誤解を受けて投獄されてみた
まったくひどい目に遭った。
ろくな取り調べもなく違法奴隷商人の疑いをかけられ、町の牢屋に放り込まれて一週間以上も放置された。
しかしあれは疑いではなく断定だったな。
オークではないことは信じてもらえたが奴隷商人の線はいっこうに消えなかった。
「うおっ……! な、なんて凶悪な面をしていやがるんだ。罪状はしらねぇけどよ、お前さんいったい何人殺してきたんだ?」
牢屋の番人にも開口一番にそう言われたもの。
俺は一人も殺してはいないのに。
むしろ平和裏に事を進めようとしていたのに、賊どもを皆殺しにしてしっちゃかめっちゃかにしていったのは、あの騎士気取りの一味だ。
まず魔術師が敵をバインド系の魔術で拘束し、あとはもう一方的だった。
薄眉毛は拘束を自力で解いて騎士風の男と一騎打ちをしたが一合目で武器を下から弾き飛ばされ返す刃が振り下ろされた。軌道を直角に移し首を刎ねて即死させる。見事な手際だった。
残った奴らも気づけば片づけられていて教会は血みどろになっていた。
すぐに武器を向けて返り討ちにあった賊どもとは違い、俺は最後まで対話を尽くした甲斐もあってお縄を頂戴するだけで済んだのは不幸中の幸いか。
いつか不幸中以外の幸いも体験してみたいものだ。
それから十日ほど一人にされた。
牢の番人は初日こそいたものの、外が騒がしいとかなんとか言って出て行ったっきり帰ってこない。
帰ってこないだけなのなら話し相手がいなくて寂しいだけで済んだのだが、食事なども運ばれてくる気配もなくなった。そこからが地獄の始まりよ。
一日目、これもある種の罰みたいなものかと空腹をこらえ、牢から出してもらうための言い分を熟考していた。
二日目、誰も来ない。少し様子がおかしいなと思った。飢餓のピークはここだ。
三日目、空腹感は消えたが体に力が入らなくなってきた。天井から滴る僅かな水を舐めて少し回復した。腹は壊さなかった。お母さん、丈夫に産んでくれてありがとう。
四日目、かび臭い牢の中で自生していた謎のキノコを食べて気絶する。初めて食べるタイプの毒キノコだった。夢の中で美女のハーレムに囲まれて天井まで射精し屋根を突き破る。夢精はしていなかった。これも鍛錬の賜物だ。
五日目、横たわる俺の眼前にネズミが立ち止まる。名前をモッキーとした。モッキーは俺を優しく噛んだ。遊び相手が欲しいのだろう。俺も暇だったので一日中相手をしてやった。
六日目、モッキーを食べるか悩んだ。捕まえても軽く指を噛む程度でろくな抵抗をしない。モッキーは「僕をお食べ。お腹が空いているんだろ」と言った。自分を食べて生き延びろなどと、自己犠牲の最終到達点を見せられてしまう。己のさもしさを痛感し泣いた。水をろくに飲めていないので涙は出なかった。
七日目、モッキーと最新の宗教学と哲学について熱く討論した。モッキーは哲学的に爆乳が好きだと言っていた。俺も好きだ。こよなく愛している。気が合うね。でも小さいのもいいよな。
八日目、モッキーが子供を連れてきた。同じ童貞じゃなかったことにショックを受けて少し冷たくしてしまう。子供たちは俺の指を甘噛みしていた。仕方なく遊んでやったが、そのうち拗ねる気持ちも薄れていった。やはり子供はいい。
九日目、することもないので眠るしかない。眠っている間に俺の鼻をモッキーがわりと本気で噛んでいた。一般的には感染症などを恐れるところなだろうが、酒精の強い酒やキノコなどの幻覚作用があるものでなければ多少耐性がある。司教にそういう修行をさせられてきたから。
十日目、日と時間の感覚があやふやになってきたところで牢から出される。釈放の時間だ。
☆
「キィーキィー」
足元で嬉しそうに鳴いたのは友達のモッキー。
十日間、俺の寂しさを紛らわすことに貢献してくれた心の支えである。
「おい、お前の足元にいるのは魔物だぞ! そいつはボス個体の持つ強力な神経毒で人を弱らせ、生きたまま群の餌にしてしまう恐ろしい害獣だ!」
えっ。
「まさか知らないのか!? まあここいら特有の新種の魔物だって言うからな。こいつは繁殖力が異常に強くてな。一匹出たら十匹はいると言われてるんだ。こいつが宮殿に出たせいでぺーぺーの俺たちまで駆り出されての大規模駆除作戦が行われていたんだぜ!」
俺がご飯を貰えなかったのはモッキーたちのせいだったらしい。
「ギィィィッ……!」
断末魔をあげたのは友達だったモッキー。
俺の足首に噛みついていたところを牢屋番に蹴り飛ばされて殺された害獣だ。
さらばモッキー。さようなら我が友よ。
「噛まれていたが大丈夫なのか!? 普通ならすぐにでも失神しているところなのだが……まあ帰りに医者に診てもらっていくといい。肩を貸すから途中まで連れてって――いや、お前ほどの図体だとさすがに支えられる自信がないな。なんか臭さいし。大丈夫そうなら一人で歩いていってくれ」
牢屋に入れられて風呂に入れなかったんだから仕方ないだろ。
心配をしてくれているようなので礼だけは言っておこう。
誤認逮捕については一言も謝罪はないのが気になる。
柔らかいコッペパンと水を貰えて、体も水に濡れた布巾で拭かせてもらえたので、それらを詫びの品とすることでよしとした。
俺の聖なる精なる性なる棒――聖棒をみて目を見開いていたが、そんなじろじろ見るなと言いたかった。
体を拭いた後、いきなりパンを食べても腹を下してしまいそうなので、まずはジョッキに注がれテーブルに置かれていた水を一息にあおる。
何よりも渇望した清潔な水が、食道を滑り胃に流れ込むのがわかる。
そこから全身に染みわたる感覚は錯覚などではない。
内臓に筋肉に皮膚にと、隅々まで水がいきわたる。
三日以降は腕立て伏せも五十回しかできないほど力を失っていたが、今なら軽く千回はこなせる気がした。
「そっちは俺の飲みかけの水だぞ。お前のはこっちの瓶に入れてあるほうだ。意地汚いやつだな」
はからずとも盗難してしまった。
また牢獄行きは嫌なので誠心誠意の謝罪を繰り返した。
☆
番人が門まで送ってくれた。
意外と面倒見がいいと思いきや、魔物が出たことの報告に行かなければならないからついでらしい。「べ、別にお前のためじゃないんだからな」みたいなことを言われた。そういうのは女の子に言われたい。
「お世話になりました」
「いやいや、こちらの手違いで投獄してしまったんだ。気にすることじゃないさ」
「……はい」
そりゃそうだ。気にしてなどいない。
手違いだと認めているならまずそっちが謝るのが筋だろ。
まあよい。こういうのも慣れたものだ。
勘違いをさせるようなお前が悪いと逆に責められないだけでもましな方である。
「それとこれを渡すように言われていたんだ。あんたはシクリッド教団の神父様なんだってな。荷物の中身は無事か確認してくれ」
わたされたのは盗難被害にあっていたずた袋。
袋の中には砂時計と歯車を羽で抱いた複雑なつくりの主神像が一つ。
自分がマフィーダの教会を管理する神父の立場にあると証明された、司教によりしたためられし証文。縦読みをすると「あ・い・し・て・りゅ」になるのは芸が細かくて鬱陶しい。
そのほか道中で手に入れた大雑把な地図や打ち身に効能がある薬草、小型ランプ、自衛用の携帯メイスなどの雑品の数々。
そして最後に、小さな箱の中に綺麗に詰められた大小の硬貨。
綺麗に整列した硬貨は詰めた者の几帳面さがうかがえる。
ぎゅうぎゅうに詰められて一枚も抜き取れないところから犯行は司教のものであると確信する。
これ、無理に引っ張るとバラバラに吹き飛ぶんだよな。
「なにも異常はみられません。全て手元に戻ってきてくれたようです。これも神の御加護でしょう」
「それはおかしい。無事に手元へ戻ったのは俺たちが管理していたからであって神様は関係ないぞ。感謝をするなら俺たちだ」
話のわからないやつである。
そういうのも含めて神のお陰だと俺は言っているのだ。
「誠に感謝申し上げます」
釈放されて教会へむかうため、適当にひとをつかまえて道を尋ねて進む。
案外近い場所にあるのだと安心して歩いていたら、再び牢屋のある建物にもどってきた。
門兵が「また来たのかお前」という顔でこちらを見ている。
自分の意思と自分の足で来たのは確かたが来たくて来たわけではない。
案内通りに歩いて到着したのがここなのだ。
恐らくは道案内を頼んだ者たちの仕業である。
お前が行くべきは牢獄だとでも言わんばかりの悪戯。一杯食わされてしまったようだ。
「ハァ……」
極度の空腹のせいで怒りはわかず、落胆や悲哀の念が強く圧し掛かる。
悲しみも食べられたらいいのにね。
☆
日も傾き始めた頃、なんとか教会近くの見覚えのある道に戻ってこれた。
通りには酒場も開いていたので、イヤな記憶を洗い流すため一杯ひっかけていくかと悩んだが、酒よりも何よりも食事がしたいのでいったん教会に戻ることにした。
教会に戻ってもすぐには休めない。
あれだけ汚れていた上に血まで流れてしまったのだ。教会で血が流れるなど本来あってはならないので、まずは掃除をしなければなるまい。
でもその前にもらったコッペパンを食べよう。
コッペパンだけでは味気ないと思い、道中で干し肉と野菜を買ってあるので、パンに挟んで食べるつもりだ。
肉と野菜がはみ出る豪勢なパンを頬張る想像をしていると自然と涎が口内に溢れてくる。
たれる前に涎をのみ込み、はやる気持ちを抑えて急ぎ足で教会へと向かった。
☆
「おや?」
教会へ着くと、どこかで見覚えのある子供が門の横に膝を抱えて座っていた。
光を失った少年――ルカである。
「ルカ? こんなところで何をしているのですか」
「ッ!? この声はロイズレッド様ですね!」
前にもっていた木の枝はなく、壁を支えにして立ち上がる。
手を前に伸ばしてゆっくりこちらへ向かってきた。
「あ、あの、ご迷惑でしたでしょうか」
「なんの話でしょう……ああそういうことですね」
困ったら教会にこいと誘ったのは俺だ。
であるならば困ったことがあったのだろう。
「詳しい話は中で。さあこちらへ」
ルカの手を握ってやると最初は驚いたように戸惑っていたが、きゅっと弱々しい力で握り返してきた。
考えてみれば、これは憧れていた子供との触れ合いではなかろうか。
それも俺を全く恐れていない子供との。
そう思うと内なる父性が沸々と湧きあがり、庇護欲を溜めに溜め込んでいた心の火山が大爆発する。
「まだ庭も荒れているので足元に気を付けないといけません。焦ることはありませんからゆっくり歩きましょう」
「は、はい!」
小さな歩幅に合せてルカが三歩歩けば一歩進むという遅々とした進みで扉の傾いた門をくぐる。
もう見ているだけで可愛い。父性がたぎって仕方ない。
「いつからここにいたのですか? 春とは言ってももう夕暮れ。肌寒かったでしょう。風邪をひいてはいませんか?」
「あの、昨日の朝から待たせていただきました。で、でも場所は何度も変えて迷惑にならないようにしていましたので!」
場所を変えることと迷惑になんの因果関係があるのかはわからないが、気を使ってくれていたのは十分に伝わる。なんていい子なのだろ。
一言も謝罪しないで乗り切ったあの門兵にも見習ってもらいたいものだ。
「階段がありますよ。そうです。ここもゆっくりでいいですからね」
盲目のルカが器用に階段をのぼりきったので教会の入り口、扉を開ける。
「中は埃が酷いので苦しくなったらすぐに言ってくださいね」
そう言って扉を開けると驚くべき光景が広がっていた。
「埃がない……?」
あれほどつもりに積もっていた埃がどこにも見当たらない。
それだけではない。掃除するはずだった血痕はどこにも見当たらず、ずれていた机や椅子も綺麗に整えられ、穴の開いた床には応急的な処置が施されていて別の板で塞がれている。
「こ、これは一体」
働きものの妖精さんの仕業だろうか。
普段は人前に姿を現さないという妖精。
一度人を気に入れば生涯献身的に尽くしてくれると聞く。そして人間が死ぬと妖精も役目を終えたとばかりにこの世から姿を消してしまうというが。まさか。
徳を積みすぎている俺を妖精が気に入り、知らぬ間に掃除をしてくれたとでもいうのか。これも神の思し召しか。
「綺麗になっていますね……」
手を握っているルカがびくっと跳ねた。
「あ、あのあの、ごめんなさい、僕が勝手に掃除をしてしまいました……」
妖精さんの正体はルカだった?
ルカの正体が妖精さん?
「やはり甘かったでしょうか。自分でも足りないのではないかと……特に高いところは難しくて」
妖精さんではなくルカが掃除してくれたというのは理解した。
だがこれはあまりにも美しすぎる。
「これをたったの二日で?」
「そ、掃除を始めたのは今日の朝です」
「半日ですか!?」
大きな声を出すとまたびくりと跳ねるルカ。
暗い教会のなかにあっても表情が青ざめていくのがわかる。
「ごめんなさい、何が悪かったか教えてください。次は必ずなおしますので。ですからどうか……」
ゆっくりと膝をついて手を離す。
手が離れてすぐにルカは震えだし、首をすくめて顔を伏せてしまった。
これは大人に殴られ慣れた子供の反応である。
ルカの肩を掴んで優しく抱き寄せてやったのは、そうした方がいいだろうという直感を信じた突発的な行動である。
「謝ることなど一つもありませんよ。あなたは誇るべきことをなしたのですから」
「…………え? 誇る……? ぶたないのですか?」
「ぶちませんとも。ルカにはただならぬ才気を感じてはいましたが、まさかこれほどの多才だとは思いもよりませんでした」
目の見えない子供が、大人でも数十日はかかるであろうと見積もっていた教会を半日で掃除してしまったのだ。驚きもさることながら言い得ぬ感動が胸に去来している。
「これだけ広い教会を一人で掃除してしまうだなんて、大人であっても真似できるような芸当ではありません」
「そ、そんなことは。でもロイズレッド様だったら……」
「いいえ。私は徹夜で掃除をするか悩んでいたのです。でも夜は明かりがないので諦めて眠っていたと思います。しかしルカは違いました。最初から明かりなどなくともやり遂げてしまった。これを褒めずして何を褒めればよいのでしょう」
「そんな僕なんか……うぅ……うぐぅ、むぅううう……!」
「んぅ!? お、おう? おうっ!? おおう!?」
ルカが泣き出してしまい、どう反応していいかわからずアシカになってしまった。
とりあえず背中を優しく叩いてやる。
それからルカが泣き止むまで五分ほど待った。
この姿をみられたらまた誤解を受けて、未成年淫行の罪で投獄されるだろうな。
「……ボク、ボクはロイズレッド様を誤解していました」
大丈夫。誤解には慣れているよ。
「勝手なことをするなと怒られると思って……他の人たちみたいにぶたれるのかと思って恐怖してしまいました……!」
大丈夫。恐れられるのも慣れている。
教団本部では曲がり角で偶然出会った子供が俺の顔を見て、神に祈りながら気を失ったこともあるからね。
「私がルカに暴力を振るうなどありえませんよ。ましてや罪もなく、本来褒められるべき者に手をあげるなんて罪深い真似は神も許しません。そのような者、もしも神が罰せぬなら私が罰するでしょう」
徹夜で説教してやる。
誤解をうけてもいい。顔面接触スレスレの距離で強面を全開で活かしての説教だ。
「ロイズレッド様……」
落ち着いたようなので体を離す。
改めて教会内を見わたすと本当に綺麗になっている。
布の染みなどはそのままなのは、目が見えないので汚れに気づけなかったのだろうがそこは指摘するべきではない。
不意に腹の虫が鳴く音が聞こえた。
俺のではない。小さな音はルカのものだった。
俺の腹の虫は爆発と誤解されるほど大きいので聞き間違えようがない。
以前、同室で眠っていた教団員が、俺の腹の虫の音を鐘の音と聞き間違えて時間ごとに区切られている仕事を交代するためにはね起きて出て行ってしまったことがある。
「お腹が空いたのでしょう。食事にしましょう。実はルカの分も買ってあるのです」
自分で食べようと思っていたコッペパンをルカに譲ってやろう。
牢獄で我慢するだけの空腹と、人のために働いたうえでの空腹では意味が違う。
いま食事をするべきはルカである。
「よろしいのですか?」
「掃除の礼もしなければなりませんからね」
「礼だなんて! ボクがしたくて勝手にしたことですよ!」
「自分がしてほしいことを人にしてもらったのなら心を込めて礼をするものです」
なんだかんだと可愛い口答えをするルカを軽くいなしながら、パンのなかに肉と野菜を挟んで手に持たせてやる。
「はい、調味料はありませんが肉は塩辛いのでちょうどよい味わいになるでしょう。さあお食べなさい。水も置いておきますね」
ルカは野菜と肉のはみ出たパンを両手で持ち、恐る恐る口に運ぶ。
「どうですか、美味しいですか」
「おいひいです! こんなにおいひいものを食べたことがありません!」
美味しいには美味しいだろうが、そこまで喜ぶほど特別に美味しいというわけではないはずだ。ルカは今までどんな食生活をしてきたのだろう。
立ったまま食べさせるのは行儀が悪いので椅子に座らせる。
小さな手でパンをつかみ、小さな口で懸命に食べている様を見ていると、自分の腹が空いていたことも忘れてしまうほどの幸福感が得られた。
「ルカは普段どこで寝食を?」
「しんしょく……どこで寝ているかですか? いつもは貧民街の入り口付近にある空き家を使わせてもらっています……ごめんなさい」
何故謝ったのかを考える。
空き家ということは誰か他の土地権利者がいる家を無断で使っているということか。
声が尻すぼんでいったのは悪いことであると認識しているから。この様子ならば自覚はあるのだろうし、あえて正しさを説く必要もあるまい。
「それと食事は街を回って恵んでもらっています」
「ほほう。それは食うには困らないほどだったのですか?」
「はい、みんな優しい人が多いから三日に一回は誰かに恵んでもらえるんです。水は川の水を飲んでます」
三日に一回は十分に食うに困っている判定だろ。
抱きしめたときに痩せすぎているのはわかっていたが、これで合点がいった。
「わかりました。では今日からは教会で暮らしなさい」
ルカはまだ半分も食べ終えていないパンを口に運ぶのを止めて、きょとんとした顔で俺に左の耳を傾ける。
その仕草から察するに右の耳がきこえにくいのだろう。
「この教会の歴史は古く、マフィーダがまだ町の体をなす前からありました。その頃は修道院として建てられていたので、人が住める場所も一応はあるのです。いずれはそこも掃除してルカの部屋を用意しましょうね」
「――えっ、そんな、でもボクなんかが教会に住まわせてもらえるなんて……それは、あの、神様がお許しにならないのでは……?」
空き家に勝手に済むよりはましだという意地悪は言わない。
「路頭に迷う子供一人も救えぬような神ならば、私はそれを神とは呼びません。貴方をこのままにしておくのはそれこそ神の教えに反します。神は言いました、両の手のいずれかが届くのであればその者に救いの手を差し伸べよ、と」
物理的な距離の話ではない。
人を助けられるほどの余裕を持っている者ならば、その範囲内で救いの手を差し伸べよという意味である。
もとが修道院ならば20人ぐらいは住まわせることもできるはず。
まだ全容を把握しているわけではないが、土地を見た様子からもそれぐらいの余裕はあったように見えた。
これだけ広い土地がほったらかしにされたらそりゃ賊も隠れ家にしてしまう。
もし他にも子供が道に迷っているならば、立派な大人に成長し自立できるようになるまでは子供たちの面倒を見てやりたい。
目の見えないルカに限ってはまた別の方法による救いを模索しなければならないだろうが。
「ですから遠慮をすることはありません。その代わり、また掃除などの手伝いを頼むかもしれませんが。どうでしょう。一緒に暮らしませんか」
「やります。教会のお世話になってもよろしいのでしたら、どんな仕事でも命じてください。なんでもやります。こき使ってください!」
「なんでもはさせませんよ。ルカにできる範囲の仕事を少しお願いするだけです。さあ、話はまたあとにして食事を続けなさい。ここはもう貴方の帰る場所なのです。時間を気にして焦る必要もありませんからね」
そう言ってもルカは食事を続けない。
さきほどのように唇をたゆませて泣いてしまっていた。
今は一人にしてやろう。いつまでも人に見られながら食事をするのも緊張するだろう。
もらい泣きする前に退散だ。
「私はやることがあるのでルカはそこでゆっくりたべていなさい。テーブルに水も置いておきます。瓶なので重たいので気を付けてくださいね」
「は、はい!」
あえて音を立てて瓶の位置がわかる様に変更しておく。
ルカから離れてずた袋から主神像を取り出し、これを祭壇の中央にのせる。
胸に両手を当てて目を瞑り、心のなかで祈りを捧げる。
『――――か』
祈りを捧げてから一秒も経たぬうちに頭の中に何者かの声が届く。
『――ますか。聞こえますか。ロイズレッド』
『聞こえます司教。妙な演出はいりませんよ。最初からクリアに声を届けられますよね』
徐々にクリアに聞こえはじめる女性の声。
あえて遠くから聞こえてくるかのように話しているのはただの演出である。
声の主の正体は、下手な娼婦よりも淫乱との不名誉極まりない称賛の言葉を喝采とともに頂戴している、我がシクリッド教団本部で何故か重役をつとめられている司教のものである。
『お忙しいところ恐れ入ります。急ぎなので失礼ながら前置きはなしにして司教に一つ相談があります』
『前置きもなしに本題に入るだなんて、前戯もなしに本番挿入をするようなものね。時間も選ばず急に私の中に入ってきたと思ったら……もう、えっち』
『いつでも応答するから困ったら相談しろと言い出したのは司教です。ふざけてないで真剣に聞いてください』
『こっちも真剣にふざけているのよ。遊びじゃないわ』
『そもそもふざけんなよ』
念話なため感情が昂ると頭で思ったことがそのまま声として届いてしまう。
いまさら取り繕うような間柄でもないのでかまわない。
『それでなんの用かしら。四ヵ月以上も便りを出さずに音信不通でいたくせに。都合のいい時だけこうやって私を利用としようとするのね……。でもいいわ、好きに利用すればいいのよ。いつもみたいに私をオモチャの様に扱って滅茶苦茶にすればいいわ!』
面倒くせぇ。
これだから祈りを通しての念話をしたくはなかったのだ。
『本題に入ります』
『本番もいいわよ』
無視だ。
『救済を行いたい者が――』
『駄目よ』
さきほどまでのふわふわとした司教の声のトーンが嘘のように下がっている。
怒りを含んでいるかのような冷たい声音で、ただの一言で切り捨てられてしまった。
『話を聞いてくださいますか』
『ママって呼びながらおっぱいの先を一心不乱に擦ってくれたらいいわよ。吸うではなく擦るよ。貴方が自分のものを擦って私に見せるの。これだけは譲れないわ』
また普段のトーンに戻った。
ハァハァ言っているのが鬱陶しい。
『真面目にきいてください。俺はマフィーダで一人の少年を拾いました』
『その少年をあなたの力を用いて色で狂わせようと……?』
『そんな年齢ではありませんし、そも子供や同性に手を出す趣味はありません』
『それじゃあどうして。どのような救済を与えようと言うのかしら』
『彼は盲目で――』
『いいわ、だいたいわかったわ。そういうことなのね』
まだ文章にして一行分も喋っていないはずなのだがすべてを見透かしたような反応をする。
異常なまでの察しの良さ。これだから司教には隠し事はできない。
『きっと懐いているのでしょう。目を治せば、貴方の容姿を知ることになるわね。その子を救済すればあなたが傷つくかもしれないわよ』
『言わんとするところ、重々に理解しております。ですが俺はそれでも彼を救済したいのです』
本当に細部まで見透かされている。
『この見るに堪えない醜い姿を見られようとも』
『容姿はどうでもいいの。表面を誤解をされればまた一人あなたのもとから人が離れていってしまうわ』
『それでも構いません。自分可愛さに手の届く場所にいる彼を暗闇のなかに置いたまま見過ごすなど、神はお許しにならないはずです』
『神はそんなに狭量ではないと思うけれど。でも貴方が正しいと思うならば、後悔をしないというのであれば、その力を使うことを許可しましょう。ですがくれぐれも気をつけなさい。もしもあなたの力の知れ渡れば、必ずその身を滅ぼす結果へとつながる。それはあなたが一番わかっているでしょう』
それも重々承知していて覚悟の上である。
でもモッキーに習った自己犠牲の精神を俺は忘れていない。
魔物にできて人にできなわけがないのだ。
『それに一度使えば、あなたのことだから他にも二度三度と簡単に行使してしまうようになるでしょう。セックスを覚えたケダモノのようにね』
一々うるさい。
『神父としての修行を積んだのは、そうならぬよう自制できるだけの精神力を鍛えるためでもありました』
『本当にそうかしら。あなたは多くの人をその力で救うために神父になったはずよ』
また見透かされる。
その通りなので返す言葉もない。
『図星よね。私に嘘をつこうなんて一億年早いわ。でも私を突くのは遅いぐらいよ。いつ抱くの?』
一生抱きません。
『人が人を救うには多大な労力を要するわ。どんなに優れた人間であっても人の力には限りがあるのだから』
だから人は神に祈るのだ。
己の力ではどうしようもないとき、超常の存在に頼らざるを得ない。
強烈な便意を催した時にトイレまでの距離が遠いときなどが顕著だ。
『未熟者ゆえ身に染みて痛感しております』
『あそこだけは完熟なのにね。ひと二人分、三人分はあったかしら。あそこで人が救える世なら性人の聖人になれたのに』
うるせぇよ。
どっちにしろ女性には受けの悪い容姿だから救えないだろ。
『でも相手が子供ならば反動も少ないわね。でも念のため気をつけなさい』
『思春期もまだな第二次性徴にも届かぬ男児ですから、まだ受容体も作られていないかと。過去に性被害を受けていた可能性もあるので、そこは慎重にケアしたいと考えております』
『もだえるショタに何かを目覚めさせられて男に走らないでね。私が女である意義が薄れるわ』
『今も濃いとは思いません』
べつに司教が男であってもこの関係性は変わらないだろう。
一割の侮蔑と九割の尊敬。そこに性差はない。
仮に俺が女として生まれていても、司教は俺を救っていて。俺は司教を尊敬していた。
『ではこれにて』
『もうイっちゃうの? 会話まで早漏なのね。やっと声が聞けたと思ったら前戯もなければ後戯もないなんて女泣かせな人』
女を泣かせたことは数あれど、毎度悲鳴とセットである。
『猫の構いかたと同じですよ。遊びすぎて機嫌をそこねる前に楽しい時間のまま別れる。そうすることで良好な体験として相手には記憶されるのです』
『また私にかまってくれるという意味でいいのかしら?』
『そう思ってくれたなら幸いです』
『じゃあ次からは一日二回は念話を飛ばしてきなさい。私の中に精子も存分に飛ばし――』
『それでは』
一方的に念話をきり、「ふぅー」とため息を一つ。
念話自体が疲れるのに司教の相手をするとなると過酷を極めるな。
「だいぶ暗くなってきましたね。なにをするにも灯りをつける準備をしましょうか」
誰に言うでもなく呟いたのだが、声を感知して呼ばれたのかと誤解したルカがこちらに向かってくる。
「食事は終わったのですか」
「聖餐と言うに相応しい食事でした!」
大げさな言いように思わず笑ってしまう。
「そんな大層な儀式的なものではありませんよ。しかし難しい言葉を知っていますね」
「以前お世話になっていたお屋敷で覚えました!」
ずた袋に入れていた魔力を動力源としたランプを使い足元を照らし、ルカと一緒に教会内の土地を確認して回った。
予想通り、教会本棟のすぐ後ろに人が寝泊りできる大きな建物を見つけた。
中は酷い荒れようだったのでろくに散策もせずに回れ右。
「掃除はまた明日の昼以降にでもしましょう。今日は教会の本棟にある部屋で休みますよ。恐らくそちらも汚れているはずですから、まずはそこを掃除します」
「はい!」
食事をして力が回復したルカが元気な返事をしてくれる。
掃除が終わっても眠るにはまだ早いようなら、教典でも読み聞かせてやろう。
もしも興味がないようなら、そのときは俺の爆笑トークか冒険譚の一つでも脚色して聞かせてやるとしよう。
誤解によって投獄された十日間の話とかな。
だが結局、本棟の部屋も荒み切っていたので二人で掃除をして一日が終わった。
ルカは詰めが甘くてごめんなさいなどと、悪くもないのにしきりに謝っていたが、その都度掃除を手伝ってくれることへの感謝を伝えて自己肯定感を高めてやった。
☆
――この、少年がパンを食む横で人一人分の重量はありそうな水瓶を片手で持ってバランスを保つ怪力の神父の絵は、光視のルカによってえがかれた『超聖餐』である。
超とは超えると言う意味であり、聖餐を超えた聖餐というい意味である。
世界を食ったとまで称されるほどの美食家で知られるルカの手記によると、「生涯、これを超えるパンとは出会うことはなかった。肉にふられた塩と、新鮮で瑞々しい野菜たちによる水分の調和。芳醇な小麦の香りは口内から鼻腔を抜けて頭部全体を豊かにし。完璧な配分による塩味と小麦の協奏が舌下で流れ、まるで聖歌を食しているかのような心地であった。天にも昇る味とはまさにこのこと。私は気を失わぬよう少しずつ口へ運んでいた。この時に天に召されていたとしても世に未練を残すことはなかっただろう」とのこと。
この一文からも聖ロイズレッドが調理人としても一流の腕をもっていたことがうかがえる。
天才のルカ、奇才のロイズレッドとはよく言ったものである。
何人もの一流シェフがこの味を再現しようと試みたが、できるのはごく普通のパン。
美食家のルカがこれほどまでに褒め称えるのだから、現代では再現不可能な調理工程を経た奇跡の一つであるのは間違いないだろう。




