取り繕う日常
翌日――
いつものように学校に登校した銘は、窓からの景色を見ながら、ボーッと昨日会った出来事を頭の中で回想していた。
(現実…………なんだよね。昨日のこと)
行方不明の生徒捜索に繰り出した銘は、途中、この世のものとは思えない異形の怪物に襲われた。
(…………)
それだけでも十分現実離れした――もし誰かに話したらコイツ頭大丈夫か、ヤバイ薬でもやってるんじゃないかと疑われるレベルの話なのだが、自身のクラス担任である黒もまたその怪物と同じ、人ならざる者だった。
何かしらの比喩ではなく、文字通り人間ではない――全身黒い毛で覆われた、狼のような顔をした二足歩行の怪物。
黒(怪物)は、人間を遥かに超越した圧倒的な力で銘を襲ってきた怪物を返り討ちにし、そのままその怪物の死骸と共に闇の中へと消えていった。
その後…………しばらくその場で呆然としていた銘だが、気が付くといつもの自分の家で、自分のベッドの上で毎日見ている自分の部屋の天井を見上げていた。
「…………」
ジーッと窓の外を眺めていると突然、脳天から強い電気信号が――
「銘さんっ」
「ッ――」
軽く頭を硬いもの――数学の教科書で小突かれ、顔を上げた銘は、教科書片手に隣に立つ人物の顔を見て、心臓を一瞬、停止させた。
「せ、先生」
銘の目の前には、授業に集中せず窓を見る生徒の頭に教科書を落とした教師、黒の姿があった。
「昨日も言いましたが、授業中は窓の外の景色ではなく、手元の教科書の問題に集中するように」
今、銘のクラスは数学の時間だった…………
黒もまた、銘と同じく、何事もなかったように学校に登校していた。
「…………はい、すいません」
何も言わず、銘は見ていた窓の景色から机の上の教科書に視線を移した。
「では、次に問三ですが…………」
「…………」
そうして、今日の数学の授業も何事もなく、いつも通り平穏無事に終わりを迎えた。
昼休み――
昼休みになるとすぐに銘は、とある教室へと向かった。
コンッ、コンッ、コンッ
教室の明かりがついていることを天井近くに付いている窓から確認した銘は深呼吸を一度した後、ゆっくり扉をノックした。
「はい」
「桐谷です」
「……どうぞ」
一拍の間をあけ、室内にいた人物……室内にいた者は銘の入室を許可した。
「し、失礼します」
許可を得て、銘はゆっくりとある教室の扉を開けた。
扉の先では、眼鏡をかけたパッとしないどこにでもいる感じの黒髪男性教師――黒が机の上で授業の最後にいつも行っている小テストの採点をしていた。
「どうしました銘さん。何か質問ですか」
「…………」
どうしたもこうしたもありませんっ。先生には聞きたいことが山ほどあるんですっ。銘は勢い任せにそう、言葉のマシンガンを黒に浴びせかけるつもりだった、だが…………
「…………」
部屋の入り口で立ち尽くす銘の様子を見て、黒は簡潔に言った。
「まだ間に合います。おとなしく回れ右をしてあなたの世界(教室)に戻りなさい。それから先はあなたの怪物(専門外)の領域です」
これ以上、怪物側に来るな。人間(学生)は人間(学生)らしく、(学生)人間の世界に戻りなさい。
遠回しにそう言う黒に、銘は――
タンッ――
「っ――」
一歩、踏み出すことで応えた。
「理解に苦しみますね。あなたはもう少し賢い生徒だと思っていました」
「余計なお世話です」
銘は、黒のいる数学の準備教室へ足を踏み入れた。
「で、あれはいったいどういうことなんですか」
「あれ、とは」
「…………」
この期に及んでまだごまかそうとする黒を銘は無言で睨んだ。
「…………はぁ」
ただの人間(女子高生)に睨まれても、これっぽちも怖くない黒だが、銘の意志が硬く揺るがないものであることは伝わった。
黒はため息を一つ吐いた後、話を始めた。
「まず、もうすでに察していると思いますが、僕は人間ではありません」
「っ――」
黒の告白に、銘は息を飲んだ。
わかってはいたことだが、いざ本人の口から断言されると、あらたまって昨日の出来事は夢ではなく現実のことだったんだと再認識させられた。
「正式な固有名称は特にありませんが…………怪物。そう呼んでもらって構いません」
「怪物…………」
「あなたたち人間にとって我々は怪物そのものでしょう。人間社会に溶け込み、人間のふりをして生きる、二足歩行の獣。身体能力は人間を遥かに超えていますしね」
「…………」
目の前にいる眼鏡をかけた一見どこにでもいそうな根暗陰キャ男性。
どこからどう見てもただの人間にしか見えないこの人が本当は身の毛もよだつ怪物だなんて、恐らく誰も信じないだろう。
「昨日私を襲った怪物も先生と同じ、種族なんですか」
「同じ種族…………」
銘の質問に黒はしばし考え込んだ。
(昨日の怪物と先生がもし同じ種族の怪物なら、先生も昨日の怪物と同じように人知れず人を襲って――)
そこまで考え、銘は今の自分の状況がかなりまずい状況なのではないか、ということに思い至った。
(っ――)
銘は慌てて、背後の、この部屋唯一の出入り口である扉を見た。
「…………」
扉までの距離は約一メートル。自身と先生との距離は、約五十センチ。どう考えても自分が扉に手をかけ、この部屋から出るよりも早く黒の、怪物の腕が銘を捕らえる。
(詰んだ)
自分が置かれた状況を認識して銘は一人絶望した…………
「心配しなくても自分の生徒を取って食ったりしませんよ」
「っ――」
考えていることをズバリ読まれ、銘は目を見開いた。
(もしかして、これも怪物(先生)の能力)
「心を読む能力なんて僕にはありませんよ」
「あるじゃないですかっ」
話が脱線しかけたところで、黒は銘にされた質問に返答した。
「半分正解で半分間違い、といったところですかね」
「…………なんですかその、数学教師にあるまじき答えは」
あまりにも曖昧過ぎる答えに、思わず銘は肩を落とした。
「別に数学はただ一つしかない答えを導き出す学問ではありませんよ。数学とは本来、一見するとばらばらに並べられている数字の羅列から規則性を見出したり、方程式を導き出したりする学問ですからね」
「あー、はいはい、そういうのは授業の時間にお願いします」
あなた、授業中はいつも窓の外眺めて、全然授業聞いていませんよね…………とは口にしない黒だった。
「半分正解で半分間違いってことは、あの怪物も先生と同じで普段は人間の姿に擬態して、生活してるってことですか」
「擬態…………」
擬態という言葉に引っかかった黒だが、言及することはなかった。
「半分正解で半分間違いと言ったのは、あれが僕たちを真似て作られた紛い物だからですよ」
(僕たち…………)
なんとなく察していたことだが、これで黒と同じ種族の怪物が他にもいることが証明された。
「真似て作られた紛い物って、人工的に誰かが作ったってことですか」
「もしくは自然発生的に産まれた、二代目ですね。進化ではなく劣化ですけど」
「二代目…………」
二代目という言葉に銘は違和感を覚えた。
(自然発生にしろ、人工的に作られたにしろ、二代目を表するなら元となった一代目(先生たち)を超えようとするはずなのに昨日会ったあの怪物は…………)
昨日の、野良怪物の姿が脳にフラッシュバックした。
(出来損ない)
「…………」
しばらく考え込む銘を黒はジーッと無言で眺めた。
「とにかく、ただの、人間である銘さんにできることは何もありません」
「むっ」
黒の言葉に銘は眉をひそめた。だが、黒は構わず、続けた。
「おとなしく今回の件からは手を引きなさい。あと、僕が人間じゃなく怪物だなんて吹聴して回らないように…………まあ、そんな荒唐無稽な話、本気で信じる人なんて誰もいないでしょうけどね」
「…………」
銘の反応を待つことなく、黒は話を強引に終わらせにかかった。
「話はこれで終わりです。わざわざ銘さんの質問に答えたのは、下手にはぐらかしていたら、危険も顧みず事件に首を突っ込みそうだったからです」
「う――(当たってる)」
「賢いあなたなら、これが自分の手に負えない案件であることは十分理解しているでしょう」
「それは、(そうですけど…………)」
「そろそろ午後の授業が始まる時間ですね。教室にお帰りなさい」
黒の言葉に銘は何も反論することができず、
「わかりました」
それだけ言って準備室を出ていった。
「…………」
銘が部屋を出た後、しばらくして――
「ふぅ」
黒は息を一つ吐いて、全身に張り巡らせていた緊張の糸を少しだけ緩ませた。
(本当にわかったんだろうな)
「…………」
そんな黒の心の内など露知らず、銘は一人、拳をギュッと握った。
(この事件、絶対私が解決してやる)
黒の想いむなしく、銘はこの事件を自身の手で解決してみせると心に固く誓った。




