53 下水探検
綾小路家の留守番の仕事を終えた俺は、ソファーに寝転び鼻毛なんか引っこ抜きながら、怠惰な日々を無意味に過ごしていた。
さて唐突だが問いかけだ。
人間は何故働くのか?
一見深い問いのように思えるが、こんなのは悩む必要などなく即答だ。
『金が無い』からである。
そう、金さえあれば誰が好き好んで働くものか。だから、仕事を終えて少しばかり懐が暖かくなった俺が、怠惰に過ごしているのはむしろ人として正しい事と言えよう
そう言えば、世の中には仕事が大好きとか言う、珍妙な人種がいるらしいが、俺からすればそいつらはドラゴン以上の空想上の生き物としか思えない。できれば勇者にでも倒されてもらいたい。
なわけで、俺は平和で快適な時間を満喫している――かと言えばそうでもないのだ。
「どうしてこの家には、ゲーム機が無いのですか!ありえませんぞ! 今すぐに買いに行くことを具申いたします!」
それは、扇でテーブルをペシペシと叩きながら喚き散らす孔明先生の存在である。
――こいつってば、漫画とかで言うところの、次の話になったら当たり前のように消え失せてるタイプのキャラじゃなかったのかよ……
魔法少女モノのアニメに動物のマスコットキャラが必須のように、まさかこいつが俺のマスコットキャラになったりしたら……。そう思うたびに俺は金属バットを取り出して、フルスイングを食らわせたくなる衝動に駆られた。が、そうならないで済んだのは、俺が平和主義者なわけではなく、家に金属バットがなかったからに他ならない。もしあったならば……おっと、これ以上はやめておこう。
「もう我慢の限界だ……」
俺はソファーから立ち上がると、しわくちゃになったシャツを脱ぎ捨てて、出かける準備を始めた。
こうして俺は静かな休日を得るために、近所のスポーツ用品店に金属バットを購入しに出かけることを決めた――訳ではなく。この孔明先生を呼び出したアイテムを送りつけてきた相手のところに向かうことをにしたのだった。
はてさて、俺の事務所には時折、とある店から用途不明の謎のアイテムが送りつけられてくることがある。しかも毎回悪質にも着払いでだ。とは言え、極稀ではあるがそれが役に立つこともあるので、渋々ながら俺は送料を払って引き取っているわけなのだが、今回はそうは行かない。この糞孔明先生を突っ返してやるのだ!
※※※※
「さぁーて、この道を右だっけか……?」
俺は十字路の真ん中で、荒々しく殴り書かれた手書きの地図とにらめっこをしていた。孔明先生はどうしているかというと、猫用のキャリアケースの中に閉じ込めておいてある。
「これは……拘束プレイですか! プレイなのですね!」
キャリアケースで頬を赤く染める天才軍師。ある意味こいつが一番人生を楽しく生きているのかもしれない。ともあれ、あと少しの辛抱でこの変態ともお別れできるのである。俺はそれを胸の支えとして、あるき続けるのだった。
だが、しばらくして大きな問題点へとぶち当たった。
「このマンホールから下水に降りる……だと……」
難解な地図を解読して進んだ先には、確かに人が入れるであろう大きさのマンホールが存在した。
ここで普通の人間ならば、この地図が間違っていると思うだろう。または、イタズラかなんかで嘘の地図を渡されたと解釈したりもするだろう。だが、俺はこの地図を渡した相手をよく知っている。そして、この地図が間違っていないことも悲しいことによく知っているのだ。
だから……
「降りるしかねぇんだよな……」
俺は周囲を警戒して誰もいないことを確認すると、エンヤコラと力を込めてマンホールのふたを外す。その途端、えもいわれぬ悪臭が鼻腔を刺激してきては、俺は思わず顔を背けた。が、もはやここまで来て戻る選択肢は既になく……。俺は諦めたようにため息を一つつくと、ハンカチで鼻と口元を覆いながら備え付けられている梯子を降りていく。
「こんなことなら、長靴で来ればよかった……。あと雨合羽も欲しかったな……」
俺がちびっこならば、下水探検隊と称してはしゃいだかもしれない。だが、残念ながら俺はもうすぐ三十になろうという大人なのだ。大人はそんなことよりも、靴や服が汚れることを気にするものだ。だってクリーニング代だってバカにならないのだから。
ブツクサと文句を言いながら、スマホのライトで周囲を照らして、地図を頼りに下水道を歩くこと数十分。
「迷った……」
言っておくが、俺が特別方向音痴だというわけではない。それに、今どきならばスマホのGPSで迷うことなんてないものなんだろうが、如何せんここは下水道の中だ。天下のグー○ルさんも下水道の中のマップまでは作ってくれてはいない。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。そんな俺の前に何かが近づいてくる気配があるではないか。
「おっ、通りすがりの人かな? 道を教えてもらおう」
この時の俺はどうやら頭が混乱していたようだ。普通に考えればわかることだが、下水道の中で偶然通りすがりの人と出会うわけがない。さらには出会ったとして道を教えてもらえるわけがない。そして、この場合はもう一つ付け加えなければならない。
人であるわけがない!!
激しい水しぶきを上げて近づいてくる物体。それは明らかに人間よりも身長が小さかった。が、体長が小さいわけではなかった。さらには周りにいたネズミたちが大慌てで逃げていく様子が見えた。
「四つん這いで歩く変わった人かな?」
完全にこの時の俺は下水の臭いに頭をやられていた。
何故の時、大きくなりすぎて飼えなくなったペットを下水に捨てる人がいる。とか言うニュースを思い出さなかったのか。そして、今それに当たるペットというものが『ワニ』であるということに気が付かなかったのか。
俺がその物体が巨大なワニであると気がついたのは、既に目と目があう距離にまで接近してしまっていた。警戒のためであろうか、ワニは俺の目前で足を止めた。俺は今置かれている状況に金縛りのように体の動きが取れなくなっていた。
「こ、孔明先生……。こういう時に役立つ戦術を教えてくれよ……」
藁にもすがる思いで俺は尋ねる。すると、キャリアケースの中の孔明先生は半分白目を剥きながら、悲鳴のような声でこう言った。
「三十六計逃げるに如かずぅぅぅぅぅぅ!!」
よーいどん!
孔明先生の声がスタートの合図となり、俺は猛ダッシュで走った。が、ワニのやつも猛ダッシュで俺を追尾してくるではないか! なんだこいつ俺のことが好きなのか!? 勿論、それは愛情としてではなく、美味しいご飯として好きなのに違いない。
もはや地図など知ったことか、俺は右も左もわからずにただただ走った。俺の足が止まったとき、それは俺の死を意味するのだから、走る以外の選択肢が存在しなかった。
孔明先生は喚いた、子供のように喚き散らした。冷静沈着な天才軍師の姿など何処にもなかった。いや、もとからそんなものは微塵もなかったのだけれども。
しかし、俺はオリンピックの長距離選手でもなければ、体力自慢の男でもない。ならば、ワニの体力に勝てるはずもなく……。段々と距離詰められていき、遂にはワニの凶悪な顎の射程距離へと捉えられ……かけたその刹那。
「まさかっ!」
俺の前に人影が現れたではないか。言っておくが、火トカゲではない。本当に人間の姿だった。ただダブっとしたパーカーを着ており、頭には深々とフードをかぶっていたので、もしかすると人間ではないのかもしれないが、人の形態をとっていることは間違いない。
だから俺は叫んだ。残りの力すべてを込めて……。
「助けてくれぇぇぇぇっ!」
孔明先生も一緒に叫んだ。
「へるぷみいいいいいいいい」
お前は中国人なのに何で英語なんだと、突っ込みたかったがそんな余裕も余力もなかった。
「おっけーっ!」
この緊迫した場面で、緊張感のない軽い言葉が帰ってきた。しかもこの声のトーン、間違いなく女性。しかも若い女性である。
「ドリルアーム展開っ! そして〜転回ッ!」
俺はその瞬間を見逃さなかった。その女性、いや女の子の右腕が瞬時にドリルへと変化し、猛烈な回転を始めたのを……。
さらにその女の子の足元は空気圧で浮き上がり、水面を高速ホバー移動をして、俺の側面へと一瞬でやってくる。そしてその次の瞬間、哀れ巨大ワニは女の子のドリルによって遥か彼方へと吹き飛ばされてしまったのだった。
「いぇーい! ぴーすぴーす!」
女の子はドリルの腕と、普通の腕を振り上げてピースサイン決めた。
俺はといえば、腰を抜かしてその場にしゃがみこんでしまうのだった。




