誤解をされてロリ奥様にライバル視される
教会全体の掃除と修理の大半が終わったのは、マフィーダに到着してひと月以上がたってのことである。
敷地の広大さを考えればルカの助力がなければあと数か月は必要だったかもしれない。少なくとも裏庭のベリー畑と薬草用の畑の利用は来年、再来年を待たなければならなかったろう。
そんなルカの働きぶりに報いるなら食事ばかり与えていてももはや褒美にもならない。そのため盲目でも多少は楽しめるだろうと掃除の合間にオルガンの使い方を教えてやった。
軽い気持ちで教えてやったオルガンの演奏。
最初は押せば美しい音が鳴ることに感動して子供らしくはしゃいで喜んでいたのだが、教えられた楽曲を俺以上に弾きこなせるようになるのにはそう時間はかからなかった。
次第に既存の曲だけではなく新たに作曲まで手掛けるようになり。最近ではルカのオルガンを聴くために人だけではなく、鳥が樹々にとまり、リスが窓際に並び、野良ネコがルカの横で行儀よく座り、ときおり鹿が山から下りてきてと動物まで集まるようになってきている。
気をしっかり持たなくては思わず俺でもルカに祈りを捧げてしまいそうになるほどの美しい音色を奏でる。私には神がいるのに――という寝取られ感を味わわされる。
音に釣られてふらりと現れた老人たちなどは祈りを捧げながら感動に打ち震えては「長生きはするもんだ。生きててよかったなぁばあ様」「あっという間ねぇ。覚えてる、あの時の約束」「もちろんだとも。生まれた場所は違えと死ぬときは一緒……ばあ様が伴侶でなければ今この時はなかったなぁ」「そう、覚えていてくれたのね。愛してるわランディ……」「オレもだよテレマリー……」などとイチャイチャしだす始末。気づけばリスや鳥たちも交尾を始めていた。
ルカの奏でる音色には催淫効果などではなく生を実感させる力、生命力があるのだろう。聞いているとやる気がみなぎってくる。無論ヤる気ではない。やる気だ。
では聖歌を教えたらどうなるかと興味本位で指導してみれば、これまた恐ろしいほどの音域で、歌える者は世界に数人もいないという曲をすんなりと歌い上げてしまう。
感動のあまり小便が漏れそうになったのは人生でこれが初めての経験だった。
歌はオルガン以上の才を発揮しており、以前寝かしつける際に話してやった投獄された十日間の記録を感動的な詞に落とし込み、俺の失敗談が吟遊詩人が歌う英雄譚顔負けの叙事詩として昇華させてしまった。
窮地における人としての尊厳の保ち方。
損得勘定をせず自己犠牲をいとわぬ友情の在り方。
世の無常こそが常であると考えれば世に不幸などないという啓発的かつ新興宗教的なメッセージ。
そしてモッキーとの友情が儚く消え去る瞬間に焦点あて。命の脆さを説き。現実と幻想のはざまで、人と人との関係はいずれ終幕に向かうのだという残酷な運命を歌い上げて終わる。
教会へ熱心に足を運ぶ老人たちのあいだでは、これからは一週間を七日では十日にすべきではないかという、神に弓引くが如きとんでもない議論まで発生してしまっているから厄介だ。
今日はそんな多才ぶりを発揮して毎日俺を驚かせているルカを寝かしつけ、スヤスヤと可愛い寝息をたてるルカをおいて夜の街に繰り出した。
教会を出てすぐにサキュバスのお店のある方向へ足が向く。
子供たちや、さらわれた女性が無理やり働かされていないかを確認するため、身を投げうっての潜入捜査である。
しかし頭に眠っているルカの顔が浮かんできてしまったので、今日のところはやめておくことにした。
ルカはいずれ救済してやらなければならい。それもできるだけ早い方がいい。
司教の許可は得たので権限はある。救済をする覚悟もできた。だがわずかに迷いがある。
俺の一方的な善意の押し付けによる救済が、ルカを苦しめる可能性があるのが恐ろしかった。
ルカが涙をこぼせずに泣く姿はもう見たくはない。
正直なところ誤解をうけて一生拭えぬ心の傷をつけてしまい、嫌われてしまうのが一番恐ろしいのだが。
「結局は自分可愛さか……神父失格だな」
そうこう考えているうちに目的地の酒場に到着した。
教会に近く広い通りに面した酒場は、昼から営業をしている働き者の店主が営んでいる。
扉のノブを回して店内に入ると、凄まじい活気にあふれていた。
まるで生命力が津波となって押し寄せてくるような感覚。客の一人一人からあふれ出る活力にしり込みしてしまいそうな自分を叱咤し、勇気を振り絞って一歩進む。
十はあるテーブル席は全て満員。
座れるところは他にないかと探せば、木製のカウンターがほとんど空いていたのでそこを目指して歩く。
客は人間もいれば亜人もいる。なかには動物にしか見えない者も。
特に目を引くのは小さな動物が人間の様に座っている姿。衣服を着させられた成猫にしか見えないがあれも立派な獣人。人である。
背の高い椅子に座ってテーブルを囲う仲間たちと話している様はまさしく人種のるつぼだ。
よそ見をしながら着席するとカウンターの内側にいた店主が俺の前に歩み寄る。
「見ない顔だな。流れ者か」
ぶっきらぼうにそう言い捨てる店主。
こちらは一方的に顔を見知っていたのだが、想像以上に声が渋い。
顔も声に相応しく非常に厳ついつくりをしており、口髭が凄まじく似合っている。
左の目は眼帯で隠しており縦線の長い傷が頬まで伸びていた。
声が低い者同士、顔が厳つい者同士、共通点もあるので仲良くしたいものだ。
「そうでしょうね。私はひと月ほど前にこの町へきたばかりなものですから」
「馬鹿に丁寧な喋り方をするじゃねぇか。どこぞのお貴族様――って面じゃないな」
顔はお互い様だろ。見た目で身分をはかるな。
お前なんて山賊の頭領にしか見えないからな。
「この喋り方は不快にさせてしまうでしょうか」
「いや、この辺りじゃあ珍しくてな。気を悪くしたなら謝るよ」
「滅相もない。こちらは他所者の身ですからどう思われても仕方ありませんから。むしろあけすけにものを言ってくれるので、気兼ねのない会話ができそうだと安心しましたよ」
「フッ、そうかい」
「フフッ、そうなのです」
初対面にしては良い感触だ。
誤解も最低限で少なくまともに話せている。
「この町はどうだ。水は合うかい」
「活気のあるいい町ですね。ごたごたが続いていてすべては見て回れていませんが、骨を埋めるには適しているかもしれません」
「男がそんな簡単に第二の故郷をきめてしまってもいいのかよ」
「そうかもしれません。ですがそう思わせてくれるほど素晴らしい町であるということなのでしょうね」
「そうかい。ハッ」
酒場の店主はそう言って背を向ける。
待って、もっとお話ししようよ。
「気に入ったぜ、一杯目は俺の奢りだ。酒場に来たんだから飲めるんだよな」
おお、なんということだろう。
初対面の人が俺に酒を奢ってくれた。
こんなことは人生で一度もなかった。
お世辞で言ったのだが本当にいい町かもしれない。
「それではご厚意に甘えて、ありがたく頂戴させていただきます」
自分の分も用意していたマスターと鉄製のジョッキをぶつけ合い、最初の一口をいただく。
「はー、これは相当に上等な麦酒ですね」
冷たくはないが特段生ぬるいわけでもない。
管理方法がいいのだろう臭みもない。
「舌に転がる味に癖があり、喉越しも存分に楽しめる。これならば飽きずに百杯はいけてしまいそうです」
「ほう、この良さがわかるってことはあんた相当飲める口だろ。うちのは山の上を流れる水を使っているんだ。麦の仕入れ先にはちょいと縁があってな」
「なるほど山清水ですか。水と麦が変わるとこうも味が化けるとは。実に興味深い」
「酒には詳しいのかい」
「まったくの門外漢ですね。一応葡萄酒を作ったことはありますが、これほどのものはとてもとても。私はもっぱら飲む専門ですよ」
「普通はそうだろうな。作り手の方が少ない」
「それもそうでしたね」
二人して笑いあう。
周囲が少し静かになった気がするが、周りを気にするよりも今は久しぶりの酒に集中したい。
☆
話しをしながら十杯目を飲み終えたところでだいぶ酔いが回ってきたことを自覚する。
「いい飲みっぷりだ。ずいぶんな酒豪じゃないか。次に来たらジョッキではなく酒樽を出した方がよさそうだな」
「毒には強いんです。大概の毒は私にとっては薬とかわりません。ですので酒は百薬の長と言ったところでしょうか。されど万病のもとともいいますし、ほどほどにしておくのがいいのかもしれませんが」
酒場で酒を毒扱いはさすがに無礼だったかと反省したが、マスターは「そいつは面白い」と噛みしめるように笑ってくれた。
からになった鉄製のジョッキを置こうとしたが、酔いも手伝いカウンターに叩きつけて大きな音を鳴してしまう。
思った以上に大きな音が出てしまったので肩をすくめる。
それを見たマスターは同じように肩をすくめてまた二人で笑う。
ああ、なんていい夜なのだろう。
気の合う人と語り合いながら飲む酒がこんなにも美味しいとは。
わざと葡萄酒を胸に垂らして上目遣いをしたり。やたらと口移しをせがむ司教との飲みは理性との戦いでそれどころではなかったから。
「もう一杯いただけますか」
「さっきのであんたが飲んだ麦酒は十杯目だったな。いい加減その辺にしておいたほうがいいんじゃないか。いくらなんでもさすがに飲み過ぎだ。なによりペースが尋常じゃない」
精悍な顔つきをしたマスターに追加注文を咎められる。次は酒樽で出してくれるって言ったのに。
マスターの顔には額から左目を跨いで頬までのびた、裂かれたようないびつな傷痕があり、その傷が古強者をおもわせる威風を醸し出していた。
酒場のマスターというよりは山賊の頭領か傭兵団の隊長だと言われた方がしっくりくる強面に仕上がっている。
赤い蝶ネクタイなどつけているが、強面を中和させようとしているのか、可愛げを出そうとしているのかは知らぬが、悪人面と蝶ネクタイが絶妙にマッチして得も言えぬ恐怖を増幅させていることに本人は気づいていないのかもしれない。
そんな強面のマスターに真顔で駄目だと突っぱねられて真っ向から言い合える胆力など俺にはなく、結局マスターの言葉に素直に従うほかなかった。
「そんな睨んだところで酒は出てこないぜ」
断じて睨んでなどいない。
冷静に分析し改めて眺めたマスターの顔がこわすぎて緊張からかたまっているだけだ。よくこんな人と普通に喋って笑っていたな俺。
表情筋の操作を意識してなんとか真顔を維持しているが、少しでも怠れば恐怖から涙がこぼれて頬を伝うだろう。
「そこいらのぼんくらどもならあんたにひと睨みされただけでも小便チビっちまうだろうが俺はそうはいかないぜ」
「睨んでなどいませんよ。難しい顔は生まれつきですので」
飲食店の主が客の前で排泄の話を面と向かって堂々とするのはどうなのだろう。
お陰で小便と麦酒が繋がって、飲みたいという欲求が完全に失せてしまった。
「探索者や冒険者の集まる店なのでしょう。この酒場にそんな軟弱者は集まらないのではないですか。それに、私に睨まれた程度で漏らすような者など遅かれ早かれダンジョンの餌食になっているでしょうね」
「それもそうかもしれないな。いやそうに違いねぇ。魔物はアンタみたいに話しちゃくれねぇからな」
店内で最も軟弱で漏らしそうな俺が言うとやや説得力に欠ける。
現状チビる者がいるとしたらそれは間違いなく俺だろう。
表情筋に意識をもっていきすぎたせいで下腹部の制御が疎かになり、尿道が完全に緩んでしまっている。
調子に乗って十杯も飲んだのがいけなかった。もう一押し何かしらの刺激があれば容易に膀胱を決壊させるだろう。聖水のお漏らしはまずい。色々とまずい。
「ところで金は持ってるのか」
「金がなければ飲むわけがありませんよ。私を何だと思っているのですか」
「大酒飲みの貧乏神父だろ。違うのかい?」
「まあまああっています。ですが飲食の支払いできないほど困窮してはおりませんし、食い逃げをするほど落ちぶれてもいませんね」
最初から先払いで出しておくべきだったか。
荒くれ者が集まる店なので無銭飲食も多いのだろう。マスターの心中も察してやるべきだった。
マスターとは良好な関係を築いて友人関係に発展できそうである。
いや、一方的に友誼を感じているがマスター自身はどう思っているかは定かではない。
手ごたえはある気はするだけで本心など聞けるはずもなかった。
仮に俺をどう思っているのかをたずねてただの客だと言われたら、俺は心底落ち込んでしまい立ち直るのに長い時間を要するだろう。
それに俺のような人相の悪い大男がおずおずと「俺との関係をどう考えているんだ……?」などと聞こうものなら大きな誤解を生むのは目に見えている。
しかし、おかしなことに同じ強面仲間なはずのマスターには歳若い妻がいるご様子。
十二歳かそこらの子供にしか見えないロリータ奥さんだが年齢は二十を超えているそうな。
彼女はマスターに夢中らしく、今も配膳をしているさなかにチラチラと旦那の様子をうかがっては熱い吐息を漏らしている。
「どうやってあんなに素敵な奥様をつかまえられたのですか?」
どこぞの村からさらってきたのか。どこの国の奴隷市でかっぱらってきたのか。根掘り葉掘り詰問してやりたい。参考にして俺も美しい妻を娶りたい。一緒に仲睦まじく教会を運営出来たりなんかしたらもう最高だ。
「あぁん? あ、ああ、あいつのことか」
マスターは柄にもなく照れてみせ、デレデレとたるみきった頬をかきながら「山で賊に襲われているところを助けたんだ。そのあと偶然この街で出会ってな。そっからはあいつが運命だなんだって家に転がり込んでくるようになってな――とまぁそんな感じだ。そんな感じなんだよ。もういいだろ」と答えた。
なにがそんな感じだよ。家に転がり込んだ後に行われたであろう肝心なところも話さないし、絶対真似できない展開で参考にもならないわ。
山に美少女が落ちていて拾ったら自分に惚れましたなんて奇跡みたいな話をどう実生活に活かせばいいのか。山でも散歩してろとでもいうのか。美少女よりも先に熊や魔物と遭遇して殺されるわ。
受け身な恋愛は色男のみに許される特権だ。マスターからはもっとガツガツいった話や女性の攻略法や落とすコツなんかを聞けると思ったのに。
なにが運命の出会いだ。本当にそうだからこそ腹が立つ。
ロリ奥さん視点では、山で命を救ってくれた頼りがいのあるヒーローが自分の住む町にいたなんて夢みたいな話だったろうさ。ああ羨ましいやら妬ましいやら。
「支払いの話に戻すが、金があるならいいんだ。ないならツケといてやっけどよ……ああ、ツケの話はかみさんには言うなよ。あれで店の経営にも口をはさんでくるし最近じゃ俺よりも数字に詳しくなっていやがるんだ」
惚気だろうか……違うかな。
ちょっと敏感になりすぎか。
小声で話すマスターを怪しんだのか、ロリ奥さんは小首をかしげてこちらを見て「ケツで挟む……?」と疑いの目を向けてきている。
俺を見る目にはどこか敵意めいたものを感じてならない。誤解ですよ奥さん。取りませんよこんな髭面の悪人顔。
「それよりも私ばかりに構っていてもよろしいのですしょうか。ほかのお客様の相手は奥方様が担っているように見えますが、手に負えるか心配にはならないのですか?」
「ほかの客が手に負えるかってぇ……さっきから騒いでるあそこの連中のことか?」
マスターが顎でしゃくった方向には、店の中心で何やら揉めている集団がいる。
俺は騒ぎに巻き込まれぬよう背を丸めて気配を小さくする努力をしているのだが、徐々に声が大きくなってきたのでいつ巻き込まれるかと気が気がじゃなかった。
十杯もの酒を飲んでしまった理由も奴らが騒いでいるからだ。
本当は三杯ぐらいでお暇する予定で来店したのに店の売り上げに大いに貢献させられてしまっている。それに最初の方に頼んだ焼き魚がまだきてない。いつくるんだろう。
今いる席から出入り口へと向かう導線で連中は騒いでいるので、帰ろうとすればかち合ってしまう。
この大きな体は騒ぎたい連中からすれば恰好の的。横を通れば目をつけられて絡まれる可能性が高い。
これは経験則なのだが、徒党を組む輩というのは一人で目立つ者に対してはやたらと攻撃的なのだ。これは万国共通である。
そのためさきほどから帰るに帰れず酒を飲んでは時間を潰していたのだが、奴らは一向に帰ろうとしないで騒ぎ続けている。
「放っとけばいいんだよあんなのは。あんたが気にすることじゃねぇ。まあ神父だからこそ気になるのか?」
神父は関係ありませんね。俺だから気になるんです。
放っておけなんて自分の店なのに無責任なことをいっているが、仮に俺が絡まれたらどうしてくれるのか。助けてくれるのか。
「いえ、あれでは他のお客様にも迷惑がかかりそうだなと。うるさくて食事に集中できないのではないでしょうか」
「もともと騒がしい店だ。いやなら最初から入らないし入ってもすぐに出ていくだろうよ。だけどありがたいことにテーブルはこうして埋まってる。出ていかないってことは誰も迷惑じゃないんだろ」
はい、異議あり。
迷惑だと感じているので店を出たいのにそれができない小心者がここにいますよ。どうか気づいてあげてください。
「店内で殺しさえなきゃ喧嘩でもなんでも好きにやってくれって感じだな。まぁ、店の物を壊したり妻のマーサに怪我でもさせたら全員ぶち殺してやるがよ」
不意にマスターから放たれた殺気に膀胱が刺激されて尿意がほとばしる。
体感温度が下がったように感じたのはきっと錯覚ではない。
少し離れた席に座っていた客は腕をさすりながら周囲を見渡している。
俺は震える唇を隠すために空になったジョッキを口に当てて誤魔化した。
マスターは現役こそ退いたとはいえ今も街では彼を知らぬ者はいない凄腕の探索者だった男だそうな。
その眼力は凄まじく衰えなど感じさせぬ気迫を漂わせ。ぶち殺すという言葉が比喩ではなく迷わず実行されるだろうというのは疑う余地もない。
「アナタ……」
ロリ奥さんが「ハァハァ」と息を荒くしマスターの横へ駆けてきた。
頬をあからめてあからさまな発情をみせている。
ロリ奥さんにとってマスターの殺気はフェロモンかなにかに感じるのだろうか。
マスターの袖を引っ張りどこかへ連れ出そうとしているが、マスターは困った様子で頭を撫でて受け流している。
客前で盛ってないで働け。さもなくば最後までやれ。追加料金を払ってフィニッシュまで見とどけてやる。
「マスターも血の気の多い方のようですね。でなければこのような立地での繫盛は難しいですか」
「ハッ、あんたには敵わねーよ。現役のころだってあんたよりは数段大人しかったと思うぜ俺は」
俺の何を見てそう判断したのか知らぬが絶対に俺の方が大人しいね。
常時貧血で倒れてもおかしくないレベルの血の気しかないもの。
「ですがマスターはさきほど素手で獅子を服従させたというではないですか。私などでは獅子の前に身を晒すことすらできませんよ」
「あんたの獰猛さに比べたら獅子なんぞ子猫と変わらねぇよ」
獰猛の意味を知って使っているのだろうか。教典読ませてあげようかな。
腹をすかせて気が立っている獅子と比べたら、俺など地中に潜むセミの幼虫がいいところ。捕らえた獲物の肉を貪る獅子の下、せいぜい外敵にバレぬよう樹の根を吸うのが精いっぱいよ。
「マスターが探索者をやめて何年になるのでしょう」
「おっと、言っておくが誘われてもダンジョンにはもう潜らねぇぞ。俺は妻と娘のために生きるって決めたんだ。もう昔みたいなヤンチャはできねぇからな」
世間話を振っただけで誘うつもりなどさらさらないから安心してほしい。
それよりロリ奥さんがマスターのボタンをはずし始めているが止めなくていいのだろうか。
見事な大胸筋と意外と大ぶりな乳首。男らしいフェロモンをまき散らす胸毛がお目見えしてしまっている。とても不愉快だ。
ロリ奥さんは店で何をするつもりでいるのだろう。
こんな特等席で見せてもらっていいのだろうか。二人の行為を最後まで見せてくれるなら、内容次第では追加料金も弾むが。
「――君の醜い姿を見ていると料理が不味くなるんだよ」
「フェッ!?」
見物料を用意しようかと懐に手を入れていると、不意にきこえた耳に優しくない言葉を頂戴する。
反射的に体が反応してしまい振り返ってしまった。
自分が言われたのだろうと自然と振り返っていたのだが。どうやらいざこざを巻き起こしている団体様のやりとりだったようで俺が言われたわけではないらしい。紛らわしいやつめ。
醜い姿が――と絡んでいたのは超がつくほどの美青年。
声変わりをしていないのか男にしては高い声でさらに罵倒を続ける。
どこかで見覚えがあるような気がするが思い出させない。
「――君がいるせいでみんなの食が進まなくなる。君ならお金も持っているのだろうし個室があるような高級な店に行ってくれと頼んでるんだけど、僕の主張はそんなに間違っているかな。だって、君一人がいなくなればみんなが幸せになるんだよ?」
つややかで細い薄紫色の髪が目を引く美青年。
輪郭から髪質まで何もかもが俺とは対照的である。
俺もあれだけの色男に生まれていたら毎日鏡を見るのも苦ではなくなるだろう。
その男には女性だけではなく男の目さえも奪ってしまう蠱惑的な魅力があり、視線が吸い寄せられる。
あんな色男に色目を使われたら女性なら一発で落ちて。男でも心を強く持たなければ危ない薔薇色の道に進みかねない。
もし俺が神ならば美しすぎることを罪として裁きを下していただろう。
神ではないけれどモテない男を代表して個人的に裁いてやりたくもある。
「射殺すような視線てのはまさにこれか。小動物ぐらいならあんたに睨まれただけで死んじまいそうだぜ」
俺はただ見ているだけで射ってもいなければ殺すつもりもないですよ。
そも見ただけで命を奪えるような魔眼など神話の話しだ。俺を神話級のバケモノ扱いするな山賊め。
「そんなにあいつらが気になるのかよ」
「やっぱり男もイケるの?」
しれっとロリ奥様が俺を誤解していらっしゃる。
やっぱりとはなんだ。
「ええまあ、大きな声で話していらしたので否が応にもあちらに気を取られてしまいますよね」
「へっ、見かけ通り血の気の多い男だぜ。きっと神父ってのはみんなそうなんだな。いいやわかるぜ、一人で自分の城を守るとなれば力は必要だからな。守るべきもんが多いほど比例して力も必要になる。そのガタイも納得だぜ」
何を誤解したらそうなるのだろう。見ていただけだよ?
それにこの身体は性欲から作られたもので力を必要として得たわけではない。
「先頭きって騒いでいる小綺麗なのはティアス。横のテーブルでふんぞり返ってるやつらはティアスがリーダーを務める『雲外蒼天』ってパーティーだな。発足から早々快進撃を続けている貴族お抱えの少数精鋭の三人パーティーだってよ」
エフォートのティアスか。
見覚えのある外見だと思っていたが全く聞き覚えのない方なので勘違いだったようだ。
「財力を武器に、権力を盾にと随分好き放題してやがってな。目立つ見た目もあってここいらじゃあ評判もあまりよろしくないが、奴らの実力だけは本物だ。新天地の冒険だろうとダンジョンの探索だろうとなんでもこなしちまう上に、ティアスは聖騎士の称号まで持っているから町の治安部隊にも顔が利くってんだから厄介だ」
ステータスもりもりだな。
実力のある冒険者で探索者で聖騎士ときたか。
神父の肩書しかもたぬ俺では到底及ばぬ遠い存在感。
それも聖騎士と言えばシクリッド教団の中で言えばエリート中のエリート。
俺がなれるとしたらせいぜい性器士がいいところよ。
しかし聖騎士か。もしかしたら忘れているだけでどこかで会ったことがあるのかもしれない。
聖騎士の称号を持つならば、どこかしらで、教団本部や支部に顔を出しているはずである。
「すごい方なんですね」
「すごいなんてもんじゃないぜ。探索も冒険も高いレベルでこなしちまうから両刀のティアスとも呼ばれているんだ」
両刀のティアスか。
あの中性的な面貌も相まって男も女もいけそうなあだ名だな。
「探索者がダンジョン攻略のためにパーティーを組むならば最低でも六人以上で集まるのが定石であり常識だ。多ければ二十人。なかには百人規模のパーティーも存在する。そのほうが効率がいいからな。それが三人で数十人規模のパーティーと同等の成果をあげているってんだから驚かされる。それだけの実力があるんだから一目置かれるのも当然っちゃ当然だな。加えてそこに貴族の後ろ盾もあるとくれば、多少の無礼は許さなきゃならねぇ。あーやだやだ、世の中ってのはそういうもんだなんて簡単に受け入れられるようになっちまってる。俺も歳をくっちまったぜ」
「夜は若いのにね……」
ロリ奥さん攻めるねぇ。
お客さん目の間にいますよー?
マスターは自分用に出していた酒を一気にあおる。
さっきからばかすか飲んでいるがまさかそれ俺のお代に含めていないよな。それと焼き魚はいつくるんだい。
「しかし胸糞わりぃぜ。女相手につかう言葉にしては度が過ぎていやがる」
あちらで罵られているのは女性らしい。
言われてみればこちらも見覚えがある……が、思い出せない。
「でも女が男相手に強い口調で責めるのはいいのよね」
「ま、マーサ、そういう話は人前でしないでくれないか」
マスターとロリ奥さんがどういうプレイをしているのかが垣間見えた。
客の前では少しだって垣間見せるな。
「その長い耳は飾りなのかな? 返事ぐらいしたらどうなんだい、エル」
ティアスが絡んでいるのはエルという名の娘らしい。
「あいつのエルって名前は便宜上そう呼ばれているだけで本当の名もどこから来たのかも誰も知らないんだ。あの女について知っているのは、そのへんの有象無象じゃ足元にも及ばない勇敢な探索者であるということだけだぜ」
ほう。
そんな大人物に喧嘩をふっかけるとはあのティアスとかいう聖騎士は何を考えているのだろう。
咎めようにも立場上聖騎士には頭が上がらない。
俺にはなんの権限も強制力もないけれど、こっそり教団に言いつけちゃおっかな。
いや逆恨みされて絡まられるのは御免なので余計なことはすまい。
「あー……私には関係ないことなので余計なお世話かもしれませんが、やっぱり止めた方がいいんじゃないでしょうか。私には関係ないけれど備品とか壊れたら何だかんだ言いましてもマスターが困ってしまうでしょうし。私には関係ないけれど」
無関係な立場でいることをことさらに強調し巻き込まれないよう予防線を張りめぐらす。
こういう小者臭さがモテない理由の一つなのかもしれないが、筋肉と違って人間性というのはそう簡単には変わらないものである。
「ティアスの野郎……ああ胸糞がわりぃったらねぇ。貴族様の後ろ盾がなけりゃあ店から放り出してやるんだけどな」
マスターはティアスにご執心のご様子。
そんな怒れるマスターにロリ奥さんはご執心である。
発情してないで働け。俺が注文した焼き魚はいつ作るんだよ。もう帰るぞ。
「片耳や片腕の部位欠損。焼けただれた醜い顔。見ているだけで気分が悪くなるって客観的に自分を見れないのかい。君がこの場から立ち去ってくれるだけですべて丸く収まるんだよ? どうして頑なに動いてくれないのかな」
マントで隠れているエルの右腕には肘から下がない。
醜いと評された焼けただれた顔の半分は長くのばした乳白色の前髪で隠れてはいるものの、時折見える左の瞳に光が届いていないのは遠目からでも明らかだった。
「すごい傷ですね。知りはしなくともかつての激闘がうかがい見えるようです」
「まあ、街に流れて来た当時はあんな火傷はなかったんだけどな」
「そうなんですか? ではこの町のダンジョンはさぞ過酷なものなのでしょうね」
「過酷には過酷だがあいつの火傷はちぃとわけありだ」
そのわけには興味はあるが、あまり踏み込んで聞くのもよくないか。
人のゴシップを楽しむというのは教団員としてあるまじき姿。
誰々が誰と付き合ってどんなプレイをしているとかを嬉々として俺に語り聞かせる司教みたいになってはいけない。
「あいつの顔は、ああなる前はとんでもなく整っていて綺麗だったんだぜ」
聞いてもないのに話し出すマスター。
あえて聞かないというのも不自然なので耳を傾けよう。
「あなた……?」
「い、いや、これは客観的な話であって俺の好みの話しじゃねぇよ。俺が愛してるのはマーサだけだって」
「ふぅーん」
焼きもちを焼いたロリ奥さんの機嫌を取るべく軽くキスをするマスター。
ロリ奥さんはニヘラと笑って腕に抱き着き、「どうだ」と言わんばかりに俺に見せつけるように甘える。
ライバル視しないでほしい。べつにその山賊を狙ってないですから。
仮に俺とマスターがパートナーになっても山賊と海賊が手を組んで空賊になったとか言われるのがオチだ。
「べっぴんな上に腕もたつとくれば色んなところからの勧誘が絶えない。エルをめぐっての言い争いや殴り合いも、よく見かけたもんだ。そんなことが何ヵ月も続いたある日、エルは急に立ち上がったかと思えばここの厨房の中に勝手に入っていって自分の顔を油で焼いちまったんだ」
なにそれこっわ。
「意味がわからないだろ? 危うく俺が逮捕されちまうところだったんだぜ」
強烈な逸話である。
だがどうして自分の顔を焼くに至ったのだろう。
どんな思考をしていればそんな恐ろしい真似ができるのか。
俺など鉄板の上で跳ねた油にさえ逐一怯えているというのに。
「人の顔から煙が出るのを見るのなんて、人食い強酸蛙に顔を溶かされた冒険者を見て以来だったな」
なにその禍々しい思い出話。そっちも気になるんだけど。
「痛がりもせずそのまま突っ立ててよ。肉の焼けたいやな臭いのする、煙を噴き出したエルの顔に水をぶっかけてやってな――」
若奥さんは顔にぶっかけるという言葉に反応したらしく、私にもかけてよとプンスカしている。なんなんだよこの人。羨ましいな。
「――なんでこんなことをするんだって怒鳴ってよ。女が顔を自分で焼くなんて何考えてんだってな。そしたらこう言うんだよ。私の好きな人なら、私がどんな容姿であっても愛してくれるから――とよ」
それは好きな人がいるのだろうか。それとも理想の追求についての話をしているのか。どちらにせよ尋常な精神の持ち主ではないのは確かだ。
「そこらの有象無象に美しさを持て囃されて容姿を求められるのが不快極まりなかったんだってよ。コバエが鬱陶しいのは理解できるが、それだって自分で顔を焼いたりはしねぇよな」
そんなに女性に思われている男がいると思うと嫉妬の炎で俺が燃え尽きてしまいそう。
「とある聖女にこんな逸話があります――。その美貌で広く知られる若い女が教会にいました。ある日彼女は祈りを捧げに教会へ通う者たちが、神ではなく自分の容姿を目当てにきていて、信仰心など欠片もないと気づき心を痛めます。思い悩み苦しんだ末に彼女は、みなの目を覚ますためにと己の顔を火であぶって焼いてしまった……。その驚異的なまでの信心深さに感銘を受けた者たちは、みな一様に敬虔な信徒となった、と」
「そいつはとんでもねぇ聖女様だな……ホントに実在するのか?」
「はい実在の人物ですね。聖女の強い信仰心と同じように、エルという方も強い信念を持って生きているのでしょう」
「そうか、目の前に同じようなことをしたやつがいるんだから、その聖女様がいてもおかしくはないか……世の中ってのは広いもんだな」
顔が強面なことを気に病んでうじうじとしている自分が情けなくなる。
「爪の垢を煎じて飲ませていただきたい気分ですよね」
「い、いや俺はいらねぇかな。爪垢飲みたいは流石にやべぇー趣味だ……。病気とかになんなよ」
ロリ奥さんとマスターがとんでもない顔でこちらを見ている。
これは誤解されたな。
「趣味ではなく比喩ですよ。彼女の崇高な信念と誇り高い在り方を人として見習いたいという意味です」
「そ、そうか。ならよかったぜ。とんでもなく凶悪な変態かと誤解しちまうところだった」
ロリ奥さんはまだ疑っているようで、あなたの爪を隠して誤解したままですけどね。
しかしそのような背景があるならば、彼女の傷を嘲るのはなおもって許されんな。
理由が何であれ身体的特徴を揶揄われるのはけっして気分がよいものではない。
それは身をもってしっている。
彼女のように強い信念を持つ者が貶められている姿を見るというのは、自分が悪言を投げかけられるよりも数段気分を害する。
好き放題に言われたエル本人も業腹だろう――と思いきや、器用に左手だけでサボテンのステーキを切り分け、ティアスの言葉など耳には入らぬとばかりに素知らぬ顔で食事を続けている。
なんたる肝の座りっぷりか。
俺があそこまで言われたら半べそをかいて食事どころではなかったはずだし味など何も感じなかっただろう。
エルの一挙一動にはとても品があり、一挙手一投足に無駄がない。
一般的なマナーを片腕だけで完璧にこなしている。
美しい所作でフォークを突き立てられ、エルの口に運ばれていくソース滴る棘の抜かれたサボテン。
俺もあのサボテンになりたい――そんなことをぼんやりと思う。
けっして俺の聖なるサボテンを咥えさせたいとか、フォークで弄られたいとかそういうやましい意味では断じてない。
だが、もしもエルのような芯のある心の強き女性が俺の妻になってくれると申し出てくれたなら、そのときは喜んでサボテンを差し出すだろう。
「相変わらずエルは堂々としてやがるぜ。あれじゃあキャンキャンと吠えているティアスの方が分が悪く映るな」
「そういうものでしょうか」
周りは盛り上がっているように見えるが。
一人の女性を集団で取り囲み非難の的にさらし続ける様は不快以外の何ものでもない。
「若いうちは視野が狭いもんだ。周辺視野もなければ頭も回らない。あの若さで周りが見えるやつなんてそういない。俺だって若い頃はそうだった。敵なんかいねぇと思って無茶をした。勢いのあるうちは特にそうなるもんだな。あんただって思い当たる節はあるはずだ。昔はそうだったんだろ?」
いや俺はまだそこそこ若いのだが。ピチピチの20歳ぐらいである。
昔を語れるほど老けてはいないし経験も浅い。
親子ぐらいの差がる四十代かそこらのマスターと同年齢であるかのような話運びは甚だ遺憾である。
「エルの肝の据わり方はさすが現役一等の探索者といったところだな。俺が現役だったら間違いなくパーティーに誘ってたぜ」
「ふぇ……女の人をさそっちゃうの……?」
ロリ奥さんの目に涙がじわっとたまる。なんというかあざとい。
マスターの顔に「まずい」という文字がありありと浮かんでいるのがわかる。
「あ、いや、探索者としての話だぞ? 女としてじゃないからな?」
「グス……でも誘うんでしょ?」
「いやだから――」
まーた始まったよ。
ロリ奥さんは涙目で上目遣いなどしているが、好きな子にそんなことをされて困らない男はいない。羨ましくてこっちが泣きそうだ。
「お、おいこんなところで泣かないでくれよ」
いつもはどこで鳴かせているんですかねぇ。
「だってあなたはエルを誘うんでしょ? じゃあ私はいらないんでしょ?」
「ち、違うだろ、なんでそうなるんだ!?」
ロリ奥さんはけっこう面倒で重いタイプのようだ。
付き合うには相当な根気と忍耐力がいるだろう。
「じゃあ愛してる?」
「やっ……お前こんなところでそれは……客だっているのに」
「やっぱり私はいらないんだ……。死んじゃおっかな」
重っ。
明るい笑顔を振りまいて配膳していたロリ奥様は何処へ。
見た目は数グラムの綿毛が実は百キロありましたみたいなギャップである。
「あぁ、わかった、わかったって! お、女として見ているのはお前だけだよマーサ! 俺が愛した女はお前だけだ!」
「あなた……! しゅき!」
しゅきじゃねぇだろ。
客の前でイチャイチャと茶番を繰り広げやがって。
やるなら二階でやれ。ベッドでヤれ。
駄目だ。二人をみていると独り身の自分が惨めに思えてきて気が狂いそうになる。
嫉妬ではらわた煮えくりかえってもつ煮込みを口から吐きそうだ。
視線をそらし別のことを考えて己の精神を守ろう。
ティアスから暴言を受けても澄ました態度で食事を続けるエルの豪胆さはけっして虚勢などではなく。聞いた逸話からも察せられる実績と実力に裏付けされたものなのだろう。
ウサギの糞にも劣る俺などでは到達しえぬ域にいる。
顔の火傷の理由がこれならば、失った右腕も何かしらの深い理由があるに違いない。
彼女が偉業を成すにあたって必要な代償だったのだろう。
いったいどれほどの死線をくぐり抜け、どれほどの実力を持っていればあれほどの勲章をして生還できるのか。
あの傷は彼女が難事を切り抜けたきたというの生の象徴。
生ける伝説とは彼女をさすために生まれた言葉なのかもしれない。
だからこそ、そんなエルの傷を悪し様に語り続けるティアスに俺のもつ煮は煮えたぎっていた。
「べつにここを動いたら死ぬってわけじゃないんだし素直にどっかいたらー? じゃにゃいと残った左腕もなくなっちゃうかもよ? 不便でしょ両方なくなったら。あっ、でも芋虫みたいで可愛くなるかニャ。そしたら反射的に狩っちゃうかも……ニャーンちゃって、ニョハハハ!」
ティアスのテーブルにいるニャンニャンと独特な喋り方をする女がエルを侮辱して笑っている。
癇に障り吐き気をもよおすような言葉をよくもまあ立て続けに言えるものだ。
マスターの言う通り視野が狭く、その振る舞いが自分自身の価値を下げていることに気づいていないのだろう。
その女は長毛種の猫のような毛深い顔をしており、自分の手をぺろぺろと舐めて毛づくろいにいそしんでいる。
選り好みできる立場ではないが、妻を迎えるにしてもあの手のタイプだけは遠慮したいところである。
なんとなくだが浮気される気がする。
結婚したその日にされる気がする。
二股三股の状態で金目当てで結婚されてそう。
俺とはセックスしてないのに何故か妊娠してそう。
「食事処で流血沙汰を起こすつもりですか? スマートさに欠けますよ。理解できませんね」
他人事のような口振りで開いた本を閉じもしないふてぶてしく喋る男は魔術師特有のローブを身にまとっている。
そこで気づく。
どこかで見た顔だと思っていたが、彼らは教会に突入してきて賊どもを皆殺しにした一団である。
三角帽子を深めにかぶり片目を幾重にもまいた紺色の布で隠しているあの魔術師は、賊の拘束を担当していた気がする。
かっこつけてペラペラとページをめくっているが食事中に本を読むなと言いたい。
本が汚れるだろ。それが聖典だったら説教をしていたかもしれない。
目隠しファッションも食事中の読書もモテたくてやっているのはバレバレである。
恋人がほしくてたまらない俺でもそこまではやらないというのに、なんて幼稚で浅ましいやつ。
目隠しなんてSМプレイでするものだ。
それを堂々と人前でできる神経こそ理解できない。片目ではなくその変態的な性欲を隠せと言いたい。
だがそんな変態野郎にも女性が集まっていて、俺には一人の女性もいないのだからこの世は無情である。
俺からすればやつは変態だが、世の女性からすると魔術師の知的な雰囲気と華奢な体、そして目隠しをしたミステリアスないでたちがたまらないのかもしれない。
そんなのでモテるなら喜んで両目を布で覆ってやる。
実際に俺が隠したところで見えないのをいいことに脛を棒でぶん殴られるだけだろう。
これは負け惜しみなのだが、結局のところ魔術師を取り巻く女たちは好きな理由をあとから付け足しているだけに過ぎないと思う。
所詮は顔がいいから好きなのであって心など見ていない。
もしもそうでないと反論するならば、いますぐ俺の伴侶になって証明してみせろ。
一生幸せにしてやる。家事も仕事も全部俺がやる。束縛はしない。好きに生きてくれていい。趣味も自由にすればいい。妻は俺を愛してくれているだけでいいのだ。ほかにはなにも望まない。
だがその愛を得るのが最も難しいのだ。
「エル、君は少し名が売れているからって大きな勘違いをして調子に乗っているようだね。確かに腕の立つ評判の探索者なのかもしれないが、君を目障りだと思う者だって世の中には大勢いることを忘れないでほしいな」
ティアスの言葉はティアス本人にも適用されると思う。
目障りとまでは言わぬが極力近づきたくない相手ではある。
「それにエルフは卑しい種族だって話じゃないか」
そこまで無反応だったエルがぴくっと反応する。
なるほど彼女はエルフだからエルと呼ばれているのか。安直だな。
「人の心を勝手に盗み見るという卑劣な邪神の加護をもっているんだろう。こうやって人の集まる場所に潜入し、その力を使って手柄を横取りしようとしているんじゃないのかな。だから動こうとしない。どうだい?」
エルフが人の心が読めるというのは聞いたことがある。
だがそんなものは迷信である。
迷信だと信じたい。
頼むから迷信であってくれ。
本当に心が読めるなら気まずすぎる。
こんな顔と体で実は気弱で精神クソ雑魚ナメクジなくせに性欲だけは突き抜けて旺盛なこじらせ童貞神父だと世にひろく知れ渡ってしまう。
誤解ならまだ挽回の余地もあるが真実が浸透するのはまずい。グロい。えぐい。
世間体がどうのこうのの次元ではない。誤解も相まって性欲旺盛罪とか無茶な理由をこじつけられて緊急逮捕案件として発展するだろう。
そうでなくとも迫害や差別は一層ひどくなり町から出ていかなければならなくなってしまうかもしれぬ。
俺はまだいい。
自分一人が悲しむ分には、つらい目にあうだけなら構わない。
追い出されてもまた教団本部にもどればいいのだから。
だがルカはどうする。
あの子には帰る場所がなくなってしまう。
あの子をまたひとりぼっちにしてしまう。
もし仮にそうなるなら、そうなる前に救済を施してやらねばならない。
一人でも生きられる力を回復してやらなければいけない。
「……ルカ。よし」
悩んでいたが、はからずともこれで決心がついた。
明日にでもルカに救済を施そう。
彼の目に、光をとり戻してやるのだ。
☆
エルフは人の心を覗く――。
下心に敏感で、よこしまな心を持つ者には近寄ろうとしない。
そのため邪念の多い人間や他種族とは距離を置き、深い森の奥で仲間たちと静かに暮らすのを好む。
エルフに近づけるのは清らかな心を持つ者だけである――と、言われていた。
だが真実とは異なることを私は知っている。どうかこの真実が広く伝わってほしい。
エルフ種は世界各地に分布しているが、その多くは生身の手で触れた相手と自分が関わった未来が視える、特殊な固有能力を生まれながらに備えている。
心を覗くのではなく己の未来を視る種族なのだ。
人間の美的感覚で言えば美の頂点に位置する存在だが。エルフは己の容姿の客観的評価と価値を理解してはいても興味はない。
他者にたいしても同じで。外見の美醜に価値を求めることは稀であり。ただ自分との幸福な未来が待っているかどうかを重要視する。
エルフ同士ならば互いの未来を視合えるのでいざこざは少ないが、未来を共有できない異種族となると話はかわってくる。
エルフの使う未来視は夢のようなもので一度見ただけではよほど印象的な未来以外は記憶に残りづらいという。
自分の行動次第ではすぐに未来は変化してしまうらしく。猫が己の所有物に自分の臭いをすりつけるように度々確認のため触れたがる。
触れた相手との未来が幸福なものであると断定すれば、それがなんの種であっても非道な策を弄するのもいとわない。
使える物はなんでも使う。必要とあらば優れた容姿も最大限に利用し、肉体による誘惑も遠慮なく人目も憚らずに行う。
手段をえらばず、連綿と紡がれてきた種の本能に従い様々な手練手管を用いて我が物にしようとするのだ。
かくいう私もエルフに狙われていたことがあるので彼らの偏執ぶりは身に染みている。しかし一度好ましい未来ではないと判断されれば彼らは何も言わずに去ってしまう。それこそ今までの蜜月が嘘だったかのように素っ気なくなるのだ。
この辺りが詩人の歌うエルフたちが男たらしや女たらしとして、誇張して表現されるゆえんだろう。
エルフがひとと疎遠になるのは、自分が不幸になる可能性があると断定したときだ。
外の人間と縁を作らないのも多くがそれに該当するというだけのことだったが、それを知らぬ者たちは、心のうちの欲望を見透かされているものと勘違いし。気圧され、畏怖し、ある種の崇拝の対象にまで持ち上げてしまうこともあった。
一見合理的で無駄のない人間関係を築いているようで決してそんなことはないと付け足しておこう。彼らとて無駄な行動はする。
エルフの幸福の在り方はほかの種の人間たちと同じように個体ごとによって大きく異なっている。
だが他の種の人間たちよりも特殊で享楽的で快楽主義に片より、そして病的なまでに偏執的である。
ゆえに一国を揺るがすほどの大事も歴史上何度も巻き起こしてきた。外の人間にとっては迷惑極まりない種という認識を持たれる場合もあり、国や地域によっては迫害の対象とすらなっているのが現状だ。
彼らは己の欲望に対してはどこまでも一途である。それは生物の根源的な本質を突き詰めているようにも映る。
甘いものを食べるのが幸福だと信じる個体ならば、それが原因で病におかされても死ぬまで甘味をとり続けてしまう。
子供へ愛を注ぐのが幸福だと信じる個体ならば嫌われ憎まれ唾棄され疎まれようとも、それが他人の子供や他生物の子供、魔物であっても愛し続けてしまう。
笑いこそが幸福だと信じる個体ならば自分を笑わせてくれる者を物色し、何人も捕まえてはハーレムを築く。実際に似たような理由で連れ去られた者も少なくない。
だが悪いことばかりではない。
死ぬことこそが幸福だと信じる者は、自分の考える最高の死を求めて生きようとする。
これは勇敢な冒険者として名を遺したエルフたちに多く。エルフの名を由来とした新大陸や島、山や町が多いのもこのためだ。彼らは英雄としての死を望んで未踏破地域を次々と攻略していったのである。
独特の価値観から照らし合わせ。己が幸福になれる相手だと認められた者は生涯そのエルフにつきまとわれる。
はたから見れば幸福とは言えないようないびつな関係であっても、エルフが幸福だと信じている限りは執着し続けられてしまう。
未来で自分が死のうとも恋人が死のうとも関係ない。
それが幸福であるとエルフが感じるならば一切の躊躇を取り払い執着する。
その執念は普通の人種では真似できるものではない。
自己中心的。我田引水を地でいく超利己主義者。
それがエルフという見目麗しい種族の本質である。
だが私は例外を一つだけ知っている。
彼女もまた例に漏れず自己の幸福を世界の中心におく超利己的なエルフであり、自身の幸福を探求し追求するものであった。
では何がほかとは違うのか。
彼女の望む幸福の種類は他のエルフよりもはるかに多かったのだ。
加えて彼女は他のエルフよりも幸福を望む心が誰よりも強かった。
取分け愛情に対する欲求は心の病を患うほどに強く。
愛情を注がれることを何よりも渇望し。
それ以上に、他者へ愛を注ぐことを命題としていた。
彼女には通常のエルフのように、人に触れて未来を覗き見る力は備わっていない。
力がないために仲間からは迫害され、人からは疎まれて上手く生きることができないでいた。
想像を絶する苦しい道を自ら選んで歩み続けた。
だが彼女に救済の手は差し伸べられる。
そして救済されたそのエルフは、のちに聖母の名を冠するに至ったのだ。
――光視のルカの手記より抜粋




