34話 黄金の聖なる滝
古い体を捨てて新しい体に生まれ変わり、清々しい気分で私は目を覚ます――はずだった。
城で誕生した者たちは、生まれたときに必ず何かしらの役割を課せられる。
誰に命じられたわけでもなく。妖精は起きてすぐに本能的にそれを理解していた。
本能に従い種を増やすため、己が課された役割と使命を全うするために生きる。それが私たち妖精の在り方である。
だけど私はみんなとは少しだけ違っていた。
姉たちと顔はそっくりではあったが、女王として生まれた私は体が二回りも大きかったのだ。
みな私が生まれる前から女王として起きるのを知っていて。繭に包まれて眠る私をの世話をしてくれていた。
だけど私は体格だけではなく、もっと大きな違いがあった。
私には姉たちのようなすらりと伸びた美しい薄羽が背中に生えていなかったのだ。
私は女王として生まれ祝福のなかで戴冠し。王位についてみなを導く立場のはずであった。しかし繭から出てきた私に羽はなく、「出来損ない」の烙印を生まれてすぐに押されてしまう。
使命を果たす能力を失った女王。私の誕生を祝福するものは一人もいない。
羽もなく、使命を果たせないのならば、それはもう女王ですらない。見えない他人である。
私は生まれた瞬間に女王である資格を失い。存在を否定されたのだ。
「出来損ないが生まれちゃった」
「出来損ないは不要」
「羽がなければ女王にはなれない。出来損ないだ」
「どうする」
「どうする」
「どうする」
女王として君臨するはずだった私が、その資格を持っていないと知った姉たちは動揺し、城の中を羽を震わせながら駆け回った。
元々この城には女王がいなかった。
統べるものがいない城を統べるため育てたたのに、その役割を果たせない無能が生まれてしまったのだ。姉たちがどれだけ落胆したかは想像に難くない。
「次の女王を用意しよう」
一人が言う。そのあとの姉たちの行動は迅速だった。
一人一部屋が割り振られる育房室で、兵士として生まれるはずだった妹たちの中から最も魔力が高く女王としての素質ある者を選びだす。
私がそうであったようにまだ幼く小さい妹に、女王用の栄養豊富な食事を与えて育成を始めた。
そのとき、明確に私は見捨てられたのだと認識する。
☆
私の処遇は一旦保留とされ放置されていた。
それはけっして生きることを許されたわけではない。
そうと決まれば最初からいないものとして扱われ、姉たちの目には私の姿など映らなくなっていただけだ。
いま生きていられるのは姉たちが私にかまう暇もないほど忙しいからであって。新女王が誕生すれば容赦なく城の外に捨てられ、地上に落ちるだろう。
羽のない私では魔物から逃げるすべはなく。地上に落とされれば運良く生きられたとしても、数日も待たずに死ぬだろう。それが妖精の運命なのだから受け入れるほかない。
そうして生まれたばかりの私は誰にも相手をされることもなく。食事も与えられず。誰にも頼ることができず。目立たぬよう城の隅で息をひそめ。飢え死にをするか、追い出されて魔物に殺される日が来るのをただ待っていた。
☆
「いそげ」
「いそげ」
「間に合わせろ」
「間に合わせろ」
無能な私には役割の一つも与えてはもらえない。せめて城のために何かの役に立ちたくて、無駄だとわかっていても姉に声をかけて仕事を貰おうとした。けれど反応はなく。羽もなく大きいだけが取り柄の私では道を塞いで邪魔になるばかり。
君臨すべしという本能を無理やり押し殺し、自発的に手伝おうとしても仕事を奪われてしまう。
手伝える仕事などないとは最初からわかっていた。それでも姉たちに振り向いてほしくて何度も声をかけ。そのたびに心が凍てつくような思いをした。
考える時間だけはたっぷりとあった。
なにもすることのない孤独な時間に、自分はなぜこの世界に生まれてきたのかを延々と考える。
食事も言葉も温もりも何一つとして貰えないが、考える時間だけは与えられている。この時間が、姉たちの最初で最後の贈り物なのだと思って、私は思考に耽って縋りついた。
そうでもしなければ、とてもではないが正気を保っていられなかったから――。
☆
羽のないものには近寄ることも許されない、他種族を完全に拒絶した天空の城。
誰も侵入できないはずの城の中にあって、妖精を喰らう恐ろしい魔物が巣くいはじめているのを誰も気づいていなかった。
その魔物はおぞましいことに私たちとそっくりな見た目をしている。
同じ手足と羽をもち。近寄ってもそれが魔物だとは誰も気付かないほどよく似ていた。
魔物は妖精を捕食する。妖精だけを主食と定めて喰らう。
私たちが動きの鈍くなりはじめる寒い夜を選び。城へ忍び込んでは妹たちの眠る育房を目指して進む。
魔物の成体は卵を産む機能しかもたいないため、妖精を食わない。食べるのは成体になる前の幼体だけだ。
夜、成体は育房の奥へ侵入すると卵をいくつも産みつけて城から脱出し。そしてまた別の城へと向かって飛んでいく。
朝になる前には成体の産み落とした卵は孵化をはじめ。血を吸ったヒルのように太く禍々しい姿の幼体が誕生する。
幼体は生まれるとすぐに部屋の扉を硬い糸で塞ぐ。私たち妖精が本能で役割を理解しているように、魔物も誰に教わることなくそうするのだ。
育房室に誰も入れなくすると、眠る妹たちの繭を牙で破り。まだ眠っている妹たちを思い思いの部位から食いはじめてしまう。
幼体にとって繭の中で眠っている妹たちは、栄養価の高い、かっこうの餌でしかない。一人を食べると育房室の壁に穴をあけて隣の育房室へ侵入する。そして扉を糸でかためて安全を確保してから再び別の妹を食べる。
そうして何人も餌食にして、十分に成長すると、育房のなかで私たちにそっくりな姿に羽化して何食わぬ顔で城から出ていってしまう。
私の背中に羽がないのも目覚める寸前、この魔物の鋭い顎で根元まで食われてしまっていたからだった。
魔物は魔力含有量の多い羽を食べ終えると羽化に必要な栄養を満たしたらしく、成体となって城から出て行ったようだ。
それが幸運だったと言えるのかはわからない。いっそ食い殺してくれた方が幸せだったのではないかと思う。
中途半端に生きているせいで絶望を知ってしまったのだ。いっそ眠っている間に食い殺されていれば、こんな気持を知ることもなかったのだろう。
だから、この無念と絶望は、これから生まれてくる妹たちには知ってほしくない。せめて妹たちには私の分も幸せになってほしいと願うようになっていた。
だけれど願うだけで、私にできることなど一つもない。
なにか――なにか自分にできることを与えてほしかった。
何もするなと言うならば、どうして私は生まれたのだろう。
☆
「育房が開かない。育房が開かない。育房が……妹が」
ひとりの姉が育房室の扉の前で立ち尽くしていた。
その姉が担当している妹の育房室の扉は、硬質化した糸に妨げられて入ることができない。魔物に寄生されているのだ。
壁一枚を隔てた先で妹が食い殺されていると知りながら、姉はなすすべもなく立ちつくすしかできないでいる。
「……」
私は立ちあがっていた。それは本能的な行動ではなかった。考えた末に出た自発的な行動だ。
その時、私を縛っていた本能という名の鎖が完全に外れるのを感じた。
「姉上よ、そこをどくがよい。余が……いや私がやる」
姉は硬直してその場から動かない。本能に従って私を無視しているのだ。
姉をおしのけて糸で塞がれた扉の前に立つ。
姉は毒針を抜いて威嚇しているようだったが、私はそれを意にも介さない。
自分が育房から出たときと同じ要領で、かたい糸を力任せに引き裂いた。
「邪魔になる。姉上は部屋には入るなよ」
私は女王として生まれたので毒針を持つことを許されていないし、毒の分泌もできない。
だが姉よりも体の大きな私には、毒針にも勝る膂力があった。だから姉の力では破れなかった糸も容易く突き破ることができたのだ。
「出来損ない――」
背中に投げられる冷たく意図の読めない言葉。
いままでは気にとめもしなかった私に初めて気づいてくれた。
冷たかろうとも意図が読めずとも、声をかけてくれたという事実が嬉しかった。
「姉上は大人しくそこで待っておれ」
部屋の中には成長途中の魔物の幼体が一匹。その大きさから察するに、既に妹たちが何人も餌食にされているのは明らかだった。
乳白色の幼体は育房室に入った私に気づいておらず。白を基調として七色に輝く繭を破り、今まさに幼い妹の肌に牙を突き立てんとしているところだった。
走りざまにテーブルにあった燭台を手に取る。
背後から魔物の首を締め上げ、液体のように柔らかな体を切断するつもりで腕を食い込ませる。
驚いた魔物は半狂乱になって身をよじり抵抗してきた。
暴れる魔物の柔らかな腹に燭台を力いっぱい突き刺す。
「ギギィイィィギィッ!!」
醜い鳴き声を響かせた魔物が私の腕の中でさらに暴れ狂う。
私は魔物の苦しむ声に言いようのない興奮を覚えた。流れ落ちる体液を見て、欲情しているのかというほど昂った。
腕からすり抜けると後ずさりし、唾液の混ざった粘着質な糸を吹きかけてくる。
私の視界の半分を覆った硬質化する前の糸を乱雑に払いのけ。獲物からは決して視線を外さず睨みつけた。
「あぁ弱い。力の差は歴然だ。殺し甲斐のない魔物よなぁ」
「ギギッ――ギギ!」
魔物は顎をカチカチと鳴らして威嚇しているが、けっして攻撃はしかけてこない。
「威嚇などしてどうした? 私を恐れていると喧伝しているようなものだぞ、それは。もっと私を楽しませよ」
魔物を殺せることが嬉しくて仕方がなかった。自分のうちに眠っていた残虐性に驚きはしたが、それほど意外でもなかった。
「フフッ、アハハハ! 復讐とはこれほどまでに甘美なものなのか!」
魔物が逃げ出そうとしたので、落としてしまった燭台を素早く拾い上げる。再び魔物に近づき何度も何度も何度も燭台を突き刺した。
それでも死なずに抵抗する魔物を力の限り殴りつける。
傷口から黄緑色の体液をまき散らし、のたうち回る柔らかな体。魔物が苦しむ様をみるのは、これ以上ないほどの快感を伴う。
魔物の体に指を食いこませ、力任せに育房室の外へと放り投げる。
「我が妹に手を出さんとする不届き者め。生きて城から出られるとは思うなよ」
怒りと快感の波が交互に押し寄せる。
自分の羽を食らわれた恨みもあるが、それ以上に妹を食い殺そうとしたことが許せなかった。
「どこへ行くつもりだ? お前の死に場所はここだぞ」
体液で床を汚しながら逃げようとする魔物の下半身を掴み。上から圧し掛かって動きを封じる。
魔物は体をくねらせて必死に抵抗し、頭を伸ばして私の脚に噛みついてくる。
腿の肉が少々削れた程度の痛みなど、身を焼くような怒りと、頭から貫くような快感の前では無いに等しかった。
「ギギィッ……」
魔物に止めを刺すべく首に食らいついて引きちぎる。
「ほほう、見た目のわりに存外美味ではないか」
えぐられて体液が噴き出している部分に両手を突っ込み、力の限りに引き裂いたところで魔物をようやく絶命させるに至る。
体液をまき散らし床で痙攣する魔物。
騒ぎを聞きつけて集まっていた姉たちに魔物の死体を蹴り転がして渡した。
「ちょうどいいところに集まってくれたな。私はこの通り体が大きかろう? 魔物の相手をしても遅れをとることはない。今後は魔物の相手は全て私に任せるがよい」
姉たちは私が生まれたときと同じように動揺し、羽をせわしなく羽ばたかせる。
それを羨む気持ちをねじ伏せて返事を待った。
「出来損ないが魔物に勝った?」
「出来損ないは出来損ないじゃなかった?」
「出来損ないは優秀な戦士だった」
次々に寄ってきては、体に触れてくる姉たち。
慣れぬ扱いに戸惑ってしまい、言葉が見つからず視線をさまよわせて立ちすくむしかできなかった。
「この魔物は妹の食事にしよう」
「それはいい。そうしよう」
「殺された妹たちの無念を晴らそう」
息のない魔物に一斉に飛びかかる姉たち。その場で皮膚を破かれ肉を裂かれ細切れにされて肉団子へと変えられていく。
ふと視線を感じた。
視線の感じた先を追うと、たったいま助けた妹を担当していた姉が私を見つめていた。
「妹はあなたのお陰で無事だった。ありがとう」
その言葉を聞いて思考が止まってしまう。
「ならば……私は生きていていいのか?」
脈略のない言葉を受けて、姉は首をかしげるだけで何も答えなかった。
私と違い、与えられた使命と役割を持ち、それを果たすためだけに生きている姉が答えなど持ち合わせているはずもない。
「聞かなかったことにしてもらおう」
それでも、生きる意味を失っていた私に、生きる意味が生まれた気がした。
生まれた意味は失ってしまったが、この時、生きる意味を確かに見つけたのだ。
☆
私が女王になれなかったせいで予定は大きく遅れてしまっていた。
次こそ失敗は許されない。確実に女王を誕生させなければ、この城の存続が危ぶまれる。
魔物の侵入も、妹たちへの接触も許してはならない。
私が一人で寝ずの警備をし。姉に紛れる侵入者を探し出し。見つけ次第その場で処刑していく。
だが城は大きく広い。夜になれば妖精は動きが鈍くなるので、一人ですべてを守るには限界があった。
巧妙に卵を隠されてしまい発見が遅れることも多かった。そして妹たちは夜のうちに犠牲になっていく。
もうすぐ雪の降る季節がくる。雪が降れば体はさらに動かせなくなり、生命活動の維持だけで精一杯になるだろう。そうなれば育房にいる妹たちを守る体力はなくなってしまう。
その前に新たな女王を育てなければ。
☆
たったの一晩で、私たちをも食い殺せるほどに大きく育った幼体がいた。
通常種ではそこまで大きくはならないので、その魔物は特異個体で間違いない。
そうと気づいたのは姉の一人が食い殺されたときだった。
ひときわ大きく成長した個体が、扉に糸を張らず、妹の世話をしに来た姉を餌として襲ったのだ。
姉が命を賭して守ろうとしたであろう妹も、すでに腹を食い破られて死んでいた。まだ息のあった姉は涙を流しながら妹に手を伸ばし、やがて事切れる。
「手ごわい相手だ。とどめを刺すまで離れているがよい」
相手は確かに強いかもしれない。普段戦っている魔物とは段違いに大きい。それでも私には、それ以上の大きな体と膂力がある。
腕をもがれようとも足を奪われようとも、妹さえ生きていればそれでいいのだ。
女王さえ守りきれば、私が自分で決めた使命を果たせるのだから。
☆
城の中にも寒風が吹きこみ、姉たちの動きが日に日に、目に見えて鈍くなりはじめていく。
私の体には傷のないところを探すほうが難しくなり。城内には魔物の糸や妹たちの残骸がいたるところに落ちていた。
姉たちにはもはや掃除をする力も残っていないらしく。死体を見ても素知らぬ顔で素通りしていってしまう。
数ある育房室のなかで、最後に残ったのは女王候補である妹だけだった。
他の妹は守り切れなかったが、彼女だけは傷一つなく健在である。
最後の妹を我が子のように愛した。
私の肉体がどうなろうとも彼女だけはこの世界に誕生させる。それが死ぬために生まれてきた私の、生きる意味だと信じていた。
私たちとは対照的に、寒さを好む魔物の動きはさらに活性化していく。
侵入する魔物はかぞえられぬほど増え。妹たちも全て食い尽くされてしまった頃、最後に残った女王が目覚めの兆しを見せた。
この子だけは何があろうとも守ろう――。
☆
ときおり外に出ては寒風に耐えながらわずかな日差しを浴びて生命活動を維持する。
寒すぎても死んでしまうが、こうして最低限の魔力をたくわえなければ完全に動けなくなってしまう。だから寒さで死んでしまう寸前まで光を浴びた。光は妖精の命の源だから。
無駄な動きは極力省き。最後の妹を守ることだけに集中する。
食事もしばらくとっていない。食べるために力を消費するのも惜しかったから。
もう少しの辛抱だ。
もう少し生きていれば妹が目を覚まし、私の使命は完遂される。
「やっと……やっとなのだ。もう少し生きるだけでいい」
姉たちも女王を守るために生きてきたのだから、彼女が生まれてさえくれたら悔いはないだろう。
私はそう思っていた。
私だけは、そう思っていた――。
☆
「――私たちはこの城を放棄する。別の世界で次の春を待つ」
「……なんだと?」
姉が何を言っているのかわからなかった。
今まさに女王が誕生しようとしているというのに、どうして城を放棄するなどと言うのか。
城を放棄すれば巣くっている魔物に女王が襲われてしまう。身を挺してでも女王を守るのが我々の使命だろうに。
「寒さで気でも触れたか! 女王を捨てれば私たちは使命を全うできない! だというのになぜあの子を見捨てるなどと――」
「それはあなたの使命。私たちの使命は城を守って種を未来へとつなげること。だから守り切れなかったこの城はもうおしまい。もういらない。私たちの城ではなく魔物の巣になってしまった」
「ッ――!」
激昂しかけていた心が不思議と落ち着いていく。
本能的な反応なのだろう。姉の言葉はそういうものかと胸にしみ入り、怒りが消え去ってしまった。
私は本能に抗う。ここで納得してしまえば、自分も妹を見捨ててしまうのではないかと恐怖した。
生まれてくる妹に私と同じ想いを抱かせてなるものか――。
「ハッ、城内の掃除もせずにいたのはそういうことだったか。寒さで動けなかったのではなく、自分の体力を温存していたのだな。見損なったぞ」
「女王になれなかったあなたに見損なわれるほど落ちぶれていない」
「そうだろうな。だが勘違いをしてくれるな。私は自分を見損なったのだ。貴様らのような者に縋ろうとしていた過去の自分にな」
本能に飲まれぬよう、強い言葉を使って怒りを呼び起こす。
「……私たちは代理女王になるため母性を呼び起こす準備をしている。余計なものに時間を割く暇も体力もない」
死んでいった姉たちが命を賭して守ったもの。命を懸けても、それでも守りきれなかった妹を余計なものと断じられた。
残る姉たちが、いままでとは別の生き物になったかのように感じられた。
「これが本能に支配された姿なのだというならば、私は本能を理性で抑えられる自分を誇りに思う」
見た目は以前と変わらなくとも、魔物とかわらない存在に見えてしまう。
「それでいつ頃出ていくつもりなのだ」
「今日、日が中天にたっしたら城を出る」
「私はまた見捨てられるわけだ」
姉は返事をしない。
返事がほしかったわけでもない。これはただの独り言だ。
姉の表情に変化はなく、冬の風よりも冷たい目で私を見ている。
その目は、もう言うことはないと言外に語っているようだった。
視線を外してその場を立ち去る。
この姉たちならば眠る妹を餌として認識しかねない。だから育房室へと向かった。
私が一人で冬を越すことは十分に可能だろう。食事などとらなくても余剰魔力だけで冬を生き抜ける。戦いに慣れた今ならば魔物にも遅れはとるまい。
魔物の巣食った城から脱出する手段も、魔力を使えばまだあるはずだ。
けれど、冬に目覚める女王は違う。
もしも私まで城からいなくなれば。見捨てられた城の中でひとり孤独に、魔物に食い殺されるのを待つことになるだろう。
それだけは許容できない。
生まれてきて使命も果たせずただ死を待つだけだなんて――そんな想いをさせてなるものか。
☆
「女王が冬を越せるような、暖かい場所を教えてほしい。あなたたちとは離れた土地で、私たちも城を建てる。その羽でいくつか候補地をみつけているのだろう? であるならば、そのうちの一つでいい。どうか教えてはくれないか」
「……」
既に飛び立っていた姉に最後に尋ねても、その質問に答えぬまま城を放棄して出て行ってしまう。
そうなるのはわかっていたのだからいまさら落胆もしない。
城に残ったのは私と羽化を待って眠る妹。そして増えすぎて正確な数もわからなくなった魔物の幼体たちだけだ。
魔物たちは腹を空かせているが、夜も眠らずに妹を守っているので育房室には侵入してこれない。
幾日か経つと、城に打ち捨てられていた姉妹たちの残骸も完全に食い尽くされたらしく。ついには魔物どうしで共食いを始めた。
打ち壊された育房室の扉。その隙間から、眠る妹と私のすぐ前で魔物同士の醜い争いが行われている。
お互いの尻を齧りあって絶命するもの。
体格差を押し付けられて一方的に食い殺されるもの。
逃げまどい自分たちの糞を食べ、残った栄養を搾り取ろうとするもの。
飢餓感から判断能力を失い、私が守っている妹を襲おうとして殺されるもの。
音がなるほど蠢いていた魔物たちも、共食いの果て、ついには最後の一匹となった。
最後に残った一匹は、同族から得た栄養で今までで一番大きく育っている。
竿立ちになり乳白色の身体を左右に揺らす。
襲う期をうかがっているようだが、育房室のなかまでは侵入してこない。
「ギッギッギィッ!」
妹を寄越せ――そう言っているのだろうか。
飲まず食わず休まず眠らず。何を犠牲にしても妹を守ってきたこの命は、もうそう長くはもたないのだろう。
魔物を見てもなんの感情も湧かない。
殺さなければと思っても、本能が私を休ませようとしてしまい体が動かない。
「――ん」
その瞬間、後ろから何者かの声がきこえた。
「お姉ちゃん……? いるの?」
体が震えが止まらないのは寒さや恐怖のせいではなかった。
混じりけのない純粋な歓喜が私を震わせたのだ。
繭を切り裂いてやり、なかにいる妹と対面する。
「お姉ちゃん」
「違う。あなたは女王で、私は姉ではなくあなたを守る戦士だ」
「でも私はずっと見ていました。お姉ちゃんが守ってくれているのを知っています」
「……っ。私が必ずあなたを守ろう。今はまだ、ここで羽を乾かして待っているといい」
「うん……わかったよ、お姉ちゃん」
生まれてきた女王はまだ自分が女王であるという自覚が芽生えていないらしく、私を姉と呼んでしまっている。
そのお陰だろう、体は寒さなど感じなくなっていた。
どうやら私の使命は、女王が誕生したら終わりというわけではなかったらしい。
魔物に破壊された城から彼女を無事脱出させるのが最後の使命となるのだ。
「寒さのせいで、そんなことまで忘れてしまっていたのか……情けない」
魔物を残して自分が死ねば女王が襲われる。当然のことだ。
それを忘れさせるとは、本能とは想像以上に厄介なものである。
「だがもう本能には屈しはしない」
今の私にとって死とは逃避である。
女王を逃がしても、私が逃げてはいけない。
「さあ、真の使命を果たすとしようか」
これが、見捨てられた私の最期の戦いだ――。
☆
育房から出るや否や、魔物は私に圧し掛かり牙を剥いて噛みついてくる。
咄嗟に顔をかばおうとした腕は巨大な顎で容易く砕かれてしまった。
「いぃッ! があぁああッ!!」
体をひねって圧し掛かっていた魔物を引きはがし、女王のいる育房から距離をとらせる。
あえて抵抗せずに自分の腕を犠牲にしたのは首や胴体を狙われて決着がつくのを恐れたため。そして女王から気をそらすため、一口でも噛ませて自分を弱い餌だと認識させる必要があったからだ。
「さぞ美味かったろう私は。続きを楽しみたいのならこちらへ来るがいい。ほれどうした。活きがよく美味い餌がこっちに待っているぞ」
私の味に興奮した魔物が、妹を忘れて追ってくる。
背は見せずに後ろへさがり。覗けば大地の見える城の端まで誘導した。
「ハハ、随分と興奮しているようだな。それほど私の味は気にいってくれたか? これでも昔は女王として生まれた身だからな。ほれどうした、羽はないかもしれぬがまだまだ過食部位はある。腕も脚も体も、そして頭も残っているぞ?」
私がお前の最期の食事となってやろう。
誘いに乗って食らいつけば城からもろとも落下して、外界の地面に叩きつけてやる。
こいつさえいなくなれば、女王は安全に羽を乾かし。安全に、新たな土地へ羽ばたいていけるのだ。
「お姉ちゃん!」
だが育房に隠れていたはずの女王が姿を現してしまう。
「なぜっ――すぐに部屋に戻るのだ!」
「やだよ、お姉ちゃんは死ぬつもりなんでしょ!? お願いだから死なないで!」
皮肉なことに、死のうとした瞬間に私の中で一つの願いが生まれてしまった。
死のうとしていた私が生を望んでしまった。
本来は願うようなものではないのかもしれない。
だが私は生きたいという願いを強く強く強く抱いてしまったのだ。
生きて彼女を守り続けたい――そう願ってしまった。
心の中に深い闇が生まれるのを感じた。
どうして私は妹を残して死ななければならないのか。
これまでの過去の記憶が闇となって私をむしばんでいくような感覚。
恨みなどないと思っていたはずの姉たちに、激しい憎悪の念を抱いてしまう。
「死ぬのは怖くないはずだったのに……どうして」
死に別れることを覚悟していた女王と、もっと一緒にいたい。
生きていれば、私の得られなかったものを――愛情を彼女に与えられたはずだ。
必要とされる喜びも教えてあげられたはずだ。
私が身を寄せて温めてあげることもできたはずだ。
私が得られなかったすべてのものを女王に……大切な妹に贈ることができたはずなのに。
私ですら時間という贈り物を与えられたのに、女王は誰にも何も与えられずに生きていかなければならないのだ。それが不憫でならなかった。
せめて女王が使命を果たすその日まで、生きて守ってあげたい。
私よりも不幸にならないでほしい。女王だけには幸せでいてほしい。
私を必要としてほしい――。
「ギィイッ!」
ほんの一瞬の油断。数瞬にも満たない思考の隙を魔物がつく。
「あがっ……がっ!」
私の喉に食らいつき、顎に並ぶ牙が深々と突き刺さる。
圧し掛かった魔物は巨体を揺らし、勢いを利用して私の喉を食いちぎろうとしている。
女王の叫ぶ声が聞こえる。
どうやら私が与えたのは、愛などではなく恐怖や不安だけになってしまったようだ。
「お姉ちゃん!」
「ッ――アァッ!」
声は出なかったが音は出せた。
魔物が女王に気をとられた隙に殴り。姉の死骸から拾った毒針を乳白色の腹へと突き立てた。
「ギィアァアアア!」
暴れる魔物の下から抜け出して、体を使って抑え込む。
毒によって動きの鈍くなった魔物へ、更に毒針を突き込んで体内をかき回した。
最後に女王を一度だけ見て、その顔を記憶に深く焼き付ける。
あとは魔物が暴れる力を利用して、城の外へと一緒に落下すれば終わりだ。
これが羽のない私の、最初で最後の飛翔になるだろう。
「お姉ちゃん待って! いかないでよ!」
「――」
すまない。我が女王よ。我が妹よ――。
「――なーんちゃって!」
女王の顔からは、先ほどまでの弱々しい表情は消え去っていた。
寒さなど感じさせない満面の笑みを浮かべている。
「最後まで体を張ってくれてありがとね、お姉ちゃん。なんか私に執着してるみたいで気持ち悪かったけど、お礼の代わりにのってあげたんだよ。いやー私が食べられなくてホントによかったよ。いい暇つぶしになったし、オスができたら寝物語に語ってあげるね」
何を言っているのか理解することができなかった。頭が理解を拒んでいた。
「じゃ、もう用済みだから、その気持ち悪いのと一緒に死んじゃって。じゃあねバイバイ。出来損ないの元女王様――」
女王は私と同じ、姉よりも大きな体をしている。
だからだろう。羽を動かしながら、魔物を容易く足で押すことができた。私ごと城の外へと落とすことができた。
女王が顔を出して何か言っている。その顔には先ほどと同じ、邪悪な笑みが張り付いていた。
ああ、そうか――。
女王は一人で生きていける力を最初から有していたのだ。
出来損ないの私とは違い。見捨てられた出来損ないの私などいなくても一人で生きていける力があったのだ。
「(出来損ないが女王を守ろうだなんて、思い上がりでしかなかったのだな。だがこれで使命は果たせた……)」
女王が見えなくなり城も遠く離れていくと、世界が移り変わっていく。
冬が過ぎ、春が去り、夏を迎え。落下のさなかに季節がめまぐるしく巡っていった。
無意識にいくつもの外世界を行き来してしまうのは、私の死が近いからだろう。
どの世界にいこうとも、羽のない私と魔物はこのまま地面にたたきつけられて死ぬという未来は確定している。
生きられたとしても、それは結局不運には変わらず。外世界でまた別の魔物に襲われて殺されるだけだ。
地面にぶつかると衝撃が全身をかける。
魔物がクッションの役割を果たしたお陰で即死は免れたものの、私の体はどこかへと投げ出されてしまった。
(こんな終わり方か……。私の人生はなんだったのだろう……)
生まれてはじめて涙を流した。
涙が止まらないのは痛みのせいなどではない。
(あのとき、妹を殺されて涙を流しながら事切れた姉の気持ちがようやく理解できた気がする……)
涙の理由は、そう難しいものではなかった。
ただ単純に、誰にも必要とされなかった私が、妹にまで見捨てられたのが悲しかっただけだ。
(せめて、一度でいいから必要とされたかった……)
その願いが心の中に渦巻く闇に確かな形を持たせようとしていると気づいた。
この闇がどういうものなのかはわからない。なんの意味を持つのかもわからない。
でも私は、この闇に手を伸ばしていた。
(闇でもいい。私を必要としてほしい。私も闇を必要とするから――)
闇に手が触れる瞬間だった。私と闇の間に、黄金に輝く眩い光が差したのだ。
(なに……?)
その光は、触れようとしていた闇を私から引き剥がした。
体には滝のように降り注ぐ黄金の水。
それはこれまで食べたどの食事よりも美味だった。
体に力がみなぎってくる。まるで生命の水だ。
その美味なる生命の水の正体を掴みたいと思った。
闇を引き剥がし、再び光の世界へ導いてくれた黄金の水はどこから流れてきたのかを知りたい。
(なっ……これは!? まさか世界樹!?)
見上げると巨大な枝が垂れさがっており。その先端から生命の水が溢れ出ていた。
動かなくなっていたはずの体は十全に動くようになっている。
意識も明瞭となり。そしてくすぐるような緩やかな快感が全身を包んでいった。
(心地よい……ずっとこのままでいたくなるほどに)
世界樹の朝露には人を癒す力があるというが。きっと私はその朝露をあびているのだろう。
そうであるならば、この大樹は世界樹そのもの。
運よく世界樹の世界に迷い込み、私は世界樹に救われたのだ。
「ふうぅ……――」
世界樹が言葉を発した。
生命の水には、誰かを守ろうとする強い想いが込められていたが。それが私に向けられたものなのかは定かではない。
「――間一髪だったなぁ」
驚くことに守ろうという想いは私に向けられたものだったらしい。
世界樹は間一髪のところで私を助けてくれたのだ。
目を瞑ってひたすらに甘露な朝露を飲み続けた。
やがて滝のような朝露が止まる。
遅れて凄まじい快感が全身を駆け巡り、私の羽を無意識に震わせた。
(羽が! 羽がぁああッ! 羽でイッ…………羽だと?)
羽がある。
私の背に羽を動かす感覚がある。
その理由はすぐに思い至った。世界樹の朝露をあびて出来損ないだった私の体が再生したのだ。
目を開くと、世界樹よりもさらに大きな生物が私の上に立っていた。
それが世界樹様ご本人であるとすぐに気づく。
「…………――だよ」
世界樹様は私に向かってなにかを言っているが、声が小さくて聞き取れない。
耳を澄まして全ての意識を世界樹様に集中し、その神託を受け入れられるよう努めた。
「――から。死ぬのはダサい。いや違うな……」
(死ぬのはダサい……?)
「生きているのが一番カッコいい。いや、これもリリには刺さらないだろうな。元々かっこいいし……」
(生きているのがかっこいい……?)
「生きる意味に使命めいたものはいりません。生きていればそれでいい。うーん、それは無責任すぎるか……」
(生きる意味に使命はいらず生きていればそれでいい!?)
「無我夢中に生きまくりなさいッ! これではイキまくれと誤解されるか……?」
(ふぁあああ――――ッ!?)
私を生かしてくれた世界樹様がそうまで仰るならば、私は生きなければなるまい。
だが使命はどうすればいいのだ。いらないと言われても、使命を抱かずに妖精は生きていけない。
「生きることに迷ってはいけません。あなたには生きる資格があるのだから! 上から目線過ぎるな……」
(資格!? えッ!? 使命以外にも資格とかあるの!?)
その強い神託は私の胸に眩い光が宿らせた。
光は新たな使命をこの小さな胸に抱かせた。
(世界よ、ここに新たな使命と誓いをたてさせてもらうぞ。余は世界樹様の神兵となり永久に守護する資格を持つ者。余こそは世界樹の守り人、黄金の女王――オーレリアである!)




