80 宇宙へ
俺は押しつぶされた内臓が口から飛び出してしまいそうな感覚に襲われていた。そしてこれは比喩表現などではなく、悲しいくらいに現実なのである。
今一体全体、何がどうなっているのか……。俺は今にも意識がブラックアウトしそうな状態で思案してみた。魔王器レヴィアタンの言葉、そして今の俺に襲いかかっている猛烈な重力加速。それから導き出される答えはただ一つ。この糞ウザ魔王器レヴィアタンは、俺を乗せて地球の重力圏を突破しようとしているに、ほぼ間違いないのだ。
「や、やめろ……。俺はそんなこと望んじゃいな……」
そこまで言いかけて、俺はGに耐えきれずに意識を失った。
……
…………
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まるで二日酔いのあとのように、頭がガンガンする。手足も痺れている。そして俺は瞼をしっかりと閉じている。そう、開いて周りの現実を見てしまわないように……もし俺の想像した通りのものが、視覚に入ってきたならば、俺はきっと絶叫することになるからだ。
《主人様、地球の衛星軌道上に到達しましたよー》
糞ウザボイスが耳に入ってきたが、俺は両耳を手で塞いで聞こえないふりをした。
《ねぇねぇ、主人様、聞こえてますー? お耳が日曜日なんですかぁ〜?》
触手のようなマニピュレーターが耳をふさいでいる手のひらをトントンとノックする。が、当然のように俺はそれを完全に無視した。
わかっている、わかってはいるんだ。この今の状況を無視し続けた所で、何一つ自体が好転することなど無いということを……。それでも、わかりたくなど無いのだ! 俺が何故か宇宙へと飛ばされてしまったという、この訳の分からない現実ってやつをわかりたくないのだ!!
《お返事してくれないと、空気を抜いて真空状態にしちゃいますよー》
魔王器レヴィアタンは、とんでもない事を平然と言い放った。
ここで俺はこれを脅し文句の一つであると思ったのが大きな間違いだった。そう、こいつは周りの空気を読むことなど出来ない存在なのだ。それ故に糞ウザなのだ。
《じゃ、抜きまーす》
シューッという嫌な音が耳に入る。同時に気圧の変化により耳の奥がキーンとなりだす。それがどういう事か考えるまでもなかった。文字通りこのコクピットの中から空気が失われていっているのだ。
――いやいやいや、一応俺はこいつの主人様なわけだろ、そんな俺を殺すようなマネは……ありえる。こいつならばやりかねない! というか、こいつに死という概念があるかどうかすら疑わしい。
物言わぬ躯となった俺が、未来永劫このコクピットの中でコイツと過ごす……。そんな悪夢を想像しては軽く吐き気をもよおした。
悪夢のような現実は受け止めたくない。が、それでも死ぬよりはなんぼかマシだ!
俺は大慌てで耳をふさいでいた両手をぴーんと上げると、まるで授業参観のときに、良いところを見せようと頑張る小学生のように
「はい! はいはい! 聞こえてます! 聞こえてますからぁぁぁァっっ!! 空気を抜くのはやめてください! 死んでしまいますからぁぁぁ!!」
と、半分泣きながら元気よく言い放った。
《はい、よく出来ましたー》
シューという恐ろしい音が静まるのを確認すると、俺は安堵の息と吐くとと同時にガクッと頭を垂れた。
もはや、文字通り現実から目を背けること出来ない。すなわち、イヤイヤで仕方がないけれど、瞼を開けて己の置かれている状況を確認しなければならない。
俺はこの現実と対面すべく、恐る恐る瞼を開く……。
「あぁ……やっぱりかよぉ……」
俺の視界に飛び込んできたのは、予想通りのものだった。そう真空の宇宙が所狭しとモニターに映し出されていたのだ。
《お望み通りに、重力から開放されましたよー》
確かに、俺の身体は重力を感じてはいなかった。というか、かなり前からそれには気がついていたのだが、必死に気がついていないふりをし続けていたというのに、もはやこの現実から目を背けることができなくなってしまった。あぁ本当に現実ってやつは油断ができねぇ……。
「俺はなぁ! こんなこと一つも望んじゃいねぇんだよ!!」
奥歯をギリギリと強く噛み締めながら、俺は自分の顔面を自分の左手で鷲掴みにした。
《え? 無重力はお嫌でしたか? なら1Gに調整し直しますね》
「は?」
その刹那、俺の身体に重さが戻ってくる。
「お、お前重力の操作ができるのかよ?」
《はい、出来ますよー》
「それなら、重力加速を軽減させることだって出来るんじゃねぇのか……」
《はい、出来ますよー。慣性制御とか余裕のよっちゃんですもん!》
魔王器レヴィアタンは二本のマニュピレーターでガッツポーズを作ってみせた。
「……なら、俺は何であんな苦しい思いをしなきゃいけなかったんだ……」
《えぇ〜だってぇぇ。苦痛に顔を歪めている主人様が素敵だったから〜。てへへへっ》
「……」
返す言葉がないとはまさにこのことだった。それと同時に、こいつには確実に常識が存在しないと言うことを学習した。
《さて、これからどうしますー?》
どうするもこうするもなかった。元から俺は宇宙に来ることなど望んではいなかったのだから……。
「いますぐ地球に……」
と言いかけて言葉を止めてしまったのは、俺の胸の奥に眠っている子供のハートがトクントクンと脈打ち始めていたからだ。
眼の前の広がるのは無限とも思える大宇宙。そう、俺の名字と同じ《大宇宙》。小さい頃、この名字を嫌悪しながら、それと同時に大宇宙というものに憧れのようなものも抱いていた。そして、今俺はその宇宙に居る。
大人になって忘れてしまったと思っていたが、まだそんなものにときめく心がどこかに残っていたようだ。
「そうだな、しばらく宇宙を漂う感じを味合うのも悪くないかもな……」
とはいえ、コクピットの中からでは、モニターに映る映像を見るだけでしか無いのだが、それでもひしひしと俺の五感全てに伝わってきている。
《なら本当に漂っちゃいましょー!》
「え?」
その刹那コクピットのハッチが開閉された。そして、俺は宇宙を肉眼で確認することが出来た。勿論、そんな事は望んではいない。さらには、マニピュレーターで押しだされるように、コクピットのシートから放り出され、身体全身で宇宙を体感するはめに陥ってしまう。
――ああ、死んだわ。間違いなく死んだわ。
この魔王器と出会ってから、何度死を予感したことだろう。もう数えたくもない。しかし今回こそはもうダメだ。だっていま俺は真空の宇宙に投げ出されてるんだもん。
「このまま慣性の赴くままに投げ出され、俺はスペースデブリとしてこの宇宙を漂う屍に……。って、あれ今呼吸できてる!? それに以前に喋れてるぞ!? ってなんだこれ、なんか壁みたいなもんがあるぞ」
コクピットから投げ出された数メートル先には、見えない壁があった。そのおかげで、俺の身体はレヴィアタンの周囲に留まることが出来ている。
《そりゃそうですよ。わたしの周囲にシールドを張ってますから》
「そういう事は先に言ってくれよ……」
恨み辛みを原稿用紙数百枚分言ってやりたかったが、今はやめておいた。そんなことよりも、今この状況を楽しんでやろうと思ったからだ。宇宙遊泳なんざ、宇宙飛行士でも何でも無い一般人が味わえるもんじゃないのだから。あれ、おかしいな、何だか今の状況を楽しみだしてきてるぞ!?
《ほらほら、こっちをご覧くださいまし〜》
レヴィアタンが身体を旋回させる。
「おぉ……」
俺が目にしたのは、テレビでは何度も見たことのある。宇宙から見た「地球」だった。地球は本当に丸かった。そして青かった。言葉で言い表せない感動が、胸の中からこみ上げてきては、自然と俺の頬を緩ませた。
《それじゃついでですから、このまま月まで行っちゃいましょうかー》
「え? えぇぇ? このまま? 今このままって言った!?」
《はい! 加速に入りますね〜》
「ちょ、ちょっとまってくれ! 俺をコクピットに戻し……」
俺が言葉を言いおらわないうちに、魔王器レヴィアタンは超加速を開始する。
そして、俺はこれまた今日何度目かわからない恐怖によるお漏らしをするのだった。




