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続・ラヴレンチの過去、ある村の話。

 『ドグという村』 

 村はパンドラの南に位置する。大戦をへて最初にすみつくジジンバ先住民たちは民族としてしられ、その昔より信仰をもち発展した社会とは別の文化をもっていたと昔から、(ラヴレンチ)も聞かされていた。彼もまたそれをしんじてちたのだ。その村の暮らしはほがらかで、未来や過去という者が存在しないように、言語も独特にそれを放棄したものであった。会話の中に時間と空間は存在せず、昆虫や動植物、広大な平原に取り囲む山や谷、辺り一面見渡す限りの人の手つかずの自然がひろがっていた。そこに潜む生物の体系何もかもがおだやかに村を取り囲む大自然を中心として存在していた。ある日を境に一変したもののそれまでは、誇らしげな土地に住まう固有の民族“ジジンバ族”がそこに住まいをもっていた。

 ラヴレンチもそこの出で、つまり文明人というよりは、もっと原始的で民族的な暮らしをしていた。そこでは時間がとまったように科学と文明が発展をやめ、人間は我を愛している。原始的かつ、健康的であり、生活の循環とバランスもその自然によりそうものだった。人間はとりまく環境の一部にしかすぎなかったから、もとはといえばその民族性のとなりにパンドラという町が突如出没したようなものだ。なのでそれなりの他社会との関係をもつが、生計と生活、社会を営んでいても、決して利便性に富み、近代的な生活の水準とはいえなかった。村人たちの人々の結束は高く、村のあがめる神と信仰とともにあった。彼等は彼等の生活を守ることだけに必死で、そこに起こる対立はありえず。宗教は欲求をもたなかった。時間や空間さえもそれにそうように、音楽を奏で詩を語るように、ゆるやかな時間の中で信仰や風習が生きて呼吸をするかのように、長閑のどかで穏やかで、古きしきたりのほかには、永遠にも感じるような幸福な日常がそこで営まれていた。

幼い子供たちは仮面をつけて格闘技をよく習わされていた。仮面をつけたときの権威とそのとき以外の権威は別もので、勝敗もそのように扱われた。ラヴレンチには幼いころに亡くしたため母いなかったが家族がいたし、豊かな土地でのびのびと育ち、村の事や外の世界の事もドグの学校で学び、友人にも恵まれ、自然と対話する日々は、人間関係の悩みさえわすれられるほど、世界における人間の地位はそれほど高くなかった。日々の鍛錬や隣村などとの細かな諍いはあったもののきにするほどでもない。あがめられる信仰は蛇の神と住居を小さく構えたような庭のある神殿。今でも手を伸ばせそうな記憶の先の空間が、今では嫌な事さえもありがたくさえ感じられるような情景が浮かんだ。信仰はジンという神のような精霊のような“概念”そのもの、一つの宗教にまとまっていた。そして蛇はその使いであった。

 ~しかし、現実の中では、彼の話と違う感覚を、ラヴレンチのきゅう覚がさとる。話しの中でやがて対比されるように湿気のあるかび臭さがラヴレンチの鼻をついた。古き過去に思いをよせ現実の時間では、ラヴレンチはわけもなさげに額の汗をぬぐった。~

 ——こうこうと燃える火の中でいつかの時間、情景や景色が蘇る。左右の腕の筋肉と肉づきの起伏の中で、埋もれ、時折顔を出すうぶ毛や太い毛たちの根元から汗がながれる。彼にとっては、そんな現実の些細な事さえも気にかかるほど、もうそのころのことを思い出すのにさえ、胸を痛めなくてはいけなくなった。それらはそれにまつわるいくつかしかない悪い記憶のせいだった。痛み、のどかな時間に唐突に訪れた、過去に取り残された辛い記憶の痛みのせいだった。――


 (あれほど血気盛んな武術と信仰を愛する、それを人間よりも優れた尊きものとする村でなかったのなら、その未来は違っていたのかもしれない)

 膝に肩てをおき、小さなグラスの酒を飲み干して、ラヴレンチはそしてまた語りだす決心をとめた。度数の濃い酒で、東区で有名な“ヨガリ”という名前の酒だった。

 「そこで私は、二人の仲のいい幼馴染をもっていて、物心ついてからはいつも一緒にすごしていました、一人は私よりも長身が自慢の頭のまっわるイビというやつで、もう一人は女性、というよりそのころは、女の子でミシャといったのです、とてもおとなしい草木と会話しているような不思議な瞳をもった少女でした」


 三人は日ごろからよくつるんで遊び、山や野原、河原を遊び歩いた。村は丁度山間部にあったから、起伏や景色の移り変わり、四季折々の情景には事欠かなかった。しかし、大人は時折恐ろしかったのです。


 「大人の中に、いえ、時々我々が遊んでいると、割って入るものがいて、それらはもちろん“シン”のたぐいもありましたし、そうではない、もうひとつの異質な存在もいました、それらは長老など重要な役割の人もでした。長老は、……私の祖父で、つまり私はその村の村長の、孫であったので、そういう血筋の濃い人間に明らかに、異質な技術、能力、技能、特殊な生態を持つ人々がいるのを、うすうす勘ずいていました。彼等は村のさらに奥底に眠る秘密に気が付いていたようだった。彼等の武術はまた特殊で、それらは確実に特殊な技能を隠すようにその役職を与えられていた。彼らは鳥のような肩飾りをもち、皆、眼鏡のようなものをつけていて、恐ろしく俊敏で、動物を狩ったり、人のモノを奪ったりすることに関して恐ろしく容赦がなかった、彼らの事を村の人々は“シンの(るい)”と呼んでいた」


 時折、彼らの“狩り”を目撃する事があり、それをじろじろとみると祖父に怒られたが、しかし私たち三人はまだ子供だったので、私たちはまじまじと彼らを見る機械をうかがって草木の茂みの中にかくれたり、沢の大きな岩をさがしたり、木登りをして、朝から晩まで見張る事もありました。シンといい“彼ら”といい、あの村には不思議な事が絶えなかった。よく観察していたが、子供ながらに銃を使う猟師なんかより彼らが背負っている、毒のついた槍らしきもののほうがよほど精度が素晴らしいように感じていた。


 その年、丁度その年だと思います。それから私たち三人、幼馴染の関係性が揺らぎはじめたのは……。 


 幼馴染のノッポの男ほう、“イビ”との関係はぎくしゃくしだした、それらはほとんど思春期特有の、女の子ミシャとイビのほうへの嫉妬のようなものだった。しかしどちらかというとミシャは、自分のほうによくかまっていた、そこでひとつ自分は、ラヴレンチは幼心に傷つくような言葉を愛する少女からうけてしまった。


 「私はこう質問しました、彼女はこうやってためらいつつも、本当のことをうちあけてくれた」


 どうして僕にやさしくするの。


 「わたしのお母さまに言われたのよ、そうするのが一番正しいのだと」


 父と祖父は仲がわるかった。父は潔癖症、祖父は古くからの風習を重んじていた。そもそも、それは自分の根本的勘違いもあるのだが。世話係のユアンという男がいて、祖父や父と話すとき、自分はかれを通して話した。その間接的な話の中でしか、私たちは対話ができず、私は祖父の顔も見た事はなかった。一族や親族はみたものがあるというが、私は家の外で、見る事が多く、祖父は家の外では鳥の形をした黄金の仮面をつけている事が多かった。祖父もまた“シンの類”だったのです。



 その他に、蛇の仮面をつけた人間を時折めにした。彼らこそが“シン”と呼ばれていました。シンとは精霊のことで、その役割をする人間の事でもあります。いずれも若い青年や、女性のような人で、朝早くから、夕方までに見られた。時折、幼少のころ自分も早く起きる事があり、鍛錬や早朝、夕方の鍛錬者の中に、卑しくも恐ろしい動きをする人間がまじっている事があり、それらを観察し、近寄ると、やはり蛇のようなお面をつけていた。彼について小さなころからラヴレンチはそれを監視していたが、どうやら、父や祖父に言わせると“かれらがシンとよばれるものだ”そう、その村で神官や祭祀のような、またはそれを補佐する役割をする神子のようなものだった。さらに詳しくしらべていくと、そういう役割をもつのは、決まって、20歳を超えた人間が質であることがわかり、それらにしかできない動きをしていた。


 「人間の関節とふしがおかしな方向にまがる、がまるで軟体動物みたいでなみたいでした、蛇を一つの信仰対象としている村でしたが、その動きがまるで本物の蛇のようだったんです」

 『どうしてそんな動きができるのか』

 いつしか、私がそういう人間に、そんな風にポツリと話かけたことがあった、すると相手は返事もせず、恐ろしい顔で睨まれた。シンは村の壁画にあちこちと描かれているが、それらにはからだのふしがなく、あられもない方向に手や足がひんまがっている事がある。その“シン”という精霊にもにた、薄気味悪さを感じたものだった、この村で大人になるという事はそういう事なのだと、“シン”の時期をへる可能性があるのだと、子供ながらにも理解していたものだった。


 ひといきぶりに彼の言葉をさえぎって対面の腰かけ椅子に座るソスランが言葉を挟んだ。夜はどこまでも静かで、明るく見えるものは遠く中央区の街明かりやビルの光だけだ、彼の話を遮る事などないほどに集中していたソスランが気になっていたことがある、それは一つの疑問だった。

「なあ、お前その話、俺たちパンドラの住民にとって信仰といえば、それに近いものがある」

「機械天使の物語ですか……」


 その後、あれは、あれはたしかにそうですが。と言いずらそうに追憶の言葉を選んだ。ラヴレンチは身長に、シンについての説明を繰り返した。


「私の村は、パンドラができるよりもまえの先住民のような人々が暮らしと生活をつくっていました、だから村の外の人間に疎まれる事も多く、むしろ国にとっては邪魔な一区域にすぎなかったのでしょう、きっと土地の利用を考えなければ、パンドラがさらに裕福になる事を望まなければ、目をつけられなかったでしょう、しかしシンの人々は欲もあまりもたずに、交渉も易しかったので、いつもなめられていた、シンに関わる事は神聖な領域とされ、言葉が時間や欲求に対して関心を持たなかったのもその信仰のせいです、きっとシンは、そういったもっと土着の信仰だったのです、我々は何よりも精霊を信じていました、一種のそれは、アニミズムでした」




 ラヴレンチは外の世界にあまり関心はなかった。何せ村はある種閉鎖的で、村の周辺には打ち捨てられた都会のスクラップの山がつみあげられていて、そこから時折鉄や鉱物など生活の役に立つようなものを拾い集めたりするのが、村の子供たちの仕事でもあった。しかしそこはとても鉄臭く、雨の日はひどい憂鬱な匂いを奏でたものだった。そんな村で、時折都市を眺めてぼーっとする事はあっても、それは憧れというより、むしろ相手側に対する同情のようなものだった。

 つまりそれは事実であったが、この村も国も、そして世界さえも、一度滅亡した人類とその子孫であり、かつ暴走した科学と、戦争の犠牲者でもあった。だからこそある一定の文明の特異点。技術的特異点シンギュラリティを超える事はできなかった。それは人類の、新しい星の約定だった。




 ラヴレンチが成人にむけて成長し、年齢も上がると複雑な事はひましにふえていった。やがてそれなりの武術に、村長の息子として、使用人や世話係のユアンから一族のしきたりや身なりや態度などの指導をうけた。 

 だが、ラヴレンチ自身は子供時代や青年時代にかけては、村の人々とかかわり、そして色々な地位にある人々との交流を盛んに自ら好んでうけいれていた。特にイビやミシャは頭が働き、独善的な部分も卑怯な部分もあり、村の中央市場で、スリをしたり、タカリをしたりもして、それなりの悪い手癖や世間の空気を理解しはじめる。彼が14、5にもなると、小さな頃からきになっていた件の妖怪のような蛇の仮面、面立ちをした成人や女性の理由がわかるようになってきた。シンとは、ある一定の年齢に達した人々が許された“何かの儀式”なのではないか、古き因習を隠したその村の文化ではないかと。なぜなら彼らの年齢は一様に若く、といって幼すぎることもないのだから。 

 将来は必ず父が村長になるとおもっていたし、そもそもそれが、血のつながるものによる村の統治こそが、そのころの風習であって古来からの風習であり慣習と知らされていた。シンの信仰と、ドグ村の村長の信仰は近しい関係にあり、精霊であるシンは村にたたえまつられる神と近しい、その代弁者のような役割をもっていた。祖父の黄金の、きっと言い伝えられていた鳥の神をかたどった仮面もまた、きっとそのためのモノであろうと思われた。祖父はほとんど姿をみせなかったが、人から聞いた話ではよく彼の助けをしてくれていたようだった。父は元々この村のものではなく、婿養子のようだった。父はむしろ祖父の重んじる風習というものに、疑問をいだいていて、たびたびユアンと口喧嘩をしているのを見たことがあった。直接人と人が顔を合わせる事がないゆえにおこる不具合、子供ながらに、ラヴレンチはそんな事を考えていたのだった。


 それまでは、彼は村の風習、因習は古くから変わる事がなく、また未来永劫に変わる事はないとおもっていた。きっとそれが身の回りの環境がそうさせたであろうことも、彼は容易に想像がついていた。コンクリートや鉄くず、機械製品や産業廃棄物。そのなかにぽつりと記憶と過去をきりぬかれ放置されたように存在する、先住民たちの村。ドグの村のなか、彼は16の時に一度風習の洗礼をうけた、それは“第一の通過儀礼”と祖父や父はいっていた、だからこそ彼の、あの蛇の仮面の正体にもあたりがついたというわけだ。


 通過儀礼は簡素だった。特別な飲み物をのみ、特別な発酵食品を飲んだ。祭壇に祖父と父がいた。母は幼くして亡くしていたので、きっと彼の想いでの中にはいなかった。踊りや、ブボという特別な笛、楽器をつかって死を連想させるような楽曲をきいた。彼は蛇の牙らしきものを両手につかんで、言われるままに舞い、踊った。ごくわずかな側近の家来たちがそれを見守っていた。16の通過儀礼と、“シン”という青年、女性たちの奇怪な……通過儀礼らしきもの、一連のそれはすべて神にまつわる事だった。ドグ村は、なによりも蛇を、竜を神聖視していたし、それにまつわる武術をもっていた、16の頃から。その通過儀礼が終わったころから、本当の一族伝統の武術の神髄を、彼だけが知らされたのだった。




 それは武術だった、武術の本当の姿だった、えもいわれぬ恐ろしき、蛇を、神をかたどりモノマネをしたような秘境の隠された武術。それは、暗殺術だった、それも村長、そして村の重役組織、議員たちのそのえりすぐられた血筋のものだけが受け継いでいくモノなのだった。彼はそれを知ったときから、父と祖父の間の埋め合わせのできないような亀裂と軋轢が小さな物音をたてながら、自分の身に迫っているのを感じはじめていた。


 彼が家臣のまとめ役ユアンとも対等の立場でものを言える、見られるようにもなった17の頃のある日、印象的な言葉を父がはいていたとユアンから聴いた事がある。


 「こんなやり方じゃ、きっといつか、“死神拳”は滅びる」


 あたまの中でつながった。青年と女性がかぶる奇妙な蛇のかぶりもの、それを“シン”と呼ぶ文化、動物をかたどった拳法のうち、際立って異質な、ドグ村に伝わる武術。16歳の通過儀礼で学んだ武術の名を、それが死神拳という名前だという事をその時ひっそりとたたずむ、村長の大きな、普通の民家4軒分はあるだろうか屋敷の廊下から、大広間の襖に聞き耳を立てて聞こえた大人たちの会話によってひっそりと感じていたのだ。






 それから血なまぐさい事件がおきたのは、彼がちょうど二十歳になる前の頃だった。だからそのころには、それまでは決して仲良くはなかった両親と祖父との間を取り持ち、彼は片親だったので、まるで女性の役割を担うかのようにその負担を担っていた。だから時折そんな自分のみじめさにいたたまれなくなった事もある。朝の水くみ。屋敷中の掃除、訪問者の取次。


 隠されていたが、ラヴレンチは気が付いていた。抗争は夜な夜な行われていたようだった。祖父のほうは、鳥の仮面をつけた一派を率いて、古き役割を担い。古き風習と慣習とを重んじていた。彼は現代社会でいう法と秩序を重んじていた。対する父は、そのやり方を忌み嫌って、ラヴレンチにはそのころ、親の目指す事、ところはわからなかったが、ともかく続けられてきた風習をひっくり返そうと企んでいるように思われた。


 「いわゆる、クーデターのようなものですか」


 もう19にもなると、幼馴染とつるむこともおちついていた。思春期をすぎて、おちつきをもった青年や淑女たちは、なぜなら誰もがそれなりに恋だの友人関係だなどを経てかわりつつあったからだった。けれど、ミシャは小さなあの頃となにもかわらずかたわらにいて、彼の世話を時々焼いた。まるで時折姉の様に、そして時折妹のようにふるまっていた。




 夜な夜な、もう19時をまわっていたが、ラヴレンチやソスランと同時刻、赤いキャップが東区の、彼らとは程遠く離れた路地裏のスラムの通りをぬけていった。その先を長く言ったところに、ナナシの街がある。東区とは、“東区”という慣習的な名前がついただけで、実のところはナナシの街の一部だった。だが人々がきらい、公的な線引きとは別に街を区別して考えるようになった。

 彼は“ゴースト”のソニーだった。彼がそう呼ばれるに至った経緯。そして今彼が深夜徘徊あるいは非行に走る意味はそこにあった。彼は亡霊として扱われた、しかし、彼は追われていた。ある秘密を、クローの秘密をしってしまったと“疑われたために!”追われている事とその後の覚悟をきめていた。

 「ちょっと、まってくれよ、ソニー」

 遅れてついてきたマルメガネのアニュは、ポケットからこぼれおちた自分のハンカチをひろった。

 「そんなもの、いくらでもあるだろうに」

 「いいや、これは、ひとつだけさ、お気に入りなんだ」

 そうか、とでもいうように鼻で笑いつつ、その様子をまじまじと見る、どろだけの自分たち、先ほどからずっと走り続けていた。ナナシの街の夜の繁華街で盗みを働くためだった。盗まなければ生きていけない。このナナシの街で、科学にぶら下がり夢見、また夢破れたものたちの掃きだめの、その廃棄物で自分は日々を続けていた。かけていく彼らの足取りを静かでまた時に冷淡な冷めた、無関心な都会のコンクリートや鉄骨をかけぬけていた風とともに、かろやかな、するような、吹き飛ばされたビニールや新聞紙のような小さな足音がおいかけてきた。それは犬だ。彼らは犬飼であり、半グレのイヌカイというカラーギャンググループの一味、もといリーダー格の2人だった。

 (なあ、やっぱり“チップ”は置いてくるべきではなかったよ)

 (何言ってるんだ、持ち歩くほうが大変さ、ここでは街を歩けば、スリかタカリか薮医者に当たる)

 「ははっ、それはいえてるね、いい得て妙だ、ははっ」

 二人分の数秒前の会話が、雑踏に紛れる盗人互いの耳と記憶をかすめてすぎていった。




 それから数日前のこと、ふりかえるに、ゴーストとイヌカイと総称して呼ばれる彼らの拠点に押し入り、その上彼らが大事にしているであろう、“モノ”を盗み、そしてコピー品と挿げ替えたある人物がいた。それはまさか、見覚えのある男、スーツ姿は同じだったが、彼に出された指令はあきらかに、組織のトップ直々の真摯で、しかし正攻法な、戦略によって組み立てられた目的をもったものだった。彼はそっと彼等の拠点である東区の西東、さびれた炭鉱の裏、不法投棄のゴミ山の中にある、簡素なほったてごやをほりおこした。その中にはコンテナを利用したように思える小さな一室があった。


 「ここか、あの小僧たち、何を大事にあそこにしまっていたんだ?」


 彼の、ゴーストとよばれた少年の拠点は、いつか栄えた古びた炭鉱跡地の、休息場の隅にあった。そのレンガがふたつかさなっている中に地下室への入口があり、そこに彼らは何かを隠しているようだった。それはたまたま、深夜まで彼らの見張りをしていた、そのスーツの男が発見したのだった。


 「これで、クローファミリーの弱みを握った事になるのか、はたまた」


 男はひらりと片手にスマートフォンと、アタッチメントとUSBケーブルをとりだした。読み込んだ情報に息をのんだ。


 「これは……まさか、そんな、なぜこんなことを、あえて……」


 ごくり、男は息をのんだ。サングラスとマスクに手をかけてあたりをみまわした。その男の声は、ケヴィン少年にもよく関係のある男の声だった。廃拠点“ファラリス”によくたちより、彼らの手助けをしていた男、そう、“コンシリエーレ”ベルノルトその人だった。


 彼は手際よく、その“データ”を手に取り盗み、偶然持ち合わせていたダミーの別のチップをいれた。その中身をみられるときが、ゴーストにとっての一大事であるとともに、あるいはクローファミリーとジンクスファミリーの、何らかの新しいきっかけになるとベルノルトは感じていた。




 秘められたる事実、11月1日の夕方、ケヴィンは一人ファラリス一階廊下にて、そそくさとはしりさり、その後一人、台所でごそごそと何かを物色していた。外に人はいなかったのでそうせざるをえなかった。腰を下ろし、頭にタオルとまき、まるで盗賊のような風体だった。それが彼の手癖の悪さである、ある行為の準備段階だ。彼のうちなるものは彼に悪事を働くように促した。彼は彼の目的を遂行する、それは強盗にも近いその行動はある重大な目的を達するために彼に託された使命であった。

「応答せよ、こちら子犬・ケヴィン、見張りはいない、これで重大なスパイ任務を遂行し得る」

 というのは嘘で、ケヴィンはただ単に意地汚い、子供らしい欲求を抱えていた、それはこの拠点に時折ロム医師によってもちこまれる、酒入りの菓子、チョコレートを一人占めしようと時折見張りのいない時刻を見計らって、彼はたらふくそれを一人占めしようと考えていたのだ。


 「あああ、バグッ、これは危ない、実に危ないぞ」


しかし彼は見つけてしまった、冷蔵庫の奥に隠された秘伝のトマトシチューを、ああそれは昨日ロム医師が食べ損ねたシチューではないか、電子レンジに人影はいない、であれば彼はどちらかを選ばなくてはならない。


 「菓子か?シチューか?これは重大問題だ、そう、ロム医師に発見されてどちらが一番損害がないかを考えるのだ」


 子供じみた、実に子供じみた悩みのうちに、彼はふと思い至った。そうだ。お菓子もシチューも二つともあとでいいわけをできる方法がある。ベルノルト、彼に分け与えよう。彼はなぜだかいつも一緒に食事をとらない、僕らがこの廃拠点“ファラリス”で食事をとるときにも物欲しそうに見つめる事はないし、お菓子にだってお茶一つにだって手を付けない。持参した水筒に触れていたのを見た事があるが口をつけたことまではみていない。彼は何だ?究極生命体か?いい、いやいや、それはおいておく、おいておくとしてだ、ベルノルトに幸福を分け与えよう、そう思ったのだ。


 そういって作戦を終えた少年ケヴィンは、そそくさとその場を後にして、シチューを半分たいらげ、菓子を、大人たちの誰もはいらないであろう二階突き当りの物置部屋にそれを保存・保管しにいったのだった。

 11月2日、ケヴィンとベルノルトは、朝9時になるまで珍しくねていた。ベルノルトが先に起き上がり、めをやると傍らで、座敷でケヴィンがねている。自分のだらしなさと、それに伴ってケヴィンの寝坊に違和感を覚えておこして、わけをたずねるとかくかくしかじか、というわけだというので、菓子やシチューの半分(もちろん小皿にわけて食べたと説明)をベルノルトに与える。そしてやっと起きだしたケヴィンも顔を洗いに行った。そして庭にカイがいないのでケヴィンが尋ねると、台所にいたエメが答える。

 『買い出しにいったのよ』

 しばらく廊下にいてずっとおちこんでいるケヴィンの頭をベルノルトがなでてこういった。

 『昨日の自分をふみつける、そんな気概で今日をはじめれば、きっといい一日になるさ、少年』

 

 11月2日夕方、ラヴレンチの過去の話をおえた二人、ラヴレンチ、ソスラン両名の拠点では、今しがた、料理をつくりおえて、食事にいたるところだった。

 「……かくかくしかじか、つまりその“通過儀礼”が私を変えてしまい、そして一族の本当に秘められた技能、秘伝を獲得するための猛烈な野望に駆り立てた、それが私がファミリーの、クローファミリーのボス・クローにきにいられた理由なのだと思うのです、私は、20歳になってから迎えた通過儀礼によって、私自身の在り方の決意をも自分の中ではっきりと表す事ができた、その意味では、憎き父にも、死した祖父にもいかようにもいいわけができるのです」


 彼もまた、クローファミリーの中でたたき上げでそだってきたものだった、だからこそ逆にファミリーは団結しているのだとどこかで信じていた、どこか、心の奥底の中のみで……。




 11月3日、東区のごみごみと朽ちた家の残骸がある、荒れ地の中の朽ち果てた一軒の空き家の中。 一つ車がついて、10分ほどたち、もう一つ車がつけた。やがて双方運転席から人が吐き出され、ついにはその空き家の中へはいっていった。周りを見渡す様子から、人気を気にしている様子だった。まだ早朝の事だ。二人の男がうごめいていた。一人の男が腕時計を確認する。まだ早朝5時、朝日ものぼりきらない時刻だった。そこはの内の多い広大な土地でナナシの街にもっとも近い田舎町。そんな広大な自然と人の暮らしが入り混じる中で、ある廃屋の屋根の抜けた下で、彼等は何事か小声で言葉をかわした。双方にらみあいつつも、相手の様子をさぐる、威嚇のために胸元に手を当てるが、実際は威嚇以上のものはない、じりじりとかたをせばめ、ついには廃屋の中の床のかろうじてぬけてない一か所を足でさぐりあて、片方がくちをひらいた。ごにょごにょ、とささやき、片方が相槌を打って、またかたほうもしゃべり、それにこたえてその片方もまた相槌をうつ。ひとりがあたりをみまわすも、二人のほかに人はいなかった。

「……早速取引をしよう」

 男の口元が暗闇でうごめく、それは何かしらの使命を感じさせるようなある所は高圧的で、または責任感と強さにみちだ語気をともなっていた。彼はいつか来た東区の団地のわきの小道で、ある人間と取引をかわしていた。そのものの顔が街頭にてらされ、あるいはわきを通る車のライトにてらされて映し出された、ツンととがったキツネ目の、コンシリエーレ、セナだった。


 「ああ、ベルノルト、これでいいんだこれでかならず、ケヴィン少年はこれ以上巻き込む事はなくなる、しかし……」


 「セナ、あなたはみくびりすぎている、我がジンクスファミリーの強さと結束を、うちのボスは、人格者ですよ、マフィアのボスなんて役職はふさわしくないほどにね」


 そう語るベルノルトの口を、セナはただうなずき、見ているだけだった。ベルノルトが渡したものは、チップだった。それは固くとり決められた和平への道のはずだった。ベルノルトがもっていたチップこそが、“ゴースト”と呼ばれる少年を、組織、クローファミリーが追っている唯一といっていいほどの理由だったからだ。それをファミリーはすでに突き止めていた。

 《しばしの沈黙が流れる》

 ベルノルトはうつむいた。今はベレー帽をかぶっている。少年の事を想う。彼は、ソニーという少年は団地に追いやられたの一角の古アパートに戻らない。それが“ゴースト”の我が家だというのに。もの寂しさを覚え、そして見も知らぬ少年のありように思いをはせながら、ベルノルトはその場所をあとにした。コンシリエーレ、セナもそう思った、だから二人は、もう振り返らずにその話をおえ、その場をあとにしたのだ。和平に向うだろうと思っていた。しかしそれはその場所に、車のエンジン音と排気ガスをのこしたまま、ドアの閉まる音とともに空虚な乾いた音を残しただけの約束だった。

 その朝、また歯車がくるいはじめた、ボスクローの狂ったふるまいさえなければ、きっと歯車は壊れなかったのだろう。



 そして11月4日がきた。つまりそれは第二のケヴィン少年とゴーストとを結びつけるきっかけになった事だ。今朝の事、誘拐は一瞬にしておこった、早朝のキッチンで、ケヴィン少年は数日前のににた物音をきいた、もちろん通気口の口からだった、彼はてっきり再びあの異様な人物が非日常的出入り口から非日常的な図体をぶらさげて、やってくるのだときめてかかってきた。つまりあの、ドブネズミが。しかしそれだけならばきっと驚く事はなかったのだ。


 (何の音だろう)


 きっとケヴィンは、ドブネズミのケネスに対してはある一定の距離感のラインをひきつつも、どこかカイの知り合いだということで安心しきっていた。だから彼は、こんな言葉をかけた。


 「何かごようですか、ケネスさん」


 「ドサッ」


 言葉の見返りに彼にふりおろされたのは、ケネスのものとはまたちがった細長い手足、それがもっていたちいさな、顔をすっぽりおおうような布の袋だ。やがてケヴィンはそれに顔をおおわれて、手足をロープでしばられて、上から何か、腐臭のするような、変なものを覆われた、彼の視界にはわからなかったが、その部屋の空虚な空間は彼がさらわれる前の、手足をロープでがんじがらめにさせられていく様子をじっくりと監視していた。複数人がケヴィンにまたがったり、また飛び越えたりして、ケヴィン少年をよってたかって確保してしまった。やがて、それがおわると、終わりしばらくすると、最後の仕上げにケヴィンはひときわ大きな袋をかぶせられた。それはところどころが赤くそまり、つぎはぎに縫われ、荒い古びたぼろ布でできた鉄の匂いがする図多袋だった。やがて、排気口のダクトの外側にとりつけられたその家屋の背面から何者かが指図をして、近くにとめてあった黒い乗用車に、図多袋を運び出して、その後部座席におしこんでしまった。そしてその後にあらわれたのは、体や顔のあちこちを張らしていた、その後に続いて、もう一人の人物が同じように図多袋にくるめられていた、ラヴレンチだった。その拠点にその時刻、朝の10時に居合わせていたのはケヴィン少年と、心当たりがあるのは、エメだけだ。つまり二人がさらわれたのだ、11月4日の朝、二人そろって彼らは誘拐されたのであった。




 「うご、うごごご」


 ケヴィン少年は、廃拠点、ファラリスに立ち入った何者かに視界をうばわれ、手足をしばられ、図多袋にいれられた。暴行こそはうけなかったが、得体の知れなさと、絶望感と孤独感だけが彼の未来を暗示していた。そして車のエンジン音と、どさどさという数人の足音、自分が運ばれている揺れ、そしてドアの閉まる音や、行先を指図する人の声をきいたのでもはや覚悟をしていた。

 『助からないかもしれない』

 車のゆれを感じると、車は獣道からコンクリートで舗装された安定した道に入るのがわかった。しばらくたってのことだ、体感15分、20分。それがものの1時間もたたないうちにいい意味で裏切られるとも思いもせずに、彼は必死で力をこめてさけんだ。

 『ぐあああ!!!』 

 内心では空しい叫びとともに、頭は回転して、これは、カイさんにでもどうにもできない事態かもしれない。そんな事を考えた。


 カイはその日、エメを残して何か私用があるといってでかけていたのだ。もちろん彼がロム医師と私用を終えて廃拠点ファラリスにはエメや少年の姿はなく、もぬけの殻だった。二回目の誘拐、今度は本当に誰も消息をしらないような、敵の策略にはまった誘拐。それから数時間もゆられていたが、ケヴィンはまるで酔わなかった。方角の感覚はないが、外の雰囲気から鉄を撃つような機械音が聞こえたので、東区のあたりに入ったのかと思わせた。

 クローファミリーによる誘拐、それが、エスピィミアに与えられた第二の試練だった。


 数分がたっただろうか?ごうごうという音を立てて、車どくとくのかわいたような、あるいはつきまとうような匂いを鼻先に感じて、ケヴィン少年は時間の数をかぞえていた。もう一人自分の近くで物音を立てている人間がいた。それはドアの開閉音とともに、同じ空間に歩織り込まれたもう一つの図多袋だった。

 (もご、うごごご!!)


 「だれですか?」

 ケヴィン少年は口元をおさえられたり縛り付けられたり、マスクをつけられたりしたことはなかったが、その物音の主は、声のぬしはどうやら厳重にそのどれかの準備をなされたまま、きっとケヴィン少年と同じ目に合っているようだった。


 (ケヴィン!!)

 どうしてそれが彼女だと、あの愛しきエメ大家だとすぐにさとる事ができたのだろう、おそらくそれは、柑橘系の、それでいて大人びた後味を残す目立つ硬水を大家エメが、その日の朝からぷんぷんとふりまき歩いていたからだろう。

 (僕らは、誘拐されたらしい、僕は二度目、そしてエメさんはきっと僕のせいで巻き込まれたのだろう、この先、何がおこるかわからないぞ)

 ドアが閉まるとその感動の再開もつかのまに、ごとごととまた車輪が地面をける音と上下の起伏ある道の揺れが左頬をゆらしてときどきケヴィンは頭をうたれるような少しの痛みを頬骨にうけるのを感じた。

 

 それから、四十数分の間、うん、うん、と安心させるようにその声のぬしに相槌をうった。ゆれは確かに体をゆさぶり、酔いに強いケヴィンだから大丈夫だったが。一方で不安はエメの事だった。これからの事が不安だったため、女性で弱きものであるもう一人、エメの事が気がかりだ。少年は頭の中では不安で頭をかかえ、泣きじゃくるエメの姿が見える。それは年に数度だけ会う事ができる両親の顔にも似ている。もしそれがもっと落ち着いた場所で二人だけになれたのだったら、きっとエメは母や父の自分に対して向ける愛情のようなものとは形の違う愛情の、刺激的で皮肉じみた愛情の向け方をしたのだろうが、ただケヴィン少年は、あの日々、平穏な日々、フォレストベーレの平穏な日々を思い浮かべ、大家エメに自分の居場所と自分の無事を知らせるために、あの歌をうたったのだった。


 「“機械天使の物語”」


 1時間ほどたっただろうか、しばらくして、ドアのあく音と、どうやら3人ほどの人間の足音が聞こえて、はっとした。いつか聞いたような声だった。丁度急カーブを曲がったようなゆれと重力を感じて、整理されたなだらかで平面なコンクリートの上に車体がのりあげたのだと漠然と感じた。その後、声がした。大勢の男の声だ。


 「降りろ」


 「へ?」 


 ごそ、ごそと、車の揺れにしてはおかしい、へんてこな揺れが彼を動かし、それがいったい何のゆれかなかなか思い出せなかったが、ふと地面のつめたさがつたわり、もはやそこが車の中ではないことにきづく。誘拐されたとはいえ、今の今まではふさふさとしたソファらしきものに地面をつつまれていたのだ。彼がその声の主が言葉を放ちながら、彼の額にとりつけられてあったアイマスクを外した事に気が付いた。ごそごそごわごわいう音は、すでにケヴィン少年が図多袋から解放された事を暗示していたのだ。しかし体は自由なわけではない、手足がしばられ、口も目も自由なわけではない。少し記憶をふりかえると、ゆれはどうやら人の体の脈絡をともなっていて、ケヴィンは大人たちに抱えられ、車の中から運び出されたのだときがついた。その後車のドアがひらくバコンという音がした。そして聞き覚えのある声がやさしくささやいた。


 「私ですよ、知らないふりをしてください、ケヴィンさん、私です、私をしんじて」

 『ん???』

 目を開けると声の主は、そう言って姿を現した……それからは、誘拐相手の、ラヴレンチのいうがままにすごしていたが、彼は“ドブネズミ・ケネス”だった。つまり、あの廃棄ダクトをとおってきた犯人は、あるいはケヴィン少年をここに誘拐した犯人は、ドブネズミ・ケネスをやとっているらしかった。目を開放されると、スーツ姿の男たちがぼんやりと視界にうつった。サングラスでだれがだれかわからない。三人程スーツの男がみえて、その奥に少し変わったいでだちの、正装ではないらしき、のっぽの男には見覚えがあるような気がした。彼はジーンズにシャツという簡素な格好だった。そしてぼんやりとしたその輪郭がケヴィンによびかけた。そして背中をおした。

 「さあ、君たちは重要な取引材料だ、いや、いい、まあそこでおとなしくしてな」

 ケヴィンは目のくもりを晴らすために当たりをみる。それはコンビニエンスストアらしきところの駐車場のだった、どさりと手足をしばられたままま放りだされた直後だ。いや、いまその足の縄をとかれて、二人の人物が顔をあわせた。隣り合わせに同じ車道側をむいたまま、顔をはらしたラヴレンチが、三人ほどの手下に口をだし、やがて少年とエメがいまのその地面におちつくと、こんなことをいわれた。

 「楽にしていい、君らに危害を加える事が目的ではないのだ」


 同じころ、コンシリエーレ、セナは拠点地下3Fにいた。同じ時間その時期にある不安にあたまを抱えていた。それでいてささいな、そして大きな不安にかられていた。それはボス・クローの狂乱ぷり、そして後先を考えない行動について、ひとつの心当たりをもっていたのだ。

 「ボス……こんなに発作的に組織の事を考えなかったことは今までになかった、まさか本当に、本当にこの組織の存続の事なんてどうでもよくなったのでは……」

 しかし、彼には心当たりがあった。そもそもが彼を真っ先にコンシリエーレの立場として、それも組織中枢の人物として彼を頼り、やといいれたのは、組織の発足とほとんどときを経ずしての事だ、だから彼は、半グレ組織だった時代から、マフィアグループ“クローファミリー”の中核を担う存在として組織を見て、まとめ、あるいは指揮、命令などの役割を兼ねて持っていたのだ。そんな彼にある心当たり、それは時折ボスのクローがつぶやくあるセリフに起因していた。

 「こんな組織は、気まぐれにつくったのだ、俺の気がすめば、きっと自然消滅をするだろう」


 その言葉の恐ろしさと背景に潜む陰鬱な空気感を、気の利く繊細な、心理学に造詣の深い彼はさとっていた。その意味するところはきっと。


 (彼はこの組織を、何らかの趣味あるいは、彼が欲する動乱のためにつくった、つまり彼はこの組織を、烏合の衆であると認識していて、いつかくる崩壊の時を楽しみにしているのではないか)


 そうした心当たりはいくつもあったのだ。メイドに敢えて嫌われようと努めたり、食事を汚らしくしたり、身なりを、サイボーグで覆い隠せるのにかかわらず、アレ以上整えようとしなかったり。それに今度の事だ。


 (もはやコントロールはできないが、まるで見せしめのようにあの二人を、あの大事にしていた二人を争わせようとするとは……、ソスランはもう……)




 そのころ東区の南東果ての荒野……ラヴレンチは部下たちに命令をすると、部下たちは、ケヴィンとエメの手首以外の拘束をすべてこういった。誘拐からもう1時間たっていた。ケヴィンは縄とアイマスクとマスクをとられてやっと、状況を理解したのだ。ついに彼は、やはり高速をはずされたエメとともに、手の拘束だけ背中にあわせてつけられたまま、少しの間、解放されたらしかった。しかし地面に坐らされていて周囲を黒スーツの男たちがかこんでいる。

 「君たちは取引材料だ、それ以上でも以下でもない、きっと君たちは私のいう事に従うだろうが、もしそうしない場合、君たちへの私の信頼と保証は姿を消してしまうだろう」 

 やがてエメとケヴィンがそれに同意をするかのような、それでいて敵意をみせるような瞳で彼をみると、両のほほを赤く青くはらした彼は、またもや部下に命じた。


 「拘束をすべて解いてやれ」


 「なっ」


 黒スーツの部下たちは一瞬たじろいだ。エメは鋭い視線を三人のスーツの男たちあて、またもやラヴレンチの方に向けた。それは助けを請う意味ではなかった。ケヴィンもそれをしって、あきらめたようにエメの視線を同じようにおった。

 つまり東区は、もともと治安がそれほどよくなくこれくらいの事で警察を呼ぶだの、周囲がざわつく事はなく、体のどこかをサイボーグ化させた肉体労働者たちが自分の生活の横目に珍しいサーカスをみているかのようだった。そんな光景は日常茶飯事だ。だからそれを異常だという人もいない。この東区には東区なりの日常があるのだし、東区なりの正義があるのだろう。悲しかろうがそれにとらわれてしまえば、その世界の自分も一部なのだと、ケヴィンは観念する。あたりをみる、だれかが物を盗んだ、誰かがだれだれに決闘を申し込んだ。一々きにしていたら荒い東区の毎日を生きていく事はままならない。まるで肩を武器にしたように屈強な人々がコンビニの内部で商品を探したり、あるいは歩道で散歩をしたりしていた。

 


 アイマスク、それと大家エメには、口を縛るなわもあった、きっと髪切ることや、しゃべることを禁じたのだ。大人だからだとケヴィンは思った。拘束をほどかれると、大家エメはケヴィン少年にいきなりだきついて、だきしめた。まだケヴィンの拘束は完全にとかれておらず、先にエメが解放され、その抱擁のおりに、背後で部下たちがケヴィンの縄を一生懸命ほどいていた。そして彼等がだきあうまに、それは完全になされた。大家エメは少年の肩に手を伸ばしてだきしめた。


 「ケヴィン!!」

 ケヴィン少年はわけもわからず、その大家の様子をただ沈黙で追っていた。

 「ケヴィン!!私のせいで!!カイのせいで!!大丈夫よ、もう大丈夫よ」


 その言葉のあとに、きっとラヴレンチやその部下たちに目をやった。鋭い眼光がにらめつける。まるで日光を反射するほどの光をやどしたようで、正義はこちらにあるといわんばかりのにらみだった。その気持ちに気おされて部下たちはたじろいだが、一番奥のラヴレンチは腕をくむだけだった。自由になったとはいえ、三人の男に周囲をかこまれていて、エメはやっとラヴレンチとめをあわせると、コンビニエンストアの駐車場の石にこしをかけて、エメは彼らにこんな風にさけんだ。


 「あなたたちの狙いはわからない、けれどもしケヴィンや私に何かをしたときは、きっと恐ろしい報復が、いいえ、私自身が何をするかわからないわよ」


 「……おおこわ」


 部下の一人でよく肥えた男がぼつりといった、ブルドックのように皮膚がたれさがる。そのすかした笑いに、ラヴレンチが嫌気をさしたような瞳でにらみつけたのをケヴィンは見て取った。きっとこの組織は、集団は何かに向けて一致団結しているわけではない、何らかの必要性によって一時結びついているにすぎない。ケヴィンはその瞬間だけで、この集団の形式上のもろさと、自分の自由になる可能性を感じて、エメにこうよびかけた。


 「大丈夫ですよ、なにも起りはしませんから」

 「お前たちを傷つけることはないよ」

 なぞるように、ラヴレンチも続けていいはなつ。きょとんとするエメ、ケヴィン少年はもちろん大家エメのこうした側面についてあまり、これまでは触れる事も見る事もなかったが、彼女の意図を汲み、彼は彼なりに状況を好転させようとしている所がある。エメは自分こそが、こうした非常時に大人としての冷静さを欠いてはいけないと思っていたのだが、年下の彼の、その態度や様子を見て取って自分が、むしろケヴィン少年によって落ち着きを取り戻す事ができたのだとさとった刹那、彼女の心は落ち着きを取り戻し、それにともなって彼女の呼吸もおちついてきた。


 「貴方たちの中で一番偉いのはだれ?状況の説明をして」


 「おれだ」


 肉体労働用の作業着のような、ツナギのようなものをきて、長い、とてもながいそして太い腕を持つ男が4人の群衆の中で中央にすすんできた、部下たちはその間をあけで彼の道をつくった。


 『それなら要点をかいつまんで説明してくれるかしら』


 3人のスーツの男が前にいて、じっとケヴィンとエメとを見下していた。しかし一番背後にいるひときわ背の高い、二メートルはゆうにあるだろう男が一人。彼が語り始める事になった。後の人間は彼が語りだすともう完全に沈黙の中に隠れた、男は名前をラヴレンチと名乗った。そしてクローファミリーの一員であること、そして秘められていたケヴィン少年の誘拐騒ぎの本当の理由、核心を語りはじめた。その蒼白な目とごわごわしたほねばった頬やおでこを見るに、彼は非常な、尋常ではない過去を持つようだ。その瞳は暗く、しかし青く、何処までも澄んでいた。


 「私は、かつて滅びた村の出で、仕方がなくクローファミリーに下り、ある野望のために彼、クローに従事しているにすぎない、しかし、その途中で今回の事件に“巻き込まれた”のだ」


 ケヴィンははっとして口元を右手の平で覆った。はっと思ったのだ。そう思ったのはどこかその言葉の含む、悪人特有のどこか軸のずれたおかしさを感じたからだった。


 「あなたは、僕ではなく、あなた自身が巻き込まれたとおっしゃるのですか」


 「もちろんだ、そういう事だ」


 彼はこういう人間だ、と納得せざるをえなかった。なぜなら、それはケヴィン少年にとって現在の状況に追い込まれる原因となったことを、彼はなんとなしに会話の中に、何の問題もなかったことのように話してケヴィン少年自身の前でそれを身振り手振りで説明したのだから。


 (彼は、ファミリーの一員として、一般人である僕を巻き込んだことに何の反省の心ももっていないのか?) 


 とそれとはうらはらに奇妙な点がケヴィンの心の中に浮かび、ふつふつと湧き上がるように疑問をともなって思考をかき乱していた。しかし、ラヴレンチは話をつづけた。


 「“ゴースト”とよばれた人間、それが諸悪の根源だ。彼がボスの大事な“何か”を盗みだした、丁度一か月ほど前のあの日、俺はそのゴーストとよばれた少年……彼の本当の名は、サニーというサニーを追ってあの交差点にさしかかった」


 そこからは、ケヴィン少年もしっていた、しかし驚くべきことに、まるで同情なんかよりも、自分に降りかかった不幸のほうがよほど重大事であるかのように見ず知らずの観衆に聞かせるようにして彼は、ラヴレンチはあの日の事を語りだした。


 「あれは、不幸中の幸いだった、彼はとても足がはやく、私の直近の……その上司の人間の足で追うには厳しすぎた、丁度にた背丈の少年と、彼が、サニーがちょうどつけていた帽子を、サニーがそこに落していったのに気が付いて、私のボスの、ソスランはいった」


 「“あれだ、あれでいい、あとの証拠は、でっちあげられる”」


 道路側にラヴレンチと部下たち、そしてコンビニの入口をせにするように、エメとケヴィンが座っている。ラヴレンチはいったんここで呼吸をととのえた。しかし、すぐに続けようとかまえたそのときだった、


 「そんなにうまくいくはずがない!!」


 叫んだのはケヴィンだった。しかし、大人の貫禄ある洗練されたひとみの奥は、彼の論理や主張などなんでもない道端の石ころの様にはねのけてしまった。


 「そうだ、私もそう思った、しかし我々には“機械天使の加護があった”我々はいくつもの矛盾を抱えている、だがひとつの思想に束縛されることによって、他者の存在を否定しながら、同時に許しているのだ、中途半端にも……」


 これはスラングだった。古くからのしきたりよりも重いスラング。そしてこの国の“パンドラ”の人々を矛盾から解放し、その大義名分を背負った物語。あらゆる矛盾の責任をすべて、機械天使の物語の中に映し出す。この国は、この街は、機械工業、サイボーグ産業、ヒヒイロカネの加工とその精錬、付加価値の生産によってなりたっている。この矛盾、この矛盾は建国100年間ほどのうちに、何度か崩れかけた事があった、その時、いくどもその大義名分をつくり、守り続けて来たのが“機械天使の物語”だった。人を救う科学は科学ではないと、文化と人のための善意であると、その発展の途中に何度も自分たちにいいきかせてきたのだ。




 丁度50年前の、2110年。パンドラも、そして世界も、またもやかつての文明を迎え入れ、かつての世界大戦を経ても変わる事ができない自分たちの文明と文化に疑問を抱き始めていた。また同じ末路をたどるのではないかと、そのころ世界中でも、戦争が、悲劇が起こした後の発展途中の需要によって一瞬のまに活気づいて、わきあがっていた。国の礎やインフラ、科学と宗教がおのずと出来上がり立ち上がるなかで、パンドラだけはどこか微妙な位置にあった。それはパンドラが、かつて滅びた文明、滅ぼした文明の、その生残りの“科学者”たちが多くつどった土地だったという国の礎とイデオロギーに関係していた。各国が豊になるなかで、かつての滅びた文明の技術をたんたんと、もくもくと復活させることに疑問をいだき、しかし研究者たちは、科学者たちは、それを信じて知らない知識や知恵を探求するほかはなかった。国民の、主権ある民衆の矛盾した期待、いつしか暗黙の了解のように一定の技術には扉をして、ふたをしたように見て見ぬふりをした。その他の国にタブーなどなかった。それまではタブーなどなかったのだ。おかげでパンドラはとりのこされ、そのまま国は衰退し、後進国への転落は徐々に現実のものとなっていった。そのときだ、あの物語が生まれたのは。閉そく感があった。まだ科学を抑制する種々の条約も存在しなかったからだ。


 「機械天使の物語、この国の矛盾(ジレンマ)


 ケヴィンが口にした言葉に、むしろ今度はもっとラヴレンチのほうが度肝をぬかされたような様子をみせた、眼がまるくなり、口をあけ、そして己の両手をみつめた。その手のひらは人工筋肉に覆われていたが、バーコードと、赤く光る関節が、それが偽物の科学の発展の成果であるとつげていた。そうだ、彼の一部も“つくりもの”だった。それに幾度か、幾度ともなく救われたのだ。路頭に迷う事や、野犬に襲われたとき、暴徒や野盗に襲われたときも、その機械の両腕に助けられた。国の秩序に、人工の両腕に。


 「そうだ小僧、全くその通りなのだ、そんな風に無秩序に無意識に、私はあの時をうけいれた。それは彼にとって、小僧にとって不幸だったんだ」


 そういって肩をおとした。その手があまりにも過剰に長く、ラヴレンチのひざをたちながらにささえるかのようにぶらんとまえにたれていたので、ケヴィン少年は彼と、いや彼の背景にある彼のいう上司“あの時のもう一人”に何かがあったのだと思った。うなだれるようなその様子と言葉に“とまどい”を感じる。こののっぽは、まだ確定ではないがあの時の一人だ。周囲をみて、黒スーツの手下らしき人物がにやにやと三人ふらふらつつも、がっちりと自分たちを囲んでいるほかには、ドブネズミ“ケネス”がいない。見知った顔がいなかった。


 「たしか、貴方と初めてであった時の事を今、その場で体験した事のように、いまここで発言してみる事ができます、しかし、それには人がたりない、馴染みの顔がいないように思われる、僕はふたりにおわれましたね、あなたはそのうちの一人でしたか?僕には覚えがないけれど」


 何者かに暴行をうけたかのように思われるような傷や、打撲されたように顔がところどころ腫れあがった長身で蒼白の男、ラヴレンチがが棒立ちに構え、無表情のまま、訴えかけるようにじっとケヴィン少年を見る。前方には3人の部下がいた。人口のものでないなまめかしい肌の質感と汗、それにどうしても技術の限界をかんじざるをえないこまかな産毛。どうあがいても彼は彼の顔は人間のものとしか思えなかった人工物。その瞳がやがて彼の瞳をみつめた。


 ケヴィンはその瞳を見つめた。まゆは薄く浮き上がる程度、眉間のあたりにいくにしたがってやっとその輪郭が顔をだすように薄く描かれるようにあるだけで、輪郭だけでは何も感じない。むしろ表情をきわだたせたのは彼の鍛え上げられた身体と似ている彼の表情のほうだ、かすかに自分のよく知るマフィアに似ている。見開かれたひとみの中に潜む深淵。筋肉質の体が、体だけではなく顔にまで彼の個性をきわだてていた。頬も、頬骨も、いわのようでいて、しかしなだらかな機能美をもった筋肉質でみちていた。髪は角刈り、そこで思い出した、彼はどこかカイを思わせる、そのひん曲がった口元や、今ではなく未来を見据えたような立ち居振る舞い、その場の誰をも有無を言わせず自分の言い分に巻き込むような、力、生命本来の力強さだ。


 「あなたは、あなたはなぜ誘拐を?」


 しまった、と思った。なぜ相手の返事をまたなかったのか?これは大人と対峙するとき、対話するときもっともしてはいけない手段のひとつだ。ケヴィン少年は頭は回る、それをいついかなる時でも役だてられるか、—―たとえばすぐ傍にいるエメのような—―人のために役立てる事の出来るか否かはたいした問題ではなく――彼の知性がそうさせたのか、きっとひとつまえのケヴィン少年による大人への問いかけ、もっとひどければそれ以前の質問の回答を待たずして、それに答える義務を相手から奪ってしまったのだとさとった。つまりケヴィンは、緊張からか空回りをしている。咽が渇いていた、相手はやはりその様子をさとって、あえて一分間の沈黙をつくり、その瞬間ケヴィン少年の頭には暗黒と、刹那の瞬間、何百回も同じ思考を繰り返したどった。それははたからみれば、単なる思考の混乱だった。




 ケヴィン少年の視界は、東区の荒れ果てた街並み、手入れの行き届いていない町や道路の壊れた街路樹の風景なんかよりも、むしろ自分に関わるものだけに関心が狭められ、徐々に絞られていた。彼は視界に入る人間をおった。コンビニの店員、そして客。それはカメラのピントのようなものだった。きっとほかの誰に証明をもとめられようと、その思考と集中を説明する事ができないような、彼の中の一筋の勘が、彼の思考を瞬間的に誰ともなく、他の誰でもない自分の範囲の限られた可能性にだけ猛烈な注意をむけさせた。周囲、車の番号「いノ○○○」、部下たちの顔、一人はいつかみた猿ににている、一人はブルドック、一人はいつかみた映画“カノン”の俳優のジョノフ・エスバン、ではなくそのわき役の男。かれらは皆一様に胸元に赤いスカーフをしていた。それはレッドカーペットと比較されたなら、きっと相応に立派な人物たちにみえただろう、だが彼らの姿勢、身だしなみの美意識は日常的なものとかわっていて、知性を感じさせず、他のいかなる美意識もそなえていないほどに目の前の面白い事情にしか興味がないようににやけて薄笑いをうかべている、きっとこの世界のうわべにしか関心がなく、わかっている限りではいくらか野性的だった。




 ケヴィンの左手には連れ去られた時に使われたとおもわれた車、自分を包み隠していた図多袋とヒモの残骸がほっぽりだされていた。その無防備な姿に、助けがないのだという事と、それを露骨に表現してしても助けをよぼうとも、この犯罪者たちの態度は周りの正義感を引き付けず、この場所では、放置されたままだろう。そこで彼は今いる場所、きっとここは東区かそれ相応の治安の悪い場所とあたりをたてた。 今や場所を移す事は手遅れだが、それにしても救いようがなかった、こうした場合で真に価値があるのは、数の論理だからだ。だからそこで一瞬思考は無駄を生んだが彼は考えをやめない。やがて、東区では何もとがめられることもない日常としてそこにあるのだという事に恐怖と不安を感じて。近く—―そこからほど近くある場所に、左側に長い国道を最切りまたぐようにわたる歩道橋を目端にみた。老人がわたっている、おそらく、そう時間がたっていなければ平日の同じ時間に、ゆっくりと左から右へとわたっていく。そこには日常があった。ケヴィン少年と対比して、奪われる事なく続いていた平穏な日常がそこにあった。ふと、自分の身よりの老いた祖父の事をおもった。彼の出してくれるお茶や、私が自分からいれる事のあるコーヒーや紅茶、そして色々な茶菓子や祖父の説明する難しい哲学書の事、彼の翻訳による世界は宇宙や、学校なんかよりもよほど広かっただろう、もし、自分の危機が現実でなく、ここが東区でなかったら、きっと自分はどこかの誰かの不幸さえ今この時まで身近なものとも、現実に起こりうるものとも覚ることはなかったし、その右側に座る女性が、もし身近な人でなければ、心に潜む苦痛や重圧は少しは軽く感じたことだろう。


 「ルルールルーー」


 遠くで歌声が聞こえる気がした。いつかどこか、あの時まで同じような依存性を思わせたもの。まるで廃拠点に来てから依存するようにして、あるいは心の依りどころにするようにしてケヴィン少年の日常に溶け込んだ、大人の世界のアイテムへのあこがれがよぎる。それはコーヒーだった。喉を潤したい、たとえ偽物でも、心をおちつけたい。偽物の落ち着きを手に入れたかった。


 「コーヒー、コーヒー」


 「あ??」


 部下の一人がケヴィン少年に、質問のような問をなげかけた。この瞬間、こうした知性のレベルをあえておとしたようなやり取りの場では、数の論理が物をいう。そしてまさに数の論理は、それがどんな理論や論理で説明されようとも、説明されることがなくとも、決して譲らないあるものがものをいう、それは“センス”だ、ケヴィンはそれを瞬時にさとり、自分と、自分たちの立場がより良い方向にいく術にあたりをつけた。“敢えてへりくだり、媚びを売る、媚びをうると思われぬほどに、自分の感覚を消して、周囲の感覚に探りをいれて、呼吸をするように、スパイをするように、相手の肌感覚、言葉にあわせてかいつまんで物を伝える”。

 一台の青い自動車が、コンビニで物資の調達をおえてドアをしめた。エンジンがかかるのと同時に、一人の男がコンビニの中へ入って行った。ラヴレンチの部下だった。コンビニの駐車場に、今来たばかりの一台の軽トラックが駐車してこちらに関わり合いは持ちたくないように額のあせをぬぐいながら入口へむかって、コンビニの中へはいった。そのわきを、席をはずしていた一人の部下が横切る。しばらくすると、席を外していたブルドックが少年に今買ってきたコーヒーをケヴィンに与えた、ケヴィンもそれを警戒もせずにうけとった。

 「はいよ、兄ちゃん」

 「ありがとうございます、でも、どうして急にこんなに……」

 しかし言葉はそこで止めた、行き過ぎた感謝にも意味はないように思える。彼等は何か先に自分たちに“失敗をさせようと”してはいないか?とケヴィンの頭に推測がうかぶ。ケヴィンは思考をこらし、また趣向をこらしもした。あえてエメにはここでの発言を抑えてもらう。何より一つ確証があった。それはある人間の言葉、こんな言葉だ。

 「“お前たちを傷つける事はない”」

 その言葉の節々に感じるものがあった、それは自分の尊敬する人間のそれに共通するものだ。その言葉はカイの言葉ににていた。誠実な騎士であるベルノルトのそれにもにていた。突然ふいに言葉が勢いあまってとびだした。

 「忠義、理性、かしこい人……ものを考えずに行動を起こす人じゃない、それに仲良くなさそうだ……この柄の悪い連中と……」

 「あ??どうした、バカ、コラ」

 二人の部下が近づいてきた。ブルドックのような人と、猿のような人。猿顔の人間は、鼻を赤らめて少年のほほをひっぱたく、たいしてつよくはない、脳は揺れないし痛みもない、つまりこれは威勢であり、しつけとも、叱咤とも違う、彼は群れの中にあり、そして威勢によって数の論理を捕まえるタイプだ。ケヴィン少年は、静かに缶コーヒーを飲みほした。

 「いえ、カイに、—―“エスピィミア”—―に助けられた時の……いえ、クローファミリーのある人に襲われた時の事を思い出しました、それは、この中のだれかかもしれないと」

 ぴくり、と反応したのはその場では部下の内の只一人、最も背の高い男のみだった。そのほかの部下や、ケネスはそれを当たり前のように、日常の必然のようにその語句をうけとめた。だから少年(ケヴィン)は、しめた。と思った。これで大抵のあたりはついていた。だったらこの段階でもっとも味方につけるべき存在は、彼“ラヴレンチ”だ。そう少年の中の何者でもない人間の感覚が胸の奥で叫び声をあげてていた。

 エメはというと、そんなケヴィンの心の変化と成長をみてとって、それもまたカイにもにた知的な少年の姿に既視感を感じとって、その一方でそれがもつ危険性も察知していた。この事態を打開する手段自体、エメでさえもってはいなかった。けれど自分が下手な事をしなければ、きっと、少年も助かるだろう。それで、事態をうけいれたうえでできる事とできない事を見極めるのだ。彼女もまた智慧をつかった。穏やかに、無力を装う、それによって自分の取得できる情報と、有利を狭い範囲で神経を張り巡らせて集中する事ができるのだ。エメはケヴィンの手のひらにかるく、そっとおおいかぶさるように自分の手を置いた。

 「そうね、ケヴィン」

 だからこそ少年ケヴィンのすべてに同意するかの様にそのしぐさをみせていた。ラヴレンチも殊勝だった。その彼らの決意に、あえて真向から対峙するように、悲しげな瞳をふせて、また腰を低くして、ある種うすくひざまずくような形でもって、言葉をつむいだ。ケヴィン少年が求めたものに、相応の言葉だった。

 「彼を、“エスピィミアの首領(かしら)”を捕まえ、我々の組織の手によって、その伝説に終止符を打つ、それが、我々子分、いえ私と、ソスランに残された、唯一の最高の罰と罪を逃れられる術なのです、今思えばこれをしって、ソスランはずっとあなたを、少年をおいかけていたのかもしれない、きっとそれほどに“秘密”は価値があったのです、ゴーストの持っていた、秘密はね」

 ただそれだけの事に巻き込まれたのだ、という気落ちした思いをケヴィン少年は顔にはださなかった。きっとエメもこの道化(ピエロ)じみた演技に最期まで付き合ってくれるだろう、そして大人なら大人なりの、あるいは“彼女の過去がもつ何か”がきっと、この交渉を優位にすすめてくれるであろうと信じた。ケネスはそれを鼻で笑うように、フン、と軽い息を吐いた、その意味は、きっとその場に居合わせただれも読み取る事ができないかのように少しの反応もしなかった。そして対立は一度決着をみて、コンビニの騒動は、こんな形で様々な含みをもち、ある意味でひと段落がついたように決着をみた。


 車を運転するのは部下だった、ラヴレンチは後部座席の二番目にすわり、その三番目と四番目にある座席に横たわれせていた彼らの監視対象であるエメとケヴィンの様子をみていた。図多袋をさきほどよりかは軽くかぶせられ反抗の気力もないのかぐったりとしている、足は縛らなかった。ラヴレンチはそのことで焦りを得てしまった。ケヴィン少年の多少鼻にかかるような生意気な交渉力によって、部下たちの統率力のなさがエメに暴かれてしまった。知らないわけではない、彼女もかつて“エスピィミア”の一員であったことを、そして彼の上役だったソスランを、思い浮かべる。

 (彼は、彼はもう…………)

 きっとその車中の誰も知る事ができない古代の実験にその身をささげてしまったあわれなマフィアの手下の末路を、それでも希望は、ラヴレンチの手にかかっていた。彼は思い出す。地下の研究室(ラボラトリ)において彼につけられた彼と適応しえた濃度の、分類型の“赤き鉱石、ヒヒイロカネ”を未知の科学で投与された、タヌキのようにふくれあがった彼の肢体を、彼は異形なまま、元の姿をとりもどせずに、科学者たちのとじこめたガラス管のカプセルの中にとじこめられて、かろうじて呼吸をして生命の形をそこにおしとどめていた。

 ……あれからきっと一向に状況はよくなっていないだろうと予想されていた。


 午前五時、ケヴィンは一度、ファラリスの中にいる夢をみた。起きて廊下へいこうとしたが、何度も何度も立ち上がろうとして体に力ははいらなかった、まるで明晰夢のように、途中までうまく歩くのだが、また自分が眠っている事に気付く、その記憶の波が、時の経過に対する焦りと反対に、ただ繰り返されていた。立ち上がることも目覚める事もできていない。ただ夢の中にひっそりと自分の居場所を見出していた。



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