大掃除をしようとして誤解される
これでも俺は神父として最低限の修業は修了しており、ついでとばかりに最大限の修行もさせられてきている。その最大限の修行とは、すべて司教の手配によるものだった。
ゆえに町一つの神父になるべき資格はありあまるほどに持ち抱えているという自負がある。
だが自分が世間様に手放しで歓迎されるような、神父たるに相応しい資質を持った正しい人間であるかと問われると首をかしげざるを得ない。
まず、不幸を呼び寄せ、大きな誤解を生む呪いを受けている点。
実際には呪いではなく不運なだけなのかもしれないが、こうまで不運に見舞われ続けると誰かのせいにしていなければ精神の均衡を保てなくなる。ゆえに呪いであると断定して生きることにしている。
迷える人々を導き。進むべき道を見失った子供たちを保護せねばならない立場としては、そんな呪いを受けているというのはあまりにも不穏すぎるのではなかろうか。
救うつもりが巻き込む形で不幸にさせてしまっては元も子もない。
次に、司教からは絶対に人に知られてはならないと幾重にも釘をさされている特異な体質――――と、これから新しい生活が始まるというのにネガティブなことばかり考えているのも縁起が悪い。
これ以上は、自らの存在意義を貶めるのも同義。
どんな高価な布でも拭いきれぬ惨めな気持ちになるので考えるのはやめておこう。
「それにしても凄まじい荒れっぷりだな」
司教に直命により任されることとなった教会に到着すると、まず目に飛び込んできたのは蔦に覆われた赤いレンガの壁。そして斜めに傾いた鉄の門である。
なんだこの門は。これでは門としての体をまったくなしていない。
誰にでも門戸を開いておくのが俺の神父としての理念の一つではあるが、物理的に開きっぱなしとなると話は変わってくる。
これでは留守中に盗み入ってくれと悪人を誘致しているようなものだ。
外から見た時点で荒廃しているのはわかっていたが、内部は想像以上の荒れようだった。
割れた窓ガラスにところどころ穴の開いた床板。
盗まれて運び出されたのか数の合わない机と椅子。息を吹きかければ視界を遮るほどに舞いあがる積りに積もった埃。
これではまるで廃墟……いや、まるでではなく廃墟そのものだ。
前任の神父が亡くなってから十年以上が経っており、教団の手配も諸々の事情によってもたついていた。
その間に手入れをする者すら派遣していなかったのだから荒れてしまうのも仕方がない。
司教も俺に悪戯を仕掛ける暇があるならこういうところに手を回せよ。
この凄まじい荒廃ぶりからして、俺が神父として赴任し最初にやる仕事はどうやら清掃作業ということになりそうだ。
「こいつは骨の折れる大掃除になりそうだな」
☆
教会に入るための両開きの扉を開けた際の率直な感想は、一人には広すぎる。そして埃っぽい――だった。
教会の新たな主として遣わされた身としては当初こそ期待に胸を躍らせていたいたのだが現実はどうだ。なんなのだこのぼろ臭い建築物は。
ここに神父として住まえだと?
道中に放り込まれた牢屋の方が幾分か管理が行き届いておりよほど綺麗だったぞ。
自分が管理権を握る教会だというのになんの感慨も湧かない。
今は湧いたとしてもネガティブな感情だけだ。
埃の次に鼻腔を刺激してやまないのは、かび臭さと強烈な刺激臭。それは生物が腐った際に放つ異臭に似ていた。
精神的、肉体的清廉潔白を掲げる我がシクリッド教団。その教会が放ってもよい臭いではない。
これだけ臭えば道端で助けた不潔な少年、ルカでも鼻をつまむだろう。
「ぐぅっ……ッショイッッハァァーー!!」
腰をくの字に曲げてくしゃみを一つすれば祭壇へ続く一本道を埃が巻き上がり一斉に吹き飛んでいく。
「くしゃみ一発で砂嵐が起きたな。これは大掃除にしても骨が折れそうだ」
祭壇後ろのガラス窓から差す光は舞い散る埃を粉雪の様に映す。とても幻想的で汚い。
「あぁ……見ているだけでも鼻の奥がかゆくなって鬱陶しい」
爆音のくしゃみのあと独りつぶやくと、教会の奥から人の気配を察知した。
テーブルの陰に三人、いや五人分の気配がある。
気配をおって視線を動かすが、かくれんぼがお好きなようで姿を現すつもりはなさそうである。
まあよい。昼の時間、礼拝堂に人がいるのはいたって自然な話である。
突然巨躯のよそ者が来訪したので驚いて警戒をしているのだろう――などと考えるほど俺は愚かでもお人よしでもない。
「どなたかいらっしゃるのでしょうか」
この場所に向かう前に町人たちから話をうかがってまわっていたので、現況はリサーチ済み。
話しによるとこの教会、現在は賊どもの隠れ家になっているそうだ。
世間からは周知の事実としてひろく認知されている時点で隠れ家ではなくたまり場やアジト、根城などと表した方がいいのかもしれないれないが。町人たちが口をそろえて隠れ家だと話していたので隠れ家という認識でいよう。
円滑なコミュニケーションとは同調と共感から始まるものと教典にもある。
「…………」
かくれんぼが好きな連中は十中八九で賊とやらで間違いないだろう。
声をかけても隠れて姿を現すつもりはないらしいので、無理に出てきてもらわずしばらくはそのままでいてもらおう。
荒っぽいのは苦手だ。
特に人同士の暴力による揉め事などは出来る限り避けて生きてきた。
司教には巨体に似合わぬノミの心臓だと揶揄されたものだが、好きに言えばいいさ。
俺は痛いのも痛くするのも嫌いなのだ。ただし女性に乱暴されるのは話しが別だ。受け身な性格なのでぐいぐい来る女性は嫌いじゃない。そんな女性に出会ったことがないので想像のなかでの話だが。
とにかく、平和主義を地で行く俺と、暴力を生業とする賊との相性は最悪だろう。
言葉でしか語れぬ俺と、暴力でしか語れぬ賊。そういった輩とは不幸体質故に何度も対面してきたが、会話が成り立てば御の字というもの。大概の者は同じ言語を使っているはずなのにこちらの言葉を理解できず。意味は理解はできても共感し難い要求を平気で口にする連中ばかりである。
あれは喋る獣だ。平たく言えば――言葉は悪いが馬鹿である。
村を焼かれたとか、両親を殺されただとか、奴隷から急に解放されただとか、のっぴきならぬ事情がある者もなかにはいるだろう。だが自ら賊になるような者は幼い頃の教育に問題があるから賊などに身を落とす。子供の内から正しい道徳観を根付かせてやらねばならないのだ。
やはり児童に与えられべきは仕事などではなく、徹底された基礎的な初等教育であるというのを肌身でもって痛感している。教育機構の発展こそが世を正しい方向へと動かすに違いない。
ちらりと横に視線をうつせば花瓶が飾られていたであろう棚には空の酒瓶が置かれ、ご丁寧に枯れた花の茎だけがささっている。
ここを根城にしている馬鹿どもはどういう美的センスをしているのやら。
「本来美しいはずの花を飾って景観を乱せるとは、ここに住む者たちの美的センスは壊滅的だ……」
あまりにも落胆が大きかったためうっかり言葉にしてしまった。
心から漏れ出てしまった軽い挑発は聞き流されたのか、はたまた隠れているのは賊ではないのか。隠れ潜んでいる者たちは一向に姿は現さない。
できればそのまま隠れ続けていてほしい。
少ししたら用事もなく外に出るので、その間に教会から出て行ってくれ。
そんな願いもむなしく、隠れんぼをやめることを決心してしまう迷惑な者が一人、奥の祭壇から姿を現した。
「こいつは珍しい。こんな場末の礼拝堂にお客さんかい」
男はこれ以上ない作り笑顔を浮かべてさも敵意がないように振舞うが、息をひそめて隠れていた者がいまさら何を言っても説得力がない。
やましい気持ちがなければ突然の来訪者が現れても隠れんぼなんてしないもの。
「これはこれは。私は本日よりこの教会の神父として赴任したシクリッド教団のロイズレッドと申します。貴方の名は?」
「おお、そうか。ついにこの町にも神父様がおこしいただけたのか」
ほら早速言葉が通じていない。
これだから賊はイヤなのだ。尋ねているんだからお前も名と正体を明かせよ。
男はいかにもフレンドリーな様子でこちらに歩み寄ってくるが、腰には抜き身の短刀が刷いているのを見逃しはしない。
教会に用のある者が武器を携帯してくる必要はない。
身なりも一般的な町人とは違い厚手の皮を使った籠手、つまりは防具を着用している。
これは常日頃から争いを意識しており荒事のなかで生活しているからだろう。
人を見た目で判断するというのは教義的にも褒められたことではないが、町人たちの言葉と男の出で立ちや振る舞いを総合的に判断するに、その男が教会に巣食っている賊の一人であるのは疑いようもない。
こいつが敬虔な信徒ですなどと言いいだしても簡単には信じられそうにない。
念のため近場に武器になりそうなものを探すと錆びた長い燭台がちょうど足元に転がっていた。手ごろなところで言えば足が折れて横たわる椅子などもいいだろう。
しかし、戦いは本分ではないし性分にもあわない。
自分の身を守るためであるならば抵抗もじせぬが、日用品とて加減を誤れば人を殺める凶器となりうるというのを忘れてはならない。
俺がまずすべきことは、これらの日用品を武器として使用せざるを得ない状況に陥らぬよう最善を尽くし、対話での解決に尽力することだろう。
足がすくむほど怖いので、いますぐ逃げ出して警備隊なりなんなりに通報したい気分だが。
「遠目からも思ったが神父様は随分とたっぱがあるな。190……いや全然もっとありそうだ」
コンプレックスの一つでもある大きすぎる身長に触れてくる賊の男。
どうしてこういう輩は人の身体的特徴に遠慮なく触れてくるのか。ずけずけと人の心の中に踏み込んでくるのか。当人が気にしていたら傷つくかもしれないとかは考えないのだろうか。
「今は正確に測ってはいませんが、二年前の時点で200はこえていましたよ」
「ははぁ、こりゃあまるで山だな。街中で突然日影ができたかと思って見上げたら神父様がいた――なんて笑い話もありえちまいそうだ」
「…………」
盛りすぎて俺は笑えない。
なんだよ山って。コンプレックスを刺激されて心臓がキュッとなったわ。
こういうやつが誇張された噂を無責任に流布して誤解が誤解を生んでいく。話している方は面白いかもしれないがいじられている側は何も面白くないんだよ。
俺がそんな軽口を笑い飛ばせるような懐の広い豪胆な男であればそれもよかったろう。だが俺は圧倒的な小心者。他者から投げられた鋭い言葉の一つ一つを気にしてしまい、夜眠る前に思い出しては枕を涙で濡らす小者だ。
きっと今夜も、今言われたことが何度も頭の中で反芻されることだろう。
二年間正確な測定をしていなかったのも現実を受け入れたくないからだ。
大きいのはいいことかもしれないが過ぎたるはデメリットでしかない。
なにが大は小を兼ねるだ。兼ねないよ。それぞれの良さと悪さがあるだけだ。
おっぱいと同じだ。小さいおっぱい、大きいおっぱい、どちらにもそれぞれの魅力がある。股間の聖なる精なる性なる棒にうったえかけるビジュアルを持っている。そこに善し悪しの差などはない。どちらも素直に平等だ。
この巨躯は初対面の相手にはどうしたって威圧的に映るらしく委縮させてしまう。友好の証に微笑んでみせただけで何を勘違いしたのか金を渡そうとする者もいるほどに。
教会で暮らす孤児たちとの触れ合いでもそうだった。
普段から俺だけが明確に忌避されているのははっきりと感じていた。
それでも子供たちの笑顔を見られるだけで幸せだ――そう思い込むことで枕を濡らさずに己を律してきたのだ。
本音を言えば俺だって子供たちとおいかけっこをしたり一緒に花冠を作ったり聖歌をうたったりしたい。
将来の夢を語る子供たちと未来を想像しあって笑ったり。じゃれる子供を抱き上げてもっと笑顔にしてやりたい。
――ある日、人一倍やんちゃな子供が棒きれでもって「あっちにいけ怪物! 司教様はボクが守るんだ!」と、俺の脚を本気で殴ってきた。
俺にかまってくれたという事実だけで涙をあふれさせるほど嬉しくて。表情を繕うのには苦労したものだ。
喜んで怪物役を引き受け、棒を振り回す子供をとっ捕まえては「怪物だぞー。丸のみにしてやろうかー」などと軽く脅し、間髪入れず高い高いをしてやった。
すると子供はあまりの恐怖に失禁。
鼻水と涙とともに口から泡を吹いて気絶してしまった。
他の大人たちから向けられる刺すような非難の目。まさに針のむしろである。
子供いわく、「高い高いが高すぎて空気が薄くなった。気を失ってしまったのは大気圏を抜けたからだと思う」と周りの子供や大人たちに吹聴し。これ以上は下がりようもないだろうと思われていた俺の印象は前人未踏の域へと到達することとなる――。
そんな惨すぎる俺の一連の話を伝え聞いた司教は、口元を震わせてあふれ出る涎を啜り、ただでも薄い目をぎゅっと瞑って一文字にし懸命に笑いをこらえていたという。
案外、遠く離れた町の神父に命じられたのも、ある種の厄介払いだったのかもしれないと考えている。
こんなぼろぼろに荒廃した教会など誰も使いたがるはずもない。ましてや賊が巣くっているのだ。誰にも必要とされない俺こそが適任だったのだろう。
誰かこんな陰気な大男を愛してくれるのだろうか。
無邪気な子供にすら邪悪であると断定される俺を誰が知ろうとしてくれるのか。
いや、今はネガティブな思考に偏るのはやめよう。
ただでも暗い顔がさらに暗く。ただでも低い声が地鳴りの様に低くなってしまう。
俺ももう成人だ。自分の機嫌ぐらいは自分でとらなくてはな。
「これだけの大男は町でもそうみない。目立ってたから一目でよそ者だとわかったぜ。もう少し背を短くした方がいいんじゃないか」
できるならやっている!
小さくなり子供たちの輪のなかに飛び込み、笑顔の花を満開にさせたかった!
「ッ……」
そう叫びそうになった。
しかしまだいじるのか。
こいつの異様に薄い眉毛もいじって同じ惨めな気持ちにさせてやろうかな。「お前の眉毛は産毛だろ。俺の剃ってる陰毛よりも薄い」とか言ったら泣いちゃうかもね。
いや、相手に言い返して同じ舞台にあがってはいけないと教典にもあるじゃないか。ここは軽く受け流し続けよう。
「背が伸びることはあっても縮むことなどそうありませんよ。おかしなことを言うお方だ」
「ナハハハハ! 今の話がそんなにおかしかったかい? 俺がそんなおかしいかい?」
「おかしすぎて腹筋がつってしまいそうですよ。アーハッハッハ」
同調。コミュニケーションの基本の一つは同調である。
ポジティブな話には同調し、相手が笑っているのだからこちらも笑う。
「――何がそんなに面白れぇんだよ!!」
ゲラゲラと笑っていたのに突然怒り始めてしまった。
びっくりして尿漏れしそうになったぞ。
ここで俺も同調して怒れば喧嘩に発展してしまうだろう。
いたずらに相手の心を波立たせず和の心でもって接しよう。
「失礼しました。不快な想いをさせてしまったようですね」
「何が神父だうさんくせぇ」
教会にいて然るべき神父がこの場にあって胡散臭いとはこれいかに。
「いったん落ち着きましょう」
「ああ? 俺に指図するのか? 俺のどこが落ち着いてないって? 神父様ってのはそんなに偉いもんなのか? 俺に命令できるほどの権利があるってか!? だから聖職者ってやつはいけすかねぇ。なんの権限があってか、いっつも遥か高みの上から偉そうに命令してきやがる。口を開けば正しさがなんだ道徳がどうだと口やかましくてようぉ。あんたも少し黙っててくれねぇか」
すごい。一発でスイッチ入った。そしてスイッチの切り方がわからない。
「一度荒れた心を鎮めるためにも深呼吸をしてみてはいかがでしょう。肺一杯に空気を取り込むことで――」
「おい、俺はそういうのがムカつくって言ったんだぜ。頼んでもないのに勝手に説教を始めやがって。黙れって言ってんのも聴こえなかったのか? その耳は飾りか? 神父様に飾りなんていらないだろ。いっそ切り落としてやろうか」
笑ったかと思えば突然怒り出し。次はニヤニヤと笑いながら眉にある産毛をハの字にしている。
感情のブレ幅が大きいというか、喜怒の上下するはやさが爆速というか。いったいどんな情緒をしていらっしゃるのでしょう。
耳を削ぎ落すなんて、なんと恐ろしいことを思いつくのか。
和の心で接しようにもこれでは取り付く島もない。
何が彼をこうまで怒らせてしまったのか見当もつかないので危機に対する回避策も解決策も浮かばない。
「前の神父がなんで死んじまったか知ってるか」
「患っていた持病の悪化が原因であると聞き及んでおりますが」
「ハッ、馬鹿が。なんもしらねぇんだな」
馬鹿って言うな。思っても言うな。
人は事実でこそ真に傷つくのだぞ。
初対面の相手に見抜かれるほど俺の顔は馬鹿そうなのかと落ち込んでしまいそうだ。
「あいつは俺たちが殺したんだよ」
「なんと……」
おい教団。やったな。完全に騙したなお前ら。
上層部は安全な赴任先だから心配をするなと喜色満面の笑みで俺を送り出したのに初日からとんでもなくハードな目にあっているぞ。
どうせ俺には拒否権などなかったのだから初めから危険な場所だと通告しておけよ。そうしたら心の準備もできたのに。
司教も司教だ。何が「君なら大丈夫。私が最も信頼している信徒だから」だよ。
何が大丈夫なのかと思えば暴力沙汰に関しての話しだったか。てっきり運営についての話しであると勘違いしていたぞ。
「前任のゴルドー神父は貴方が殺めたのですね。なんと罪深い」
警備隊の人、この人をとっ捕まえて取り調べてください。余罪もザクザク出てくるはずです。
「ゴルドー? しらねぇなそんなやつ。俺たちが殺ったのはヨアヒムとかいう痩せほそった神父だぜ」
ヨアヒム……彼は30代独身。神経質ではあるが面の良い男だった。目つきが悪いので勝手に親近感を抱いていたのだ。
ここ数年姿を見ないと思っていたが、いつのまにか派遣されていて、こんなところで人生を終わらせてしまっていたのか。
ではそうなるとゴルドーはどうした。
教団め、まだなにか俺に隠し事をしているな。
「言うことを聞かずに逆らったから殺してやったんだ。素直に金を渡しておけば死なずに済んだかもしれないのにな」
「金を渡さないから殺した……ですか。教会には他者に金品を譲れるほどの貯えはなかったはずですよ」
この手の身勝手な理由で人を殺せる者はいままで何人も見てきたが。きまって道徳心が薄いか、そもそも我々と同じ原理原則の中で生きていない。
確かにヨアヒムは融通のきかない男だったかもしれない。
上に煙たがれようとも正しいと思う己を貫き、時には司教にも諫言する。
ひとに厳しくはあったが己には更に厳しい男だったと記憶している。そして彼は殺されるような男ではなかったと断言できる。
出世など眼中にないとばかりに賄賂を渡さず受け取らぬ清廉さには尊敬の念すら抱いていた。
司教の淫らな薄着を咎めた際などその場で拍手を送ってしまったほどだ。司教から避難めいた視線を向けられ拍手はやむなく止めたが。
ヨアヒムは常に正しくあろうとした信徒の鑑。
その実直な姿には強い感銘を受けたものである。
子供になぜかウケが良かったのだけは納得いかなかったが。
「あるかないかじゃねぇ。出せと言われて出さないのが悪いんだよ。金がねぇなら体を売るなり人を売るなり手段はいくらでもあるだろ。うだうだと言い訳こいて出来ない理由ばかり探しているから殺されんだ」
ないものを出せだと言われても困ってしまう。
できることならベッドの上で愛する女性に同じようなことを言われたいものだ。
もう出ないほどすっからかんに搾られ、それでもまだねだられる。男の夢だね。
「てめぇ、随分と余裕じゃねぇか。なにを笑っていやがるんだ」
下品な夢を想像をしていたせいで表情のコントロールを失ってしまっていたようだ。
ここはシクリッド教団の神父らしく説教を――とも思ったが、悪事を働いておいて善悪を語るような相手に心動かす言葉をかけるのは飢えた狼に布教をするようなもの。
下手に刺激をするような行動をとらず。敵意がないことを示していったんはその場しのぎの言葉で落ち着かせたいところだ。
「今頃ヨアヒムは冷たい川の底で、いもしねぇ神様とやらに祈りでも捧げてるんじゃないか。お前さんもヨアヒムみたいになりたくなかったら、とりあえずは持ち金を置いていきな」
要求がわかりやすくて助かる。
金で解決できるなら是非ともそうしたいところだが渡せる手持ちなどほとんどない。
なぜなら教団から渡された教会の運営資金は先ほど丸ごと盗難されてしまっているからだ。
新生活開始一日目に財産の大半を失ったのだぞ。俺の不幸体質を舐めないでいただきたい。
「お金などありませんよ。さきほど全て盗まれてしまいましたから」
財布に入れてある金については最低限の生活資金なので勘弁願いたい。
体を売れと言われても需要がないので買う人もいないだろう。もし買ってくれる女性がいたなら結婚してもいいわ。
「そうかい、それは災難だったな。そんじゃまぁ言い残すことはあるか?」
決断が早すぎる。もう少し話す余地を与えてほしい。
どうしたものかと考えていると、男が手を叩いて合図を送ると奥に隠れていた他の賊たちも姿をあわした。
一様に不穏な笑みを顔にはりつけている。
それは数にものをいわせて他者を暴力によって屈服させようとしているときに浮かべる邪悪な笑み。俺が直接人に向けられる笑顔というのは大半がこれだ。のこりは司教の煽り笑い。
「た、助けてください……! あたし、このひとたちに乱暴をっ……ヒッ!?」
街ではよく見かけたエプロンと一体した衣服が乱暴に破られ、胸元をあらわにした若い女性が倒れながらこちらに救いを求めるように手を伸ばす。
だが俺の姿を認めた途端に口をつぐみ。手を引っ込め、ただでも悲痛そうな顔を更にくしゃくしゃにして青ざめている。
獅子に襲われているところ助けを求めた相手が熊だった――みたいな顔だね。
女性の反応は置いておくとして、状況を整理しよう。
「一目見ただけで容易く理解できる状況なのですが、何かの行き違いや誤解があっては申し訳ないので念のため確認させていただきます。貴方がたはこの神聖な教会でその女性と何を……いえ、その女性に何をしようとしていたのでしょうか」
うら若き乙女を廃墟と化した教会に連れ込んで、言うも憚る残酷な目に合せようとしているのは明白であった。
だがもし仮に合意だったら――そういうプレイの一環である場合も否めない。
俺はこの教会の神父である。詳細を聴かなければならない義務がある。
他人の所有する建造物のなかでいかがわしい行為をするのは神の意に反する。
その場合、神に変わって相応の報い与えるか、更生に向けて教えを説いてやらなければならないだろう。
教典に照らさず個人的な感情だけで言えば、一度でも女性に乱暴を行った者など万死に値するので処されて当然であると考える。
未だ恐怖が怒りに勝っているためそんな感情は表にはだせないが。
「チッ、女のくせにしゃしゃりでてきやっがて。足首を折っただけじゃ足りなかったか」
「だから太腿の方を折れって言ったんだよ。あそこの骨は太いから痛みも尋常じゃない。そうなりゃ痛みで正気じゃいられなくなるって寸法よ」
「それじゃあ結局騒がれちまうだろうが。それにあんま泣いて騒がれると萎えちまうんだよ」
「俺は泣き叫ぶ女子供を犯す方が興奮するたちなんでな」
「へへっ、このド変態野郎が」
俺は小心者で、どんなに自分が悪く言われても喧嘩などする勇気もない臆病者だ。
だが、力無き弱者を強者がいたぶるのを黙って見過ごせるほどの小者ではない。
血の気の多い者同士が同意の上で争うのならばそれは好きにすればいい。条件が対等であるならその後の結果は自己責任だ。神だって責任はとれない。
無論、無駄な争いは好ましくはないし同じ教団員ならば諫めることもあるだろう。
しかし、一方的に弱者を凌辱しようとする卑怯者は断じて許せるものではない。
「念には念を押して再度確認をさせていただきますが――あなた方はその女性を襲っていたという見解で相違ございませんね?」
「まだ挿入はしちゃいないさ。これからっていうときにあんたが入ってきたんだ」
なんかその言い方だと俺がお前に挿入したみたいにならない?
誤解されるからやめてよね。
「そうだぜ。あと少しで穴という穴に精液を流し込んで――」
「――結構。それ以上は聞く必要ありません」
怒りに飲み込まれてはいけない。
努めて冷静であれ。
表情筋を操り感情を顔に出さぬよう制御する。
「お、やる気か?」
表面上は取り繕えても雰囲気というものは抑えがきかないものである。
怒気を放つのなんていつ振りだろう。
ふと女性の横に見慣れた袋を見つける。
教団から渡された全財産の入った大きな袋である。
こんなところにいたのかい。困った袋ちゃんめ。
「今日はいい女も犯せてとんでもない大金も手に入った。しまいにゃあいけすかねぇ神父まで殺せるとなりゃあ極上の一日じゃねぇかよ」
俺の袋ちゃんをさらったのはお前たちか。
「それにあんたも最初からそのつもりだったんだろ。あんたみたいな、がたいのいい神父なんているはずがねぇからな。どうせ誰かに雇われた傭兵か冒険者くずれだってのは最初からバレてんだよ。この礼拝堂に入ったときにも言ってたよな。大掃除になりそうで俺たちの骨を折ってやるってよ」
それに関しては隠語などではなく普通の清掃のことを言っていたんですが。
「もう我慢できねぇ! ひぃひゃっほー!!」
残念ながら会話パートは終わったらしい。
後ろに控えていた男が年季の入った片手斧を振り上げて襲い掛かってくる。
「乱暴なのは苦手なのです――がぁっ!?」
しゃがんで燭台を拾えもそうないので長い燭台の端を踏みつけて跳ね上げる。
ところが虫にでも食われていたのか、力いっぱいに踏みつけたところ経年劣化著しい床板を踏み抜いてしまい片足が膝まで床下に潜り込んでしまう。
踏み抜いた反動で燭台は宙を舞い、天井の梁に引っかかってしまっていた。
こんなときにも不幸体質は、その力を存分に発揮してくれている。
「ごっ……!? おっ……おぐぅ――!」
急いで片足を引き抜くと、片手斧を持っていた男が血に濡れた腹を抑えて床に転がって藻掻いている。
何があった。
「お前ら油断をするな! こいつ、ただもんじゃねぇぞ……! 踏み抜いた床を利用してボウマンをやりやがった!」
なるほどね。
「勢いよく踏み込んだボウマンの進む力を利用してのカウンターなんて、ねらってできることじゃあねぇ!」
ええ、狙ってないですからね。
「じゃあこいつは武術の達人かもしれねぇってわけか。へへっ、こんな手練れを送ってくるなんて、俺たちもけっこう名を上げたみたいで嬉しいねぇ」
嗜む程度の護身術の心得はあるが武術の達人だなんてとんでもない。
どうせなら誤解をしたまま怯んで逃げ帰ってくれたらいいのに。人生とはままならぬものである。
「馬鹿が暢気に喜んでいる場合かよ! このままじゃボウマンが死んじまうぞ!」
「さっさとこの神父を始末してボウマンを医師のところに連れてくぞ!」
こんな荒くれ者でも仲間の命は尊いものとして認識しているらしい。
それならばまだ更生の余地はあるのかもしれない。
だが更生よりも犯した罪を償うのが先である。
このような悪に染まった輩を野放しにしておけば、世は混沌に満ちてしまう。あと逆恨みして復讐にきそうだから牢に入っていてほしい。安全な鉄柵の反対側から教えを説いてあげたい。
更生はその先の段階の話であって、まずは己の罪を認めさせ、償わせなければならない。
問題はどうやって罪を償わせるかではない。それは役人たちの仕事なので俺が考えることではないのだ。町の法に従ってしっかり刑罰を受けていただきたい。
「ハァハァ……どうってことねぇよ、こんな怪我かすり傷みたいなもんだ。たまたま上手くいっただけだ」
どうみても重傷なのだが、ボウマンが傍目に見ても強がって無理をして立ち上がり、またしても襲い掛かってくる。
すると梁に引っかかっていた燭台が落下してきて、ボウマンが走り出そうとした矢先につっかえ棒のように股間へ突き刺さる。
「んほおおおぉおおおおっ!!」
「ボウマーン!!」
「二度も立て続けに起きたら偶然じゃねぇ。こいつやっぱり狙ってやがるぞ!」
同じことが二度起きるのはまだまだ偶然のうち。三度目からが必然だというのが持論である。
だから偶然目が合うことが三回あった女性には毎度運命的なものを感じてしまう。
大概は相手が警戒して俺を見ているだけなのだが。
「寄りにもよって局部を狙うなんざ、きっとこいつには人の心なんてものがねぇんだ。まるで人面豚。人の皮を被ったオークだぜ!」
好きかって言ってくれているがオークはけっして野蛮な生き物ではなかったと擁護しておきたい。
清潔で温厚。内向的かつ臆病な性格でであったため、人里から離れて暮らしていた。
臆病ゆえに武器を大量に所持し。なおかつ大柄で魔物の狩りを得意としていたため、他種族から多くの誤解を受けて最終的に絶滅に至った亜人種である。
度々魔物と勘違いされるが彼はれっきとした亜人だ。
オークたちの他人とは思えぬ境遇に涙を禁じ得ない。
そんなうんちくを口に出せばまたいらぬ勘違いを誘いそうなので静かに黙っておこう。
「なんで黙っていやがる……。まさか本当にオークなのか……?」
「ど、どうすんだよ。本物なら食われちまうぞ……?」
「沈黙は肯定だろ……つまりそういうこった」
黙っていても勘違いされたね。
賊どもは奇跡的に起きた一連の流れに臆しているご様子。
そろそろ誤解を解くとしよう。誤解が解けずとも、誤解を誤解のままよしとしなかったという事実が大切なのだ。
「はて、私は何もしておりませんが」
俺がしたことと言えば、これから綺麗に掃除をして住まうつもりだった教会を自らの手で破壊し修理の手間を増やしただけである。
「白々しいことを。豚のくせに」
オークならまだ亜人なのでまだしも。脈略なく人を家畜扱いするのは、それはもうただの悪口だ。誹謗中傷だ。
出るとこ出るぞ。次は法廷で会おう。
「おい、神父みたいなオークさんよ。ここはひとつ取引をしねぇか」
眉の薄い男が切り出す。
そこはせめてオークみたいな神父と言え。
「どんな取引でしょうか」
賊に屈して取引に応じるなど憤懣やるかたなしと言ったところだが、背に腹は代えられぬ。
むしろ絶好の機会。僥倖の至り。水を失った砂漠で恵みの雨が降るがごとき提案。
雨水ゴクゴク。喧嘩をしなくてよいならば万々歳である。
「そこのさらってきた女はあんたにやる。犯すなり売るなり殺すなり好きに使ってくれていい。町に来たばかりで知らないってんなら奴隷商人も紹介してやる。だからここは一度見逃してはもらえねぇか。これ以上放置してたらマジでボウマンが死んじまう。さっさと医師のところにつれていってやりてぇ」
「…………」
俺との取引材料に怪我をした女性が覿面に効くと思われているのは不服を申し立てたいところだが、言っても話がややこしくなるだけだろう。
賊に誤解を受けたところでなんの痛痒もないと前向きにとらえよう。
なにより賊が退散して被害者女性も救われるというのであれば願ってもない展開であるのは確かだ。
これは俺の誤解が運よく転がったわけではない。きっと俺の不幸よりも彼女の幸運が勝ったのだ。
彼らを制圧、捕縛し、然るべき機関に突き出すことこそが正しき行いなのだろう。だが怪我をしている女性をいつまでも放っておくわけにもいかない。
「いいでしょう。その取引に応じてさしあげます。私からは危害を加えませんので大人しく出ていきなさい」
緊張と安堵から少し偉そうな言葉を選んでしまい、そんな自分がおかしくて口角があがる。
「なんておっかねぇ笑顔だ……そんなに女が食いたかったんだな」
「へへっ、取引成立だな。それじゃあ俺たちはこれでおいとまさせてもらうぜ」
「お、俺たちは食わないでくれよ。約束だかんな。その女はこのまま生でくっちまっていいからよ」
「人間なんて食っても腹壊さねぇのかね……」
「や、やだ……お願い、せめて殺してから食べてくださいぃ……」
うるさい早くいけ。
女性が誤解してお前らにつかまっていたときよりも青ざめて震えているじゃないか。
「――そこまでだ小悪党ッ!!」
と、背後の扉が大きな音とともに開かれ、広い教会に何者かの声が響き渡る。
俺は軽く跳ねてまた穴にハマった。
「ここを隠れ家にしている盗賊団の一味とは貴様らのことで間違いないなッ!」
よく通る声だこと。
それにしても今日は客が多い。
就任初日から我が教会は大人気スポットになっているじゃないか。
闖入者は抜き身のショートソードと盾をそれぞれ片手に持つフルアーマーの若そうな声の男。
そのほかにもローブをまとった小柄な男や、軽装で猫顔の女などが遅れて入ってくきて、鎧の男のやや後ろに並ぶ。
賊たちの様子はあからさまに動揺しているので、賊たちをつかまえにきた正義の使者なのだろう。
なんと心強い味方が登場してくれたのか。
これもさらわれた女性の豪運がなした奇跡なのだろう。
「ッ!? 貴方は……その、シクリッド教団の……?」
鎧の男は俺の身なりをみるなり剣を下げる。
いまが好機。賊の仲間だと誤解をされる前に己の身分と立場を声高に主張しよう。
「はい。私はシクリッド教団に所属するロイズレッドと申します。こ度はマフィーダの教会を管理運営する神父として着任いたしました。つきましては――」
「た、助けてください!! この人たちに乱暴を! その神父服のオークに食べられて、余った肉を売られてしまうところだったのです!」
いや待て。このタイミングでその迫真の告発はマズい。
状況的にあまりにも致命。見事なまでに急所を突き刺す完璧なクリティカルヒットだ。
「なっ、オークだと!?」
あの取引は便宜的な手段であって、賊の消えたあとにちゃんと真実を伝えるつもりだったのだ。
これではまるで、奴隷の闇取引をする神父になりすましたオークの奴隷商人として人の目に映ってしまう。
「下種めッ……! 魔物が聖職者を騙り力無き女性を物のように売り買いをしようしていたというのか!」
ほらね。
本当に神父なのに騙ったことになってら。
「いや待ってください私は――」
「問答無用!」
問答がとても有用な場面ですよ騎士様。
「尊き神のお導きに反し、人の道に外れた外道とはまさに貴様のような者を指す! 貴様のような下種は聖職者にあらず。欲望の一つも自制できず金に溺れ、色欲に飲まれた生殖者だッ! みな、かかれぇ!」
言うねぇ。言葉で刺すねぇ。
どうやらさらわれた女性の運が強すぎて、俺の不幸をより一層際立たせてしまったようだ。
☆
聖騎士ティアスの手記――。
彼との邂逅こそ、神のお導きであったのだろう。
この広大な世界において人と人が出会う事が全て偶然だとするならば、偶然が二度も起こるというのは運命と言うほかない。
縁もゆかりも持たぬ無関係の女性を救いに向かう慈悲深さ。
人の限界など優に超越している磨かれた宝玉にも勝る美しき肉体。
明瞭かつ左右の均衡がとれた、完璧に均一で彫深く麗しき面貌。
女を人から獣へと変貌させ、色に狂わせる芳醇な男の香り。
聞く者の耳を性器へと変えてしまう媚薬のような奥深く低い声。
そして、たったの一人で賊の隠れ家に侵入し、真正面から立ち向かうという底知れぬ勇気。
ロイズレッドとは、そういう男であった。
ただ、唯一の欠点を上げるとすれば、彼には過去を記憶をする力がないという点か。
彼はこれまでにも数多くの人を救ってきた。だが、あまりにも多くを救いすぎたがために、一人一人を覚えてはいなかったのだ。
いや、自己犠牲に満ち満ちた性質を思えば、それすらも欠点と評するのはあまりにも酷かもしれない。
彼にとって他者を救うというのは、我々が水を飲むようなものなのである。
杯に注がれた水を何口で飲み干したかなど一々覚えている者はいない。それと同じなのだ。
だが手を差し伸べられ救済された者たちは彼のことを永遠に忘れはしない。
彼が覚えてはいなくとも、常に心の中には彼がいた。
彼から救われた命を粗末に扱う者は誰一人としていなかった。
大恩を一方的に授けては、礼も言わせぬうちに立ち去ってしまう。
風の様に颯爽と現れては、また次の救いを求める者を探して風に吹かれて消えてしまう。
だから彼は救った者を覚えていない――。
私はそれが、とても苦しかった。




