた苦しみから解き放されようとする人々のいること。

「タトゥーが、苦痛の痕跡を自分に残してくれるきがして」

 ただタトゥーを入れる事に同意した。それが“せこい商売”をして生き残る自分の、死んだ家族への“いいわけ”になる気がしていたから、あの日――エスィピミア崩壊の丁度一週間ほど前――彼はブラウンのいうままに入れ墨をいれた。ブラウンはいつも口にしていた。カイが彼の信念についてつげる。すると彼は決まって答える。

「私は“善とは何か、悪と思えるものが善を持つ事はありえるのか”そんな事ばかりいつも考えてしまう」

 彼の命が燃え尽きようとするとき、彼の言葉ではなく自分の言葉をぶつけてしまう自分をどこかではちゃんと恥じていた。けれど“エスィピミア”のリーダーの度量は広かった。

「もとめられたからこそ憎まれる、憎まれるからこそ存続できる、そして悪を完全に滅ぼしてしまえば、人々が憎んでいるはずのものはこの世から消え失せてしまい、人々は正義すらもたなくなる、行き過ぎた正義もそうで、潔癖の結束はやがて秩序の破滅へと向かう、歴史的にみれば、暴力と悪意無くして、人類の発展はありえなかった、人々はある流れの中にいるとき、正常な判断を失う事がある、特に物事のもう一つの面について、自分にとって都合のいい形でゆがめてしまう事もある、人が思考をさけるとき、憎まれるものとして義賊という“必要悪”は存続できる、それが“エスィピミア”という名前のゆかりだよ」

 左肩に刻まれた、痛み。自分だけが生き延びてしまった苦痛を刻み続けていて“義賊”というひとつの

居場所をみつけていた。エスィピミアのボス“ブラウン・クーレン”のつけていたウロボロス紋章、その半分をうけついだ。

 「ギリリ」

 自分の左肩をシャツ越しに握りつぶそうとする、けれどそれほどの力をだせなかった、煙草をけして、携帯灰皿にその残骸を入れる。街が汚れる事を気にしているわけではない。むしろ自分の卑屈な痕跡が人の目に明らかになるその痕跡をけしたくて、しかしその痕跡を自分の目に見える形で自分の中に残したい思いで捨て柄を胸にしまった。その五分後、“何やってんだ俺は”そうつぶやいて、夜の街をあとにした。


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