73 壁の穴
旅に出る!
と、俺は言ったわけだが、二日たった俺が今現在いる場所は、なんと事務所のソファーの上。そんでもって、力なく寝そべっているわけだ。まぁ、旅に出ようと思ったけれど、やっぱなんか面倒くさいし部屋でゴロゴロしていよう……となったわけではなく。
とある理由があった。
そうその理由とは……
「これだよ、これ……」
ソファーに寝転びながら俺が指さした先にあるのは、部屋の壁に空いた大穴である。そう、花火のやつが拳で作った大穴だ。こんなもんそのままにして旅になんて出れるわけがない。それどころか、今も隙間風がおもいっきり入ってきて寒いことこの上ない。
あの事件の後、この大穴をどうするか頭を痛めていたら、花火のやつが。
『あ、あんたが変なもん見せるから悪いんだからね! ……で、でもわたしに責任が無いわけじゃないから……お母さんに頼んで直してもらう』
珍しく神妙な態度を見せる花火は何処か新鮮だった。いつもこうならば、可愛らしい女子高生というキャラでいられるものを……。しかし、後半の言葉はいただけない! お母さん、それは俺が愛してやまない『藤宮神狩』さんに頼むということにほかならない。となれば、間違いなくこの事件の内容も説明しなければならないことになるだろう。そう、俺が神狩さんの娘であるところの花火に、おちんちんを見せた……だけなく、おもらしをし、さらには全裸で覆いかぶさったという、俺が今すぐにこの記憶から消し去りたい黒歴史を知られることになるのだ。もしそうなったら、もはや旅に出るどころではなく、生きていけない。
『気にすんな! 今回の仕事でそこそこに金額はもらえたわけだし。花火には迷惑をかけたからな、これは俺が自前で直しておくよ。だから、気にすんな! そしてこの件は誰にも言うなよ! な! 特に、神狩さんには言うな! これは、俺とお前、二人だけの秘密だからな!』
『二人だけの《秘密》か……。わ、わかった』
花火はコクリと頷く。やつは何処と無く嬉しそうにしていた。
そんなわけで、俺は仕方なく今回の報酬からこの壁の修理費を払うことにしようとして――やはりもったいなくなった。だって、お金ってこの世でいちばん大切なものじゃん?
そして俺が取った行動とは……
※※※※
「やっほぉ〜! みんなの憧れまじかるプリティ・プリンセスのベル様だよぉ〜☆」
キュピーンと顔の前で横ピースを決めながら、キラキラフリフリドレスに身を纏い、片手にマジカルステッキを構えて颯爽と登場。すると、何処からともなくスポットライトが降り注ぐと同時に、軽快なテーマソング? が響き渡る。
「お・ひ・さ・し・ぶりっ☆」
ステッキをクルクルとバトンのように回しながら、軽やかなステップを踏む。あざとい、あざといがたしかに可愛い。元の姿がジャージ姿で平日の真っ昼間に公園のブランコに揺られていたおっさんであることを知っていなければ、俺もこの魅力にコロリとやられてしまったことだろう。
何故、魔王少女を呼び出したのか? それは勿論、魔法の力で壁の穴を直してもらうためである。だって、そうすればお金がかからないじゃないか!
「ねぇねぇ、大事な用事って聞いたんだけどぉ〜。このベル様をわざわざよびだすような、大事な用事ってなにかなぁ☆」
ベルは頬に人差し指を突き刺して、小首を傾げるポーズをとってみせた。きゃる~んという擬音が何処からともなく聞こえた。
「いや、あれだよ。ここを見てくれよ」
俺は壁に空いている大穴を指差す。
「うん。見たけど。これがどうしたの? まさか、この穴を直してもらいたいだけに、ベル様を呼び出したわけじゃないよねっ☆」
「え……」
俺は固まってしまった。
この穴を直してもらいたいだけに、ベル様を呼び指したのだから。
ここでやっと、俺は自分の判断が間違っていたいことに気がついた。そうだ、そうなのだ。この魔王少女ベルが、俺の頼みをハイハイと素直に聞くはずがなかったのだ。何故に、そんな事に気が付かなかったのか! むしろ大惨事を招くことになると想像できなかったのか! きっと、おちんちん事件の心の傷が、脳の働きを阻害していたに違いない。
だが、もしかすれば、俺が誠心誠意頼めばいけるかもしれない。
「そうなんだ! この穴を直してもらいたくて!」
「え? なになに? この穴と同じくらいの穴を、オマエの土手っ腹にあけてほしいんだねっ☆」
マジカルステッキは俺の腹に向けられていた。ステッキの先にドス黒い魔力の塊のようなものが渦を巻いて見える。
――やべぇ、穴が直るどころか、穴が増える。しかも俺の身体に……
魔力の渦はいつの間にか黒い炎へと姿を変えており、俺の腹をジリジリと焦がし始めていた。このままでは数秒後には腹に穴が開く。と、思った刹那。魔力の炎は突如として消え去った。
「ふふっ。ベル様、壁の穴を直してあげても良いんだよっ? そのかわりにぃ、こっちのお願いもひとつきいてくれるかなっ?」
口元に両拳を当てて、モジモジとはにかんで見せる。その間、マジカルステッキは空中に浮遊していた。
「お、お願いって何かな……」
俺は今にも逃げ出したいのをこらえて、恐る恐る尋ねた。
「えっとね、えっとね。うわぁん、はずかしぃ〜☆」
その場でぴょんぴょん飛び跳ねては、顔を背ける。かと思うと、こちらを蛇のような目で見つめ直すと……
「ベル様とキスしてっ☆」
「は……」
俺はフリーズした。それと同時に、あの時の悪夢が蘇る。そう、ベルの元の姿であるおっさんと無理やりキスを、しかもディープキスをさせられた記憶が……。
「な、なんでだ! なんでそんなこ事をしなければいけないんだ! むしろ、いっその事殺せ! 俺を殺せ!」
俺は発狂した。あの時のおぞましい感触が蘇ってきては、俺の脳みそを破壊しかける。
「こんな可愛いベル様とキスできるなんて、ウルトラハッピーな事なんだぞっ!」
「き、キスなんてして何になるんだ! お前に何の特があるんだ! まさか、俺のことが好きだとか言い出すんじゃないんだろうなぁ!」
「実は……ベル様はぁ……あなたのこと大好き……なわけねぇだろ! 魔力だよ! 魔力! おまえとのキスで封印が解けたときに、同時に何故か大量の魔力も手に入ったんだよ。けれど、それも時間と共に薄まってきちまってよぉ。あのヱルとのバトルでも結構使っちまったしな。だから、補給しとかなきゃなって」
ベルの口調が一変して、チンピラのように変化する。まぁきっとこっちが地なのだろう。
しかし、俺とのキスで魔力が? もしかすると、俺の体内にあるという無数の宇宙がそれと関係しているのだろうか?
「さぁ、キスしようぜ!」
爬虫類のように舌先をペロペロとさせながら、ベルは俺に近づいてくる。
逃げる? いや、魔王からは逃げられないように、魔王少女からもきっと逃げられないだろう。ならばいっその事、開き直るというのはどうだろうか? 元おっさんであるということを記憶から消せば、こいつは可愛いアイドルなのだ。普通ならば大金を積んででもキスしたいくらいのレベルの可愛らしい容姿の持ち主なのだ。
――忘れろ! 忘れるんだ! こいつはもとから可愛い女の子。おっさんなんかじゃなかった! そう、むしろキスできるなんてご褒美だ!
俺は自分で自分をマインドコントロールしようと必死だった。
目の前に居るのは実際可愛い女の子。唇だってぷにぷにしている。きっと、やわらかいだろう。瞳だって、大きくてうるうるしていて、吸い込まれてしまいそうだ。長いまつげもくるくるしていてキュートだ。うん、だんだんキスしたくなってきたぞ。
「いける!」
俺は心を決めた。そう、キスするだけで壁が無料で直るのだ。タダより安いものはない!
そして、遂に二人の唇は触れ合おうというその時だった。
「あのさ、また新しいお菓子持ってきたんだけどさ。わけてあげてもいいんだよ! えっ……」
唐突に花火が現れたのだ。そうまたしても謎のスナック菓子を手に持って。
そして、当然ながら俺とベルが今まさにキスをする瞬間を目撃してしまった。
その結果。
「はぁ……」
俺はがっくりと肩を落とした。
何故ならば、俺の壁に空いた穴が更に増えたからである。どうしてこうなったかは察して知るべし。
結局、俺とベルのキスは未遂に終わった。花火は顔を真赤にさせて拳を振り上げながら帰っていった。
二人が去り、一人になった俺は、二つになった壁の穴を見てはため息を嫌というほど吐き出すと、スマホを取り出しとある電話番号に電話した。
「あ、すみません。壁の修理を依頼したいんですけど……」
教訓『タダより高いものはない』




