加賀山桃香7
「モモちゃんはかわいいもんなあ」
「そうだろう?」
「でも、辛辣」
「俺にはあんな口調であんなことは言わないよ。俺もあれにはびっくりしたんだ」
手元に届いたぬる燗を自分で注ぐ。くいっと一口で飲むと、アルコールが口中に広がった。
「酒って熱を加えると強烈だよな」
「今更な感想だな」
「まあね」
俺は大きな口を開け、卵を半分程口に入れた。もさもさする。
「おまえはもうそれでいいのか?佐原はお役ごめん、て感じか?」
保坂は几帳面にはんぺんを一口大に切る。
「いいんじゃないの。面倒なことはやはり嫌いだよ。まだ、俺にとっての一番はモモだから、モモしか考えられないんだろうな。守るべき対象はまだモモなんだ。だから面倒くさい事を歓んでできるのもモモだけ」
「おまえ一生無理なんじゃないか?」
「モモが手から離れればまた違うと思う。俺の手は空くからね。俺には守るべき対象は必要だし、だけどその席は一つしかない。そういう事だと思うんだ」
「面倒くさい男だな」
「俺もそう思うよ」
俺は残りの卵を口に含んだ。保坂もつられるようにはんぺんを口に入れた。
「おまえの妹に対する感情は恋愛感情とは違うのか?」
「違うよ。キスをしたいなんてもちろん思わないしね。多分裸を見ても平気だよ。ただ、俺の隣にあるべき存在なだけ」
「おもしろいな。俺にはそういう対象がいないから尚更か」
「そう言えば保坂は兄弟は?」
「どうしようもない弟が一人」
「へえ」
「愛人との間にできた子供だ。現在十一歳。十七歳差だ。一緒に歩くと下手したら親子と間違えられる」
「もしかして家庭教師が親?」
「ご名答」
保坂の家も複雑らしい。保坂はフッと笑うと、酒をくいっと飲んだ。
「やんちゃな子供だ。俺の母は呆れているけれど、今の地位を手放したくないから、諦めている。愛人の子供を育てているんだ」
「へえ、じゃあ愛人は?」
「子供を取り上げられて、手切れ金を渡されてどこかに消えた」
ドラマみたいな展開だ。でも、子供には罪はない。きちんと育ててもらえればいいが。
「弟は自由だよ。俺がもういるからね。その辺は羨ましい。でも、ずっと俺は会社を継ぐ気でいたから、今取り上げられたら生きる目的を失うかもな」
「生きる使命みたいなものか。俺にとってのモモと一緒だな。規模は違うけどさ」
「モモちゃんの方が魅力的だ」
その口調は自棄気味だ。
「頭良さそうだし、賢そうだ。優しそうだし、清廉潔白を地で行っているような感じがする。信念も持っていそうだし、なんせかわいい。ちょっと高嶺の花っぽいところも魅力的だ。手に入りそうもない子を手に入れた時の歓びは盛大だからね」
「モモの前に俺が立ちはだかっていることを覚えておけよ」
俺が本気で言っていることに気づいたのか、保坂は眼を丸くして驚いてみせた。
「おまえの大事なモモちゃんを手にした男ってすごいな。今度どんな奴か見てみよう」
「棚島って言うモモの上司だ」
「へえ。どんな優男なのか楽しみだね」
しばらく俺たちの間に沈黙が続いた。黙々とおでんを食べる。そして、腹が落ち着いた頃、保坂はゆっくりと息を吐いた。
「おまえとモモちゃんがどんな人生を歩んできたか分からないけれど、強くつながっているのが羨ましいよ。お互い大切に思っているところも最高だ。俺にもそんな人がいたらよかったのに」
ぼそりと呟いたその言葉は心から出てきたもの。モモが歩んできた道は確かに辛かったかも知れないが、周りから見て、羨むくらいに俺たち兄妹が仲良く見えるのであれば、それは幸せだと言うことだろう。
「俺たちはさ、お互いに感謝しているんだと思うよ。俺はモモに感謝しているんだ。両親を失った時、一人ぼっちじゃなくて良かったって何度も思ったからね」
別に保坂に話すつもりはなかった。だけれど、自然に言葉が零れていた。
お通夜を終え、俺と桃香は葬儀場で寝泊まりをした。両親のそばに居られる最後の夜。モモはずっと俺の手を握ってくれていた。俺がずっと桃香にしてあげていたように。そして、甲斐甲斐しく俺の世話を焼いてくれる。桃香にとっても大切な両親だったはずだ。確かに血はつながっていなかったけれど、本当の家族のように過ごしてきていた。桃香もその時両親を失ったのに、俺のために泣くことも我慢して世話を焼いてくれていた。俺も泣くことはなかったけれど、桃香の優しさに感謝した。
親戚の中には桃香に対していい印象を持っていない人たちもいた。それと同時に、血のつながっていない兄妹がこれから二人きりで暮らすことに反対する人たちもいた。あまりにくだらない想像がみんなにつき纏っていることも分かっていた。お通夜の準備の最中も、忠告のように言って来る人たちに、流すように俺は頷いていた。その時はそんな事を考える余裕もなかった。両親を亡くして、これからどうやって生きていこうか。それさえも考えられないほどショックだったのだ。桃香と離れて暮らすなど考えてもいなかったし、二人が本当の兄妹ではない事さえも忘れていたくらいだ。
葬式を終え、自宅に帰ろうとした時、一人のおばさんが、俺を呼びとめた。
「これから二人で暮らすつもりなの?世間の眼はあなた達をよこしまな眼で見ると思うわよ。それはあなた達にとって決していい事ではないと思うの」
「何が言いたいんですか?はっきり言えばいいじゃないですか」
思った以上に低い声が出て驚いた。俺はきっと怒っていたんだ。
「間違いが起こったら大変でしょう」
「間違いってなんですか?大変ってなんですか?」
「あなた達は男と女なのよ」
だから大人は嫌いだと思った。俺たちを知らない人が大きなお世話を焼いてくる。今までの俺たちを見ていればそんなこと思うこともないだろう。それくらい俺たちは兄妹だったんだ。それを否定してほしくない。
「大きなお世話です。俺には妹を守る義務がある。もちろん権利も。俺はその権利を振りかざしますよ。妹を守れるのは俺しかいない。あなたみたいな曇った眼で見る人たちから守らなければならない。俺たちの両親は、それを望んでいます。俺が桃香のそばにいることを望んでいる。あなたにとやかく言われる筋合いなんてありません」
強気には出たけれど、まだ高校生だった俺たちには保護者が必要だった。だからといって、二人離されるのは我慢できなかった。どこか遠くで桃香が泣いているかもしれない、淋しがっているかもしれない、そんな風に考えながら過ごすなんてまっぴらごめんだった。俺がおかしくなる。俺のためにもそれだけは避けたかった。
「俺たちは運よく保護者を見つけたんだ。母の妹なんだけどね。彼女は独身だった。俺たちが成人するまで一緒に暮らしてくれた。そして、成人を機に結婚をしたんだ。彼女は優しかったよ。自分を犠牲にしてくれた。今でも感謝しているんだ。でもね、今海外に行っていて、全く戻ってこない」
俺たちの過去は不幸だったかもしれないけれど、恵まれてもいた。優しい人が一人でもそばにいれば、幸せになれる。俺はそれを知っている。桃香にとって俺たちの両親がそうだったように。俺にとって母の妹は優しい恩人だった。
「そんな人生で、あれだけかわいらしい妹が出来上がるなんて奇跡だな」
「素直でいい子だよ。俺は本当に桃香の存在に助けられたんだ」
俺たちのつながりは谷があったからこそ強くなった。一緒に暮らしていた叔母は、俺たちを甘やかすことはしなかった。だから、俺はアルバイトをしてお金を稼いでいたし、桃香は同じ場所で少しアルバイトをして、家事をきちんとこなしていた。
一緒に暮らしているだけで、生活を共にする事はなかった叔母。彼女には彼女なりの考えがあったのだと今なら分かる。彼女がいなくても俺たちが何の苦労もなく暮らしていけるのは、その経験があったからだ。叔母をよく言わない人たちも多くいたが、叔母は全くそれを気にしなかった。強い女性だった。
「叔母の存在も大きかったのは確かだけれどね」
「おまえがどうして妹を大切にしているのかも分かった。家族みんなの宝だからなんだな」
「恥ずかしい事を言うね」
俺は俺が語った事を今更ながらに恥ずかしく思っていた。そして、俺たちの事を理解してくれ、桃香を惜しみなくかわいいと言ってくれる保坂の言葉に照れた。
「俺がおまえと同じ経験をして、妹を素直に育てられたか分からないけれど、それでもやっぱりおまえとモモちゃんの関係は羨ましいな。まるで無償の愛じゃないか」
「無償じゃないよ。俺はモモからいっぱい幸せをもらっているからね」
俺はまたしても恥ずかしい言葉を口にする。だけれど、ここまできたらこのくらい言っても同じ事。
「はいはい、ごちそうさま。俺にもお裾分けしてもらいたいものだね」
空になってしまったのか、保坂は徳利をブランブランと振った。
「酒も終わったみたいだし出るか」
「本当にさ、一度モモちゃんとの会食の席作ってよ。もちろん陸君も一緒でいいからさ」
「当たり前だろう」
「三人で食事も楽しそうだからさ」
俺は大きな溜め息を零した。
「考えておいてやる」
お酒って本当に温めるとアルコールが強調されますよね。熱燗やぬる燗を飲んだことはないですが、焼酎のお湯割りはあります。水割りよりも酔いそうな感じがするのは私だけでしょうか?
昨日は2話更新してしまって少々ショックが……。なんかぼけていましたね。
次回は二人で過ごす年末。
次回も懲りずにお付き合いください。




