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エルは過去に誤解している前編

 私は未来を読み取ることのできないエルフとして、欠陥を抱えてこの世に生まれ落ちた。

 その体質を私も含めて家族全員が気づかなかったのが不幸の始まりであり、幸せへの切っ掛けとなる。



 まだ言葉も喋れぬうちに距離を置かれ、喋れるようになった頃には養育の義務を終えたとばかりに家族でありながら他人として扱われた。


「すごいなー。もうこんな魔術を扱えるようになったかー!」

「でも友達にはもっとうまい人がいるんだ。オレは氷だけど相手は火だから相性も悪いし」

「あのわたしも魔術をおぼえ……」

「氷が火に対して相性が悪いのは事実だが、勝てないとうわけではないぞ。父さんが若い頃はな――」


 家族は誰も私と目を合わさない。

 話しかけても返事はない。

 私が家族から最初に教えられたのは孤独だった。


 全ての愛を独占する兄と、食事以外かかわってもらえない私。

 食事も家族の食べ残しなので、食べられない日も多い。

 食べ残しに文句などはない。数日に一回でもいい。ただみんなと一緒に食べたかった。


 精神が発達する過程。最も愛情が必要な時期に理由もわからぬまま孤独を強いられ、私の発育途上の心に暗い影をおとし、愛情不足は精神の真っ当な成長を阻害した。


 早すぎる親離れはエルフにとって取り立てて騒ぐようなものではなく、むしろ一般的なありふれた慣習。でもそれはお互いの未来を読み合っていることを前提としたもの。


 未来を読めぬ私には、なぜ自分だけが孤独なのかを理解できずに苦悩した。


 物心がつく頃には、わからないなりにも環境を変えようと努力して愛想を振りまいた。未来を知っている家族にはなにをしても成果は得られず。奇異な目で見られ、私をより遠巻きに見るようになった。


 孤独な日々が続くなか、毎日、理想の家族を夢想した。


 夢の中の父は優しい。いつも私を離そうとしない。

 夢の中の母は温かい。いつも私の心配をしている。

 夢の中の兄は頼もしい。いつも私を見守ってくれていた。


 四六時中夢想にふけっているせいで、現実との境界がわからなくなっていく。


 兄が父に甘えてじゃれ合っているのを見て、私は無意識にその中へ飛び込み抱き着いてしまう。


 「離れろ!」


 父は私を押しのけて兄をつれて別の場所へ去ってしまった。

 夢と現実の境界があやふやなまま呆然と立ち尽くす。

 この残酷な日々こそが夢であると思い込む。

 だが現実は夢にはならない。夢も現実にはならない。


 夢とも現実とも断定せずにいると意識はふわふわと浮き上がり、足から地面がなくなる。


 目から涙の代わりに黒い煙が溢れる。

 自分の目からあふれ出た黒煙は世界を真っ黒に塗りつぶした。

 夢か現実なのかもわからない。自分の手足も見えない暗い世界で立ち尽くす。


『いい闇をお持ちだ。契約をしましょうエルフのお嬢さん』


 しらない声が頭の中に響いてきた。


「だれ?」

『契約をすれば一人じゃなくなるよ』


 言語はわからないが、言葉の意味は頭に流れこんでくる。

 ソレが、私を一緒にいてくれると言っているのは不思議と理解できた。


「一緒にいてくれるの?」

『ええ、その代わり――』

「うん、いいよ」


 だから迷わずソレと約束した。

 そして私は何も感じない体になってしまう。


 それが精霊と結んだ契約の代償であると知るのは先の事である。


 

 何も感じない体というのは兎にも角にも不便なものであった。


 知らぬ間に怪我をしていても気づかず。流れる赤い血やかさぶたを見て初めて自分が怪我をしていたことに気づくのだ。


 ひどい傷を負っても平然としている私を同年代の子供たちは気味悪がった。

 石の入ったどろ団子を投げつけ、木の枝で殴ってきた。

 痛みはなくても目は反射的につぶってしまうし恐怖も感じる。


「見えるところにくるなよ! お前との未来が視えたらどうすんだよ!」

「俺たちを視るのもやめろな。気持ち悪いから」

「お母さんがお前は誰も幸せにできない忌み子だから近寄るなって言ってたぞ。呪われてるからろくなことにならないって」

「うちもー、お前は変な子だから遊んじゃダメって言われてるー」


 倫理観や道徳心が育ちきっていない子供にとって、抵抗をしない絶対的弱者である私は、己の身勝手な正義感を一方的に押し付けられる都合のいい悪者役として適任だった。だから子供特有の嗜虐心を満たすための体のいい的となってしまう。


 日常的に振るわれる暴力は、彼らにとって列をなす蟻を潰すのとなんら変わらない。私のような弱者は羽虫と同等であり。迫害をしても良心は少しも痛まないのだ。


 邪気のない笑みを張り付けた子供たちは私を血が出るまで殴った。

 血が出ていても蹴って。動けなくなっても踏みつけた。

 毎日襲われて、まだ生え変わる前だった乳歯を何本も折られた。

 近づくなと言われても相手から近づいてきて暴力をふるわれ、心無い言葉で心を痛めつけられる。


 自分を守るためには情緒の揺らぎを制御し、感情を押し殺して我慢した。


 怒ったり抵抗してはいけない。我慢すればいつかは仲間に入れてくれるなどと夢みたいなことを信じて、ただひたすらに堪えた。


 しかし我慢をするほど不気味がられ、より深い孤独の沼にはまっていく。


 私も子供の頃からつがいを作り。誰かを愛し。誰かに愛されたかった。

 でも、皆が言うように私は普通ではない。普通じゃないから誰からも愛してもらえない。 


 では普通な振りをしようと、ぎこちないながらも明るく振舞ってみた。

 すると、気味が悪いと言われ太い木の棒で殴られてしまう。


 腕が折れ曲がり骨が皮膚を突き破っている。

 それでも私はへらへらと笑って子供たちに近寄った。


 飛び出した骨を見た子供たちがまず心配したのは私ではない。自分たちが親に罰せられるのではないかという心配だった。


 慌てる子供たちのなかから「殺して忌み森に隠してしまおう」という声が聞こえた。


 私はその段になってようやく子供たちと仲良くするのを諦める。

 諦めた瞬間、頭の中で声が聞こえた。


『契約主様よ、こいつらに恐怖を教えてやろう――』


 何も考えず私はその言葉を了承した。

 その日から、私をいじめていた子供たちは町から姿を消した――。


 

 いつしか私は町の離れにある、誰も近寄らない忌み森と呼ばれる場所でひきこもるようになっていた。


 生きている森にはほかの子供たちがいる。家にいれば家族の視線が怖い。

 町を出て森を抜けるなんて考えは子供だった私にはなく。毒におかされた瘴気漂う枯れた森で過ごすしかなかった。


 忌み森に命の気配はない。

 漂う毒煙のお陰で瘴気にひきよせられた魔物もすぐに離れていく。

 静かな空間はかえって心地よかった。

 何者もいないならば身も心も傷つけられる心配がないから。


 ある日、森の中で一人の見知らぬ少年をみつける――。


 見つかったら意地悪をされると思い、腐った木の陰に隠れて彼を観察した。


 少年の腰にはカゴが紐で括り付けられていた。

 何をするのかと思えば、底も見えない毒沼に入り手を突っ込んでいる。


 森に迷い込んでしまった鳥が死骸となって浮かび、腐った流木が漂う猛毒の沼地に入るなんて自殺行為――自殺そのものだと思った。


 どうしてそんなことをするのだろうかと、とても興味がわいた。

 すぐに離れるつもりだったけれど、しばし隠れて少年を観察することにする。


 少年は沼地の中から何かを見つけると腰のカゴに放り入れていく。

 カゴがいっぱいになると沼の外に置かれた更に大きなカゴへと中身を移し。また沼地に渋々といった様子で入っていった。


 少年が集めていたのは、かつては美しかった湖を毒沼に変えた原因。

 魔物の毒ビルだった。


 黒くでっぷりしたこぶし大の芋虫のようなそれは、潰そうとすれば毒液をまいて抵抗する。大人でも手を焼く厄介な魔物。それを少年は、素手でつかまえてはカゴの中へ放り入れていく。


 突如掴んでいた毒ビルが突然暴れだし、致死性の毒液を噴射し少年の目に入った。


「ぬわぁあああああ!」


 少年は前かがみで沼地から飛び出して、地面を転がりもだえ苦しむ。

 それを機に少年はよたよたとした足取りで帰っていってしまう。


 きっともう来ないと思った。

 目に入った毒は全身を巡り、三日ともたずに苦しみながら死んでしまうはずだ。


 次の日も少年は現れた。


 片目に黒く滲んだ包帯を巻き。昨日と同じように毒ビルを集めている。

 懲りもせずに毒沼で毒ビルをさがしている最中、何かの加減で口の中に毒沼の泥が入ってしまう。


「ぬわぁあああああ!」


 激しくむせ込み嘔吐する少年。


 それを機に少年は帰ってしまい、きっともう来ないと思った。

 毒沼の泥は全身を巡り、三日ともたずに苦しみながら死んでしまうはずだから。


 だけどその次の日も少年は現れた。

 目を包帯で。口を布巾で隠し。いつものように毒ビルを集めている。

 その日は順調だった。でも最後に大カゴ一杯に集めた毒ビルを背負おうとしてひっくり返し一斉に逆襲を受けてしまう。


「ぬわぁあああああ!」


 少年は最初こそ黒い髪を振り乱して抵抗していたが、じきに慣れたのか毒ビルの毒液をなんなく躱し。慣れた手つきで毒ビルたちを大カゴへ戻していった。


 それを機に少年は帰ってしまったが、もう来ないとは思わない。

 彼はきっとまた来ると思った。


 少年は次の日も、その次の日もやってきた。

 来る日も来る日も毒ビルを集めては毎回違う理由で悲鳴をあげる。


 私はそんな少年を見るのを日課にした。いつしか次の日が来るのを楽しみにするようになっていた。


 眠るのが待ちきれなかった。次はどんな悲鳴をあげるのかワクワクした。

 生まれて初めて生きる喜びを知った。


 ☆


 少年が毒沼に現れてからふた月ほどがたったころ。私は好奇心を抑えられず少年に声をかけてしまう。


「……何をしてるの?」


 背後から声をかけると少年は飛び上がり、持っていた毒ビルを落としそうになって慌てる。


 びっくりさせてしまったからいじめられるかもしれない――。

 声をかけたことを後悔していると、少年は屈託のない笑顔を私に向けてくれた。


『ちょっと待っててね。これ危ないから遠くに置いてくるから!』


 町の子供たちも笑顔で意地悪をしてきたが、少年の笑顔はそれらとは異なる笑顔な気がした。


 とても優しい。心を温かくする笑顔だ。


『あー言葉はわからないよね。ごめん、この地域の言葉はまだ覚えていないんだ。でも一応誤解されないためにも説明しておくと、けっして怪しいものなどではなく。今は環境保護を目的とする慈善活動をしているところなんだ。この辺りはまだ危ないから近寄らない方がいいよ』

「なんて言ってるの?」

『なんて言ってるの? って言ってそうだね』


 言葉が伝わっていないのが伝わったらしく、身振り手振りで沼には近づいてはいけないと教えてくれる。

 

 子供なのに初めて暴力をふるってこない人。

 初めて私を気遣ってくれた人。

 ひとの優しさに初めて触れさせてくれた人。


 胸に湧きあがる温かい気持ち。これが幸せなんだと思った。



 喉の調子がおかしくなり呼吸をするのが難しくなっていた。

 咳をすると血が混じり、お尻からも黒い血がでる。

 眠っている間に血の混じった嘔吐をしてしまうと父が数年ぶりに話しかけてきた。


「家の中に入らないでもらえるか。汚らしい」


 兄と母は父の後ろから目を細めて嫌悪の念を送ってきている。


 私は外の石畳で眠るようになった。

 嘔吐のし過ぎで生えてきたばかりの歯はとけてしまい、唇の端はぼろぼろになっていく。

 陽の光をみると眩暈がした。

 肌は荒れて皮膚にぶつぶつが目立ち、顔を触るとでこぼこしていて血や膿が出ている。


 立ち上がるのにも膝に力が入らず体を起こすのにも苦労した。

 立っているのも疲れるのですぐに座るようになった。

 食欲が消えて、無理に食べれば戻してしまう。

 あばらが浮き、土気色の顔に艶のない枝毛ばかりのぼさぼさな髪。


 原因は忌み森に入り浸っていたからだとはわかっている。

 わかっていても少年を見たくて、それでも私は忌み森に毎日向かった。


 歩くのが遅くなってしまったのでいつもよりも早く起きて、陽が昇る前から少年を待つようにした。


 なんとなく、自分はもう長くはないのだろうという予感はあった。

 生きていたって幸せにはなれないのだから未練はない。どうせなら死ぬ間際まで少年を見ていたいと思った。


 そのほうがずっと幸せだから。それが唯一の幸せだから。

 不幸なまま生きて、不幸なまま一人ぼっちで死ぬよりもずっといい。

 最期ぐらいは誰かの近くで幸せな気持ちでいたい。



 毎日毒ビルを集めては五日に一回白い灰を撒く。

 少年がそれを何か月も続けていると湖面に漂っていた毒煙は薄れ、徐々に水の色が変化していった。


 一年もたつ頃には毒の沼地は清らかな湖へと戻り、森には緑が増えていた。


 悪霊と化して枯れた森をさまよっていた湖の精霊が、元の美しい姿を取り戻し湖に帰ってくる。水の精霊は少年と会話し、堆積した泥などをまとめてどこかへ運んでいってくれていた。


 山にすむ精霊のはからいか、雨の日に湖と川が繋がって魚が流れ込む。

 次の日には湖に様々な生物や植物が生活を始めていた。

 地中に眠っていた芽も顔を出し。仮死状態であった樹の精霊、オノドリムも目覚めた。

 大きな樹木の姿をした精霊オノドリムが息を吸い込むと、「フゥー」と大きな息を吐いて辺り一帯に流れる瘴気と、わずかに残っていた毒煙が空へと消え去っていく。

 見るものすべてに驚かされた。


 忌み森が完全に生き返った日。少年は何をしているのかと探せば、湖に膝まで浸かってたたずんでいた――。


 私はいてもたってもいられなくなり少年のもとへ歩み寄っていた。

 よたりよたりと遅い足取りで少年のいる場所まで急いだ。


 死ぬ前に素敵な奇跡を見せてくれてありがとうと感謝を伝えたい。

 

 途中、石でつまずいてしまい膝から血が流れる。

 痛みなどなかったが、長く毒に蝕まれていた体は思うように動かない。


 涙が溢れるようにこぼれた。

 立ち上がらないと駄目なのに足が動いてくれない。

 私の身体は限界に達していて、もうすぐ死んでしまうのだと悟る。


 どうせ死ぬのなら明日にしてくれたらいいのに。

 あと少しだけでいいから生きていたい。

 いま少年が帰ってしまったらもう会えないから。

 

 だからあとほんの少しでもいいから生きたい。

 最期にあの人の隣にいたい。

 あの人の隣にいられたら、きっと幸せにな最期を迎えられる。


『――大丈夫?』


 声の主が一年間ずっと陰で見てきた少年のものだとすぐにわかった。

 涙でぼやけた世界を見上げると見慣れたシルエットが映っている。


「コホッ――あ、あの……」

『うわっ、膝から血が出ているじゃないか! や、おちつけ慌てるなロイズレッド。こういうときはまずは深呼吸だ――』

「あ、あのね、私……」

『大丈夫、僕に任せて。これくらいの傷なら治せちゃうんだから』


 異国の言葉で意味はわからない。

 でも優しい声音が死を間近にした私を安心させる。


 少年は私を支え、泥人形でも扱うように慎重に木を背もたれにして座らせてくれた。

 体を触られても不快感はなく、むしろもっと密着してほしいとすら思う。


 何をされても構わなかった。

 この人にならたとえ殺されてもいいとすら思う。

 だって彼は、この世界で唯一私に優しくしてくれる人だから。

 きっと殺すときも、優しく殺してくれるはずだから。


『しみたらごめんね。でもちょっとくすぐったいかも』


 何かを言うと少年は私の膝に唇を当てて――――ものすごい速さで舐めまわした。


「うひぃ!? ぴゃぁああああ!?」

『ぬわぁあああああああ!?』


 感じたことのないくすぐったさが全身をかけぬけた。私はおしっこを漏らして卒倒してしまった。



 目を覚ますと、舐められた膝の怪我が治っていた。

 それが一目ではっきりと視認できるほど視力も戻っている。


 何が起きたか理解できぬまま顔をあげると、いつもの少年がそこにいて、私の前に手を差し出してきた。


『気が付いた? もう痛くない? 手をだして、引っ張って立たせるから。よっと――』

「……コンッゴホッ」


 立ち上がらせてもらった拍子に咳をしてしまう。

 血が飛び出して少年の真っ白な服を汚してしまった。

 少年は自分の汚れた服と私を青ざめた顔で交互に見る。


 優しかった顔は険しくなり、目を吊り上げていく。


『もしかして毒におかされているの!? そりゃそうだ……どうして僕はそんなことにも気づかなかったんだ!!』

「ご、ごめんなさい……! ごめんなさい! きらわないでぇ……私を――」


 怒鳴られて委縮してしまうと、少年は私の頬に手を伸ばす。

 ぶたれる――そう思って反射的に歯を食いしばって目を瞑ると、暴力とは違う、唇に触れる柔らかな感触を確かに感じた。何も感じないはずの私が感触を感じたのだ。


 直後、全身にくすぐったくて甘い痺れが走る。

 視界は真っ白になって、脳裏に見たことのない風景が流れてきた。


 ――背の高い見覚えのない逞しい男の人と、エルフらしき耳の長い女性が森の中にいる。


 エルフが男の正面に回り込んで何かを話すと、男は困ったように微笑みかけた。

 エルフはもじもじとしたあとに男の胸に飛び込むと、大きく息を吸い込み首を振った。そして男を見上げると、突然服を艶めかしく脱ぎすてて、裸のまま再び男にとびかかる。


 男は慌てた様子でエルフを引きはがそうとするも、エルフは足をかけて密着し離れようとしない。

 男は必死に何かを訴えていたが、エルフは聞く耳を持たずに体を押し付けて甘える。

 そのエルフの表情はとても幸せそうだった――。


 それが一体なんなのかわからぬまま再び体の中をしびれるようなくすぐったさが走り盛大におしっこを漏らした。それはもうとめどなく漏らした。


『あー喉がカラカラだ。たくさん飲ませたから多分これで大丈夫だと思う。今のでおしっこと一緒に体に残った毒素もいっぱい出たと思うしね。デトックスは済んだからもう心配はいらないよ。でも体は洗っとかないと残った毒素が付着してるかも』

「あっ……あひっ……?」


 体がしびれて上手く動けない。

 でもイヤな気分じゃない。むしろ癖になる痺れだ。

 でもその痺れは精霊に奪われていく。


『いつも遠くにいたから全然気づけなかったよ。考えてみれば当たり前だよね。ごめん、もっと早くに気づいてあげていたらこんなに苦しい思いをさせなかったのに。僕って馬鹿だからさ……』

「んぅ――あれ? あれれ? あー、あー……声がちゃんと出る」


 痺れがおさまると喉の違和感がなくなり。呼吸が楽になり声もすんなりと出ることに気づく。


『わぁー、それが君の本当の声なんだね。透き通っていてとても綺麗だ。聖歌を歌ったらきっと教団でも一番になれるよ』


 喉だけじゃない。陽を見ても眩暈はしない。

 顔に触れればぶつぶつも消えており、足腰にも自然と力が入る。

 子供たちに折られて、へんな方向へ曲がって治ってしまった腕も真っすぐになっている。


「体のおかしなところが全部……治ってる?」

『あー突然だったからびっくりさせちゃったよね。でも言葉も通じないから行動で示すしかなくてさ』


 目を合わせると、少年の癖なのか、きまずそうに何度か髪をかき上げる。

 それを私は可愛いと感じた。


『あ、あのさ、このことは誰にも言わないでもらえるかな。内緒、内緒にしてほしいんだ』

「ナイショ?」


 どういう意味だろう。


『そう内緒! 今のが司教様に知られたら大変なんだ。もしも許可なく救済を使ったら、散々投げ技でぶち転がされたのち天井から吊るしサンドバッグにするって約束をしちゃっているから。司教様の折檻パンチはとても重いんだ。お尻から内臓が飛び出るかと思うほどにね……。口で言ってわからない僕も悪いんだけどひどいよね』


 こちらまで泣きたくなる切迫した顔で、身振り手振りで内緒にしてほしいと伝えてくる。

 きっと彼はすごい魔法使いで。人には言えない秘密の魔法を使って私を癒してくれたのだと思った。


「じ……じゃあ私もお漏らししたのは内緒にしてもらえる? そしたらあなたが魔法使いだって誰にも言わないから。ううん、私は言われてもあなたのことは絶対内緒にする」


 喋りたいことは他にあったはずなのに出てきたのはそんな言葉だった。


『やっぱり綺麗な声だ。ホントに治ってよかったよ。これなら司教様にはっ倒されても文句はないかな』


 言葉が通じていないようなので私も身振り手振りで伝えると、少年は、ぱぁっと花が咲くような笑顔を見せて大きくうなずいてくれた。夏なのに春がきたのかと思った。


「そんなに喜ぶほどおしっこの話が好きなの?」

『うんうん、わかった。湖で体を洗いたいんだね!』


 彼は元気よく頷いた。おしっこが好きなんだ。


『大丈夫、おしっこで汚したぐらいじゃ湖の精霊はおこらないから。毒は無理でもおしっことかは大好きだって言ってたし。きっと歓迎してくれるよ!』


 少年は私のお股と湖を交互に指さして興奮気味に笑う。

 やっぱりおしっこが好きなんだと確信した。


 少年の笑顔から目が離せない。

 特に唇を重ねた彼の口元には視線が吸い寄せられてしまう。

 舐めたい。


『ほら噂をすれば湖の精霊がおしっこの話しに釣られて出てきたよ、気持ち悪いね』


 いつの間にか湖面に浮かんでいた湖の精霊は、少年に母性を感じさせる優しげな視線を送っていた。私とも目が合うと、まるで「こっちにおいでなさい」とでも言うように手招きをしてくれた。


「えと……あの」

『精霊もお願いだから、何でもしますからここでお股を洗ってくださいって懇願してるよ。ドン引きだね』


 目を細めて困ったように笑う少年。

 舐めたい。


『どうせだから一緒に入っちゃおうよ。司教様は、精霊はだいたいヤバいタイプの変質者か、イヤなタイプの変態しかいないから絶対に子供だけで近寄ったらダメだって言ってたけど。今日は司教様も別の場所にいってるみたいだからバレないと思うんだ。バレたらぶん殴られるけどね!』

『二人ともおいでー。ロリショタの聖水は甘露よー』

『アハハ、気持ち悪い』


 湖の精霊は子供が好きなのだろうか。

 とても待ちきれないといった様子で私たちをよんでいて、手招きがどんどん高速化して見えないほど速い。


「ねぇ湖で遊ぶの……? でも遊ぶ相手は私なんかでいいの……?」

『ははぁん、さては水が怖いんだね。大丈夫、僕に任せてよ。溺れないように支えるし、泳ぎ方もいっぱい教えてあげるから! こう見えて運動は得意なんだ。さ、いこう!』


 バタバタと動くジェスチャーをしたかと思ったら、強引に手を引かれて湖へと駆けだす。

 足がもつれて転びそうになると少年はすぐに振り向いて抱き留めてくれた。

 同じぐらい年齢なのにとても頼りになる腕だった。


「ご、ごめんなさい。私、自分の体の動かし方を忘れちゃって……」


 抱き留めたまま頭にポンと手を置かれて撫でられる。

 それは町の子供たちが親にしてもらっていたものである。

 顔が熱くなる。耳も熱い。熱くなるという感覚が彼の近くだと何故かわかる。


『ごめん。怪我が治ったばかりなのに無理をさせちゃったね。やっぱりゆっくり歩こうか』

『早く来てー。飲ませてー』


 父にしてほしかったことや兄にしてほしかったそれを少年がしてくれた。

 おかしな話かもしれないけれど、私は同い年であろう少年のなかに理想の父や兄を投影していた。

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