後編
☆
誰かと遊ぶのなんて初めてのことだから、何をしていいかわからなかった。だけど何をしても彼は笑ってくれて、何をしても幸せな気分にさせてくれた。
水をかけあいびしょ濡れになった服は木の枝にかけて、二人して裸になって遊んだ。
少年は私の両手を引いて泳ぎ方を教えてくれた。
その後ろを湖の精霊が泳ぎゴクゴクと音を鳴らしている。
真顔で半分だけ水面から出している姿はちょっと怖かったけど、でもきっと悪い精霊ではないと思う。その証拠に魔物が来ると悪霊のような顔で追い払ってくれたから。
精霊が魔法をかけて水の底まで見えるようにしてくれた――。
お尻を水面に突き出すようにして水底を覗く少年に、言葉にできないたまらない気持ちになる。
なぜか湧きあがる、綺麗な丸いお尻の割れ目に指を入れてみたいという衝動を抑えた。
私も真似をして並んで浮かんでみる。すると見たことのない、想像もしたこともない美しい世界が水の底には広がっていた。
『ぬわぁあああああああ!!』
股間をナマズに咥えられた少年が暴れまわり、それが面白くて心から笑った。
声を出して笑うという行為がとても気持ちよくて、気持ちよくなりたいからずっと少年の傍を離れなかった。
少年もずっと私を笑わせてくれた。
私が笑うと少年も笑ってくれるので、その笑顔がまた私の笑顔を誘う。
つられて笑い合っていると精霊は湖の水を噴き上げて虹を作ってみせてくれた。
興味本位から噴き上げた水に少年が触れると、空高く飛んでいってしまい悲鳴をあげて落下してくる。
お股についている私にはない大きな器官がバタバタと揺れているのがとてもおかしくて。少年が水しぶきをあげて着水してからもしばらく笑い続けた。
面白くて笑い。おかしくて笑い。幸せで笑い。感動して笑う。世の中にはいろいろな笑顔があるのだと学んだ。
それは本当に夢のような時間だった――。
陽が沈みかけてきた頃、少年は湖から上がりまだ濡れている服を着てしまう。
それが何を意味するかは明白だった。
どこにもいかないでほしいと服を引っ張ってお願いしたが、寂しそうな笑顔で手を振られてしまう。
私もそれを真似て泣きながら手を振り返した。
あんなに悲しい笑顔もあるだなんて知りたくはなかった。
少年がさったあと、ゆるやかな風が吹いて寂しそうに湖面を揺らす。
そして少年は二度と湖には現れなかった――。
☆
話しをしてくれる友人ができた。
少年が復活させた森の長老――大樹の精霊オノドリムと、湖の精霊ウンディーネの夫婦だ。
はじめこそ何をしゃべっているのかわからなかった。そうと気づいたオノドリムがこちらの言語に合せてくれたのですぐに話すことができるようになる。
オノドリムは妻のウンディーネをディーネと呼ぶ。
名前を短く呼ぶのは親愛の証。あだ名をつけあうことで特別な関係であることを共通の認識とし、愛情がよりいっそう深まるそうだ。
だからウンディーネはオノドリムをドムと呼んで、ときにはさらに短くしてムなどと呼んでいた。
私はその慣習に強い感銘を受けた。
私も少年と互いの名前を短くして呼び合いたい。
同時に少年の名前を知らないことに気づき、とても悲しい気持ちになった。
☆
オノドリムは私の教育を兼ねて他言語をつかった昔話をよく披露してくれる。
オノドリムは何千年も生きているだけあって話の引き出しが多く。そしてそのどれもが私の興味関心を強く引く、濃厚な恋愛ものばかりだった。オノドリムは他人の恋愛模様が好物なのだ。特にNTRというジャンルをこよなく愛していた。
その日もウンディーネと私は朽ちて倒れた木の上で膝を抱えて並んで座り、地面に根を下ろす巨大な樹であるオノドリムの話を真剣な顔つきで聞いていた。
「――何百年前かな、何千年前かな。とにかく大昔、旅の流れ者のオークがこの森にやってきたんだ。それはそれは逞しいオークでね。暇さえあれば筋力鍛錬をするような変り者だけど、なんの義理も縁もない私の願いをイヤな顔一つせずに快く聞いてくれる。そんな誠実で勤勉な心優しい大男だった。一人のエルフの娘が、そんな流れ者に惚れてしまうのにはそう時間はかからない。惚れた娘は村長の子で、村で唯一精霊の力を使役できる精霊術師でもあった。私も若い頃にはよくその娘の手伝いをさせられたものだったよ」
遠くを見るような目で、オノドリムは過去を思い出しては慈しむように笑う。
「娘はオークとの結婚を決意していた。エルフらしくオークの意思など聞かず既に決定させていたんだね。だけどオークは困った顔で微笑み。物腰は柔らかく、だがハッキリとした言葉で娘の求婚を断ってしまうんだ」
どこかで見たことがある話しな気がした。
少年と唇を合わせたときだとすぐに思い出す。
「どうして? なんでオークさんは断っちゃったの?」
愛されているのにどうして断るのだろう。
私が少年に結婚を申し込まれたら結婚の「け」の時点で頷いているのに。
いや、言葉なんていらない。次に目があった時点で結婚は成立する。
「オークはその娘のことを愛せなかったの?」
「いいや、オークは娘を深く愛していたよ。あれは間違いなく一目惚れだった。毎晩私に相談に来ては、私の枝を利用して懸垂や腹筋などの負荷の強い鍛錬をしていたからね」
そこで鍛錬をする意味がまるでわからないし、断る理由もなさそうに思える。
「じゃあなんで?」
「オークは世間から誤解をされていて、ひどい迫害を受けていたんだ。エルフの村でも彼をよく思う者は一人もいなかったね。野蛮で粗暴な魔術の一つも使えない筋肉の塊として見下し。誰も彼の本当の心根に目を向けようとしなかった。不運なことに、よい未来を築ける相手も娘以外にはいなかったんだ」
エルフは本来触れた相手との未来が視えるという話はオノドリムに教えてもらっていた。私にその力がないのは、まだ私が産まれる前に母体が毒沼からの影響をうけてしまっていたからだそうだ。
「彼は思ったんだ、自分と一緒になれば娘を不幸にしてしまうと。だから断腸の思いで断り、娘に冷たい態度をとるようになって自分から遠ざけようとしたんだね」
私の心は雷に打たれたような衝撃を受けた。
相手を想いながらも相手を想うゆえに身を引く。そんな複雑な愛のカタチもあるものなのかと。
「じゃあ二人は結ばれなかったんだ……かわいそう」
「でもそれは逆効果だった。娘は冷たくされたり突き放されると異常なほど興奮するタイプだったからね。だから娘は昂りを抑えられずオークをレイプしたんだよ」
ん?
「いつになく下がった耳で、しおらしく伏し目がちに最後に話があるからついてきてほしいと弱りきった表情の娘。そうやって頼みを断れないオークの優しさにつけ込んで、演技派かつ巧妙な手口で湖畔へ誘い出した。人のいいオークは涙をこらえながら最後の別れを覚悟していたよ。そして湖畔の前までくると娘は衣服を脱ぎすてて全裸となってオークにしがみついた。そしてこう言ったんだ――逃げたり抵抗したりしたら大声をあげる。全部私がやるからあなたは大人しくしていればいい――と。そうして未だ困惑するオークの手を魔術を使って蔦で縛り上げ。口には綿を詰めて黙らせる。不安そうな顔のオークの服をひん剥いて、馬乗りになっておっぱじめたんだね」
そんな力技ありなんだ?
「ファイトは三日三晩続いたよ。途中、私の木の実や湖の水を口移しで無理やり飲み込ませ、娘が満足するまでファイトは終わらなかった」
ウンディーネには話が刺激的過ぎて照れているのか、両手で顔を隠している。
夫がいるくせに意外とねんねちゃんである。
いつも自分の体の水をオノドリムに吸わせては恍惚とした表情でいたり。勝手にオノドリムの背中に自分の名前を刻んだり。オノドリムと致した回数を彫ってるくせに。オノドリムの背はもうズタボロだ。
「それでどうなったの?」
「前提としてオークの生命力は生物界でも随一なんだよ。他種族であってもわりと高確率で子供をつくれるすごい繁殖力がある。だから三日三晩ぶっ通しでした甲斐もあって娘には見事種がついたよ」
「すごい……!」
一度は離れそうだった二人の未来。永遠に別れるはずだった運命。
それらを覆し、自らの手で強引に愛を手繰り寄せたんだ。
愛が実るのを待つのではなく、自分から愛の結晶を作りにいったんだ。
とてもとても参考になる!
「既成事実を作って逃げられなくさせることに成功した娘は声高らかに叫び、両の拳を握って最高の笑顔で勝利宣言をしていたよ。そのときオークは湖面に浮かんで気を失いぐったりしていたね」
少年が湖面からお尻を突き出していた時のことを思い出してソワソワしてきた。
舐めたい。
「そうして娘はオークと村を出ようとしたんだけれど、それを村の皆が猛反対したんだ。娘の幼馴染の男などオークに決闘を挑んで亡き者にしようとするほどだったさ」
容易に想像ができた。
エルフは今も昔もひとの気持ちなど考えない種族なのだろう。
「幼馴染は子供のころから娘に惚れていたんだ。彼にとっていい未来が視えるからね。それを横からかっさらおうとするオークを許せなかったんだ。幼馴染は村一番の勇者と知られていて、とても強い男だったんだよ。強い男から気弱なオークが女を奪う――NTRとしては邪道の展開だけど私は好きだよ」
NTRと聞くだけで胸をざわつかせるのは何故だろう。
「だが娘の意志はかたく、愛は深く、執着心も異常なほどに強かった。反対していた者たちはみな一様に風の精霊魔術によって薙ぎ払われ。なんとか最後まで立っていた幼馴染も、オークの代わりに娘が決闘をうけてしまい一方的に打ち倒してしまった。決着は素手だったね。あれは豪快なラリアットだった』
そうか、己の想いを貫くためには弱いままではいけない。
我を通したいならば相応の力が必要なんだ。
『あなたみたいなザコザコチンポじゃあの人みたいに私の奥の奥にまでは届かないわ――というとどめの言葉にはしびれたね。幼馴染に感情移入して聞いていたから脳がぐちゃぐちゃになったよ。二人が既に行為を済ませていると暗に示唆することで二人の行為を連想させるという高等卑語を浴びせられ幼馴染も顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。お陰で以後幼馴染は性的嗜好を大いに拗らせて、新たな道がひらけて別の幸せを見つけるんだけどね」
ちょっとかいわそうだけど力なきザコチンポなら負けても仕方がないと学んだ。
「オークは両手で口を覆いおろおろとしていて情けなかったね。そうして反対する者たちを力でねじ伏せ、己の幸せを求めてオークの妻として森の外へついていってしまったんだよ――」
感動した。純愛だ。己の愛を信じて貫き通す、一点の曇りもない純愛である。
ウンディーネも感涙しすぎて体積が目減りしている。
「それから何百年だか何千年だかたって、その娘の子孫が里帰りしていると森の上を吹いていた風が教えてくれたんだ。にわかには信じられなかったけれど、何世代こえても変わらないものがあって確信した。あの少年の老廃物の成分は、オークとそっくり――いやそれ以上だった。とても高い栄養価だったから思わず木の実がなったね」
「それってもしかして、あの少年のこと? あの人は長老の娘とオークの子孫だったの?」
オノドリムは何も言わずに微笑んだ。
何か言えよと思った。
散々しゃべっておいて大事なところをぼかして察してちゃんはきつい。
オノドリムには普段からそういうところがある。
ウンディーネもはっきりしなくてイラついている。
「少年のご先祖様が過去にそうしたように、君も外の世界へ出ていくといいね。この森にいても運命はいつまでたっても動きはしない。あの少年にもう一度会いたいと願うならば、いずれはそうするべきさ」
「…………」
言われるまでもなかった。その時、既に決心していたから。
☆
それから町を出るための準備を何年もかけて進めた。
オノドリムからは精霊語の基礎と他にも多くの言語を学んだ。
無駄な衝突を避けるためにと国によって違う作法や、種族ごとの習わしも教わる。
ウンディーネからは高等魔術と魔力の正しい操り方。性行為における男の正しい操り方。男を悦ばせる通常技から必殺の奥義を伝授してもらう。
ついでに異常な事態や環境にも屈せず一人で生きるための知識を学んだ。
オノドリムたちは私を可愛がってくれた。
森の恩人に相応しい花嫁となるためにも、十分に成長するまでは庇護してやろうと毒の消えた美しい森の中で匿い続けてくれた。
綺麗になった森に入ろうとする町のエルフたちはいつも二人の力で追い払われる。
どうして私だけ特別扱いをしてくれるのかと尋ねたら「あのときオークと約束したんだよ。もしもか弱き者が目の前で困っているなら手を差し伸べてあげてほしいってね」、と答えた。
でもオノドリムは約束の代わりに大量の尿を所望したらしい。
☆
私が未来視を使えない特異体質であると家族が知ったのは、森と町を出ようとしたその日のことであった。
未来視はエルフにとって心臓が動くのと同じ。意識せずともできて当たり前の能力だった。だから私が能力を持っていないとは気づけずにいたし考えもしなかったそうだ。
数年ぶりに森から出て姿をあらわすと父は驚いていた。
死んだものと思っていた娘がふらりとあらわれ、傷も病も治っていたから。
「立派になったな――」
つっけんどんに言い、私の手に触れた。
前とは違う新たな未来が見たのだろう。父はいやらしい笑みを浮かべた。
「お前ならこの町の長にもなれるぞ。いやそれ以上にも! さあ、こっちへおいで」
少年と知り合ったことで未来が大きく動いたのだろう。父にとって喜ぶべき望ましい未来が視えたようだ。
父は私を抱きしめようと手を伸ばす。
だがその手を私は払いのけた。
「待ってくれ。なにか誤解をしているんじゃないのか。まずは私の話を聞いてくれないか――」
もっと早くにそうしてくれていたら父の手を拒むこともなかったろう。
父の反応が気になったのか、母も私の手に触れると気色の悪い笑顔を浮かべた。
「いま食事の用意をするわ」
兄も同じように触れてきて喜色満面の笑みを浮かべている。
軽蔑に値する手のひらの返しように、こうはなるまいと誓った。
もし仮に少年との未来に私の死が待っているとしても、絶対にこの人たちのような振る舞いはすまい。
私はエルフとしてなど生きてはやらない。一人の人間として生きてやる。
私は未来を知って行動しているのではなく、未来のためにあの人を追いかけるのだ。結果が同じであったとしてもこの人たちとは意味合いが違う。
旅立つことを話すと両親は引き留めてきた。
その声をきいても何の感情もわかない。
気まずそうに声をかけてきた兄の言葉も耳には残らない。
ふたたび体に触ろうとする家族が気色悪くすら感じて、心底に軽蔑した。
「今さら家族の真似事はやめて。私の家族はオノドリムとウンディーネ。それとあの人だけ」
背を向けた私を力づくで引きとめようと考えた父が魔法を放つ。
空に突如として現れた無数の氷柱が私にむかって一斉に飛来する。
それら一つ一つの氷は私に向けられる執着と、紛れもない愛だったのだろう。
私はこれまでの想いを魔力に乗せて氷塊による壁をつくりあげ、全ての攻撃を拒む。
分厚い氷の中には過去の私の想いを込めている。
その想いもいずれは氷と一緒に溶けてこの世から消えてなくるだろう。
最初から何もなかったかのように。
家族だった人たちから、壁越しに呪詛のこもった言葉を受けて私は旅立つ。
他人の言葉など胸には響かない。祝福も呪いも大差のない雑音だ。
その日、私は十四回目の誕生日を迎えていた――――。
☆
旅は長く険しいものだった。
ろくな手がかりもないまま。過去の記憶だけを頼りにあてもなく彷徨い続けた。
世界は広大で、様々な出会いや経験を繰り返した。
子供と侮られながらも時間をかけて冒険者として腕を磨き。探索者としての名をあげていった。
肉体が成長するにつれ、きこえてくるのは表面上の評価だけが占めるようになり。私の内面に目を向ける者は一人もいなかった。
私の容姿は一般的には美しいとされるらしく。男からも女からも気色の悪い目を向けられることも多くなる。
私の容姿に釣られる者ばかりが寄ってきては言いたいことを好き勝手言い。私を取り合って吐き気を催すような会話をする。
軽くあしらえば聞くに堪えない汚い言葉を浴びせかけられた。
普通に応対すれば好意があると誤解されて言い寄られ付きまとわれる。
彼は、毒にまみれてぼろぼろで汚くて臭い、見るに堪えない醜い容姿の私を拒絶せず微笑みかけてくれた。躊躇なく触れて優しくキスをしてくれたのだ。
私を性欲処理の道具としか見ていないような下心を隠しもしない下種たちとは違う。
でも彼にならば下心を丸出しにして性欲処理の相手として扱われても幸せだろう。
むしろ下心を存分にぶつけてほしいとすら思ってしまう。彼がそんな人ではないとわかっていてもそう願わずにはいられない。
私の体は何も感じず心は乾ききっている。もし彼に抱かれたのなら、感じることはできなくとも心は溢れるほどの愛と幸せで満たされることだろう。
時間がすぎれすぎるほど彼との記憶は薄れていくのに思いは募るばかりだった。
暇さえあれば彼との生活を夢想し、子供の名前を考えるのが日課となっている。
――気付けば故郷を出てから六年の歳月が過ぎていた。
妄想の中で彼に抱かれた回数は百をこえ。考えた子供の名前は千に到達し。彼をは襲った回数は万を優に上回っていた。
旅を始めてから一度も笑うことはなかった。
笑ったのは顔も覚えていない少年との幸せな記憶を思い返したときと、二人の幸せな未来を妄想したときだけ。
もう記憶の中の少年の顔は朧気で。声も上手く思い出せない。
それでも私は諦めなかった。
一度でも見つけられたら絶対にもう逃しはしない。
二度と手など振らせない。
あの時のようにずっとそばで笑い続けたい。
誰よりも何よりも愛したい。
もう二度とはなれられたくない。
必ずや見つけだし――――――既成事実をつくりまくる。




