期を待つ
『わかった。準備が出来たらかけてくれ』
返事を送信する。すぐ既読になる。タイミングは景に任せる事にした。ついさっき、ゲームの中で俺に踏み出さなかった1歩を景は踏み出したのだ。その2歩目を急かして、景の気を削ぎたくはない。
待つ。ただ、待つ。
操作をしない事で薄暗くなる画面に触れて、その輝きが消えないよう、静かに時を待つ。
それから程なくして、着信音が室内を叩き始めた。知らない内に緊張していたのか、少し手に湿り気を覚えながら俺は着信に出た。
「……っ、もしもし」
唾を飲み込み、応答する。
『……湊本君』
耳に当てた端末から景の声が聴こえた。ゲームで聞いた声よりも、少し低い。何かを必死に抑えつけているのがわかる声だ。
「ああ、聴こえてる」
緊張しているのを悟られないように、平静を保ちながら返事をする。間が空く。息遣いだけが届く。文字の待機中よりも、正直な沈黙が続く。
『…………あの、その』
絞り出した声は戸惑いが先行していた。告げていいのか、悩んでいるのが如実に伝わる。躊躇して踏ん切りがつかないのだろう。迷っているのだ、踏み込む道を。なら、まずは安心して進める道を示す必要がある。
「【薄緑】の使い方、助かる。使い方ってスキルの事だよな?」
景が自分で先ほど示した道に立つ。端末の向こうから息を呑む音が聴こえた。
『……ええ、そう』
短い返答。俺から話が来るのを予期していなかったか、それともそれほどまでに余裕がないのか。続きの言葉はなかなか紡がれない。
「スキルの『韋駄天』で気になった事があったんだけど、あれ地上と空中で移動速度って代わるのか?」
景の言葉の続きを待つつもりだったが、俺の口が不意に問いを投げかけた。どうやら余裕がないのは俺も同じだ。沈黙に耐えられない。
問い掛けられた景は小さく、自分を落ち着かせるような吐息を吐いた。
『……違う。「韋駄天」の効果中、移動速度は、地上の方が速い。そして速度の上昇は、大地を踏み抜き続ける事で段階的に加速するの』
一呼吸を入れて、景は続ける。
『ただ、地上から両足が一定以上離れた時点で加速は止まる。出来るだけ片足を地面につけ続けるのを意識していないと、最大速度を出すのは難しい』
「摺り足に近い感じか」
『考え方としてはそう。でも厳密には違うから、調整は必要だけれど』
「それでも十分だ。助かる」
感謝の言葉で会話が途切れる。再び沈黙が滲み寄り始めた。もう少し会話を伸ばすべきだったかと負い目を感じていると、それを断ち切るかのような声が届く。
『湊本君』
「どうした?」
景の声は僅かに震えていた。それでも、俺は平静を保つ。僅かに動かした足元で突っ張る感覚が、心の背筋を引き延ばす。
『…………力強く踏み込み続けても、貴方も、私も、あの世界では、絶対に脚は壊れない』
「……、そうだな」
視線が床に落ちる。ここが現実であると足元の感覚が告げている。壊れた脚。しかしあの世界では壊れる心配がない。
『……だから、また貴方が剣を振るう姿を見れて、私は嬉しかった』
震える声音に、優しさが宿る。
『……でも、まだ貴方の剣は全力じゃない。私が追いかけたかつての貴方の剣には程遠い』
「……ははっ、そりゃまあ、長いこと錆びついてたからな」
少し辛辣な、それでも思ったままの思いの丈が込められた景の言葉に、自分でも思わず苦笑する。
『……ごめんなさい。侮るとか、そういう意図じゃないの』
「大丈夫だ、わかってる」
『……ん』
呼吸が1つ入る。小さく吸い込んだ吐息がゆっくりと、口から溢れていく。
『……それでも、貴方なら。またあの剣に辿り着くと、私は信じてる』
「……、――――ああ。なら、その期待に応えなきゃな」
『うん、待ってる』
優しい声音で告げると、景は通話を切った。通話終了の表示が、画面に残る。
それから程なくして、通知音が鳴った。
『まだ、言えてない事もある。今言えるのは、ここまで』
通知音が続く。
『続きは、奢ってもらう時にする』
そのメッセージに、俺は『了解』とだけ返した。




