76 魔王器
棒の先端部分に突き刺さったウンコが俺を見つめているような気がした。勿論、ウンコに目はないので、実際に見つめられているわけではない。しかし、威圧感、圧迫感、強烈なプレッシャーと悪臭が俺を五感全てに襲いかかってくる。
今ならわかる。このウンコを突きつけられた巨大ロボが、女性パイロットが、どれだけの精神的苦痛を味わっていたか!
至近距離にウンコを近づけられることが、これほどまでに嫌なことだとは……。人生三十年近く生きてきて初めて痛感した。というか、出来ることならこんな事は一生味わいたくなど無かった。
「ねぇ、おじさん五千円!」
鼻垂れ小学生のリーダーは、さらにウンコ棒の距離を俺に近づけては脅迫じみた要求を続けた。
五千円……五千円くらいなら持ってはいる。だが、五千円といえばそこそこな大金だ。それをこんな事に使って良いのか? 五千円あれば回転寿司なら腹いっぱい食べてお釣りが来てしまうのだぞ。とは言え、女パイロットを五千円で助けられるとするならば……それによって感謝をされて、さらにはあんなことやこんなこともしてもらえるとするならば、イカガワシイ店で五千円使うよりは安いかもしれない。おっと、俺は別に下心で助けようというわけではない。実際俺は女パイロットの顔を見たわけではないので、実はあまり好みのタイプで無いかもしれないわけだし。しかし、逆に好みのタイプバッチリでおっぱいボインボインであるという可能性もゼロではないのだ。それにかけて五千円を払うというもの……。あれ、これって下心以外の何物でもないんじゃね?
「えぇい! 下心の何が悪い! 何も悪くはなぁぁぁぁい! むしろ、男として正常なのだぁぁぁぁァッ!!」
俺は海に向かって叫んだ。海は何も返事をしてくれなかった。ただそこにあるだけだった。だが、俺には伝わった。海は言葉を発することなくとも、俺の気持ちをわかってくれたに違いない……ということにしておく。都合の良い解釈は俺の十八番である。
満足そうに絶叫する俺を見て、鼻垂れ小学生軍団はあっけにとられていた。きっと、ウンコの野郎もあっけにとられていたに違いない。
俺は財布を取り出すと、中から千円札を一枚ずつ取り出す。運の良いことに千円札は五枚あった。
――ああ、俺の、俺の大事な千円札さんが、五枚も……五枚もいなくなってしまう……。
泣きそうになった。たかだか五千円で泣く三十手前男がここにいた。
「おら! ここに五千円ある! これで向こうに行け!」
右手に千円札五枚を握りしめながら、鼻垂れ小学生に突きつける。すると、ソニックブームでも起こしそうな速度で俺の五千円は鼻垂れ小学生の手中に落ちていた。
「やった、やった」
「ちょろいな」
「マジおっさんちょろいわ」
「ウンコ最強だわ」
「俺最強だろ?」
と、口々に言いながら鼻垂れ小学生軍団は去っていった。あれ、最後に喋ったのウンコそのものじゃね?
兎に角、こうして臭い臭いの元は消え去った。俺の五千円と引き換えに……。
《助けていただいてありがとうございますー》
巨大ロボが正座をして座り直すと、俺に向かって地面に擦れるほどに深々と頭を下げた。その時に発生した衝撃波で、俺は危うく海に飛ばされそうになったが、既の所で踏みとどまった。
しかし、体育座りといい、今の正座といい、この巨大ロボの関節部分は一体どんなふうに出来ているのだろうか?
「いやいや、男として当たり前のことをしただけですよ。はっはっはっは」
俺は倒れないように四つん這いで必死に体勢を保つというみっともない姿で、かっこいい風のセリフを返してみるも、まるで様にならなかった。
「あの、もし良かったらコクピットから降りてきてお話をしませんか? そのほうが話しやすいですし」
俺は女性をダンスにエスコートするかのように、颯爽と右手を差し出した。そしてコクピットからは見目麗しい女性が降りて……はこなかった。
《あのぉ、言っていることがよくわからないんですけど? 確かにコクピットはありますけど、そこには誰もいませんよ?》
巨大ロボは不思議そうに首を傾げていた。何かしらの電波を受信するものであろう頭部につけられた二本の角のようなアンテナから、微量な電流のようなものが発せられている。
「え……ということは、無人? となると、今喋っているのは……」
嫌な予感がした。そして俺の嫌な予感は悲しい事にだいたい的中する。
《はい! わたし自身ですよ?》
わたし自身。子の言葉が指す意味を理解するのに、それほど時間はかからなかった。
「あれですかね。人工知能みたいな? そのロボのAIみたいなやつ?」
《わたしはロボじゃないです!! ロボとか心外ですぅ!! 人工知能とかいうのもやめてください!! わたしにはちゃんと名前とかあるんですからー!! 知りたいですかー? 知りたいですよね?》
あ、こいつは面倒くさいやつだ。俺は今すぐ何事もなかったかのようにこの場から逃げ去りたかった。コクピットの中から俺好みのおっぱいプルンプルンが出てきてくれる可能性は消え去ったのだ。かわりに面倒事がまた増えるという可能性が、今ぐんぐんと急上昇してきている。
俺は気づかれないよう、こっそりこっそりと後ろ歩きを始めていた。が、突如として俺の背後の砂浜が吹き飛んだ。振り返ると、まるで何かしらの熱戦で焼け焦げたような跡が残っている。
《ねーねー。ちゃんと名前聞いてくださいよー!》
その熱戦の主は考えるまでもなくコイツだった。右手の指先から今もなおプラズマの光が眩いほどに輝いている。
――またか、また俺は死ぬよう目に合わなきゃならないのか……。何でこうも俺は死亡フラグについて回られてるんだよ。
もはや逃げることは死を意味する。ならば、どうする?
「あ、はい、はい。な、名前は何ていうのかなー。とっても知りたいなー。教えてほしいなぁー」
俺の額からは滝のような冷や汗が流れ落ちていた。オシッコも少しちびっていたかもしれないが、きっと海の精で濡れたということにしておこう。
《そんなに知りたいですかー。どうしよっかなぁ〜。おしてあげちゃおっかなぁ〜。えへへへっ》
面倒くさい、恐ろしいほどに面倒くさい。もしこいつが巨大ロボをなどではなく、指から熱戦を発射することもなかったならば、ゲンコツの一つも食らわせたいほどだ。
《そこまで言うなら、教えてあげますね! 特別ですよー! 本当は教えちゃ駄目なんですからね! 秘密ですからねー!》
もう何でも良いから早く名前を言ってほしかった。でないと俺の忍耐力は限界に達してしまうだろう。そうなったならば、もう死んでも何でもいいや! と逆上してしまうかもしれない。
《コホン》
巨大ロボが咳払いをして勿体つけた。殴りたかった。
《パンパカパーン! わたしの名前を発表しまーす! はい、拍手拍手!!》
俺は死んだ魚のような目で、壊れた猿のおもちゃのように機械的に拍手をした。
《わたしの名前は……七大魔王器の一つ。レヴィアタンちゃんでーす! 可愛く『アーたん』って呼んでくださいねー》
レヴィアタンは華麗に一回転して、左手でピースサインを決めた。俺はその衝撃で吹き飛んだ。そのまま吹き飛ばされてこの場からエスケープしたかったが、レヴィアタンの右手で俺の身体は掴み取られてしまった。
「魔王器……とか、まためんどくさい設定が出てきやがった……」
俺はレヴィアタンの腕に掴まれたままため息を二つつくのだった。




