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限りなく続く  作者: みこえ
本編
21/57

佐原誓5

 俺は今、どうしてここでこんな事をしているのだろう。


 談話室には誰もいなく、内緒話をするにはちょうど良かった。そして今、佐原に頬をビンタされ、走り去っていく佐原を見送った。総ては誤解から始まった。だけれど眼の前でヒステリックにワーワー騒ぐその姿が醜く見えて、耐えられなかった。



 事の顛末は滑稽だ。


 昨日、俺と桃香が一緒に会社を出ていくのを佐原が見たようだ。


 朝、俺の方が先に事務所にいて、佐原が入ってきた途端、睨みつけられた。まだ就業時間には早かったので、腕を掴まれてここまで連れてこられた。その手を払おうと思えばできたが、佐原に従ったのは俺の優しさだった。


「昨日、見たんだけど」

 最初から喧嘩腰で、俺の言い訳など聞きそうもなかった。その前に、何を見たかが不明で、俺はきょとんとしてしまった。


「なに?何も知りませんって顔。しらばくれようとしないでよ」

 相当頭が沸騰しているのだろう。

「きちんと分かるように言ってくれないと分からないよ。どうして怒っているのかも分からない」

「陸、昨日女と待ち合わせして帰ったでしょう」

「ああ」

 ここでやっと俺と桃香との関係を疑っているのだと思った。


「わたしを騙していたの?わたしの方が遊びなの?クリスマスイブは予定が合わなくて、暇だったからわたしに付き合ったの?」

「いや」

「そんなのひどい。わたしは本気だったんだから!」


 勢いづいてしまったようで俺の言葉を聞こうともしない。説明を聞けば総て解決するのに聞く耳持たない眼の前の怪獣を見て、面倒くさくなった。誤解したければすればいい。


「ああ、面倒くさい」

 頭を掻きながら言った言葉は心の中で呟いたつもりだった。だが、しっかりとそれは口から吐き出され、音となって零れ落ちた。


「え?」

「そんなに嫌なら別れよう。それで解決だよ」

 朝からギャーギャー責められて泣かれては堪ったものではない。すでに冷めていた感情が一気に凍った感じだ。別に付き合ったつもりはないけれど。


「なにそれ。そんなモノを捨てるように」

 その声は震えていた。それは悲しみで震えていたのか、それとも怒りで震えていたのか。一瞬の出来事だった。


「最低!」

 最大音量で叫ばれた言葉は俺に向けられた罵りで、それと同時に俺に反撃してきたものは、彼女のビンタだった。おもいっきり左頬を叩かれた。見事な音と共に。そして、あっという間に佐原は立ち去って行った。呆然とした。俺は何も悪い事をしていないのに。


 真っ赤な頬を擦って事務所に戻ると、佐原はまだそこにはいなかった。

「どうしたんですか?頬が真っ赤ですよ」

 俺が来るのを待っていたようで、的場が心配そうに俺に言った。空気を読んでほしい。今はどんな言葉も受け付けられない。


「いや、何でもないよ。おはよう。何か分からないところでもあった?」

「すみません。余計な事でしたね」


 的場は力なく言った後、気を取り直したように笑みを作り、俺に質問をしてきた。その間に佐原が戻ってきた。その顔は明らかに泣いた後で、何かあった事を物語っていた。それで的場も察したのか、佐原を見つめたまま止まっていた。


「今日は十一時には出るからそれまでには終わらせておいて」

「はい」


 視線を感じてそちらを見ると、案の定窺うような眼で俺を見ていた男と眼があった。いつもならにやりと笑う保坂だが、今回は少し心配そうだ。彼の事だ、何があったのか瞬時に理解しただろう。嫌な男だ。そして、こういう時彼は弁える。そこがまた嫌いだ。総てが見透かされているようで。俺はキッと保坂を睨みつけた後、仕事を始めた。


 終始、心配そうにしているのは的場だ。ドラッグストアで冷やすものを購入し、俺の左頬に無理やり貼ってくれた。こんな姿で街中を歩かなければならないなんて、何の罰だろう。佐原を傷つけた罰は先程受けた。ならばこの恥ずかしさはなんだろう。


「ねえ、お客様の前では取っていいよね。こんな姿みっともないよ」

「まあ、まだいっぱいありますから、とっても構いませんよ。早く腫れが引くといいですね」


 的場も意地悪だ。おもしろがっているのが口調から分かる。出逢った時と比べて弾けたと言うか馴れ馴れしくなったと言うか。仕事や俺に慣れてくれたのは嬉しいが、それだけではないような。不明の何かが俺を喜ばせたり不安にさせたりする。


「結構この姿もお似合いなんですけどね」

 的場は俺の頬に貼ってあるそれを突いた。

「おい」

「あ、痛かったですか?」

 クスクスと笑う的場。以前と変わらない服装。変わらない髪型。だけれど、少し化粧が変わった。睫毛が増えた。唇が華やかになった。女らしくなった。



 仕事の帰り、案の定保坂に捕まった。頬の腫れも引き、俺はすぐに帰りたかった。


「今日は帰る。帰らせてくれ」

「そうはいかないよ。こうなったきっかけを知りたい」

「何言っているんだよ。大体は分かっているんだろう」

「想像ではね」

「佐原は何か騒いでいなかったか?」

「今日はおとなしいものだよ。ずっと眼を赤くしていて、ちょっと痛々しかったね。多分自業自得なんだろうけれどさ」

「自業自得は俺にかかっているのか?」

「お互い様?」


 いつもの保坂だ。楽しんでいることが分かる。俺の感情が浮上していることがわかったのだろう。仕方なくおでん屋に行くことにした。


「一時間だけだぞ」

 嫌な展開だ。だが、きっと俺のためなのだろう。そう思うことにして諦めることにした。


 おでん屋の暖簾をくぐり、いつもの席に座った。ぬる燗と大根、たまご、昆布を注文すると、溜め息を吐いた。保坂は大根とはんぺんとつみれらしい。


「さあ、どうやって聞こうかね」

「簡単だよ。昨日俺とモモの姿を見た佐原が俺たちの関係を疑った。説明しようと思ったがギャーギャー煩くてその隙もない。もう面倒くさいから一言告げた。「別れよう」と。そうしたら、見事にヒット。もう腫れは引いたけれど、思いっきりだったな。ヒリヒリした」

「それで佐原さんは泣いていたわけだね」


「きちんと説明しようとは思ったんだ。だけど、あの姿を見ていたら気が変わった。俺はきちんと罰を受けた。だからこれで終わりだ」

 佐原が一人で盛り上がっただけの時間だった。


「ところで、二人はいつから付き合っていたの?」

 その辺は流してほしい。そういう思いを込めて、保坂の頭を叩いた。

自業自得?まあ、そうでしょう。偶には痛い目にあうべきです。陸君は。


次回は陸と桃香が一層絆を深めた過去の話。ついでに陸君の家庭の話。

おでん屋の会話はまだまだ続きます。


次回もお付き合いください。

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