31 三顧の礼。
俺はその音に反応し、驚いた猫の様に背筋をぴーんと張り数秒の硬直をした後、自分の置かれている状況を改めて冷静になって把握した。
――あれ、もしかすると女子高生の私室に侵入し、下着を漁ろうとしている俺ってば、犯罪者なんじゃなかろうか……。
考える事、約五秒。俺の脳内会議は満場一致で『考えるまでもなく、性犯罪者!』との結論を導き出した。おかしい、俺は留守番と言う仕事を請け負ってこの家に来ていたわけなのに、どうしてこんなことに……。
あの靴箱からはじまり、俺を犯罪者の道へと導いてくれた存在……。そう今まさに俺の肩の上で『そ、そんな天の時は得ていたはず……』と、みっともなく狼狽しているこのヘタレ軍師、諸葛孔明のせいなのである!
なお、自分のことは棚に上げておく。
兎に角、この状況に俊敏に対処しなければならない。
もし、このチャイムの主が、何らかの用事で戻ってきた綾小路桜であったとしたならば、俺は全力で靴の匂いをクンカクンカした記憶を抹消し、さも『ちゃんと留守番をしていましたが何か?』と言った風を装い毅然とした態度で振る舞わなければならない。
間違っても
『いえ? 全然靴の匂いなんて嗅いでないですよ? 本当ですよ?』
などと墓穴を掘る様な失言を吐いてはならないのだ。
俺は襟を正し、頬を軽く二度ほど叩くと、まるでマーチングバンドの行進のように膝を高くあげて玄関まで向かっていった。
「えぇい! お待ちなさい! これは司馬懿仲達の罠の可能性が!」
等と、訳の分からないことを耳元でほざく孔明を無視して、俺は『はぁ〜い』と声のトーンをワンオクターブあげて玄関のドアを開いた。
そこに立っていたのは……。
魏軍の軍師、司馬懿仲達……などではなく、スーツ姿の何処にでもいそうな中肉中背メガネの中年男性だった。
「こんにちは」
メガネ中年は愛想よく挨拶をした。が、何処かしらに胡散臭さを漂わせているのを、俺は感じ取っていた。
――もしや、この人が綾小路桜のお父さん? いやいや、外見からして全く似ていないし、この胡散臭さたっぷりのスマイルは、まるで訪問販売の詐欺業者のようにしか見えない。
だが、俺は自分の直感を信じた。
「貴様! 訪問販売の詐欺業者だな!」
普通なら、留守番をしている家で初対面の相手に対して、このような言葉をぶつけることなどありはしないだろう。だが安心してもらいた、俺は普通ではないのだから。ごくごくありふれた普通の男子高校生などではないのだから。というか、アラサーだしな……。
とまぁ、旁若無人な言葉を投げつけた俺は、相手のリアクションを待つことにした。
もし、これで相手が実は綾小路桜の父親だった場合は、すぐさま全力土下座を敢行する用意は既にできていた。
その言葉を受けたメガネ中年は、ワナワナと身体を震わせると。
「まさか、挨拶一つで、わたしを詐欺業者と見破るとは……」
と、驚くなかれ自ら自分を詐欺業者だとカミングアウトしたではないか。これには言い当てた本人もびっくりである。
「今日のところはここで引き下がってやる! 覚えていやがれ!」
メガネ中年あらため詐欺業者は、懐から何かボールのようなものを取り出すと勢い良く床へと叩きつけた。するとどうだろう、眩いばかりの光が玄関を追いつくし、俺は思わず目を覆ってしまっていた。そして、光が収まった頃には既に詐欺業者の姿は消え去っていた。
「最近の詐欺業者は、閃光玉を用意してるのか……詐欺業者なんてやめて、忍者にでもなればいいのに」
呆れるやら感心するやら。しかし、あの詐欺業者『今日のところは』とか言ってがやがったな。てことは、まさか明日も来るのか? 忍者じみているだけに、変装の一つや二つはしてやってこないとも限らない。こいつは用心しておかないと、留守番中に詐欺に騙されましたなんてことになったら、綾小路桜に合わせる顔がない。いやさ、靴の匂いを嗅いでいた自体で合わせる顔は既にもう無いわけなんだが……。
「さて主殿! 敵はさりましたぞ! 改めて理想郷への侵入を!」
この糞軍師は、まだ俺を性犯罪者に仕立てようとわめきたてやがる。
おいおい、この俺はアラサー男子だぜ? そんな大人な俺が、いくら美少女とは言え、女子高生の下着なんかに興味があるわけ……あるわけ……あるわなぁ……そりゃあるわなぁ。あるかないかで言ったら、間違いなくあるわなぁ……。
さようなら五分前の正気を取り戻した俺。
おかえりなさい餓狼の俺。
こうしてまたしても一匹の餓狼へと変貌を遂げた俺は、凝りもせずに綾小路桜の私室前に立ってしまっているわけだ。
なんだろう、心なしかさっきよりドキドキする。またしても邪魔が入るんじゃないかと思うと、背徳感と緊迫感が倍増し、それがさらなる俺の興奮を掻き立てる。もはやこれはプレイの一環としてなりたってしまっているのかもしれない。
この状況を満喫しながらも、俺は再びこの理想郷に続く扉を開け放とうとした。
そして、再び……。
ピンポーン ピンポーン
との、玄関からのチャイムに手を止められるのだった。
「またか!? またなのか? と言うか、俺がこの部屋のドアノブに手をかけようとすると、玄関のチャイムが鳴るシステムでも搭載されてるのか?」
もしそんなシステムが搭載されているとしたならば、この家を設計したやつは頭のおかしいやつに違いない。が、この時ばかりは綾小路桜を守る最強のの守護障壁として機能しているだろう。
「主殿。ここは逸る心を抑えて玄関へと赴くのがよろしかろう。そして、ことを穏便に済ませたならば、もう一度理想郷への扉を叩けばよろしい。これぞ三顧の礼!!」
孔明の戯言は完全に無視して、俺は一度目よりは焦ること無く玄関へと向かうことが出来た。
そして玄関のドアを開けようとして、ふと手を止めた。
――待てよ。さっきあの詐欺業者は、リベンジをするようなことをほのめかしていたわけだが、まさか五分と経たずにやってくるってことは……。
普通ならば『ありえない』の一言で頭の中から切り捨てていい思考のはずだ。だが、相手は閃光玉を使うような埒外な詐欺業者である。何をやってきてもおかしくはないのだ。
とするならば、このドアは開けないのが正解かもしれない。
俺がドアを開けるのを躊躇していると、今度はまるで音楽でも奏でているかのように、リズミカルにチャイムを連打してくるではないか。
鬱陶しい。正直かなり鬱陶しい。
そのリズムのテンポがエイトビートから更にテンポアップした時、俺の堪忍袋の尾はブチ切れた。
「うるせぇんだよ!」
もはや相手が誰だろうと関係などあるものかと、俺はドアを勢い良くぶち開けると、相手に向かって啖呵を切った。
が、そこにいたのは……予想外も予想外、着物姿の幼女だったのだ。




