人が多いと誤解は瞬間的に膨張する
「言葉で伝わらないなら実力行使しかないけど……君はそれでいいのかな?」
ティアスが腰に佩いた剣に手を伸ばすとそれまで騒がしかった酒場がしんと、水をうったようにしずまりかえる。
「――喧嘩だ!」
誰かがそう叫んだことで、短い静寂は一瞬にして、一斉に破られる。
「喧嘩じゃねぇだろ、ティアスは剣を抜いたんだから決闘だぞこりゃあ!」
「決闘って言ったか!? 相手は誰と誰よ!?」
「天下のティアス様と顔焼きのエルだってよ!!」
「うぉい、まじかよ!? とんでもねぇビッグカードじゃねぇか!」
「賭けだ賭けだ、俺が親になるからみんな中央の卓に集まれや!! オッズはエルが三にティアスがー……ああ四でどうだ!? 手数料に小銅貨一枚いただくぜ!」
きったはったの刃傷沙汰すら迅速に娯楽にしてしまうのは感心するが、命で遊ぶのは悪い慣習だ。
その金を教会に寄付したり。貧民街の貧しい子どもたちに恵んだり。モテない俺をすくうための合コン費用として使ってあげたらどうなのか。
「さぁー張った張った!! おい物を放るなよ。現金以外は受付けねぇーからな!」
「俺は手堅くエルに大銅貨三枚だ!」
「俺はティアスに銀貨一枚! 頑張れよティアス、俺の明日以降の夕飯を豪勢にするためにな!」
「ティアスに銀貨十枚賭けるぜ。負けたら俺がティアスをぶっ殺してやる!」
「お前が勝てるような相手じゃねーだろバーカ。そんときはティアスに金貨をかけてやるよ」
「んだとぉ? 万年低階層止まりの探索者のてめぇは金貨なんて見たこともない貧乏人だろうが。それがどうやって金貨を賭けるってんだぁ!? お前の不細工な嫁さんに精子でもかけてろ!」
「嫁は関係ねーだろうが! あいつは俺からしたら世界一の美女なんだよ! 取り消さねぇとお前にぶっかけるぞ!」
「上等だゴラァ!!」
かけられるのが上等なのか?
「おいおい他の喧嘩はよそでやれ! 急がねぇと賭けをしめちまうぞ!」
酒場は一瞬にして沸きあがり熱狂的な盛り上がりをみせ。二人の決闘とは無関係な者たちまでもみ合いになり喧嘩を始めてしまっている。
これでは仲裁も難しい。
弱者を一方的にいたぶるならば身を盾にしてでもかばうが、同じ穴の狢が同じレベルの相手と争っているのなら、それは自然の摂理である。
怖いから放っておこう。
「さ、騒がしくなってきましたね。うるさすぎるのは苦手なので私もここいらでおいとまさせてもらいましょうか」
「うるさすぎるのは苦手って……まさかあんた」
不穏な言葉と硬貨と物が飛び交う酒場にこれ以上いたくありません。
巻き込まれる前に店を出よう。
「待てよ神父さん」
はて、なんでござんしょう。
この場には一秒でも長居したくないので手短にお願いしますよマスター。
「あんたまさか喧嘩にまざって静かにさせようってんじゃねーだろうな」
「…………は?」
まさかはこちらのセリフだ。
誰が好き好んで喧嘩などに混ざるものか。
いいか、人は殴られると痛いし殴った方も痛いんだよ。
双方得もないことを益もなしに進んでやるものか。
やるならばやるほうも気持ちよくて、やられるほうも気持ちいいことがしたい。
「うちの店で人死になんて出すんじゃねーぞ。御上に営業を止められちまったら一生恨むぜ」
喧嘩? 人死に? ご冗談を。
もしも喧嘩になったら真っ先に死ぬのは俺の方ですよ。
死んだ相手を恨んでも何もかえってはきませんぜ。
それにマスターみたいないかつい男の恨みを買うぐらいなら喧嘩の不買運動を起こしてやります。標語は「喧嘩、カッコ悪い」でどうでしょう。
「酔っぱらって忘れてるかもしれないがティアスのバックには貴族様がいるんだ。へんに突っかかっても痛い目を見るのはあんたの方だぜ」
誤解は続くよどこまでも。
安心してください。絶対に絡みませんから。
教会のときのようにティアスは羽虫でも叩くような軽い気持ちで私に絡んでくるかもしれませんが、一度絡まれた羽虫側からしたら一生忘れられない恐怖体験なんです。
あのときも顔を真っ赤にして大層怒っていらしましたし。
誤解を解くには苦労したもので、けっきょく解けきれずに連行された。
最後までバインドを解かなかったあの魔術師には特に恨みが深い。
「誰が相手でも喧嘩などしませんよ。私は敬虔な信徒。シクリッド教団の神父なのですから」
偽らざる本音である。
絶対に喧嘩なんてしたくないもの。
「本当か? 戦神に誓えるか?」
そんな祈りを捧げる機会のない物騒な神に誓うまでもなく喧嘩などはしない。
「心の中で百は誓っておきます。お代はここに置いておきますからね」
「おい、まだ話はおわって――」
「釣りは結構。飲食以上に楽しい時間を提供していただけたので」
焼き魚はけっきょく提供されなかったけどな。
お釣りをもらっている時間すら惜しいのでポケットから抜いた銀貨をテーブルに静かに置いて、そそくさとその場を去る。
無駄に高い背を利用して群衆の上から現場を覗くとエルはすました顔で食事を続けていた。
こんな状況でも食事を続けられる神経の図太さは見習いたいが、見て学んだところで実践できるものではなさそうだ。
「おい神父さんこれ金貨だぞ! 本当に釣りはいらないのか!?」
「でえぇっ!?」
カウンターから聞こえてきたマスターの声。
早く帰りたい気持ちが先行し、焦って多めに払ってしまっていたらしい。
小銀貨を持ってきていたつもりなのに、暗い教会で漁っていたせいで誤って金貨を持ってきてしまったようだ。
金貨は結構な額だ。今の貨幣価値で考えるとお酒が百以上は飲めてしまう。急いで取りに戻らなくては。
勘定に気をとられていると酒場の中心で盛り上がってテンションがぶち上がる連中たちの投げたジョッキが目の前に飛んでくる。
「おっと」
ジョッキがぶつかる前にキャッチしたまではよかった。
無理な態勢で足腰に余計な力を入れてしまったせいで、油でぬめった床で踏ん張りがきかず転倒しかけてしまう。
「ぬおぉおおっ!?」
いくら踏ん張ろうとも油で力が逃げてしまい体勢を整えられず不細工な舞を披露する。尿意も催しているので力の加減を誤れば噴射してしまうのも厄介だった。
漏らすまいと意味もなく片手を股間にあて、バランスをとるためにもう他方の手をあげる。
小股でしぶとく藻掻き、後退しながら近くにあったテーブルにやっとの思いで手をつくと、そこには配膳されたばかりのアツアツのスープがあり――俺はそこに手を突っ込んだ。
「ぐわぁぁぁあっ――つぅッ!!」
勢いよく鉄製のジョッキでテーブルを叩きつけ、スープの入った皿をひっくり返し、酒場を揺らすほどの絶叫をあげてしまった。ちょっと目立ったかも。
「な、なんだ今のは。爆発音……? 地面が揺れてたぞ? 火山でも噴火したのかよ?」
「魔物の咆哮……ってわけじゃないよな……?」
「お、俺は見てたぜ、あいつが戦闘前の儀式っぽい踊りを舞いながら叫んでたのをよ!」
一人の男が俺を指さし、手にかかったスープにも負けない熱い視線が俺一人に集まる。
いますぐその指を下げろ。
人に指をさしてはいけませんとお母さんに教わらなかったのか。
俺は幼い頃に司教から指に毒を塗られ、皮膚の焼けるような痛みで学んだぞ。
「あの目無しのガキを商売のダシにしてるって噂の極悪神父が参戦か!?」
「男のガキに性欲処理もさせているっていう、魔族も裸足で逃げ出す悪の化身が!?」
おうおう、いつのまにか世間様ではとんでもない誤解と噂が広まっているようですな。
教会にくるのは老人ばかりで若い人は一人も来ないわけだ。
「荒くれの大賊ロイズレッドが決闘に混ざる気だってよぉ!」
「おい起きろあのロイズレッドが参戦するってよぉ! いや誰ってお前、あの畜生神父のロイズレッドだろ! 豚を犯してから頭から丸ごと食ったていうあれだよ!」
「あれが神に屁をかけることも厭わぬショタ狩りの悪魔か。とんでもねぇ体格をしてやがる。見掛け倒しってわけじゃないだろうな」
「すっごい筋肉……あれだけ大きければあっちも凄いんだろうね。一回は掘ってもらいたいもんだぜ」
「冗談でもやめとけって。一回で済めばいいけど、十回は抜かずに終わらねぇって話だぜ。そんで終わるころには尻穴が閉じなくなるってよ」
畜生だの大賊だの荒くれだのショタ狩りだの好きに言ってくれる。
俺を悪く言うのは勝手だが、ルカを巻き添えにするのはやめていただきたい。
彼の明るい未来を俺のせいで暗いものにはしたくない。
それと誤解したまま参戦を勝手に決めないでください。
「あれがロイズレッドか……実物は噂以上だな。まるで動く山だ。やたらとでかいやつがいるとは思っていたけどよ」
「あのマスターと話せるんだからとんでもない人だとは思っていましたけれど、そんなにヤバイ人なんですか?」
「ヤバイって言葉の成り立ちがあいつに由来してるってぐらいヤバイやつだ。そういやお前はまだ見たことなかったんだな新入り。みろよ、強炭酸みたいに弾けた面をしてやがるだろ。おっと目だけは合わせるなよ。若い男は目が合ったら掘られちまうって噂だ」
何かしら貶めないと俺の紹介ができないのだろうか。そして紹介が一つもあっていない。情報の伝達には、はやさよりも正確性を重視してほしい。
「青筋浮かべて鬼気迫るすげぇ顔してやがる。まるで血管の浮き出たぶっとい陰茎だぜ」
血管が浮かぶほど顔が強張っているのは認めるが、それは手が熱かったのを我慢しているからだ。
それにしても強炭酸弾ける血管の浮かんだぶっといペニ顔とか悪口にしても言いすぎではなかろうか。様々な悪口を言われてきたがチンポに似てる顔はさすがにはじめてだ。
つらくても泣くなロイズレッド。泣いたら我慢汁が出てるとか言われるぞ。ストレスで嘔吐などしようもなら射精だなんだと喜ばせてしまう。
「しかし、どうしてあいつがブチギレてるんだろうな?」
ブチギレてなどいない。
強いて言えばジョッキを投げたやつには一言謝ってほしいぐらいで、けっして怒ってなどいませんよ。「ごめんね」してくれたらすぐに「いいよ」するつもりだ。
「あいつがキレるのに理屈なんてありゃしねぇさ。獣並みの嗅覚で喧嘩の臭いを嗅ぎつけて、自分も暴れたくなっちまってんだろ」
正解は喧嘩の臭いを嗅ぎつけて逃げるところだった――なんですよ。
嗅覚もなにもこの場にいて喧嘩の気配に気づかない方がどうかしているだろ。
「ははぁ、さっきの雄たけびは俺も混ぜろって吠えていたってわけか。へへ、さらに面白くなってきたじゃねーか!」
混ぜるな。面白がるな。
期待のこもった視線の熱いこと痛いこと。
俺が雪だるまだったら秒も待たずに溶けてしまうほど熱い。
「俺は反逆者ロイズレッドに銀貨一枚だ!!」
えっ……?
なぜ俺の名の後に金額が提示されたのか。競りでも始まるのだろうか。
買っていただけるならこんなゴロツキたちではなく優しい女性がよかったな。
「待て待て! まだオッズも決めてねーのに賭けようとすんなって。ロイズレッドならそこそこの勝負を見せてくれるだろうが実際に喧嘩してるところは見たことがねぇ……まぁ噂を信じて2ぐらいでどうだ!」
どうだではない。
そんな子供がカブトムシを戦わせるみたいな軽いノリで参戦させるな。
実力がわからないのに高めに設定するなよ。
「ロイズレッド……また君か」
気づかれる前に騒ぎに紛れて帰ろうとしていたのに騒ぎのせいでティアスが俺の存在をばっちり認識してしまっている。
「お久しぶりでございます。ご健勝のようで何よりの極みでございます」
そこで提案です。元気が有り余っているようなのでダンジョンなどで発散していらしてはいかがでしょうか。
「とぼけて……久しぶりなものか。つい二日前の昼にも会ったばかりだろう。まあ君は僕を無視していたようだけどね」
「はて……そのようなことがありましたか? 会えば声の一つもかけさせていただいたと思いますが」
「街中で黒ひげをたくわえた小男と妊婦が仲睦まじく歩いているのを挟んですれ違ったじゃないか。その時の君は僕を無視して歩いてってしまったね」
それは会ったとは言わない。
見かけた、あるいは貴方の言う通りすれ違っただけだ。
身勝手な理屈を押し付けて無視をしたと憤ってもらっては困る。
因縁の付け方教本があるならば例題として載せられるお手本のような難癖だ。
一度ゴロツキを集めて教習会でも開いたらどうだろう。盛況のうちに終わると思うぞ。
「あー……なんと言いましょうか。私と貴方では会ったの認識に大きな齟齬があるように感じますね」
「そうかな。これが普遍的共通認識だよ」
「普遍という言葉にも解釈違いが生じているようですね」
「へらず口ばかりを言って。相変わらず舌が回るようだね。舌に油でも塗っているかのようだ」
えっ、今の俺が悪いの?
ちなみに下に油を塗ってくれる女の子は募集中だ。
「その強風の日に立つ風車のように回る舌で何人もの女を口説いてかどわかすという噂はどうやら本当のようだね」
事実無根にもほどがある。
俺は彼女ができたこともなく娼館にも行ったことのない生粋の童貞。いかなる噂が流れようとも女性関係に限っては自信をもって否定できる。
「女の敵ニャ」
猫の亜人が口をはさみ、目が合うとわざとらしく怯えたそぶりを見せて視線を逸らした。
それを周りが笑っている。
全員舐めてグルーミングしてやろうか。本当の恐怖というものを植えつけてやる。
「決闘などと騒がれていますが、私のは誤解ですよ。争うつもりはありません」
「君になくともこちらには大義がある」
「大義ですか? それはどのような」
「君を討ち滅ぼし、世の女性が安心して眠れる世にしなければならない。それが僕の掲げる大義だよ」
それは大儀ではなく虚偽が近いのではなかろうか。
どの角度から見ても隙のない完璧な美顔をこれでもかと輝かせるティアス。
周囲の女性たちは色めき立ち、黄色い声援を投げかけている。
この眩い輝きを放つ男とすれ違っても気づけかったのが悪だったというのなら、確かに俺にも非はあるのかもしれない。
だが俺も一言ある。一方的に無実の罪で牢獄へぶち込んだ俺への謝罪をするために、気づいたならそっちから話しかけろよ。そんで全裸土下座しろ。
「じろじろと不躾だね。もしかして僕の魅力に誘惑されてしまって好きになってしまったのかな?」
なに言ってんだこいつ。
好きの意味も解釈が違うなら同じ言語で喋っているのかも怪しくなってきたな。
「でも残念ながら何度も何度も僕の前に現れるものだから、君の顔はもう見飽きているんだ。そう何度も見たいものじゃないからね」
一回目ならイケたみたない余白をのこすのやめろな。
同性だからという理由で振ってくれ。また変な誤解が補強されてしまう。
「それに関してはまったくの同意見です。私もできることなら視界に入れたくないと思っていますから」
自分でも子供たちを遠ざけるこの顔が好きになれない。
ティアスが言う何度も見たくない顔というのは一理ある。
「ですので気があいますね」
共感を示して敵意がないことを猛アピール。
「なんっ……!」
俺も鏡を見るが苦痛でしかたないのだ。
朝起きたら顔がティアスのように美しくなっていたらいいのに。
改めて見るとティアスの整った顔面は恒星のように輝き、裸眼で観測するには眩しすぎた。
彼は鏡に反射した自分の光で目が潰れたりしないのだろうか。
「暴徒ロイズレッドの野郎なんておっかねぇ顔で睨んでやがるんだ」
「オレにはわかるぜ。ありゃ喧嘩が楽しみで仕方ない。待ちきれないって顔だ。久々の好敵手の登場に血沸き肉踊ってるんだよ」
お前は何もわかっていない。
路傍の石にも劣る俺には恒星に等しいティアスの顔面がまぶしすぎただけだ。
サングラスをも貫通しそうな美顔が直視できず薄目になっていたのだ。
野次馬のせいで変な流れになっては困る。
円滑なコミュニケーションの基本は笑顔だときく。
まずは愛想笑いを浮かべてご機嫌を取るところからはじめようか。
「あんな邪悪な笑顔を浮かべられたら、はらの中で何を考えているのかも手に取るようにわかるってもんだ。あれはティアスを殺す気だぜ」
ギャラリーの皆さんがもう本当にうるさい。
手に取っていいからもっとしっかり俺の腹のなかを見てほしい。
恒星はギャラリーの意見を鵜呑みにしているご様子。顔色がかんばしくない。一方で取り巻きの衛星たちは何も発せず、その静かさが逆に不気味だった。
心を読むことはできないのでなにを考えているかはしらないが、疎まれているのは確実である。
「君と僕はひかれあい互いが互いを避けては通れない――そういう星のもとに生まれたみたいだね」
そんなはた迷惑な星があるなら今すぐ爆散して消えてほしい。
「言い換えれば運命……とでも言うのかな?」
――そして争いあうのも運命だ! とか言い出しかねないので先手を打とう。
「運命なんてとんでもない。そんな重たい言葉を使って己の行動を縛りつけ、あなたの持つ輝かしい未来を。無限の可能性を狭めてはなりません。私たちがこうして対峙してしまっているのは偶然で、必然でもなければ運命でもありませんよ」
「ムッ……」
なにをムッとして怒ってんだよ。
否定したら怒るし認めたら決闘だし、俺はどう転べばいいのだ。
「あなたほどの実力者が私のような路傍の石などに気を取られているのは時間の損失です。正気に戻ってください。あなたの前にいるのはただの石ころですよ」
だから金輪際石ころには関わらず無視してください。
たまに蹴るぐらいなら許容しますから。
「何を言うかと思えば。僕はいつだって本気だし正気だよ」
本気で運命だと思っているのなら余計にたちが悪い。
占星術師にようく見てもらえ。しがない神父の俺と栄光にまみれた聖騎士のお前の運命は重なるどころかかすりもしていないはずだから。
「ですが、こんな狭く人の多い場所で剣を抜く方が正気であるとは私には思えません」
言われて辺りを見渡すがティアスは何もわかっていない様子。剣をしまえって暗に言ったんだよ。
こんなやつ聖騎士の資格を剥奪すべきだろ。
酒場で剣など振り回せば下手したら関係のない人まで巻き込んで怪我をさせてしまう。凶器を握っているならそういうところまで自覚して気を回すべきだ。
そして俺はその剣で確実に大怪我をする側の人間だ。頼むからしまってくれ。
剣で怪我をするぐらいなら、おチンポフェンシングをさせられるほうが幾分かましだ。それなら絶対に俺が勝つ自信もある。
自慢ではないが俺の聖なる棒は硬い。
腕立て伏せの途中に両手を背に回しても、勃起さえしていればそのまま高さを維持できるほど丈夫だ。
本当に自慢できないけどな。
「そんなにギャラリーが気になるなら場所を移すかい?」
戦うことを既定路線として話を進めないでいただきたい。
話し合いで解決しようという選択肢がなぜ浮かばないのか。
そんなに俺と争いたがる理由がわからない。
こいつは前世で樹液をめぐって戦いに明け暮れていたカブトムシか何かだったのだろう。そしてさぞメスにモテたことだろうな。
現世でも自慢の角でもって女を突いて、滴る蜜を啜っているのだろうから前世も現世もやってることはかわらないね。
「あいにくではありますが私は武器を持っていません。そもそもこれでは決闘が成立しませんよ。決闘をする気があるならば、私も武器を持参してここに立っているはずですので」
とっさに考えた言い訳にしては上出来だ。
両者が武器を持たねば対等であるとはみなされず、法的に決闘は成立しない。
つまり俺が武器を手にしない限りは決闘は行われないのである。ざまあみなさい。
「ですので私はあなたに敵意などはないと――」
「へへ、これを使ってくれよ神父様。おれっちはお前に賭けてるんだ。頑張ってくれよな。なにせ明日の娼館が豪勢になるかどうかがかってんだからよぉ」
「…………」
野次馬の一人が親切に剣を差し出してくれている。
これほどのありがた迷惑もめったにない。
なぜ俺がお前の渾身の射精に貢献するために命を賭けないといけないのか。
余計な真似をして活路をふさぐな。おかげさまで対等になってしまうじゃないか。
「どうしたんだい。その剣を受け取りなよ」
やだ。受け取ったら命を差し上げないといけなくなるもの。
「私は神父ですので教会指定の武器しか握れません。本来この手は人々に教え説いて正しき道へ導くために聖典を抱くためにあります。剣などとてもでもはありませんが握れませんよ」
「一理ある」
百理はあるよ。
「人の手あかがついた武器は握らないというのは、戦いに対するこだわりの強さを感じるね。戦闘狂の君らしい考え方だ」
一理もかすってない。
そも共感の方向性が誤っている。どう見ても戦闘狂はお前だろ。
俺を同じグループに所属させるな。
「それにここは食事と飲酒を楽しむ酒場なのですから。剣を握って争う場所ではありません。それでも戦いたいと言うのならば、ここはひとつ飲み比べで勝負するというのはどうでしょう」
思い付きにしてはわれながら名案である。中々小粋な躱し方ではないか。
「僕は下戸だよ。それこそ対等じゃない」
「…………」
じゃあ酒場にくるなよ――と声を大にして叫びたい。
酒が飲めないなら帰って綺麗どころを侍らせ。団扇であおいでもらい優雅に紅茶を嗜みながらハチミツを塗ったパンや焼き菓子でも口に運んでもらっていたらいいじゃないか。その容姿なら可能だろ。
「さっきから様子がへん……というよりも僕を気遣っているように見えるけど、なにを遠慮しているのかな」
どこまでも察しの悪いやつだな。
争いそのものを遠慮したいんだよ俺は。
「まさかとは思うけど筋肉と性欲しか取り柄のない分際で、僕の腕を疑っているのかな?」
お前が俺の何を知っているのかは知らないが、よくぞそこまで完璧に言い当てられたな。
俺は筋肉と性欲しか取り柄がないというのはまさにその通りで一切の反論の余地がない。意外と観察力あるなこいつ。
「だとしたらそれは過小評価と言わざるを得ない。実に心外だ。僕は昨日よりも今日。今日よりも明日と常に成長しているんだ。以前までの僕とは別人だと思ってほしい」
以前のティアスなどしらん。
聖騎士の称号を授けられるぐらいだから元々才能はあったのだろう。
十分強いのに日々成長しているのならなおのこと手合わせしたくない。
「どうしてもひく気はないのですか」
「どうして僕がひかなければならないのか理解に苦しむよ」
エルと決闘するはずだったお前が俺に剣を向けている状況のほうが百倍理解に苦しむのだが。
「いいでしょう。僭越ながら、あなたに教えを説いてさしあげます」
こうなったら腹をくくるしかない。
それでもできるだけ穏便に。
「やっとその気になったかい。正々堂々雌雄を決しようじゃないか」
性々堂々オスメスが決めたいならもう俺がメスってことでいいからやめにしてくれないか。
「貴方の望み通り話を進めましょう。ですが武器は一度しまってください」
「なんで?」
小首をかしげてちょっと可愛いのやめろ。ドキッとしたろうが。
「人死には出すなとマスターに頼まれているのです。私が受けるのは決闘ではなく、あくまでもエルと貴方の喧嘩の仲裁ですからね」
「武器を使えば僕が死ぬ……とでも言いたげだね」
自分を見くびるな。論ずる余地もなく死ぬのは俺だ。
「いいよ。みえみえの挑発に乗るのは癪だけどね」
相手になってあげるという恩着せがましい言い方をされるほうが癪だ。
しかしこれで最悪の結末だけは避けられたな。
「ハァァアッ!!」
「はぅうっ!?」
突如、腰がひしゃげるような重い衝撃が腹部を襲う。
何事かと思えばティアスの拳が俺のみぞおちにめり込んでいた。
突然の攻撃に嘔吐と失禁の同時放水の危機にさらされる。
腹から伝わる衝撃が胃の内容物をせり上げ、膀胱から少量の尿を射出させた。
意に反して強引に広げられた食道が焼けるように熱く。少しもれてしまった聖棒の先っぽが熱い。
不可解なのは痛みと混在した下腹部にただよう妙な違和感だった。
しかしどうして俺は殴られたのだろう。
まさかとは思うがこの男、剣をしまえと言ったのを素手ででの喧嘩に切り替えるものと誤解したのか。
そうだとしてもせめてやるまえに一言合図ぐらいしてほしかった。「いくよー。せーのっ――」で殴ってくれれば腹に力を入れることもできたし、ちょい漏れすることもなかった。
漏らしたことを悟られぬよう、自分よりも幾分も背の低いティアスを見下ろす。
自分の巨躯を使えば多少なりとも恐怖心を煽れるだろうという姑息な思惑があったが、ティアスは意に介さずといった様子で口をたわませて歪んだ笑みを浮かべている。
不意打ちで漏らすほどの腹パンをしておいて不敵に笑うとか。こいつに人の心はないのか。聖騎士になれたのも金の力か顔の力だろこれ。
「さすがだね」
「な、なにがでしょう」
ティアスの拳打が後を引いている。
ティアスが鎧を着ている分の重みが加算されている――とかそういう次元の痛みではない。
腹に風穴が開いたかと思って何回も確認しちゃった。
「僕は巨岩を砕くつもりで殴ったんだけどね。イメージしたのは最下層に現れる硬い甲殻を持った魔物。そいつとの水中戦を想定して内臓ごと背骨を砕く――そんな感じさ。でもこの程度の攻撃じゃあ、やはり君には効かないか」
人をそんなとんでもない意気込みで殴れるなんて親からどういう教育を受けてきたのだろう。育った家庭環境を疑うわ。親の顔にかけてやりたい。
道徳や思いやりという言葉を知っているか尋ねたいものだ。
仮に知っていても俺の知らない意味で覚えているのだろうな。
思いやりとは殺すこと。死とは現世からの解放を意味する救済だ――とかな。
「岩を割るですか。ええ、確かに割れましたよ。ほら、私の岩のようにかたい腹筋がこの通り割れてしまいましたから」
冗談で場を和ませようと腹筋を見せる。
我ながらすごい筋肉だ。本当に人間か?
「なぅっ……! な、なんて分厚い腹筋。僕が小人ならロッククライミングができるね……」
何言ってんだこいつ。
独特な感性をお持ちのようだな。
お前が小人でも体内に侵入されてボコボコにされて負ける未来が視えるよ。
服をたくし上げたまま自信のある腹筋を見せ続けているとティアスは怒りで顔を赤くさせ、周囲からは謎の歓声があがった。
尻の割れ目からもあれこれ出そうになっていたがさすがにそこは見せたくない。
隙あり――などとさきほどの岩をも砕く拳打を突き込まれでもしたら「イクよー。せーのっ――」してしまうだろう。男には前立腺があるから。
「気になるようでしたら試しに撫でてみますか?」
あまりにも物欲しそうに見ているので冗談を一つまみ。
試着してみますか? みたいな軽いノリである。
「えぇっ!? まぁ、じゃあお言葉に甘えようかな……」
冗談で言ったのだが本当に撫でてくるティアス。案外ノリがいい。
そう、モテる色男というのは決まってノリがよくて陽気なものである。好かれる理由がわかってしまうのがつらい。
「うわっ……すごっ」
手甲がひんやりとしていて気持ちいい。
酒の勢いとは神父が聖騎士に腹筋を撫でられるとか、すごいことになっているな。酔いが急速にさめていくのを感じる。
「す、すごいや。鋼鉄みたいに硬いのに柔らかくて反発力もある。この弾力が衝撃を吸収して無効化してしまったんだね……」
俺を殺すための分析に余念がないな。
しかし触り方が優しい。最初からそれぐらいの優しさで殴ってくれ。
「さて、次は私の番ですね――とはいいません。そこでもう一つ提案があります」
「この期に及んでまだなにかあるのかい? でもいいだろう。いいものを見せてもらった代わりに君の要求をのもう。乗り掛かった舟だと思って聞いてあげるよ」
今すぐその船から降りてくれないか。乗りかからないでくれ。
そっちが降りないなら乗った覚えもないが俺から降りよう。
「なかなかの拳でしたが、それだけ強ければ自身への負担も相当なものかと思います。現役の探索者が仕事でもないのに怪我などしたら大事でしょう」
「……これから戦う相手に情けをかけるなんてずいぶんと情が深いんだね。余裕のあらわれだというなら全く面白くもないよ」
俺はお前を楽しませるためにここにいるんじゃない。
こいつは自分以外の人間は全員道化師だとでも思っているのか。思っていそうだな。
「それでなのですが、私を殴って十回以内に膝をつかせたらあなたの勝ち。先に膝をつかせなかったら私の勝ち――というルールにするのはどうでしょう」
もう殴られるのは避けられない。ならば回数を限定しよう。
「お前の枯れ枝のような細腕では俺の岩よりも硬く逞しい腹筋を殴り続けていたらいずれ拳を壊してしまう……だからそうしろと? まったくいやになるぐらい慈悲深いね君は」
そうは言っていないよね。
この人の頭はどんな翻訳機能を搭載しているのだろう。こんなところで油売ってないで語学の勉強をすすめたい。
真っ向から戦って予期せぬ一撃を貰い糞尿まき散らして泣きながらダウンするような醜態をさらすよりは、来るとわかっている攻撃を受ける方が遥かにましだ。
一応泣いて漏らさないようにだけは気を付けたい。
三回ぐらい殴られたところで膝をついてティアスに花を持たせればよいだろう。
「君はそういうやつだとは重々承知している。君は、君はいつだってそうやって……。どこまで、どこまでも僕を――」
不意打ちの気配を感じとり腹筋に力を入れる。
予想通りティアスは動き出し、超至近距離から放たれた拳は再びみぞおちに突き刺さる――かと思いきや。肩の動きだし。拳の角度。踏み込まれた左足。それらの点と点が結んだ先には俺の聖棒のやや下へと導かれる線が繋がっていた。
「まッ――!」
身長差が生んだ不幸とでも言えばいいか。
頭に血の上ったティアスに股間を狙う意図などなかったのだろう。
たまたま軌道の先に玉々があった――それだけの話である。
だが当事者からすれば、それだけの話で済ましていい問題ではなかった。
打ち下ろし気味のストレートは吸い込まれるように玉へと一直線にむかってくる。
それは、さながら空をかける流星のよう。
著名な天文学者たちも青ざめて、この流星がどこから流れどこへ向かうのかを最後まで見届ける勇気は持たないだろう。
ティアスの言葉をかりるならそれこそ運命のようだった。
運命の赤い糸に導かれた右拳が俺の聖棒のオプション部分へと飛来し、着弾する未来を俺だけは予測できている。
聖棒の強度には自信があるもののオプションは違う。
ティアスの拳打を正面から受けられるほど耐久力があるわけではない。
人類が何万何十万年とかけて進化してきた結果、外に出さざるを得ないという結論にいたった臓器こそが睾丸だ。
そんなデリケートな部分に岩砕の拳打など打ち込まれてみろ。腹を打たれて吐きかけ、膝が震えたのだ。次はナニが震えてナニを吐き出してしまうか想像するのも恐ろしい。
ロイズレッドは男に股間を殴られると射精する――そんな噂が流れたら人生詰みである。
最悪の場合、大人だけではなく近所の子どもたちにも白いおしっこおじさんと認知されて避けられる未来がありありと浮かぶ。
ルカにまで避けられるようになったら俺はこの町にいられる自信がない。
「――なるものですか!」
鍛え上げた自慢の腹筋で受けるため、とっさに股を開いて腰を落とす。
躱すのは不可能だと判断し、必要最低限の動作で危機を回避する最良の方法がこれだった。
だがそこで再び滑りやすい床が悪意を持って俺を襲う――。
飲食店特有の油でぬめった床と、ひっくり返した際に付着していたらしいスープが靴底に加勢。摩擦係数を減らして想定以上の勢いで開脚してしまう。
腹筋以下の筋肉を総動員するが時すでに遅し。
一度ひろがり始めた股関節の動きは己の制御を離れて一瞬で可動域の限界をこえて開脚する。
下半身からパキャッという人体から聞こえてはならない音が鳴り全身に響くと、骨折を疑うほどの激痛が股関節を襲った。
「キャァオっ!」
「あいぃッ!?」
甲高い悲鳴が二つ。
滑った勢いで位置の下がった頭が前傾姿勢で殴りかかってきていたティアスの頭頂部に打ち下ろされていた。
「う、うぐぅ……あぅぁっ……」
床に転がり頭を押さえてうずくまるティアス。
股間こそ殴られずに済んだもののティアスに一撃を入れてしまうという最悪に近い結末を迎えてしまった。
「や……やりやがったぁ!! みたか魔王ロイズレッドがやりやがったぜ!」
「見事なもんだ。頭突き一発であのティアスをしとめちまいやがったぞ!」
一斉に湧きあがる野次馬たち。
「野郎、ぺちゃくちゃといいわけがましいことを喋っていると思ったらこれが狙いだったんだな! さすが邪神崇拝の悪魔神父だぜ」
狙ってなどない。
狙われたイチモツを守るためであって、故意犯に仕立て上げないでほしい。
「あのティアスにカウンター一閃か……バケモノだな」
「バケモノって、見た目はそうだが、あれがそんなにすごいことなのか?」
「カウンターが相手の勢いに自分の体重を上乗せしてダメージを増やす高等技術なのはわかるだろ。だが理屈はわかっても実戦で簡単にできるもんじゃあないよな。それをあのバケモノは平然とやってのけた。それもティアスのようなスピードとパワーを兼ねそろえた相手に一発で決めたんだ。こいつはバケモノとしかいいよがねぇ。あれができるってことは――あの野郎、対人戦用に相当な鍛錬を積んでやがるぞ」
「対人用の鍛錬!? そんなの何の役にも立たねぇし金にもならないだろ。俺たちみたいに魔物を相手にしてるもんは普通魔物相手の鍛錬はしても対人を想定したものなんてやりゃあしない。そんなものは騎士道がどうのと名誉を気にする貴族様たちが儀礼用に習うぐらいだぜ」
「ああ、だからあの野郎はヤベェんだよ。あいつは人をぶっ壊すためだけに対人戦を想定した鍛錬を積んできているんだ」
「なっ……。ま、まさか、じゃあ、やりあう前に腹筋を触らせていたのも……? ありゃあホモの所作じゃなかったって言うのか!? ティアスをそっちの道に誘っているもんだとばかり思っていたが――」
「そのまさかだぜ相棒。間違いなく意識を下に向けさせるためだ。ティアスも下ばかりを見て上から攻撃されるとは思わなかっただろうさ。だからもろにくらっちまった」
「言葉巧みに誘い込んで無防備な頭に一撃必殺でズドンッ。それも言葉が通じる人間相手だからこそってか。よくこんな悪魔みたいな戦法を思いつくもんだぜ。人間相手にも容赦しないなんておっかねぇ野郎だ。きっと人を人とも思っていなんだろうな」
後日俺が逮捕されても犯行時の詳細は彼らが盛りに盛って克明に話してくれそうだな。捜査もスムーズに進み事情聴取もすっ飛ばして死刑も滞りなくすんなり行われるだろう。
「ぅううっ……」
ティアスは軽い脳震盪を起こしているのか。左右に体を揺らしながら立ち上がると恨みのこもった目で睨みつけてくる。
「卑怯者……! 不意打ちなんて卑劣なまねをして……。百回殴らせるというのは偽りだったのかい!」
十回です。勝手に九十回も盛らないでください。
それに不意打ちなら貴方もしていましたよね。
頭を打って記憶が飛んでしまったのかな?
「大変申し訳ございません。足が滑ってしまいまして」
「そんな古典的な言い訳が通るとでも思っているのかい!」
ちょっと涙目になっている。
本当に痛かったんだな。ごめんなさい。
「それより頭は大丈夫ですしょうか」
「っ……。くだした相手にさらなる屈辱を与えて楽しむとはいい趣味だね」
顔がみるみる赤くなる。
頭は大丈夫かという言葉を「頭おかしいんじゃねーの」ととらえられたのか。まるで茹でたエビのように赤くなっていらっしゃる。
「でも君がそのつもりなら僕だって――」
「いいや、そこまでだ」
小さな――だが、はっきりとした声が店内に響きぇイアスの言葉を遮る。
「いい加減にしとけよバカどもが」
これからというところに割り込んできたのは酒場の主。マスターだった。
マスターの発した短い語句には人や空気を凍りつかせる凄味があった。
喉元に白刃を突き付けられたかのような緊張感。
誰かが生唾を飲む音まではっきりと聞こえるほど静まり、ここが酒場であることも忘れてしまいそうなほどだった。
背後から送られてくるロリ奥さんからマスターへ向けられる桃色の熱視線。ここが酒場ではなく売春宿ではないかとさらに錯覚させる。
ちなみに生唾を飲んだのは俺だ。
「うちは酒と料理を提供する店であって、女をめぐって殴り合うような幼稚なガキどもがくる店じゃねぇ。毛が生えそろってから出直してこいクソガキども」
「ぼ、僕はガキじゃない! 訂正しろ! 体だって十分に大人だ! 毛、毛だってはえてるかも……しれない……だろ!?」
聞きようによっては毛が生えてません宣言ともとれる。
言われてみれば確かに生えていなさそうな中性的かつ幼い顔をしている。
コンプレックスを刺激されて過剰に反応してしまったのかもしれない。
ちなみに俺は無毛だ。完璧に剃っている。
そのほうが蒸れないし、なにより生まれたままの本来の息子の姿が見れて好きだから。
「いきがんなよクソガキ。探索者になって十年も生きてねぇ半端なやつなんてのは、俺からいわせりゃケツの青いクソガキなんだよ」
何十年も探索者を続けて五体満足でいたマスターにそういわれれば誰も反論はできない。
エルですら片腕を失っているのだ。何十年も続けていたマスターの強さと偉大さがわからない愚か者は、命を無駄にする前に探索者をやめるべきだろう。
荒くれ者や犯罪者の集まる酒場をかわいらしいロリ奥さんを抱えて無事経営できるのにはそれなりの理由と背景があるということだ。
「くっ…………僕は子供なんかじゃないのに。お尻だって青くないっ」
ティアスもマスターの強さは理解しているようで、睨むのがやっとで続く言葉もよわよわしい。
それでもよくあの強面を睨めたものだと称賛の言葉をおくりたい。
おくったところで事態がややこしくなるのは目に見えているのでおくらない。
「この店は俺の店だ。俺がルールなんだ。俺がやめろと言ったらやめりゃいいんだよ。違うか?」
仰る通りでございます。一分の隙も無い完璧な論理でいらっしゃいます。
長いものに巻かれているほうが安心できるので一切の異論はありません。
「ルールが守れねぇ。どうしてもここで騒ぎてぇって言うならよ……」
放り投げた包丁が宙で高速回転しその場に停滞する。
空中で包丁を掴むと、ダンッ――とテーブルに突き刺し、みな一様に跳ねた。
曲芸じみた業に一番驚いたのは俺で、一番跳ねたのも俺だ。
「文句があるやつはまとめてかかってこい。俺の腕が錆びてるなんて思うなよ。愛の力で以前よりも調子がいいんだ。毎晩愛する妻を抱いてるからよ」
「あなたやめてぇ……」
マスターと親子ほどの歳の離れたロリ奥さんはおろおろとしながら顔を真っ赤にしている。喧嘩を止めたいというよりは情事をばらされるのが恥ずかしかったようだ。
どこか満更でもなさそうな態度で「どう?」みたいな感じで俺をみてくるのが、童貞かつ未婚な俺の胸と股間に痛いほど突き刺さる。
「言っておくが、俺が止めなきゃ死んでいたのはお前だぞティアス」
「な、なにを……」
「言わなくたってお前も本当はわかってんだろ。もし神父さんが本気だったなら、お前、死んでたぞ」
「っ……」
え?
「俺が見ていただけでも、神父さんがお前を殺す機会は十回以上はあったな」
「…………」
えー?
ないよー?
「なんてな。さあ今回はこれでお開きだ。うちのかみさんがおっかながっちまうからこの辺にしてくれ。あんま騒がれると俺があとで怒られるんだよ。まったくまいったぜ」
「お、おこらないもん!」
「ほらな?」
おどけてみせるマスター。
野次馬たちもマスターとロリ奥さんのやり取りに毒気が抜かれたふりをして各々が席へと戻っていく。
その流れに合わせてティアスも引き下がる――かと思いきや、まだ顔を赤くして俺を睨んでいた。とんでもない執着心だ。
茹でられたエビの色は二度とはもとに戻ることはない。そういうことだろうか。
「おぼえておいてほしい。次にあったら必ず決着をつけると」
何を言うかと思えば今すぐにでも忘れたいリターンマッチを無理やり予約し、返事も待たずに仲間をひき連れて酒場から出ていってしまう。
猫の亜人などはペッとつばまで吐いている。
その床に吐かれた唾を舐めとって恐怖のどん底に叩き落してやろうか。
モテない童貞を舐めるなよ。それぐらいやろうと思えば金を払ってでもできるんだからな。
「あの、マスター」
「なんだ」
「あれは無銭飲食ではないのでしょうか」
牢獄に入れて二度と出れなくしてしまいましょうよ。そうすればリターンマッチもなくなる。
「あつらは先払いで多めに払ってくれてる優良客だ。あんたと違ってな」
藪をつついて蛇が出た。




