29話 マフィーダの黒豹
前回のあらすじ:私は下着をつけない。理由は性行為の邪魔だから。
俺が一つの絶対的真理にたどり着いたのは今から数年前のことだ。
それは悟りを開くような大層なものではなく。単なる客観的な事実に気づいただけにすぎなかった。だがその事実によって地が抜けるような感覚を味わったのは確かだ。
その事実とは、自分が絶望的にモテないということ。
主な原因は顔と体。不幸にも俺の肉体全てが絶望的なまでに対人向けの仕様ではなく、見た目のすべてにモテる要素がないのだ。
彫りが深すぎるせいで影が差す暗い眼窩。この目に好き好んで寄ってくるものがあるとすれば暗所を好む苔や虫、キノコぐらいなものだろう。
無駄に発達した顎の筋肉は顔を大きく威圧的に見せ。伸ばしたままにしていたやぼったい髪は幅の広い肩と相まって野性味を溢れさせている。これではお世辞にも女性受けする容姿とは言えない。
「ふぅ……イヤになるな」
「なにが? なにがなにが? なにがイヤなの?」
部屋で姿見に自分の姿を映していると、背中からヒョコヒョコと顔を出して鏡を見たがるリリ。
いつのまに入ってきたのだろう。いると知っていれば上裸などにならなかったのに。
「ねぇねぇなにがイヤなの?」
彼女は俺の見た目を恐れないでいてくれる数少ない女性――とはいっても親子みたいな関係を構築してしまったので、女性にカウントしていいかは難しいところか。
他の人とは感性が違うというのは一緒に暮らしていてよく分かった。音もなく部屋に侵入していたのも一般的な女性とは感性が違うからだ。その感性の違いゆえに懐いてくれているだと考えれば悪いことではない。
「この見た目のせいでモテ……子供たちが寄り付いてくれないのが悲しくてですね。ついぼやいてしまいました」
「ふーん」
このつけすぎた筋肉が周囲へ威圧感をばらまいているというのもわかっている。
だが鍛えなければならないのだから仕方ない。
俺の聖液にはとてつもない治癒効果がある。
司教に「死んで魂さえ抜けていなければ大体のものは治る」と言わせたほどだ。
ゾンビにかければ生き返るのかという実験は過去司教の手によって行われた。
灰と混ぜて粉状にされた聖灰を振りかけられたゾンビは足先までピンと伸ばして即座に転倒。数度にわたり痙攣し、肉体こそ浄化されて元の姿に戻ったものの煙をあげたまま動かなくなってしまった。
他にも実験を行い。最終的に「うっかりであっても、出すことなどあってはならない」という結論に落ち着いたのだ。
死せる者を復活させかねない力を持った聖液。
これを野外で放出しようものなら大変なことになる。
冬の枯れた平原に聖灰をまいたところ、あたり一帯に季節外れの花が咲き。眠っていた大量の虫や動物が起きてしまった。
季節をはずれて起こされた花や虫が春まで命がもつはずもない。次の春、その平原の一部は、生き物の気配が消えてしまっていた。生態系の在り方を根幹から崩してしまったのである。
環境保護を名目に旅をしていた俺が環境破壊をしてどうするという話だ。
俺が聖液を出していいのは愛する妻を娶り、子をなすためのまぐわいをしたときだけだ。そもそもそんなことをする相手がいないので、筋力鍛錬をして性欲を発散し続けて禁欲生活を続けるほかない。
俺が筋肉の肥大化に取り掛かった切っ掛けは、とある事件により性欲を覚えたことに起因する。
性欲の「せ」の字もセックスの「セ」の字も知らぬ無垢な少年だった頃の話だ。
旅先の湖で出会った病弱そうな少女と仲良くなり。恋をして――精通した。
少女に恋をしてからというもの昼夜問わずにこみあげる謎のムラムラとした感覚に苦しめられた。
自身を苦しめる欲情の正体をまだ子供だった俺が理解できるはずもなく。適切な発散方法も教えられぬまま日々彼女を想っては苦しみ続けた。
頭のイカれた司教に育てられていたせいもあって世間の一般的な常識や学というものを修められずにいた。そんな俺を司教は楽しそうに観察し、メモを取っていたように思う。
司教に責任を押し付けるつもりはない。自発的に学ぼうとしなかった俺が悪いのだ。学ぶ機会などいくらでもあったはずなのだから。
ムラムラに苦しめられるうち「運動をすればムラムラがまぎれる」という独自の発散方法に気づいてしまったのが不幸の始まりである。
以来、ムラムラするたび夢中で筋力トレーニングに励むようになった。
食事中だろうが排泄中だろうが散歩中だろうが睡眠中だろうがムラムラしたら即座に体を動かして発散した。
最初は見る見るうちに逞しくなっていく自分の肉体が誇らしかった。
昨日よりも今日。今日よりも明日と、目に見えて運動量が増えていくのが嬉しかった。
だが日を追うごとに、歳を重ねるごとに性欲は強まっていく。人間なのだから当然である。
そうなれば自然と筋トレをする機会も増えていき。体の肥大化は加速して止まらない。
するとどうだろう、気づけばリンゴなど片手で同時に二つ擦り潰せるだけの筋肉を得てしまっているではないか。なんなら腋に挟んでリンゴジュースを搾り出すことだって可能だ。
一般的な性欲発散法を学んだころにはもう遅かった。
ムラムラを原動力に鍛えあげた肉体は、気づけば比肩する者がいないほどに肥大化していたのだから。
教団でも一目置かれると言うよりは一歩引かれるという扱いを受けるようになった。
自分より大きく、圧倒的な強さを感じさせるものに出くわした人間はただただ恐怖する。そして俺は人を恐怖させるには十分な、恐怖以外の印象を与えられないほどの筋量を得てしまっていた。
反応の差は人それぞれ違うが、多かれ少なかれ恐怖という感情はいやでも湧きあがる。山で熊に出くわしたかのように驚き。海で魔物に襲われたかのように絶望される。
俺の容姿をまとめよう。
目が合った人をすくませる根源的な恐怖をこみ上げさせる鋭く暗い眼光。
性欲という名の筋肉で覆われた人を威圧する巨躯。
陰鬱で苔やキノコが好みそうな湿った暗い雰囲気と、否が応にも放たれる剣呑な空気感。
慢性的な性的欲求不満による心の余裕のなさ。
そして体に似合わぬ生来の小心。
これで伴侶をみつけよう。恋人をつくろう。愛してもらおうなどと考えるのがどうかしている。
だからといって簡単に諦められるものではなかった。
愛とは人間の持つ欲求や本能のなかでも大きな割合を占めるもの。本能と心のなかのオークが後押しをするのもあって、そう簡単に諦められるはずもない。
「子供かぁ……じゃあ見た目を変えてみたら? 見え方が変われば子供たちの反応もかわるかもよ。ちなみに私はいまのままでも可。生で可」
リリの優しさが胸にしみる。
嘘でも、いまのままでいいなどと言ってくれるのはリリぐらいなものだろう。
「見え方を変える……か。考えたこともありませんでしたね、それは」
「神父の服ってかたぐるしい印象を与えちゃうと思うんだよね。だからべつの衣服を……あっ、全裸でいればいいんじゃない!? そうしよ!?」
いいわけないだろ。
なんでテンションを上げているのだ。
可愛いなもう。父さん明るいときのリリが一番好きだよ。
「しよう! しよう! しよう!?」
いやさすがに明るすぎる。急にどうした。
「子供の前でだけ全裸でいると世間に知られたら何を言われるかわかりませんよ」
裸になって心を開いてくれる子が増えたとしても、次は聖棒で恐れられる未来が視える。そして俺は人目のつかない暗い場所に収監されるだろう。ただいまモッキーたち。
「ふーん。じゃあ自分の部屋の中では全裸でいたら?」
「それは普段からそうしていますが……。倫理的にも子供の前ではさすがに服を着なければなりませんね」
「私は可(合鍵作ってるから知ってるよ。早朝の起きる前が狙い時なんだよね。窓からの侵入経路も確保してる)」
どれだけ優しいというか、おおらかな子なのだ。
見ず知らずのルカにも初日から優しくしてくれていたようだし。シクリッド教団に入信していたら、ゆくゆくは女神か聖母かと崇められていただろう。
「そもそも子供に裸を見せても怯えさせてしまうだけだと思うんですよ。個室に連れ込まれて全裸の大男と話しをさせられるなんて、心に大きな傷を残してしまいます」
「そうかなぁ。私なら全然気にしないんだけどな」
それはリリが優しすぎるからだ。
こんな不細工で巨躯な男の裸を見ても何も感じないのは寛大がすぎる。
「ですが見た目をかえるというのはよい発想の転換かもしれませんね。リリに言われなければ気づけない発想でした」
「そうなの? じゃあ褒めて?」
「ええ、ありがとうございます。さすがリリですね」
「うひひ……じゃあ可愛いって言って?」
「リリは世界一可愛いですよ」
「ふぅー……(あ、これすっごい沁みる。この手は今後も使っていこう)」
リリは思い出したかのように暗い顔をするときがある。
特にテンションをぶち上げていた直後などに急転直下で暗くなりやすい。
無理をして明るく振舞ってはいるが、心の闇はいまだ払えていないのだろう。
「リリのお陰で新たな道がひらけそうですよ。これを天啓と言うのかもしれませんね」
励ますためとは言え、さすがに天啓は大げさすぎたかもしれない。
だがリリはすぐに俯いていた顔をあげてのってきてくれる。
父さんはその健気さに胸を打たれて泣きそうだよ。
「どうするつもりなの?」
「自分に似合う私服を買おうかと思います」
「うーん着る方向かぁ……」
「ほかの方向はありませんからね」
なんでいやそうなのか。
まさか女装をするとか女物の下着を履くとでも思われているのだろうか。
☆
翌日、リリと再び街へお出かけをすることにした。
出かける前に、朝から昼まで筋トレをして体をいじめ抜いていておいたので前回の様な勃起事故はそうおきまい。
服は清潔感を重要視するべし――という貴重なご意見を酒場のロリ奥様から昨晩のうちに頂戴しておいた。
綺麗目な格好を意識し、多少は奇抜になってもいいので清潔感を保てる服を新調しようと思う。
ちなみにマスターが蝶ネクタイをしているのはロリ奥様のコーディネートだということが判明した。どうでもいいね。
ファッション初心者はとりあえず黒を選びがちというロリ奥様の言葉の通り、俺が手に取っていたのは既製品の黒いパンツと黒いジャケットだった。理由は汚れが目立たないのと、派手な色はどう合わせていいかわからないから。
シャツだけはリリがこれがいいと言うので派手な赤いものを数点購入。サイズは合わないのでこれらはあとで裁縫しなおそう。
さすがに黒一色なのもどうかと思いなやんでいると、これまた赤い靴下をリリがすすめてきたので迷わず購入。
マスターの真似をして蝶ネクタイを買おうかと思っていたところ、リリが白いネクタイをもってきて器用に結んでくれた。
「ネクタイはね、大昔、戦場で身分や所属を示すための布を首に巻いていたのが起源なんだ。男の無事を祈る妻や恋人から出兵の前にスカーフを贈るんだけど、本音では愛する男に戦場へは行ってほしくないと思っていた……。だけどそれを言えば男を困らせてしまう。だから愛する人を困らせたくなくて女たちは、行かないで――ではなく、できるだけ早く帰ってきてね、と伝えたんだって」
なんて切ない話だ。
急にそんな話をするリリの意図が読めない。俺を泣かせたいのか。
当時の女性の気持ちを想像するとなんともやるせない感情が湧きあがる。
戦場に行った男たちは、死の間際に愛する女性を思っていたはずだ。そして残された女たちも、二度と戻ってこない男を想い、待ち続けていたのだろうな。
戦場の数だけ待っている女の悲しみがあると思うと――ダメだ、いまにも泣いてしまいそうだ。
このままではネクタイを締められて急に泣き出した危ないやつになってしまう。首を絞められて陰茎みたいな顔の目から射精した――とか噂されるから絶対にたえろ。
いやそもそも、なぜ女性視点で想像していたのだろう。
普通は男なら兵士側に共感を示すだろ。
「――だからね、ネクタイは妻や恋人が男に送るものなんだよ? どう思う?」
「さすがは冒険者をやっていただけはありますね。戦場に関する知識が豊富です。リリの博識さには毎度舌を巻くばかりですよ」
「え? あっ、うん……。じゃあ褒めて?」
「リリは物知りですごいですね」
「ふへへぇー」
戦場で戦う兵士に共感するリリと、待つしかできなかった悲しき女に共感する俺。
こういうところは育ちというか性格が出ているな。
☆
実用性皆無な滑り止めの少ない革靴はとにかく走りづらく。雨の日の石タイルではさぞ滑りやすいことだろう。だが「おしゃれは我慢」というロリ奥様のありがたい助言を思い出して購入に踏み切る。
最後に目を隠すために丸ぶちのサングラスをリリが選択してくれて。念のため紳士感を醸し出すため、赤い帯のまかれたハットをかぶって堂々のフィニッシュ。
全身のコーディネートをすませたあとは、夜まで裁縫をして自分のサイズに合わせる。自室から出ようとしないリリに見られながら完成した衣服に着替えてみた。
これならばいやでも清潔感がにじみ出てしまい、子供や女性の方から集まってくるのでは――などと、着る前までは思っていた。
妻は何人いても困らぬが、初めてを捧げられるのは一人のみ。どんな女性に初めてを捧げるべきだろうか。
体液の秘密を漏らされたらたまらないので、最低条件として口のかたい人でなくてはならない。理想を言えば胸と尻の大きな凛とした背の高い大人の女性で。俺のくだらない冗談にも笑ってくれる可愛らしさも併せ持った人。
当然、俺を心から愛してくれていて。そんな人と避妊薬も避妊具も使わずに朝も夜もなく体を合わせたい。
そんな狸の皮算用ならぬ、できぬ彼女の生算用を想像しながら鏡の前で最終確認をする。
だが現実とは非情である。
「なんというかこれは……」
「これはこれでありだね。けっこう凛々しくなったんじゃないかな(これが着エロなんだねウンディーネ。裸だけが正解じゃないんだ)」
リリは褒めてくれるが俺は自分の姿を見て愕然としていた。
鏡には身なりの小綺麗な殺し屋がうつっていたのだ。
以前までは乱暴狼藉が服を着て歩く、三度の飯より喧嘩が好きそうな話の通じない悪漢。または神父服を着たチンピラやならずもの、蛮族といった見た目だったと思う。
それが身なりを整えたことでより暴力的な部分が洗練されてしまい。殺しを生業とする闇組織の幹部へと昇進してしまっているではないか。
「いや……うーん。明らかに服に着られていますね、これ」
「ううん。服を征服しきっていると思う(まばたき……まばたきの仕方が思い出せない。一秒たりともダーリンから目を離せないよ)」
何度見直しても、どう見ても拳で語るタイプの幹部がそこにはいる。
こんなのと街中でぶつかったら俺なら黙ってお金を差し出すぞ。
元々俺には、殺し屋ギルドなどという本当に存在するならば一発で摘発されそうな架空組織の上役であるという根も葉もない噂が流れている。だがこんな格好をして歩けば、その噂に強い説得力を持たせてしまうのではないだろうか。
何が清潔感だ。これでは返り血を極端に嫌って赤いハンカチで血を拭う神経質な殺し屋じゃないか。殺すことに一切の躊躇のない生粋の殺人鬼だ。ついでに買ってしまった黒い手袋が余計に殺し屋風味を際立たせてしまっている。
「服装など端から関係なかったのかもしれません……。何を着ようとも強面と発達しすぎた筋肉が印象をもっていってしまう」
「私は素敵だと思うよ」
「……リリは優しい子ですね」
「(やらしい子だよ)」
小綺麗な服装すら貫通する自身の野性味と強面に絶望する。
とは言え大枚はたいて購入したセット装備を捨てるのも馬鹿げている。
当初の目的であった清潔感こそ出せなかったものの不潔感は拭えたのでよしとしよう。
「眼鏡をチャッ――て感じで素早く外してみて?」
「こう……ですか?」
「フヒュッ、へひひッ――(あーダメ。これもうダメ。今日がその日かもしれない。適当に怪我してキスされたい。その先までされたい)」
「そんなに笑うほどひどいですか……」
リリは俺のベッドに乗って枕に顔を埋めて震えていた。
どうやら相当ウケたらしい。
であるならばこれもまたよしとしようか。
目的からは外れてしまったが。リリが笑ってくれるならば、苦悩と苦労を重ねた甲斐もあったと言いきれる。
☆
こうして外出時にしか着ないはずのスーツスタイルは俺の代名詞となった。
どういうわけかこの一式装備はファミリアのなかでも大流行することとなる。
衣装をそろえることで生まれる一体感はファミリアの絆をより強固なものとした。
チームで服を合わせるという行為に憧れを抱いた者たちが、ファミリアに続々と入ってくることになるのをこの時の俺はまだ知らない。
見る者に一発でファミリアだと理解させる視覚効果はすさまじく。以前にもまして街ですれ違う人たちの距離はひろがっていった。
そして俺の悪い噂はさらに尾ひれをながくして拡散されていくこととなり。子供たちはもちろん。信徒の女性も老人すらも寄り付かなくなっていった。
のちに『マフィーダの黒豹』と呼ばれる慈善義賊集団ロイズレッドファミリアは、すでにこのときに完成されていたのだった。
俺はただモテたかっただけなのに――。
ファミリア一同:「黒い服かっけー……」




