54 ドリル少女
しゃがみこんだ先は下水道の汚水の中。俺の下半身は何が混ざっているかわかったものじゃない汚水でびしょ濡れになってしまった。だが、一つ良いこともある。このおかげで俺が少しばかり漏らしてしまったことをごまかすことが出来るからだ。い、言っておくが、ほんの数滴だけなんだからねっ!!
「あちゃー、びしょ濡れになっちゃったねー。大丈夫ー?」
ギュルギュルギュル
謎のドリル少女の右手のドリルは未だ余韻を残して回り続けていた。
「あ、あぁ大丈夫だ」
漏らしてしまったのだから、ある意味大丈夫ではないのだが、そこは微塵にも表情に出さずにできるだけ平静を装って答える。
「はい、手?」
そう言ってドリル少女は回転するドリルを差し出した。おいおい、これを掴んで立ち上がろうとした日にゃ、俺の腕は引きちぎれそうだ。
「あ、間違えちゃった」
ペロっと下を出してはにかみながら、ドリル少女はドリルの付いていない左手を倒れている俺に差し出す。俺は素直にその手を掴む。その左手は何の変哲も無い普通の少女のものだった。
「ありがとな」
無事に立ち上がることが出来た俺は、ぶっきらぼうに感謝の言葉を述べた直後にその手を離した。これは用心のためである。もしかすると、この左手も即座にドリルへと変化して、俺に牙をむかないとは限らないのだ。
確かに助けてもらったことには素直に感謝をしよう。だが、俺は純粋な中学生男子のように、『ここからラブコメ的展開がはじまる!!』なんてことを思ったりはしない。それ以前に些かこのシチュエーションはおかしすぎる。何処の世界に、下水道でワニに追いかけられていたところを、ドリルで助けてもらって恋に落ちたりするものか! そんなボーイ・ミーツ・ガールはあり得ない。というか、俺はボーイという年齢ですら無いし、さらに言えば漏らしている。
しかし謎のドリル少女は、今もあっけらかんと右手のドリルを訳もなく回転させながら、こちらに笑いかけ続けている。
俺はここでしばしこの状況を整理してみることにした。
場所は地下下水道。そして俺の前には謎のドリル少女。そして孔明先生の入ったキャリアケースは下水の中に落としたまま……ん? 落としたまま?!
「孔明先生ッッッ!」
「あばばばばばばばばばばっばっばっ」
キャリアケースは半分以上汚水の中に水没しており、中の孔明先生は溺死寸前にまで追い込まれていた。
俺は急いでキャリアケースを掴み上げると、中の孔明先生が瀕死ではあるが生きているのを確認した。
確かにこいつが邪魔でどうにかしようとやってきているわけだが、こんな最後は流石に寝覚めが悪いし、怨霊となって毎日夢枕に立ってきそうで気持ちが悪い。
「死、死ぬかと思いましたぞ! 火計で赤壁の戦いを勝利へと導いた勝った私が、まさか水攻めで命を落とすなど洒落にもなりまぜんぞ!」
頭の先まで汚水まみれとなった孔明先生は、ゲホゲホと何度も咳き込みながら、恨み事を延々と並べ立てる。だが、目の前のドリル少女に気がつくと……
「なんと! わかります、わかりますぞ! 私にはそのような出で立ちで外見を隠していてもわかりますぞ! 間違いない! この少女は可愛いっ!! ペロペロしたいッッッ!」
まるで脱獄を試みる囚人のようにキャリアケースの鉄格子部分をガンガンと叩きながら、下品に舌先をペロペロとさせる様は、あのまま溺死させておけばよかったと俺を後悔させた。
「おいおいっ、かわいいとかぁ〜。照れるじゃん!」
こんな変態軍師に褒められたというのに、このドリル少女は満更でもないらしく、左手のドリルの回転数を上げてキャッキャと喜んだ。回転の上がったドリルからプラズマの光が見えているように思えたが、俺はあえて見なかった事にしておいた。が、そのドリルから猛烈な熱量が生み出され、周囲の温度を急激に上昇させた時点で、見て見ぬふりを続けることは、俺の生命維持的に不可能となった。
「た、頼む! そのドリルの回転を止めてくれないかっ!」
「え? ありゃりゃ、うちってばつ興奮するとついついドリルを高速回転させちゃう癖があるんだよね〜。この前なんて周りを融解させちゃって大変なことに……えへへっ」
ドリル少女はコツンと自分の頭を叩いてみせると、右手のドリルの回転を止めてくれた。歪みかかっていた周囲の空間も気温も平常へと戻っていく。どうやらこれで、俺が融解する事態は免れたようだ。
「良かった。ワニから助かったと思ったら、今度はドリルで死にかけるとか……。俺にはどんだけ死亡フラグが転がりまくってんだよ……」
一方キャリアケースの中の孔明先生はと言うと。
「ばたんきゅー」
口から泡を吹きながら気を失っていたのだった。これで下品な言葉を聞かないですむ。
「ごめんね?」
どうやらドリル少女は、孔明先生を気絶させてしまったことに謝ったようだが、こちらには何ら損害はない。むしろありがたいくらいだ。
「気にしないでくれ。こいつは嬉しいと口から泡を吹きながら気絶する癖があるんだ」
勿論嘘である。
「へぇ〜。変わった癖がある人もいるんだねぇ」
キャリアケース越しにドリル少女が孔明先生をツンツンと突く。しかし完全に気絶した孔明先生から反応は返ってこなかった。少しばかり口元がニヤついて見えたのは、きっと気の所為に違いない。
「ところで、お兄さんはこんな所で何してんの?」
ドリル少女の問いかけに、俺は自分が何をしに来たかを思い出した。
「そうだ! 俺には行くべき場所が! って……」
俺は大慌てで地図を見る。が、ワニから逃げるために無我夢中で走り回ったために、現在地が何処かすらわからない有様だ。
「完全に迷子じゃねえかよ……」
俺が途方にくれ、またしても汚水の中にしゃがみこんでしまいそうになった時。
「どしたのー? なになに〜? これ地図なの〜?」
興味津々に俺の顔と地図を交互に見つめてくる。いつの間にやら、右手のドリルは消え去っていた。
「あ、うちこの場所なら知ってるけど〜」
ドリル少女が指さした先は、まさしく俺が向かうべき場所ドンピシャリ!
「ほ、本当か?」
俺は思わず鼻が当たるくらいにドリル少女に顔を近づけてしまっていた。
「きゃっ。ち、近いってば! うちも年頃の女の子なんだぞぉ」
ドリル少女は俺の顔を押しのけて距離を取る。暗いので良くわからないが、どうやら照れているようだ。
「良かったら案内してあげよっか?」
「してくれ! お願いします! 土下座してもいいぞ!」
「しなくていいー! 土下座なんてしなくていいからーーっ!」
こうして、俺は謎のドリル少女という案内人を得て、目的地へと向かうことになったのだ。
少しばかり歩き出した所で、ドリル少女が足を止め振り返る。
「あ。そうだ。土下座はいらないけど、一つだけお願い聞いてくれないかなぁ〜」
ドリル少女がいたずらっぽく笑った。
「おうおう、聞いてやる聞いてやる」
この時、俺はなんの考えもなく軽率な返事をしてしまったことを、あとで後悔するはめになるわけなのだが、未来人でもない俺に知るすべはないのだった。




