62 ポジティブシンキング
さて、久遠の店から戻り数日が経過して、俺がその間何をやっていたかと言うと……なんと驚くなかれ――何もやっていないのだ!
「あぁ、暇だ……。いや暇なのはいい、暇なのはいいが、金が無いのはまずい」
事務所のソファーに寝そべり後ろ足をばたつかせていた。
「どうして世の中は、働かないとお金が手に入らないようにできているんだろうなぁ。そもそもお金とは何だ! 人間様がそんな紙切れ一つに振り回されていいのか! たかだか紙切れだぞ! だが……そんな紙切れがいっぱいほしいなぁ……」
誰に言うわけでもなく天井に向かってぼやき続ける俺の姿が、人間のクズ以外の何物でもないことは自覚している。でも、世界には七十億の人間が居るわけなのだから、俺一人くらいクズでもいいじゃないか。
「しかし暇がいくらあっても、金が無いと何も出来ねぇな……。しかし、金を稼ぐとなると暇がなくなる。世の中は矛盾の塊で出来ているもんだなぁ」
まぁもっともらしいことを言ってみたが、ただの戯言だ。『はやくドラえもん出来ねぇかなぁ、そんでもっていの一番に俺のところに来ねぇかなぁ〜』と同レベルの戯言だ。平日の真昼間に何もせずゴロゴロしているやつの言うことは、どれだけ大言を吐こうが全て戯言だと言っていいだろう。
俺は大きなあくびを一つすると、まぶたが重くなっていくのを感じた。睡眠時間は充分以上にとっている、なのに眠くなるから本当に不思議だ。
二度寝ならぬ、もはや何度寝かわからぬ状態に入ろうとした刹那、俺のスマホの着信音が眠りを妨げた。
大慌てでポケットを弄りスマホを掴むと、着信番号を確認する。うむ、未登録の番号だ。となると二択である。
迷惑電話 or 仕事の依頼
こういう場合、ネガティブな思考は排除したほうが良い。きっと、巨乳で美人のお姉さんからウハウハな報酬金額を提示される仕事の電話に違いない!! これくらいポジティブに考えて電話にでるべきである。希望と言うものはパンドラの箱の奥に残っているものなのだから。
俺は寝過ぎて死にかけている声帯を無理やり仕事モードへと移行させると、パンパンと二度ほど頬を叩き、顔も目つきもきりりとさせて電話に出た。とは言え、体の状態はまだソファーに寝転んだままなのだけれども。
「こちら、よろず屋『大宇宙堂』です!」
そして二時間後
※※※※
「すみません、突然押しかけてしまいまして、お時間大丈夫でしたか?」
「いやいや、確かに多忙が服を着ている男と言われている私ですが、あなたのような素敵な人が依頼人であるならば、時間を作ることお茶の子さいさいへのかっぱですよ! あーっはっはっは!」
まさかのまさか、大番狂わせ! 本当に依頼人は美女だったのだ! スラッとした高身長にオートクチュールであろうスタイリッシュなスーツ姿。更には久遠など比較にならないほどのインテリジェンスを感じさせる眼鏡美女ときたもんだ。年齢は二十代中ごろといったところだろうか。しかも、提示された報酬はかなりの高額。あれだろうか、これ実は夢の中なんじゃないだろうか……。そう言えばずーっとソファーに寝込んで、そろそろソファーと同化してしまうんじゃないだろうかってレベルに達してしまっていたわけだから、夢の中の可能性は大いにある。
「すみません、いらしていただいて唐突なんですが……」
「はい?」
「私の頬をツネっていただけませんかね?」
我ながら初対面の美女に言うセリフではないとわかっていた。そして勿論断られるとも思っていた。ならば何故言ったのか? と思われるかもしれない。しかし今回のテーマはポジティブシンキングなのだ! 常に希望を持って行動をする。それ故の言動。
そして……
「はい、よろしいですよ」
なんと、美女は二つ返事でオーケーしてくれたではないか。それどころか指を昆虫の足のようにワシャワシャと動かしながら、まるで今からあなたの眼球をくり抜きますわよ! とでも言わんばかりに手を顔に近づけてきた。この時に感じた、エマージェンシーコールよりも、美女に頬をつねられるというプレイを優先してしまったことを、後に後悔することになる。
そうこうしてるうちに、依頼人の指が俺の頬に当たる。まずは優しく頬の肉を掴み取る。そして。左回転で掴み取った頬肉を一回転するまで回してきた。
「うぎぎぎぎぎっ」
俺は悲鳴を……あげなかった。何だろう、この痛みと快楽が混ざりあった複雑な感覚は……。そして、最初の印象である知的美女の雰囲気とは打って変わって、まるで精肉場に送られる子豚を見るような目でこちらを熱く見つめてくださっているではないか! もし、ここにレックスが居てくれたならば、俺がいまいだきかけている感情を、理路整然とわかりやすく説明してくれたことだろう。着物幼女に引き続き、俺はまたしても新たなる性癖の扉を開こうと……。
――ああ、見える……真理の扉がこちらに来いと手招きしているのが見え……
と、今まさに真理の扉ならぬ、ドMの扉が開きそうになった刹那。
「これくらいでよろしいでしょうか?」
美女は手に込めていた力を抜き、その手を胸の前で組んで佇んでいる。
「あ、はい。ありがとうございます! ありがとうございます!」
大事なことなので俺は二回言っておいた。
しかし、つねるをの止めるタイミング……絶妙、見事、天才的、と言わざるを得ない。超絶美麗なまでのお預けプレイである。あと少しで達しそうになるのを、すんどめされる感覚……。これはこれで病みつきになりそうだから怖い。
「ああ、そうでした。ご挨拶がまだでしたね。私の名前は『赤炎東子』と申します」
そう名乗り終えると、綺麗な角度で頭を下げた。
「それでは依頼内容なのですが……。わたくしの開発した薬の試飲をお願いしたいのです」
ニッコリと微笑みながら、赤炎東子さんは薬のカプセルを取り出した。この時も俺の心は今まで培った経験が、警鐘を鳴らしていたわけなのだが、俺はその音に耳を傾けることはなかった。何故ならば、まだ赤く腫れる俺の頬が快楽中枢を刺激しており、冷静な判断を狂わせていたからだ。




