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怪物(未知)との遭遇

グラァ…………

「銘さん、逃げてっ」


 黒の声が届くよりも早く怪物は銘に向かって飛びかかった。自身の体を壁に貼り付かせていた、獰猛な爪を剝き出しにして――


「っ――」


 突然の出来事に銘は体が硬直して動けなくなった。


「ちっ――(仕方ない)」


 動けない銘を黒は咄嗟に突き飛ばした。


「先生っ」


 怪物の鍵爪が、黒の腕を深々と切り裂いた。


 飛びかかった怪物は地面に着地した直後、再び頭上の壁に向けジャンプして、壁に貼り付いた。


「大丈夫ですか」

「え、ええ」


 大量の血が溢れ出る腕を押さえながら、黒は怪物を見上げた。


(まるで蜘蛛みたいな奴だな)


 怪物はこの場にある建物の壁に貼り付き、路地裏に迷い込んだ獲物を狩る、蜘蛛のようなやり方で獲物(人間)たちを襲っていた。


「私は大丈夫ですから、銘さんは早くこの場から逃げて」

「っ――」


 黒の言葉に、銘は従わなかった。


「先生をここに置いてなんていけません」

「…………(だろうな)」


 銘の性格から、黒をこの場に置いて逃げないことは薄々予想がついていた。


 周囲には二人以外、誰もいない。黒を見捨て逃げたとしても、誰にもその事実を知られることはない。大人だからと、先生だからといくらでも自分に言い訳できる状況で、それでも銘はその場から一切動こうとしなかった。


(子供のくせに、大人よりはるかに強いメンタルの生徒だからな)


 このままでは自分も銘も怪物に殺(や)られてしまう。


(仕方ない)


 黒は大きなため息一つ吐き、腹を決めた。


「っ、先生」


 銘を守るようにして、怪物の前に立つ黒。


「今から目にしたことはどんなことがあっても他言無用。死んでも、墓の穴までもっていってくださいね。それが、この状況からあなたを生かして助ける、私とあなたとの契約(約束)ですからね」

「グラァァァ」


 自身に飛びかかって来た怪物を黒は、


「グラッ――」


 自身の拳で殴り飛ばした。


「えっ」


 幸運にも怪物の体の硬さは人間とほとんど同等だったが、手加減一切せずに殴り飛ばした黒の人間の拳は、ただの一発でぐちゃぐちゃに歪んでしまった。


「大丈夫ですか」


 あり得ない方向に曲がった指たちを見て、焦る銘。それに対し、黒はため息一つ――


「生活する上では便利ですが、戦闘には不向きなんですよね。人間の体というものは」

「え…………(人間の体)」


 黒の言っている意味が理解できず、銘は思わず黒の発言の真意を考え込んだ。


 答えが出るよりも早く、黒の、見るからに骨までぐちゃぐちゃになったはずの人間の拳が完全に元の状態に戻っていた。


「ガァオオオオオオオオオオオ」

「吠えるな、雑種(野良犬)」


 そうして、黒の腕が、銘たちと同じありふれた人間の右腕が、怪物と同じ巨大な黒い腕に一瞬で変貌した。


「ガァッ――」


 野良怪物の顔面を正確に捉え、野良怪物は黒の――怪物の腕に殴り飛ばされた。


「せ、先生」

「ッ――」


 相手が悪いと本能で悟った野良怪物は、その場で跳躍。


 建物の壁に貼り付き、この場から離脱を図ろうとした。しかし――


(逃がすかっ)

ワァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン


 黒は獰猛な咆哮を上げ、腕だけでなく、全身、黒い怪物の姿に変化(へんげ)させた。


「…………」


 理解が追いつかず、ただ状況を見守る事しかできない銘。


 人気のない路地裏で見たこともない怪物に襲われるだけで十分、銘の想像をはるかに超えた出来事だというのに普段よく顔を合わせる知り合い以上の仲である自身のクラス担任が同じ怪物…………


「…………」


 野良怪物と違い、黒は全身黒い毛並みで覆われている。顔もドロドロに溶けたのっぺらぼうのような野良怪物と違い、日本ではすでに絶滅したはずの狼のような精悍な顔つきをしている。


 ぱっと見、別物。だが、銘にとってはどちらも同じ得体のしれない怪物。


サッ――


 全身黒い怪物に変化させた黒は野良怪物を追って、その場で跳躍した。


「グラッ」


 黒が自身を追って来たことを知り、野良怪物は飛び移った壁を蹴って再び跳躍。


 野良怪物は、周囲にある建物の壁をピョンピョンと軽快に飛び移っていき、先の見えない暗闇の中へと、逃げていった。


「ッ――」


 黒もまた野良怪物を追って、暗闇の中へ――


(暗いな)


 建物に囲まれ、偶然できた暗黒の空間。


 その中に、誘い込まれた黒。


「グラッ」

「ッ――」


 暗闇から、野良怪物は黒に奇襲を仕掛けた。


 野良怪物の鋭い鉤爪で腕を深々と切り裂かれた黒だが、その傷はすぐに癒えて塞がってしまった。


(なるほど、ここがお前のホームグラウンドというわけか)

「グラララ」


 気色の悪い笑い声を上げながら、再び黒に攻撃を仕掛ける野良怪物。


 対して黒は頭を腕で守りながら身を低くして、屈んだ。


「グアッッ」


 間一髪、野良怪物の攻撃を躱した黒。


 野良怪物は立て続けに黒に攻撃を仕掛けた。


「ッ――」

(調子に乗りやがって)


 野良怪物の攻撃を黒はただ受け続けた。


 常人を遥かに超える怪物並みの回復力を持つ黒だが、野良怪物の一方的な攻撃に徐々に自身の再生力が追い付かなくなっていく。


「クッ――」


 ついに、黒の体勢が崩れ、野良怪物に隙を見せてしまった。


「グアァッ」


 チャンス、とばかりに黒の喉笛目掛けて、目いっぱいに顎を開き、喰らいつこうとする野良怪物。


 黒の方が野良怪物よりも再生力、純粋な肉体のポテンシャルで優っている。だが、野良怪物の攻撃が黒に全く効かないわけではない。


 怪物並みの再生力を持つ黒でも受けた傷をすぐに再生できるわけではない。


 そして人間同様、首を食いちぎられれば即、絶命する。


 野良怪物は自身が飛びかかってくる方向を悟られないよう、建物の壁を跳躍しながら、猛スピードで黒へと迫った。


「ッ――(やばい)」


 野良怪物が、黒の喉笛に食らいつく寸前――


(なんてな)

「グギャッ」


 黒の拳が、野良怪物の側頭部を的確に捉え、野良怪物の頭蓋を粉々に粉砕した。


ドサッ

「ひっ――」


 頭蓋骨を砕かれ、絶命した怪物は銘のすぐ近くに落下した。


(昔はもっと暗い場所で普通に生活してたんだけどな。夜目が利くようになるのに時間かかったな)


 野良怪物の攻撃を受け続けていたのは、暗闇に目を慣れさせるため。野良怪物の動きがはっきり見えるようになれば、野良怪物は黒の相手ではない。


「せ、せん、せい…………」

「すぐ家に帰りなさい。今日の事は速やかに忘れること。いいですね」


 銘にそう捲し立てると、黒は野良怪物の遺体を担いで建物の壁を飛び移っていきこの場から消えてしまった。


「…………」


 取り残された銘は騒動が終わってしばらく、その場から動くことができなかった…………


(今見たのは、一体…………………………………………)




深夜――




「何者なんだこいつは」


 自身のアパートに野良怪物の死骸を持ち帰った黒は、一応死骸を調べた。


(一見、俺たちの同類のようにも見えるが、所々俺たちとは生物的に劣る部分が見られた)


 先の戦闘、黒は野良怪物よりもすべてのスペックにおいて優っていた。


 もしこの怪物が黒と同系統の種族であるというなら、完全にこの怪物は黒の劣等種ということになる。だが…………


(とてもそうには見えないな)


 黒は、目の前のこの怪物が自分と同族とはどうしても思えなかった。理屈ではなく、本能が、黒の全身を構成する細胞の遺伝子一つ一つがそれを否定していた。


(ともかく、どこにでもあるアパートの一室で調べられるのはこれで限界だな)


 黒は怪物の死骸に防腐処理を施し、死骸をビニールシートで包んでスーツケースに詰め込んだ。


(明日、久しぶりにあいつの所に行ってみるか)


 そう言うと、黒は冷蔵庫の中から真空パックを取り出した。


(もう深夜か。さすがに腹が減ったな)


 高校で昼食をとって以降、何も食べていなかった黒は袋に入っていたソレを口いっぱいに頬張った。


 グシャ


 今朝早く、とあることで有名な森の奥深くから調達してきたばかりの新鮮なソレを噛んだ直後、黒の口の周りが真っ赤に染まった。


ムシャ、ムシャ


 黒は無我夢中で咀嚼し、ソレを腹の中へと流し込んだ。


ムシャ、ムシャ、ムシャ、ムシャ、ムシャ、ムシャ


 ソレは……………………今朝調達したばかりの森で首つり自殺した人間の右腕だった。


「……………………………………………………ゲップ」



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