復讐の魔王
――俺の人生とはいったい何だったのだろう。
ひたすらに流され続けて、不条理に嬲られ続ける日々だったように思う。
不適格の印を額に焼き入れられ、牢の中で終わりの見えない暴行をうけ続けた。
毎日心から死を願い。死ねることを神に祈り。ただただ死を待つだけの日々を過ごす。
手足を重い鎖に繋がれ。連日の拷問により痛まぬ場所など体には一つもなかった。
生まれつきの頑丈すぎる特異な体質がたたって、普通の人間ならばとっくに死んでいるような重傷を負っても、俺の体は生命活動をとめようとはしてくれない。
右腕は肘が千切れかけていて、今にも体から分離してしまいそうだ。
太腿の傷口には蛆が湧いている。気の早い虫どもには死体だと思われているのだろうか。
歩んできた足跡は泥濘のよう。ささやかな幸せもあったが、それもすべて奪われてしまった。
そして最後には愛した人を奪われた復讐も果たせず。無念を抱いたまま、何も成せずに終わろうとしている。
だが、ようやく死を迎えようかという段になって。永遠の安息を目前にして。理性ではとても抑えられぬ強い感情。生への執着と暴力への渇望が芽生えてしまった。
――物心がつく前から棄民街でひっそりと暮らしていた。
まだ赤子だった頃に、俺は貧民街のなかでもさらに劣悪な環境である棄民街のゴミ捨て場に放置されていたそうだ。
極寒の寒空の下。何もできずに死を待つばかりの赤子を拾ってくれたのは、ドリーンという老婆だった。
ドリーンは、俺のたった一人の家族であり。最愛の人。
棄民街は大人が一人で生きていくのも困難を極める過酷な環境である。それが老婆となればなおの事。だがドリーンは貧しく苦しい生活の中にあっても、俺に必要最低限の教育と、十分な食事を分け与えてくれて。本当の子のように愛情を注いで育ててくれた。
あの頃は幸せだった。
貧しくとも正しさを損なわず。己に誇りを持って生きよ――という、ドリーンの教えにならい。棄民街の中にあってもけっして悪事には手を染めず、正しさを誇りとして胸に宿し生きていた。
今にして思えば、俺の掲げていたのは、正しさや正義と言えるほど大層なものではなかったのかもしれない。
正義を悪の対義語だと信じていたが、それは俺の立場と信奉する道義からの一方的な視点である。悪と断じていた者たちにも道理はあり。信じる正義があったはずなのだと今さらになって思う。
だが、絶対的な悪は確かに存在する。
それは他者を道具としてのみ扱い、自らの快楽や利益のためだけに、一切の罪悪感なく他者の生命や尊厳を徹底的に破壊できる者のことだ。
そして俺は、その絶対的な悪に敗れ、また別の絶対悪となろうとしている。
もう人としての生には未練などない。復讐が叶えばそれでいい。悪を討てるのはさらに大きな悪だけなのだ。
悪を滅ぼすために悪になろうと、闇に心が完全に覆われる寸前のことだった。
太陽の如く眩い光をまとった神々しい筋肉の神が、突如として俺の前に降臨したのだ――――。
☆
俺がまだ十歳だったある日、身なりの綺麗な男たちがドリーンと暮らすぼろ家にやってきた――。
子供ながらにドリーンたちの会話には物々しい空気を感じとる。
許可も取らず、無作法に家へと入ってくる男たち。俺は同席を許されず、別の部屋に隠れているように言われ素直に従った。
最初は借金取りか何かかと思ったが口論などは聞こえてこない。
それから一時間ほどたったころ。ドリーンは部屋に入ってきて俺を抱きしめたこう言った。
「ようやく本当の幸せが得られますよ。よかった、よかった。本当によかったですね」
見たことがないほどの喜びようで涙するドリーン。
それが彼女との最後の会話になるとは、当時の俺は思いもしなかった――。
身なりの綺麗な男たちは俺の腕をひいて馬車に乗せた。
ドリーンはそんな俺を涙ながらに見送る。
「ドリーンも一緒に行こう!」
そう言っても首を横に振るばかりで、結局ついてきてはくれなかった。
このとき、俺がドリーンと残ることを選んでいたなら、また別の結末があったのだろうか――。とても現実的な仮定ではないのだが、そう思わずにはいられない。
馬車の中で男たちに、どこへ行くのかと尋ねると「貴方様が本来住まうべき場所にございます」と返される。
ドリーンは何故一緒じゃないのかと聞けば、答えははぐらかされてしまった。
そのとき、俺は売られたのだと直感的に思った。
寂しくはあったが、ドリーンを恨む気持ちは微塵もなかった。
ドリーンに拾ってもらえなければ本来赤子のうちに死んでいた命だ。
そうでなくとも、他の人間に拾われていれば今までの幸せな時間もなかったことになる。
ここまで育ててくれた恩を考えれば、どこへ売られたとしても恨むのはお門違いというものである。
長い時間をかけ、馬車に揺られながら連れてこられたのは、見たこともない巨大な建物と広大な庭のある屋敷だった。
屋敷につくや否や、皮膚がふやけるほど入浴させられ。華美な装飾の服に着替えさせられる。
そうして俺はドリーンの子から、貴族家の子供となるのだった――。
☆
「これより伯爵様への拝謁にございます。よろしいですか、貴方様は今日この瞬間より、『セドリック』として生きていただくこととなります。古き名はお忘れください」
白髪に白い髭を生やした執事の男が、古くなった布巾でも捨てるような気軽さで、ドリーンにつけてもらったロビンという大切な名を捨てろと言う。
「――待っていたぞセドリック。ようやく会えたな、我が息子よ」
「あぁ、夢のようです。本当にあなたがセドリックなのですね。その顔を母によく見せてください」
執事に連れられていった部屋で、これから両親となる二人の前へ進み出る。
父は笑い。母は泣いていた。
二人は一定の距離を保ちつつも、たしかに喜んでいるように見える。
もしドリーンが本当の親なら、このとき迷わず俺を抱きしめてくれていたと思った。
☆
父は血の繋がった本当の親で、母は継母だった。
元々俺には父親から受け継いだ貴族の血が流れているのだと説明をされた。
赤子のころ使用人によってさらわれ、奴隷商に売られてしまったのだという。
ドリーンの話しとは食い違う部分も多くあったったが何も訂正はしない。
ドリーンが嘘をつくはずがないので、使用人にさらわれたという話のほうが誤りなのだろう。
それを言ったところで波風が立つだけである。
余計なことを言えばドリーンにも迷惑をかけるかもしれない。なので俺は、両親の言葉を信じている体で。何も言わずに頷くだけにとどめた。
☆
一年が過ぎて歳も十一になる。
この一年間で、それまでの遅れを取り戻すように貴族としての礼儀や作法を徹底して叩きこまれた。
ほかの子供たちよりも物覚えがよいらしく、お陰で父とも良好な関係が築けていた。
だがそれを誇ることや自慢するのは極力控え、謙遜して歳の離れた兄や弟の顔を立てた。面目を潰すような真似は決してしない。たとえ意図せずしてしまっても、その後に不足を補うことを忘れない。
そういった立ち回りをしているうちに、最初は異物を見るような目で俺を睨んでいた兄弟たちとも不和なく、無駄な軋轢を生まなくなっていき。貴族家の一員として受け入れられるようになっていった。
それらすべての成果はドリーンの教えのお陰である。幼い頃よりドリーンが俺に教えてくれていたのは、貴族が学ぶべき内容だったのだ。
ドリーンへの感謝の念はどうしようもないほどに膨らみ。ドリーンに会って一言感謝を伝えたいと思うようになる。
ある日行われた剣術大会で、十も歳上の相手に打ち勝った褒美として、なんでも願いを叶えてくれると言うので、ドリーンと会う許可を求めた。
ドリーンとも一緒に暮らしたいと言い続けてきたが、残念ながらそれは叶わなかった。だから今回は、一目見るだけ、少し会う時間を貰えるだけでもいいと、譲歩しての頼みだった。
「ふむ……」
父は苦い顔をした。
母に尋ねれば同じように消極的な顔をされた。
それでも諦めず、これが生涯たった一つの望みだと頼み込む。
他には何もいらない。ただドリーンと会えればいいのだと。
俺の熱意に折れたのか父は渋々ながらも了承した。
使用人たちを使ってドリーンを迎えにいくと約束してくれたのだ。
だが、待てど暮らせどドリーンは現れなかった。
「――ドリーンはお前を手放すかわりに大量の金品を受け取っていてな。今では別の町で裕福に暮らしているそうだ。しがらみの多い貴族の屋敷になど行きたくはないと断られてしまったよ」
普段は威厳のある父が、珍しく申し訳なさそうな顔をしていたのが印象的だった。
それだけで俺の願いと真剣に向き合ってくれたのは伝わってくる。手を尽くしてくれた結果がそれならば、不満はあっても納得はできた。
そういうことならば仕方ないとあきらめるべきだと思いなおす。
ドリーンが幸せであるならそれでいいのだ。
☆
剣術の試合からさらに一年が過ぎて十二歳となった。
そのころには社交界への参加が決まり。日々が慌ただしく過ぎていった。
社交界への参加はあくまでも女性が主役であり、俺のお披露目はそれに付随したもの。
だがそこで華々しさや優雅さが評価されれば、貴族としての格も認められ。大人になるまでそのときの評価を基準とされて語られてしまうので失敗は許されない。
デビュタントの女性を美しく際立たせ、かつ自分は目立たず裏方に徹する。されど華やかさは失わず優雅に女性をエスコートしろ――。
中々難しい注文だと思った。
一応は、貴族としての俺をお披露目する儀式みたいなものだと言われている。
これより先は本格的に貴族として生きなくてはならなくなり。もう二度と平民たちの闊歩する街になど足は運べないし。棄民街などもってのほかである、と。
ならばと最後にドリーンに挨拶をしたいと、黙って棄民街へと向かった。
ドリーンがどこに住んでいるかを屋敷の者に尋ねれば思惑がバレてしまう。なのでまずは棄民街のドリーンと暮らしていたぼろ家を尋ねた。
ぼろ屋につくと、おどおどとして痩せた男が顔を出す。
煌びやかな貴族服など着ているせいで余計に緊張させてしまっている様子だったので、その点は反省した。
「驚かせてしまって本当に申し訳ない。どうか怯えないでください。恥を忍んで、その優しい心にすがりたい。このぼろ家にいた古い主の行方を、何か少しでも知ってはいないだろうか。私のような世間知らずの目では、足跡ひとつ見つけられなくて。どうか私に知恵を貸してはくれませんか」
貴族として威圧せぬよう、極力やわらかな物腰を意識して尋ねると、男はこう答えた。
「はぁ、あのばあさんなら数年前に川で死んでいましたよ……。そりゃあもう、むごたらしい殺され方をしていてね。老人にあそこまでできるなんてのは人間の仕業じゃないって話だったよ」
「死んだ……? 人間の仕業ではないとはどういうことですかッ! 魔物に……魔物に襲われたという意味ですか!?」
「お、落ち着いてくださいよ。そうじゃありませんて。あなたのような高貴な方にはわからないかもしれないが、人間てのは魔物よりも、よっぽど残虐なもんなんですよ――」
俺は男の言葉を鵜呑みにはせず、数枚の金貨を情報提供をしてくれた感謝のしるしとして施しその場を去った。
たった一人の言葉を真に受けて真実だと思い込むなどバカバカしい。
老婆などそう珍しくもないのだから、殺されたのがドリーンだと断定できるはずもない。
そう自分に言い聞かせ、自分の足を使って調べまわった。
ドリーンは棄民街で慕われていたのですぐに情報を集まった。
顔見知りの者たちに聞いて回ったが、みな口をそろえて同じ証言をした。
ドリーンは俺が連れていかれたことを悲しみ、毎日泣いていたそうだ。
どうか幸せに暮らしてほしいと毎日神に祈ってくれていたと。
そして俺が屋敷へと向かう馬車に乗せられた日から一年後に殺されてしまった。
父の言うような裕福な暮らしなどしておらず、大金を渡されたなどという話も嘘だった。
複数のならずものたちがドリーンの家に押し入ると、無残な殺し方をして川に投げ捨てたのだという――。
「ロビン、お前のせいでドリーンは殺されたんだ。お前なんかを拾わなければドリーンは死ななかったんだよ!」
聞き込みをしているときに、ドリーンの友人だった男にそう言われた。
その通りなので反論はしなかった。
できれば殴りつけてほしかった。
その場で殺されようとも抵抗はせず、恨みなどしなかっただろう。
だが俺は貴族だ。棄民街で暮らす者たちに、そんな真似ができるはずもない。
そのとき、心の中にどす黒いモヤのようなものが生まれたのを感じた――。
☆
屋敷へ戻るとすぐさま父に抗議した。
「話が違うではありませんか! ドリーンは裕福な暮らしをしていると父上は仰いました。ですがドリーンはもうこの世にいない! なぜなのですか!」
父は難しい顔をして葉巻煙草に火をつける。
なかなか答えようとしないのでしびれを切らし、もう一度問い詰めようとすると父が重たそうに口を開いた。
「お前が生まれてすぐにさらった使用人。それがドリーンなんだよ」
「…………」
何も考えられなくなった。何も考えたくなかった。
誰が悪いのか。誰が正しいのか。もう何もわからなくなってしまった。
「どうしてそんなことを……」
ドリーンが何故そんなことをしたのかではなく、どうして今さらになって言うのかと問うたつもりだった。しかし父は前者の問いだと思って話を続ける。
「お前には生まれつき神から授かった特別な力がある。だから金になるとでも思っていたのだろう。だが子供は子供でも赤子など奴隷商は買い取らない。それが神子となればなおのこと。育てるためのコストとリスクが高くつき、生み出される利益と見合っていない――」
そんな話を聞きたいんじゃない。
「盗人に堕ちても多少の良心はのこっていたのだろうな。しかたなくドリーンはお前を育てることにした。そのうち情でも移ったのか、売るのをやめてお前を自分の子供としてそだてるようになったんだ」
「ではドリーンを殺したのは父上なのですか……」
俺がいま知りたいのは誰がドリーンを殺したのかだ。
俺の出生や過去などどうでもいい。
「それは違う。私が調べたときにはもう殺されていた。しかし、それを伝えればお前を苦しめてしまうだろうと思って黙っていたのだ」
父は最後に隠していてすまないと謝った。
俺の目を見ずに、窓を見ながらそう呟いた。
「謝罪など……。父上が謝ることではありません……」
黒いモヤが心の中で激しく渦巻いた。
何もかもを壊してやりたかった。
ドリーンを殺した者を見つけ出して殺してやりたかった。
父が口封じや過去の清算のために行ったのかと思ったがそうではないと言う。
ではいったい誰が何を目的としてドリーンを殺したのか。どうして死ななければならなかったのか。考えれば考えるほどモヤは大きくなる。
この気持ちはどうすれば消化できるのかわからず、父の部屋をあとにしたあとは無心で剣を振った。
模擬剣が壊れるほど打ち込み。腕が動かなくなるまで剣を振り。ようやくモヤが晴れていった頃に、改めてドリーンのことを考えた。
何が真実であっても、ドリーンは俺を育ててくれた大切な人であり育ての親だ。その事実だけは何があろうとも変わらない。
ドリーンはきっと復讐など望まない。それどころか今の俺をみたら叱るだろう。
そう結論付け、芽生えかけていた復讐心を心の奥底に潜ませることにした。
☆
十三歳になって数か月がたったころ、一番上の兄上が大切な話があると俺を自室に呼び出した。
「――以前父上が話していたドリーンの件はすべて嘘だ。あんな与太話を真に受けて馬鹿正直に信じるなよセドリック」
でっぷりとした体形の兄は、くちゃくちゃと耳に障る音を鳴らしながら間食をとり、そんなことを言った。
「……なぜそれを兄上が知っているのですか。いえ、それよりもなぜ父上が私に嘘をつく必要があるのでしょう」
「そう急くな。それを話すために、今この時を選んでお前をよびだしたんだ」
この時とは、両親が王都へと向かって屋敷にいないタイミングのことを指している。
「そもドリーンはお前をさらってなどいない。お前はドリーンと一緒に捨てられたんだ。正確には父上がお前を殺そうとしたところ、ドリーンがお前を連れて逃げ出した。しかし老婆の足ではそう遠くにいけるはずもない。赤子を連れての長旅となればどちらかが確実に死ぬか、どちらも死んでしまうだろ。だから誇り高き貴族ではとても寄り付けない、薄汚い棄民街などに隠れて暮らしていたんだな」
「…………」
なぜそんなことを兄上は知っているのかという疑問が浮かぶ。
「父上は貴族として当然だが、完全な純血主義だ。生まれたばかりのお前の怪力を見て、純血の人間ではなく魔族の血が流れた忌み子だと思い込んでしまった。我が家には以前にもそういう子供が生まれていた前例があるからな」
貴族には魔族や亜人の血が混ざってはいけない。
法で定められているわけではなく、純血の人間であるのが好ましいとされているからだ。
「だが何かを機に、お前が忌み子などではなく神の力を持つ神子であると知った。そうして慌ててドリーンからお前を取り返したというわけだ」
「…………」
「この話を知っているのは、もう死んでしまっているお前の本当の母親と、育ての親のドリーン。そして当時から働いている一部の使用人だけだ」
「どうしてそんな話を兄上が知っているのですか……」
「ドリーンとお前の関係は前々から怪しく不審な点があると思っていて、極秘裏に調べていたんだ。そうして一年前、口の堅い執事長に白状させたのさ」
もう何が真実なのかわからない。誰を信用すればいいのかも。
こんなときにも薄ら笑いを浮かべる兄に腹がたった。
肥えた体を揺らし。人の不幸の何が楽しくて笑えるのか。
だがそれ以上に、父に対する怒りが勝っている。
そうして気づけば部屋を飛び出していた。
父と母は王都にいるため直接の確認はとれない。そのため真実をしるという執事長に詰め寄った。
自制などきくはずもなく、貴族らしからぬ乱暴な振る舞いをしてしまう。
胸ぐらを掴みあげられ、床から足が離れた執事長は苦し気に答える。
「すべて……真実でございますっ」
それだけで十分だった。
掴み上げていた執事長をおろして暴力をふるったことを謝罪し。真っすぐに屋敷から出ていく。
「おいおい、こんな夜更けにどこへいくつもりだセドリック」
庭を抜けた先。衛兵に門をあけさせているところで兄に呼び止められる。
「いまから王都へ向かいます。俺はこの件の真偽を確かめなければならない」
「馬も使わずに自分の足でか? そも無駄なことはやめろ。いまさら真偽を確かめたからといって何になる。それで愛しのドリーンが生き返るわけでもなし」
人を小ばかにし見下しているのが、言葉の節々に感じられる。
わざと怒らせようとしているかのようで不快だ。
「それでも正しきをなさねば気が済まないのです!」
「ハッ、正しさだと? 正しさとはなんだ? まさかとは思うが、家督を息子に譲る準備をしている初老の男をつかまえ、その怪力でもって殴り殺すことか?」
口にはしなかったが、返答次第ではそうなるかもしれない。
「王都でそんなことをしてみろ。父上は子の癇癪もろくに制御できぬ愚鈍な当主であると蔑まれ。我がプレンティス家は軽んじられてしまうだろう」
「今さら家名をどうこうなど――」
「棄民街あがりのお前が、これまで不当な扱いもされずにこの屋敷で暮らしてこれたのが父上の計らいのお陰だと知らんのか。恩を仇で返し、家名に泥を塗りたくるのが、お前の言う正しさだというのならば、俺はお前を心底に軽蔑するぞ」
「……ッ。それは……はい、答え次第では暴力に訴えていたやもしれません。ですが兄上の言葉で目が覚めましたので、暴力には訴えぬと誓いましょう」
「どうだかなぁ。お前の激情ぶりを見ていると、今にも俺に殴りかかってきそうに見えて足がすくんでしまいそうだぞ」
茶化すように釘をさしてきたのは、兄に対して抱いている怒りも見透かされているからだろう。
「それにお前が抱いている感情は、正義や義憤などではなく、ただの逆恨みや個人的な怒りでしかないという自覚はあるのか? 屁理屈をこねて怒りを発散するため、おためごかしを言って正当化しているだけじゃないのか? 俺から言わせれば今のお前には微塵の正しさも感じぬよ」
兄の言うことはきっと正しいのだろう。
厳しい言葉を使うのも、家名のためであり、そして俺のためでもある。
「ではどうすればよいのかお教えください。この胸に渦巻くどす黒い気持ちはいかにして消せばいいのかっ……。どうか正しき道に私を導いてください。私には何が正解なのかわからないのです!」
「それぐらいは自分で考えろ。お前はまだ若いのだから、なんでも人に答えを求めようとしていてはいつまでたっても成長できんぞ」
片方の口角だけあげて笑う兄。
言っていることは正しくとも、怒りを煽るような仕草は増々憎たらしく映る。
「私は……俺は家を出ます」
「正気か? 家を出るというのは名を捨てるという意味で言っているのか?」
兄は驚いた素振りを見せるが、依然として表情は笑ったままだ。
「はい。迷惑はおかけしません。セドリックという名もここに置いていきます」
「そんな単純な話なものか。お前がいくら名を捨てたと言ったところで、お前がなにか汚点を残す度に、世間ではプレンティス家のセドリックがしたことと受け取られる。だからお前は若くて青いと言っているのだ」
「であるならば、何者の目にも触れぬ場所でひっそりと余生を過ごします」
「ハッ、それができるなら誰も苦労はしない。だがまあいいだろう。復讐など考えないと言うならば止めはしない。それが考えた末の決断ならば好きにすればいいじゃないか。父上には俺からよぉく言っておいてやる」
「お願いいたします。それでは――」
「そう急くな。せっかちはお前の悪い癖だぞ。ほれ、少ないが餞別だ。こいつを持っていけ」
兄が小さな袋を投げる。投げられた袋は俺の足元で転がることなく止まった。
「たまたま持っていたはした金だ。今夜は色街に出ようと思っていたのだが興が削がれたわ」
「これはいただけません。私はもうプレンティス家の者ではありませんので」
「我がプレンティス家が、家も持たぬ浮浪者を前に施しもできぬほど困窮していると世間に思わせたいのか? お前の言う正しさとやらが口先だけのものでないのなら、そいつを素直に拾っていけ」
それが兄の優しさであり、拾うことでプレンティス家との絶縁を意味しているのは明らかだった。
「……お心遣い、痛み入ります」
「ああ、好きなだけ痛んでくれ」
そうして俺は貴族としてのセドリックという名を捨て、ただのロビンへと戻った――。
行くあてなどなくとも、足は自然と棄民街へと向かっていた。
屋敷を出てから数日たってマフィーダにたどり着く。
華やかな暮らしなど性に合わなかったのだろう。貧民街に踏み入ったときにはかえって落ち着いたほどだ。
貧民街の更に奥。棄民街へと到着したところで、不意にドリーンとの思い出がよみがえり、涙がとめどなくあふれ出た。
☆
着ていた服は売り払い、まとまった金をつくる。そのお金を使って安物の衣服を購入して棄民街に家を借りた。
探索者としてダンジョンに潜ることで定期的な収入を得るようになると、貴族として生きていた頃に学んだ剣術や武術が役に立っていることに何とも言えぬ感情を抱く。
恨みさえ抱いていた貴族としての自分が、生活を安定させることに一役も二役も買っていることに歯がゆさのようなものを覚えさせた。
夜はダンジョンに潜り、昼のうちは教師の真似事を無償で始める。
ドリーンが俺にそうしてくれたように、学も金もない子供たちに文字の読み書きや、簡単な計算を教え、少しでも生きやすくしてやりたかったのだ。
しかし自分から教えを求めてくるものなどそう多くはない。多くはない上に一人また一人と減っていく。
子供が減っていくのは学ぶ意欲がないからではなく、人さらいに捕らえられ奴隷として売られてしまうからだった。
学のない子供たちは考えるのが苦手で甘い言葉に騙されやすく、容易く奴隷に落とされてしまう。そういう子を増やさないためにも、子供たちには道徳を学せ、いかに世には悪人が多いかを説き続けた。
時には奴隷商の手先や賊どもと直接戦うこともあった。
そうして一人でも多くの子供を救うため、俺はこの街に帰ってきたのだと思うようになっていった。それがドリーンの遺志であると信じて。
☆
冬の棄民街には雪が降る。
凍てつくような風の吹く日も、子供たちは小さな体を震わせながら寄り添いあって命を守る。俺が子供のころからそれは変わらない。変わる余地がないのだから変わるはずもなかった。
寒さに耐えきれずに死んでしまう子は何人もいた。食べる物を探しにいったきり帰ってこない子もいる。
そうして春になるころには子供たちは半数にまで減り。それでも夏までには新たな捨て子が増えて、減ったのと同じ数を維持する。棄民街とはそういう場所だった。
救える命には限りがある。
ドリーンだって俺を助けるだけで精いっぱいだったのだ。全てを救おうなどと考えるのは傲慢極まりない驕りである。
子供の失踪は日常的で、当たり前に起こることだとしても、一人消えれば己の身を引き裂かれるようなおもいをする。
だからできる限りのことはした。しかし俺にできることなどたかがしれている。読み書きを教えることと、子供をさらう悪人から武力でもって抗うことだけだ。
子供たちを守るために人さらいや盗賊団と何度も衝突した。
生まれ持っての怪力もあって、油断さえしなければ後れを取ることなどはない。
戦って戦って戦い。抗って抗って抗う。
そして、最後は守ろうとしていた子供たちに裏切られてしまった。
読み書きを教えていた子供たちに背後から襲われたのだ。
気を失っている間に、俺は奴隷商に売り渡されていた。
俺につけられた命の値段は、かたい黒パンが三きれだったそうだ――。
☆
気を失っているうちに牢に入れられ、目覚めたときには鎖でつながれていた。
目覚めてすぐに状況を理解できた。
俺は売られたのだ――と。
ドリーンのときとは違う。今度こそ本当に売られたのだ。
守ろうとしてきた子供たちに必要とされず。見捨てられたのだ。
思えば俺のしてきたことは善意の押し付けでしかなかったように思う。
子供を守るのも勝手にやったことだ。自分の未来も定まらぬ男が、子供たちの未来を背負おうなど、烏滸がましかったのかもしれない。
子供たちには恩着せがましく感じられ、鬱陶しく思っていたのかもしれない。だからこうして売られてしまった。
奴隷商に売りはらった子供たちを恨むことはない。
誰だって他人よりも自分の命が大切にきまっている。俺を救い、育ててくれたドリーンが特別だったのだ。
明日を生きるためのパンと口うるさい俺とでは天秤にかけるまでもなかったのだろう。
俺が売られることで子供たちが一日でも長く生きられるならそれでいい。そう考えることにした。ドリーンならきっとそう考えるから。
「……っ」
手足にはめられた枷と鎖を引きちぎろうと力を込めるがびくともしない。
力には自信があったので、壊れぬ鎖に困惑する。
「おう目覚めたか。ああ暴れるな暴れるな。無理無理無駄無駄、お前の馬鹿力でもその鎖は千切れねぇよ。そういうふうな細工が施してあるんだ」
その男は、特殊な呪文が彫られた手かせと足かせは俺の怪力を封じていると語った。そしてもう二度と陽の光を拝むことはできないのだと。
それからすぐに拷問が始まる。
食事中も睡眠中も排泄中も、昼夜問わずに暴力を振るわれ続けた。
それは生を投げ捨てたくなるほどの、筆舌に尽くしがたい、絶倒するほどの激痛と、絶望の淵に突き落とされる苦痛の連続だった。
☆
あれから何日が経ったのだろう。
日の感覚も失い、今が何時なのかもわからない。
ただただ痛みから解放されるために、自分が殺されるのを願うばかりだ。
「そんな目で見るなよ。美しく仕上げてやってるんだから感謝してほしいぐらいなんだぜ」
「そうそう。もしも恨むなら俺たちよりもずっと上。君を拷問にかけるよう命令した貴族様を恨んでよね」
「どんな拷問をしたかを逐一報告させられて、俺たちだってうんざりしているんだ」
「感性で美を追求しているのに頭で考えろなんて無茶を言うなよね。しかも俺たちは字なんかろくに書けないのに。もう色々と面倒なんだから」
貴族の命令――つまりこの状況は父の指示だったのだろう。
兄を差し置いて家督を譲ってもらえるという話だったが。それほどの期待を寄せられていたというのに裏切り当然の形で家を出て。後ろ足で砂をかけて出奔したのだから、これも当然の報いなのかもしれない。
「しかしまあこんだけズタボロにされてもよく生きてるよな。しぶといというか、頑丈というか。普通ならとっくに死んでるぜ」
「流石に限界でしょ。最近じゃあ叫び声もあげなくなっちゃったし」
「それはお前が舌を抜いて喉を潰したからだろ」
「そうだった? まあそんなことはどうでもよくてね、死ぬ前にいいことを教えてあげるよ。真実も知らずに死ぬのは報われないからね」
拷問吏たちがニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべている。
男の話に何の興味も湧かない。新しい知識や情報などもはや必要がない。
俺は少しでも早く死にたかった。この苦痛から解放される唯一の選択が死であるならば、喜んで死を受け入れる。それほどまでに拷問の苛烈さは極まったものだった。
「お前の育て親の婆さんなんだけどな。あれを殺したのはお前の実の兄ちゃんだぜ」
「――――?」
口から声にならない音が漏れる。
「本当に知らなかったみたいだな。お前さん貴族だったんだろ? だったら普通わかるだろ。骨肉の争いなんて貴族の世界じゃ日常茶飯事なのに、隙を見せるからこうなるんだぜ」
疲れ果てた体では、何を言っているか理解するのにはたっぷりと時間を要した。
思考を整理できずに手間取っている間にも、拷問吏は話しを続ける。
「いかにも貴族の坊ちゃんが考えたらしい、実に浅くて、いきあたりばったりの計画だぜ」
「でも結果的にはそんな無茶な計画通り、君はこうやって芸術になっているんだから権力っていうのはおっかないよね」
痛みも忘れ、考えるのもやめて、男の言葉を聞くことだけに意識を集中した。
「実の兄ちゃんからよ、お前は子供の頃に親から殺されかけていた――とかなんとか教えられてたんだろ? でも実際はそうじゃないぜ。神子のお前に家督をとられるのを恐れた兄ちゃんが、赤子のうちにお前を殺すことを計画していたんだ。つまり、お前を殺そうとしていたのは親なんかじゃなくて兄ちゃんの方なんだよ」
ひとの神経を逆なでする、兄の不快な笑みが脳裏に浮かぶ。
ドリーンの教えを疑わず、見た目と性格は必ずしも一致するものではないと思っていた。
嘲笑うかのような不敵な笑みを顔に張り付けていた兄でも、心のうちには人が当たり前に持つ善の精神や志。貴族としての立派な信念を抱いていると信じて疑わなかった。
それなのに――。
「勘がよくて不幸なメイド長はその計画に気づいちまった。気づいたからには無視できない。幼い命を守るため、赤子を抱いて屋敷から逃げ出したのさ。そんでな――」
父の話では、ドリーンが俺を誘拐して奴隷商に売ろうとしていたと言っていた。
兄の話では、父が俺を忌み子だと思って殺そうとしたと言っていた。
しかし拷問吏たちの話では、兄が家督争いのために俺を殺そうとしていたと言っている。
「――そのメイド長の名前ってのがドリーンっていうんだ。聞き覚えのある名前だろ?」
いったいどれが本当の話なのかわからない。
俺は何を信じればいいのか。
全員が嘘をついていて。この男の話も鵜呑みにはできないのかもしれない。
「親父さんは今の嫁さんが反対するのも無視して、お前を何年もかけてさがし続けた。そんでもって再会を果たしてハッピーエンド――とはいかなかった」
「実の兄ちゃんは心中穏やかじゃないよね。殺そうとしたはずの弟に逃げられて。逃げたと思ったら今度は成長して帰ってきたんだもの。だから焦った兄ちゃんは、君をなんとか家から追い出そうとあれこれ画策してたんだよ」
「メイドの婆さんを拷問して殺したのも、お前を怒らせて粗暴な振る舞いをさせるためだとか。計画の邪魔をした報復だとか色々理由はあったみたいだぜ」
「何一つ思惑通りにはいかず、なんの意味もなく殺されちゃった形になるけど、結果的にこうして上手くいっているのは流石貴族様って感じだよね。運もなければ貴族は続かないからね」
なんだそれは――。
「お前が家を出るって自分で言い出したときには、兄ちゃんは小躍りしたくなるほど喜んでたってよ。めでたしめでたしってか」
「どう? しらなかった? とっておきの情報だよこれは。しかし馬鹿な婆さんだよね。首を突っ込まなければ拷問もされず、もっと長生きできたはずなのにさ」
俺を殺すために牢に入れたのはいい。
貴族社会というのは表面だけ見ればきらびやかなものでも、内側を覗けば血の海にたゆたう海賊船のようなものだ。権力闘争に家督争い。血の流れぬ日などないと聞く。
だがドリーンは死ぬべき人ではなかったはずだ。貴族とは無関係となり、外の世界にいたはずの人間だ。
俺をいたぶり殺すだけで気が済むならば、ドリーンを殺す必要などなかったはず。
「お前が死にそうになったらこれを伝えろって頼まれてたんだ。そんときの反応もしっかり報告しろってな。拷問なんかを生業にしてる俺たちが言えたことじゃないが、お前の兄ちゃんは豚の面をした魔物だぜありゃ」
「俺は兄弟に対してそんなことはできないなぁ」
「違いねぇ。貴族様ってのは大変だよな。平民に生まれてよかったぜ。こんな可愛い弟を殺さないで済むんだからよ」
「兄ちゃん……」
「弟よ……」
心のなかの黒い渦が炎のように立ち昇り、視界を黒く染めていく。
俺はあの兄を――兄だった豚を殺さなければならない。ドリーンの仇を討たなければ死んでも死にきれない。
「ッ…………っ――」
「おいおい、そんなにボロクソにされてんだから動けるわけねぇだろ」
だが、体は自由が利かない。
手足の腱は切られ。皮膚と筋肉を削られ。自力で立ち上がることも叶わない。
舌もなく喉も機能しないので喋ることもままならない。
片目は捨てられ。鼻と唇も取られた。陰茎もなく睾丸もない。
傷を塞ぐ治癒ポーションだけで、ろくに食事も与えられなかったせいで残った数本の指にも力が入らない。
それでも生きているなら十分だ。生きている限りは必ず殺してやる。
あの豚の死を願った。殺してやると誓った。もしも神がいるならば、あの豚に死よりも恐ろしい恐怖を与えてほしいと祈った。
復讐を果たしてくれるならば死神でも邪神でもなんでもいい。どうかあいつを殺してほしい。殺させてほしい。
俺の行いが世の理に反し、死後冥界で永劫の苦痛を味わうとも構わない。魂など肉体ごと全てくれてやる。
死を待つばかりであった俺が強く生を望み。心の奥底から奴の死を望んだ。
自分の無力を恨み。自分の愚かさを憎み。その怨恨は全て兄だったモノへと向かっていく――。




