褒められたいだけの人生だった
――いつ終わるとも知れぬ拷問の果て、靄に隠れた輪郭のない何者かに体を譲り渡すと、靄は黒は俺の意識を飲み込まんとばかりに渦を作る。
渦の中で薄れてあやふやになっていく自我。思考や記憶も己の意識なのか、はたまた別の何ものかによるものなのかも判然としない。
まだ残っているであろう体も、海のように広がる蜂蜜の中に身を投じたような感覚を覚え。全身の痛みも足の指先から徐々に消え去っていく。
尋常な状態であるならば拒絶していたであろう不可思議な感覚も、復讐を果たせるならばするりと受け入れられる。
もう自分などどうなってもいいのだ。この黒い靄に身も心も魂も委ねれば、必ずや願いは成就するという確信があった。必ずやあの下卑た笑みをはりつけた邪悪の権化たる兄を討ってくれるだろうと。
闇に身を預けて兄を討つ。このような復讐の遂げ方をすれば、罪のない多くの命を巻き込むだろうというのも理解している。俺は大悪となり、目に映る全てを滅ぼそうとするのだと。その他大勢の命など、果たすべき復讐の前では霞む。
大業を成すには犠牲はつきものだ。順風満帆など望むべくもない。世界の歴史を見ればそうとわかる。
この土地だってそうだ。時代の転換期には必ず多くの犠牲を伴い、そして多くの英雄が生まれた。
伯爵位でありながら国の重鎮と言って差し支えないクロロック家の興りも、戦争が切っ掛けであり、初代当主は多くの敵を討った、救国の英雄と呼ばれる者の一人だと記憶している。
英雄になろうなどと大それたことは考えていない。あのような巨悪を野放しにしておけば、俺が奪うであろう命よりも更に多くの命が意味のない死を迎える。棄民街の子供たちのように、生まれた意味を持たぬまま潰えてしまうのだ。であるならば、多少の犠牲を払ってでも復讐は為すべきである。
俺一人が悪に染まればそれが食い止められるならば。巨悪を討つには更なる巨悪が必要であるならば。俺は喜んで悪に染まろう。
一の悪を滅ぼし、千の命を奪い、万の命を救う。この復讐を果たすこと自体が正義そのものなのだ。
そして悪を滅ぼし、いずれは俺も正しき光によって滅びよう――。
「っ……」
闇にすべてを委ね、意識に他の何かが混ざりあおうとした瞬間だった。突如、眩い光が瞼の裏に沁みる。
靄によって外界の一切を遮られていたはずが、開かぬはずの目に光の筋が差し込んだのだ。
そうして俺を包んでいた闇を払い、一挙に視界がひらけていく。
重い瞼は自然とあがっており、焦点の合わない霞んだ視界に何者かの後ろ姿が映っていた。
騒いでいるらしい何者かを認識するのには数秒かかった。
そこには一糸まとわぬ巨漢の男、偉丈夫がいた。
いや、あれは異常夫か。
何が異常かと言えば、全裸であること。加えて異様なほどに発達した筋肉。
俺はその肉体美から目が離せなくなっていた。乾いた目を潤すための瞬きも惜しいと感じるほど釘付けになっていた。
瞼を閉じなければ乾いた眼球を潤さんとして自然と涙も出る。涙が視界をなおぼやけさせるが、手足を縛られているのでぬぐうこともできない。
しかし隆起した筋肉一つ一つが生み出す起伏の差異が男のシルエットを明瞭にした。じっと瞼を閉じようとも、眼に焼き付いた光景は記憶から離れなくなっていた。
「――貴様らがしたことは、正義と道徳に基づいた行動だとでも言うのかッ!」
偉丈夫は怒声と言うにも躊躇う、絶叫に似た奇声をあげて激怒した。
その怒りは信念ある怒りだ。単純に癇癪を起しているわけではない。己の信念を通すための正しい憤怒を表明してみせている。
同じ怒りに飲まれているようで、俺と偉丈夫では決定的に違うものがあった。偉丈夫の怒りには、闇ではなく光輝の信念が宿っているように感じた。
怒りながらも正しさを損なわぬその後ろ姿に、言葉では言い表せぬ感動を覚えた。途轍もない大きさの大殿筋に憧れに似た興奮を覚えた。
肩から腰回りまでを図形とみれば逆三角形が浮かびあがる。
これほど美しい背中など見たことはなかった。まるで夜空に光り輝く星座のようではないかと昂った。もし背筋座があるならば、間違いなくその背中がモチーフとなることだろう。
俺はこうありたい。男ならばかくあるべしという理想の正義と筋肉を偉丈夫は体現してみせていた。
見れば見るほど身の縮まるおもいだった。怒りに身を任せ、闇に囚われ、悪に染まろうとしていた自分をひどく恥じた。
「――不届き千万! たとえ神が許そうとも、このロイズレッドが許しはしない! 悪が栄えたためしなし。聖なる正なる正義の鉄槌にて聖敗してくれようッ!」
ロイズレッドと名乗った偉丈夫は、驚くことに自分が神に代わる者だと言い切る。
星座にもなり得るほどの大きな背中。蝋燭の灯りを反射して煌めく規格外の筋肉を見えばわかる通り、彼は既に人間の域にいないのだろう。
彼は人を超えて神に並ぶ存在――超越者なのだ。
思えば、人を超越した神子である俺にもそうなる権利と義務はあったはず。
正しさとは何かを説いてくれたドリーンも、彼と同じように正しさの信奉者ではなかったか。ドリーンの在り方と正義感に憧れを抱き、俺も正義の真似事をしてきた――つもりだった。
俺の掲げる正義など、所詮は誰かの正義の真似事でしかなかったのかもしれない。
ただドリーンを喜ばすために、調子のいいことを言っていただけ。
いいや、それも少し違うな。喜ばせたいというのも嘘で、俺の心に正義などはなからなく、すべては完全なる偽善だった。
俺はただ、親に褒めてもらい。認めてほしかっただけだ。
そんな偽物の善意だからこそ、悪に身をゆだねるなどという愚かな真似をしてしまった。
そうだ、俺は褒められたかったのだ。ドリーンに褒めてほしくて正しくあろうとしていただけじゃないか。
褒めてほしいだけ――そう自覚し認めたことによって、心がふっと軽くなり、憑き物が落ちたように気が楽になった。
気を張ってありもしない正義の心などを振りかざしていた過去が、遠い昔の出来事だったかのように感じる。
目の前で強大かつ雄大な本物の正義を目の当たりにしては、それもいいじゃないと割り切れてしまえる。
兄への復讐心は少しも薄れてはいない。やりきれない気持ちはやりきれないままだ。俺は正義の使者でも超越者でもなく、どこにでもいる普通の人間なのだからそれも仕方がない。
俺の存在など偉丈夫に比べたらあまりにもちっぽけだ。
背伸びをしたって少しも届く気がしない。
いるんだな。世の中には。本物の正義が。ドリーン以外にも。
思考がぶつ切りになり、意識が遠退いていく。
ああ、最期に褒めてもらいたかったな――。
遠退く意識の中、俺の目に映ったのは笑顔のドリーンだった。
ドリーンは俺の頭を撫でて「がんばりましたね」と、消えてしまった。
そしてその後ろでは、輪郭のぼやけた偉丈夫が男たちを次々に成敗していく姿と、あきれるほど巨大な陰茎が映っていた。
☆
次に目覚めるのは新たな生を授かったときだ思っていたが、どうやら俺はまだ現世にいるらしい。
偉丈夫に成敗されたらしい、ひっくり返って失禁し、失神している男たちが三人はっきりと見える。
「はっきり……?」
かすむことなく牢獄の風景を映す眼球に違和感を覚える。
失ったはずの片目に視力が戻っていて、潰されたはずの喉が治り声を出せるようになっている。
異変はそれだけにとどまらない。痛まぬ場所などなかったはずの体に、痛む箇所が一つもない。千切れかけていた腕は元に戻り、指も、指の爪も全て揃っている。
体に不調がない。強いて言えば空腹による体力の減少ぐらいなものだろうか。
しかし陰茎は元気にそそり立ってしまっていて――これはどういうことだ。
全身がムズムズと心地よいのも気になる。この感覚は一体なんなのだろう。
俺は夢でも見ているのか。それともこれが死後の世界なのか。
もしも死後の世界ならば、このように縛り付けたままにしておくとは、神も存外気の利かないものである。
「これが死後の世界……」
「いいえ、あなたは生きていますよ。もう大丈夫です。あとは私に任せなさい」
「うわぁっ!?」
視界の端から現れたのは巨大な喋る熊――などではなく、ロイズレッドと名乗った偉丈夫だった。
あまりにも大きく逞しい体が突然視界に入ったものだから、毛のない巨熊に話しかけられたのかと驚いてしまった。
「フフ、おどろかせてすみません。痛むところはありませんか。フフフ」
偉丈夫の印象は、さきほどとはまるで別人のようだった。
背中に輝く星座を宿す鬼神が如き調子は消え失せ。驚いた俺がそんなに面白かったのか、子犬を愛でる少女のような邪気のない愛嬌のある柔和な笑みを浮かべる、まるで人畜無害を絵にしたような全裸の偉丈夫。
でもその穏やかさに反比例するかのように垂れ下がる、凶悪で人畜有害なイチモツ。
棍棒の鞘? 俺の手首を縛る手かせではとても覆いきれない直径じゃないか。
自分のものとは比べるのも烏滸がましいほど立派で雄々しく神々しい。
神話に出てくる、破壊と創造の化身が現世に降臨したのではないかと思わず戦慄するほどのイチモツ。
特定の神を特段に信奉することのなかった変わり者の俺でも、神と崇めてしまいたくなる輝きを放っている。
子供のなかでも発育がよく背丈の高い自分が、幼子や赤子になったかのようなサイズ差がある。大人の男性とは、みなこうも大きくなれるものなのか。これではまるで父親と息子のようではないか。
「父さん……」
あまりにも立派な陰棒に気圧され、無意識にそう呟いていた。
それを父と呼ぶことに特段違和感もなかった。それは自然と口から洩れていたのだ。
「はい? あぁ……聖水では傷を治せても心までは癒せない……か。まだ意識が混濁しているのですね。あなたもなにかしら深い悲しみを抱えてしまっているのでしょう……かわいそうに」
そのイチモツは無意識に「父」と呼んでしまうほど威厳に満ち満ちていた。
一方俺のイチモツはと言えば、さきほどまでの元気にそそり立っていたヤンチャぶりもなりを潜めて縮こまり。祈りを捧げる信心深い信徒のように首を垂れて敬服の意を示している。
あまりの巨根ぶりに呆然としていると、偉丈夫は手足の枷をはずした。神子の力でも破壊できなかった枷を、シャボン玉でも割るかの様な気軽さで、いとも容易く折って砕いて割ってみせたのだ。
「あぅっ……」
「っとと」
手かせを外された途端に体が前のめりに倒れる。空腹と度重なる拷問により衰弱しきった体では、自分で立っていられるほどの力も残っておらず。体重を支える脚力もなくて偉丈夫の筋肉体にもたれかかるほかなかった。
軽く抱きあげられると、肩越しに幼い少年が目を手で覆って俯いているのがみえた。その横に座る少女は指の隙間からこちらを見ていて、目が合うと小さな指を閉じて視線を隠してしまう。
隠せていない薄い唇。口はいびつな形に弛んでいるが何か面白いことでもあったのだろうか。こんな空間で笑えるなんて、どれほど強い精神力の持ち主なのか。
いや、この偉丈夫がいるお陰で、笑えるほどの余裕を得ているのかもしれないな。
「さて、問題は爆散してしまった私の衣服をどうするかだ……。美少年を全裸で抱えて子供たちを連れて街を歩けば次はどんな噂が流されるかわかったものじゃない……」
何事か呟いている偉丈夫が俺の背中を撫でる手は温かい。
棄民街でもこういう手合いの者は多かった。優しい顔をして近づき甘い言葉で誘い出す。そういった者にろくな人間はいない。その手口で奴隷商の使いにつれていかれる子供を何人も見てきたのだ。
だが偉丈夫にはそういう手合い特有の臭い――胡散臭さがなかった。
「す、すみません……力が入らなくて。すぐに自分の力で立ちますから」
「勃つの!?」
少女が何やら嬉しそうな声を発した気がするが気のせいだろう。
「お気になさらず。体力を消耗しきっているのでしょう。免疫力も低下していることでしょうし、すぐにでも栄養のあるものを摂取しなければいけませんね。これだけ衰弱しているなら最初は胃に優しい液体がいいですよね」
「飲ませるの!?」
また少女の声が聞こえた。今度は気のせいではない。
きっと彼女もお腹を空かせているのだろう。であるならば、あの子を優先してあげてほしい。
「とりあえず、すぐにここを出ましゅ……出ます」
「出すの!?」
偉丈夫は言葉を噛んだことを照れているのか耳を赤くした。
筋肉の神として信奉されるラリース・コット神を思わせる肉体美を誇り。馬も恥じて伏せるようなイチモツを持っているというのに。言葉を噛んだぐらいで恥ずかしがるのか。
その人間らしさと人間臭さが妙な安心感を与えてくれる。
それこそ、まるでそこに父がいるようだと思った。
抱きとめながら俺の頭を撫でる大きくて優しい手。
その手には治癒魔法の刻印でも刻まれているのか。得も言えぬ癒しを与えてくれて、心の中に残っていた僅かな闇も完全に拭い払ってくれた。
「あなたは過酷な状況にあっても挫けず、立派に生き抜きました。大丈夫、あとは私に任せなさい。もう誰にもあなたを傷つけさせはしません。もっと早くに見つけてあげられなかったこと、どうかお許しください」
抱えながらしゃがみこむと、血と糞尿にまみれた俺を抱きしめてそう言った。
後ろの少女は隙見だらけの指から覗き、気色の悪い――喜色満面といった様子の笑みを浮かべている。
こんな牢屋でもあんなにも笑えるなんて、きっとポジティブな子なのだろう。
「ありがとうございます……。それに……ごめ……ん……なさい」
「謝る必要などありません。なにかしらの負い目を抱いているならば、そんなものはこの場に捨て置いてしまいなさい」
「負い目を……捨てる……?」
偉丈夫のなんでもないような、何気ない一言は心にスッとしみこんだ。
そして生涯忘れることない言葉として記憶に刻まれた――。
まさに目の覚めるような言葉だった。
負い目を捨てるなんて、そんな発想は俺にはなかったのだ。
俺が生まれたせいで殺されてしまったドリーン。その負い目を一生背負っていくつもりだった。だが偉丈夫はその負い目をここへ捨てていけと言う。
負い目を捨てるとは、すなわち復讐心をすてるということ。なんの話もしていないはずなのにすべてを見透かしているようだと思った。
気づけば涙が溢れ出ていた。幼い子供のように声をあげて泣いた。
偉丈夫は何も言わず、優しく撫で続けてくれる。
後ろの女の子はもはや目を隠しもせず、両の拳を握って鼻息を荒くしていた。
理由のわからない涙と、少女の奇行に混乱しているさなか、不意に外から激しい物音がする。人が複数かけてくる音だった。
「――ここだ! ここにも階段が隠してあるぞ!」
「こんなところに隠してやがったか。しかしこいつは結構深いな。地下にもいくつか部屋があるかもしれない。手分けして奥までさがすぞ!」
足音が近づくにつれ、偉丈夫の腕に力がこもる。
少女の拳にも力がこもっている。
「おい、こっちにも部屋があるぞ――」
扉が開かれると偉丈夫はびくりと跳ねて、擬古地のない動作で扉の方へ向く。
「御用だ御用だ! お前らの悪事は――あれ、ぼ、ボス!? なぜこんなところにボスがいるんですかい!?」
部屋に入ってきたのは黒い衣服の猫人の男。
猫人はひどく驚いた様子で偉丈夫を見ている。
「まさかボス……」
「ま、待ってください! まずは冷静になりましょう。誤解しないでくださいね。この状況を一から説明する時間を私に与えてください。話せば長くなるので、長い時間をください」
「白目を剥いてあられもない姿で倒れている小汚い野郎が三人……。座っている子供が二人……。ボスは大人に戻っていてバカでかいイチモツは健在。そんでもって裸で若い男を抱いていて……と。なるほどな、全て理解したぜ!」
「違いますからね!? 結論を急いで誤解しないでください。これには深いワケが――」
「へへっ、わかってますとも。俺たちのたてた拙い計画なんてボスにはとっくにお見通しで。子供の姿になり、あえて誘拐されるふりをして奴隷商の館に潜入。子供たちを先回りで保護していた。そんでもって俺たちの襲撃タイミングに合わせて暴れてくれていたんですよね!?」
「………………はい、その通りです。よくわかりましたね」
「うぅわっ! やっぱりか! さすがは俺たちのボスだぜー! 敵を欺くにはまず味方からってやつだ!」
猫人は尻尾を立てて嬉しそうにはしゃぐと、我に返って部屋から飛び出した。ほかの仲間たちに声をかけにいったようだ。
「――マジかよ!? さすがは旦那だな!」
「おい、ボスがさらわれた子供たちを既に救出しているってよ!」
「ボスが大人に戻っているなら百人力だ! 手柄を根こそぎ持っていかれる前にはりきらなきゃいけねぇ!」
話の内容から察するに、この偉丈夫は相当の実力を持った権力者であるようだ。
「喜んでいる場合かよ! 上で暴れてる姐さんたちにも急いでお伝えしてこなきゃならねぇ! あのまま放っておいたら屋敷が消し飛ばされて全員生き埋めにされるぞ!」
「あ、ああ、そうだな。姐さんと、ちっこい姐さんへの報告はお前に任せたぜ。俺は怖くて近寄れそうにねぇ」
「そりゃねぇ、ずりぃぞ! オレだってあの二人には怖くて近寄れねぇって!」
偉丈夫は何を考えているかわからないが、ただ静かに俺の頭を撫で続けている。
「世界樹様、助けに参ったぞ! いるなら大きな声で返事をしてくれ!!」
「――坊や! 私の坊やはどこ!? 私の大切な……いたっ!」
次に部屋へ飛び込んできたのは、異様とも言えるほどに見目麗しいエルフの女性と、異様なほど小さな人間――のような小人だった。
あれは精霊か。まさか妖精だろうか。
妖精も珍しいが、それ以上に目を引くのは容姿端麗なエルフの女性である。
今まで見てきたどんな女性よりも美しく華やかな容姿。あまりの美しさに驚いてしまい目が離れなくなってしまう。
エルフはその美しい顔をくしゃくしゃにし、涙をたたえながらこちらへ走って――いや、氷を射出して飛んできた。
「リリ、今はいけまっフゥッ――!」
偉丈夫は俺を守る様に体を捻って半身になったが、エルフは制止の声など聞こえないとばかりに腰に飛びついていた。
脇腹に強い衝撃を貰って呻く偉丈夫はプルプルと震えている。
美しいエルフの女性は、偉丈夫の足に絡みついて尻に顔を埋め、子供のように泣きだしてしまった。
「こ、こら! そんなところに顔を入れては!!」
「ふふっ、まるで幼子のようだな。さて、こちらも世界樹様の無事が確認できたので早々に消えるとしよう」
これほどの美人が子供のようにむせび泣いて、子供が親に甘えるように引っ付いて離れない。そうさせてしまうだけの魅力が偉丈夫にはあるのだろう。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……! 私が手を離したから、目を離したから、目的を見失ったからぁ! もう絶対に離さないから!」
「な、なんの話をしているのですか!? 落ち着いてください。まずは深呼吸をして――いやそこで深く吸ってはいけませんッ! 違っ、だからと言って息を吐いてもいけま――アァッ!? ぬわぁああああああ!」
尻穴に息を吹きかけられたらしい偉丈夫は膝をついて倒れかけたが、俺を落とすまいと頭より高いところに持ち上げられた。
痙攣して叫び続ける偉丈夫。
泣きじゃくりながら一心不乱に荒い呼吸を繰り返すエルフ。
目をかっぴらいている少女。
目を覆って震えている少年。
そして次々と集まってきた獣人たちがニャーニャーゴロゴロと騒いでいる。
その賑やかさはとても心地の良いもので。拷問部屋の中にありながら、なぜかドリーンとの生活を思い出させるものだった。
このまま彼らのやり取りを見ていたかったが、体力の限界がおとずれたのだろう。この時の心温まる光景を目に焼き付けながら、俺は再び意識を手放した――。
☆
この絵画のタイトルは『勇者誕生』という、光視のルカが遺した最高傑作のひとつである。
膝をついて頭を下げる一糸まとわぬ聖ロイズレッド。
その力強くあげられた腕の先には、高々と掲げられる少年が眠っており。涙を流しながら聖ロイズレッドに縋りつく聖母エルの姿が添えられている。
背景には黒服の獣人たちの活躍が描かれ。救出された二人の子供たちの前に、捕まった奴隷商が座らされている。
これは、のちに魔王を討伐し世界を救う勇者一行の中心人物、勇者ロビンレッドが聖ロイズレッドの手の上で再誕したことを示唆する宗教画であり。かの有名な勇者伝説始まりの一節を絵にしたものだ。
勇者ロビンレッドは奴隷商の隠し地下室で苛烈極まる拷問を受けていたとされている。彼の死の間際、聖ロイズレッドは突如として地下室に現れ、賊どもを一掃した。
このときの光景を勇者ロビンレッドは生涯忘れることはなく。その最期のときまで感謝の言葉を遺している。己ののこした偉大な功績や、数々の冒険を語るよう頼まれても、彼は決まってこの話から始めて、この話で結んだという。
勇者ロビンレッドは、もとはロビンという名であったが。師として、父として慕う聖ロイズレッドにあやかり、自らをロビンレッドと名を改めるほどに心酔していた。
地下牢で死を待っていた勇者を救いだし。勇者を勇者として育て。間接的に世界を救った。これが聖ロイズレッドが世界を救ったと言われるゆえんでもある。
この救出劇は今もなお絶大な人気を誇る演目であり。
主役である勇者を差し置いて、聖ロイズレッド役を任せられることが役者の一つの到達点とされ。その舞台を夢見る役者の卵はいまも多くいる――。




