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19話

 よく喋ってくれるし実は惚れてしまったのではないかという内心のあわよくばが透けて出てしまって恥をかいた。


 女性はこういう男の下心を敏感に察知するものだと聞く。「うっわ、こいつめっちゃアピるじゃん……きっつ」と思われてそう。美女からの罵倒は前のめりにガンガン来られたなら鋼鉄の聖棒で受けきれるので歓迎だが、一歩引くタイプの嫌悪は興奮に変換できない。男とはそういうものなのだ。


「うん……まぁ……あぁ、なんだろね。あんな姿を見せたのだから今さら隠してもしょうがないからさ。そういう開き直りのたぐいで他意はないよ」


 返答に困らせてしまった。

 気を遣わせ言葉を選ばせているのがひしひしと伝わってくる。

 二度こんな冗談は言うまい。二度とだ。


「そもそも恋愛感情というのが私にはわからないんだ。一度も経験がないからね」


 処女が確定した。

 いるものなんだな、絶世の美女でありながら処女膜保有者。こういうときに神の実在を確信する。


 そうなると想い人の死を受け入れられずに死のうとしていたという話はどうなるのだろう。いや、元々俺の想像でしかなかったので勘違いだったということか。

 であるならばマスターの話していた火傷の話との辻褄が合わない気もする。自分を愛する人なら顔を焼いていても気にしないとかなんとか――。


「スンッ……フゥー……」


 リリは俺の肩に顎を乗せて苦しそうに悶え、自分の頬を俺の肩に擦り付ける。

 緊迫した戦闘に続いて長い治療を終えたばかりで汗臭いはず。あまり嗅いでほしくない。とはいえ息を止めろともいえない。はやく帰って水浴びがしたいね。


「ちょっと首舐めていい?」

「いいわけないですよね」


 意図がわからない。

 そんなことをしたらあなたの革製のブーツがはじけ飛んで革製のゴミになりますよ。

 尋ねてくれたからよかったが、無許可でやられていたらダンジョンが孕むほどの聖液を噴射していたかもしれない。最悪はオーク化していたかも。


「でも治療してくれるって約束したよね。まだ呼吸が上手くできないから治したいんだけど」

「体力を失って気怠いのを毒のせいだと思い込んでしまっているのでしょう。できるだけ急いで外に出ますのでもう少し辛抱していてください。教会についたらすぐに部屋の準備するのでゆっくりベッドで休みましょう」


 俺のように毒に慣れているものなどそういない。毒で苦しんだ直後ならば不安になるのも頷ける。


「ベッドでゆっくりか……それはいいね」


 やはり疲れているようだ。

 ルカのお陰でどの部屋も清潔に保たれているのですぐにでも休ませてやろう。


「しかしよくあの毒を耐えていましたね。口に含んだ感じ、あれは神経毒だけではありませんでしたよ。痛みも相当なものだったはず」


 激痛により獲物を生かさず殺さず流血をさせて、多数の魔物をおびきよせる。そして魔物たちに獲物をめぐった殺し合いを誘発する。ダンジョンが仕込んだ特製の毒は一種の撒き餌みたいなものなのだろう。

 そして獲物を捕食すれば体内に回った毒で魔物も死ぬこともあり、全てダンジョンの餌に還元される。上手く非道なやり方だ。


「あの毒にたえて声も出さないなんて、女だてらに探索者稼業を選ぶだけはありますね」


 俺なんて司教に似たような毒を盛られたときには、三日間生死の狭間を彷徨い。毒が抜けた後も極度の脱水症状に陥り塞ぎ込んでいたというのに。


「あの種類の毒には少しだけ耐性があるからだよ。昔にちょっとね」

「なるほど毒への耐性ですか。しかし耐性があったとしても痛みはかわらないはずですよ」

「あらゆる刺激に鈍感だから痛みはほとんど感じないんだ。(君の治療以外はね……)」

「痛みを感じない? そういえば治療をする際にも同じことを言っていましたね。まさか本当に無痛症なのですか?」

「うん、私の体は昔から何も感じないよ。そういう契約を精霊と結んでいるんだ」

「なるほど精霊を起因とする体性感覚障害ですか……それならありうる話だ。そうなると私の体液をもってしても治せるかどうかわかりませんね。治していいものかは別として」


 治したら精霊との契約が解除されてしまった――なんてことになっても責任が取れない。俺が精霊の代わりに契約をしてもいいが、俺にできるのはささやかな祈りを捧げるのと夜のお相手ぐらいなもの。

 無論挿入などしない。美女に触れれられるだけでも役得なのだから、ご奉仕させていただけるだけでも対価を得られる優良な性霊だ。


「治ると思う。精霊も別に気にしていなかったし、治っても問題ないよ」

「精霊が気にしない? そういうものなのですか? ですがはじめてのケースなので今後はそれと知ったうえでの慎重な治療が必要にりそうですね」


 感覚がないのならリリの反応を窺っての治療が困難であると判明した。

 もしかしたら毒で息が苦しいと言っていたのも、本当にまだ毒が残っているからなのかもしれない。


「怪我をしないでいてくれるに越したことはありませんが、探索者に怪我を全くするなと言うのは難しいですよね」

「うん、とても難しいね。絶対に怪我しちゃうかな。毎日治してもらわないと無理かも。死ぬ」

「うっ……それはまずいですね」

「かなりまずいね」


 一度は今日を死ぬ日と定めた者が、それを翻して生きる道を選んでくれたのだ。死ぬと言われては強くは出れない。


 しかし精霊か。どうせろくなやつじゃないだろうな。人の感覚を契約の代償にするぐらいなろくでなしなのだから間違いない。

 精霊は決まって変態だ。変態じゃない精霊は精霊に変態扱いされるからどう転んでも変態である。


「体だけじゃないよ。幼いころから情緒の変化に乏しくてね。笑い方も下手だし無感動だからと気味悪がられたものさ」

「私から見たら十二分に感情豊かな気がしますが。治療中も激しフブブゥフゥ――!?」


 手のひらで口をおさえられた。反射的に塩気を求めるヤギのようにリリの指を舐めまくりそうになるのをこらえる。

 俺の口の前にその綺麗な手を差し出すなんてのは、腹ペコの野犬の前に肉汁を塗りたくった陰茎を差し出すに等しい危険な行為だと知ってほしい。


「言わなくていいよ(どんな声を出していたのかなんて恥ずかしくて聞けない)」

「そうですね。ただ、必要な処置だったとは言えきつい言い方をしてしまったのは反省しております。どうかお許しください」

「……ん?」


 生きるか死ぬかの激しい問答を思い出させるのはあまりにも配慮に欠けていたか。

 口を塞いだのも彼女が前を向いて、前に進もうとしてくれているからだろう。蒸し返してはいけないな。


「まぁわかってくれたならいいよ。命の恩人だから特別に許してあげる」


 さっきから特別扱いされるのがたまらないのだが。

 好意があるのではないかと勘違いしてしまいそうになる。


「無痛症となると普段から苦労したでしょうね」


 司教の盛った毒のせいで一週間体の感覚がなくなったときは大変だったからよくわかる。


 尿意にも気付かず知らぬ間に漏らしていたりするんだよ。笑った拍子に床をビシャビシャにしていたときには絶望したね。司教は笑い転げていたけど、指の擦り傷に聖水がふれたらしく一転してもだえ苦しんでいた。ざまぁない。


「そうだね。苦労はたくさんしたよ。だから私は痛みを求めて、心動かすような刺激を欲して故郷を出たんだ」


 世界は広いな。切迫した事情をお持ちのようだが、受け取りようによってはとんでもないマゾヒストさんだ。

 痛いのが嫌で探索者や冒険者をやめる者は多くいるらしいが、それとは真逆の人がここにいる。


「痛みはともかく、故郷を出るに足る満足のいく刺激とは出会えたのですか」


 町を出たのは想い人の死がきっかけ――ではなかったんだな。


 どちらにせよリリの大切な人がこの世を去ったのは間違いないようだし。下手に触れるのはやめよう。

 恩師だとすれば、俺にとっては司教が死んだようなもの。それは確かに堪える。俺ももう少し若い頃に司教が死んでしまっていたとしたら、あてもない旅に出て自暴自棄にもなっていただろう。


「荒くれ者との喧嘩も。魔物との戦いも。ダンジョンの攻略も。どれも私を満たすことはなかったね」


 筋金入りのMだな。

 俺にはそのどれもが刺激的過ぎる。マゾとしての格が違う。


「まさか刺激をもとめて矢をわざと体に受けていた――なんてことはありませんよね」


 まさかね。


「……その通りだよ。自分の血が流れるのを見るのが唯一生きている実感を得られる瞬間なんだ」


 まさかだったね。


「でも勘違いしないでほしい。死に至る前に解毒薬を使うつもりだったんだ」


 そういう問題かな?

 そういう問題かも。


「今回の毒は中々に強力でね。精霊の反応的にもあと少しで痛みや苦しみを感じられそうな気がしたからギリギリまで使わずにいたんだ。そうしているうちに見誤って手足が動かなくなってしまい、自分じゃどうしようもなくなてしまっていた」

「そ、それはなんと言いますか……壮絶な一幕ですね」


 世界は広い。ここまで広すぎると視界におさまりきらないわ。大きいのは胸だけではないんだな。


「矢傷自体は受け慣れていたんだけどね。まさか中層のダンジョンで連射されるとは思わなくて、角度を見誤った上に毒の濃度もはかりそこねちゃったよ」


 てへっ――みたいな軽いノリで言うな。

 普通は矢傷にも慣れないんだよ。百万歩譲って興味本位で受けたとしても一度で懲りる。


「はぁ……自分で身体を傷つけるだなんて呆れてものが言えません。じゃあ体についた他の傷もわざと受けたものなのですか?」

「君はどっちだったらいい? 教えて?」


 なんだその質問。


「どちらもよくないですよ。これからは絶対にそんな真似をしてはいけませんからね。もっと体を大切にしてください。そもそもお金がないのはそうやって自傷を繰り返していたからじゃないのですか」

「そういう見方もあるかもね」

「いま提示された情報だけで他の見方があるなら是非とも聞いてみたいものです」

「うーん。私はよく決闘を申し込まれたり喧嘩に巻き込まれやすいんだ」


 酒場でも決闘を申し込まれていたのは見た。

 俺も巻き込まれた渦中の人だ。


「たしかにそのようですが、避けることはできないのですか? なんとか穏便にすませるとか」

「こちらとしてはそうしたいんだけどね。知らないうちに恨みを買ってしまうんだ。だから相手の気が済むようにわざと殴られたりしていたよ」


 この件に関しては俺もティアスにわざと殴らせていたから偉そうなことは言えないな。

 世の中には言葉の通じない、人の面をした獣がごろごろ転がっている。


「恨みですか。そんなものを買うような方にはみえないので意外ですね」

「私が恋人に色目を使ったとか。自分の話を無視しただとか、そんなくだらない理由で一方的に突っかかってくるひとが多くてね。こっちはくだらなく思えても相手は真剣に悩んで本気で挑んでくる。殺しに来た相手にこちらは手加減をするんだからどうしたって傷は増えてしまうよ」

 

 美しいが故の誤解か。俺とは真逆の悩みだな。

 それで顔を焼いたというなら、美人に生まれるというのも楽ではないのだな。


「だから顔を油でやいたのですか?」

「……よく知っているね。顔を焼けば余計ないざこざに巻き込まれなくなると思ったんだけど、絡まれるのが別の理由にすり替わっただけで意味はなかったよ。君も私を醜いと思っていたでしょ?」

「いいえ、初めて見かけたときからとても綺麗な方だと思っていましたよ」

「…………なんで? 傷だらけでひどい顔だったはずだよ」

「容姿の美醜など表面的なものでは人の本質は見抜けません。ですので私は美の本質とは見た目にだけ反映されるものではないと考えています。美しい見た目の花や生き物であっても人の忌む猛毒を持つものはいますよね。それは人も同じです。見た目だけがものの美しさではないのです」


 だから俺の容姿も恋人選択の判断基準にしないでほしいという浅ましい考えの発露である。できれば筋肉か聖棒の逞しさを基準にしてほしい。誰にも負けないから。


「……続けて」


 納得しない様子で促された。

 美人な上司に業務内容で詰められるのってこんな感じなのだろうか。癖になりそう。


「その観点で言うとリリは美しい人だと思うのです」

「ふーん……」

「それに容姿の美というのは時代によって移ろうものです。大昔には美しいとされたものが現代では醜いとされてしまう。そんなあやふやな基準をもとに人の美を語るのは意味のないことではありませんか」

「じゃあさ、私のなにを見て綺麗と評したの?」

「普遍的かつ時代を通して不変なもの。それは他者を想う気持ち。心の美しさですよ」

「心の美しさ……? 私は自分の心が美しいだなんて思ったことはないよ? 言われたこともないし、むしろその逆を指摘されてきた」 


 どうしよう。勢い任せに口を動かして考えたこともないことを適当に喋っているので話の着地点が見つからない。


「初めて見かけたときは、美しい姿勢と凛としたたたずまいで食事をしていました。そこでだらしのない食べ方をしていたりしたら印象も変わっていたかもしれません。そして私が毒を抜こうとしたとき、リリは真っ先に私の心配をしていましたよね。毒が私にも回ってしまうと。その時に確信したのです。なんと気高く高潔で美しい心の女性なのかと」

「…………(好き)」


 意図せず口説いているかのようになってしまった。

 そんな意図は全然ないのに。


「嫌がるかもしれませんが、個人的には容姿も美しいと思いますよ」

「…………(大好き)」


 上手い言葉が浮かばず口説き続けてしまっている。この話題は修正が難しいな。


「まだお疲れでしょうし、喋らずに大人しく背負われていてください。疲労は免疫力を低下させて他の病を発症させしまうこともありますので」

「うん……(超好き)」


 小さく返事をして大人しくなったかと思えば、何が目的なのか自分の髪を俺の首に巻きつけたり顔の縦横の幅を計測して遊びだした。大人しくしろと言っているのにこれはどういうことか。


「くすぐったい?」

「くすぐったいに決まっています」


 髪の毛先で唇なぞられた。嬉しくて卒倒しそうだ。

 俺が女の髪を食うバケモノだと思って反応を確認しているなら悲しくて卒倒しそうだ。


「君の髪をかりるね」


 俺の髪を使って自分の唇をくすぐっているようだが何がしたいのか。

 臭いとか汚いとか脂っぽいとか雨に濡れた野良犬の臭いがするとか言われたら、たとえ事実でも傷つくからやめてほしい。


 自覚のない真実は人を最も傷つけるんだよ。


「君のって黒くて硬くて太くて長いよね」


 主語を隠すのはおやめなさい。

 髪質の話だとわかっていても股間のロイズレッドがエロイズロッドになってしまうだろ。


「さきほどから何をなさっているのすか」

「死を予感させる痛みが私には必要だったんだ」


 その返答はおかしいだろ。どうして突然重い話に転じるのだ。

 俺の髪をいじったら死ぬほど痛むとでも思ったのなら心が死ぬほど痛むよ。

 

「痛みなどないに越したことはないですよ」

「何も感じない人生を想像したことはあるかい。自分が生きているのか死んでいるのかもわからなくなるんだよ」

「経験はありますよ。あれは不便ではありましたね」

「……ホントに?」

「ほんの数日の話ですけどね。でもリリも生を噛みしめた今ならば命の尊さがわかったのではないですか」

「性を噛みしめる……う、うん、そうだね。君のお陰で確かに実感できたよ。尊い命を大切にしたい……(赤ちゃん欲しい)」


 俺のお陰とは嬉しいことを言ってくれる。

 それに命の大切さも理解してもらえたようでなによりだ。


「私が言ったからではありませんよ。リリが自分の意志で生きたいと望んだからこそです」

「それは……うん。でも君に言わされた気がする……。イキたいと言えって強引にさ」

「自分で言葉にすることに意味があるのです。もしもまた痛みや死を求めそうになったら生きたいと言ってください」

「そ、そんな思い切ったことはできないよ……」


 生きるのが思い切ったことだなんて思い切ったことを言わないでよ。


「治療中も思っていましたが、やはりリリは生を軽視しすぎていますね。生きたいと思わないのですか?」

「軽視も何もイキたいなんて考えたこともなかったもん……」


 生きたいと考えたことがない。では逆に言えば生まれてから常に死にたかったのかな?


 少し単純に考えすぎていたかもしれない。

 一日二日でリリの抱える深い絶望を覆せるわけがないのだ。考えを改めよう。心のケアには時間がかかるので、腰を据えてじっくりと取り掛かるべきである。


「生きたいという気持ち。生への渇望こそが生そのものを実感させてくれるはずです。それをこれから何日、いや何年かけてでもじっくり教えてあげますよ」

「あうぁ……何年も? それは……よ、よろしく……お、お願いします……?」

「ふふ、遠慮はいりませんよ。でもリリも生きまくってやるぞ――という気持ちでいてくださいね」

「イキまくるぞって……。うん、い、イキたいという気持ちと性への渇望が大切なんだもんね。性を感じない体だったんだけど、体感させてくれた君が言うと間違いじゃない気がする……」


 生を感じないときたか。


「いずれ毎日感じられるようになります。私がそれまでお付き合いしますからね」

「じゃあさ、私は性を求めた方がいいのかな……?」


 人生を左右するような重要な決断を俺に委ねないでくれ。

 だがリリに任せればまた死にたがってしまうかもしれない。

 ここは俺が決断してやろう。


「考えるまでもありません。生きたいと願うなら迷わず私に助けを求めてください。いつどこにいてもリリの元へ駆けつけますから」

「ヒュゥッ……そういうのに疎いからよくわからないんだけどね、性を自分から求めるのは一般的にははしたなくて恥ずべき行為じゃないの?」


 生きることが恥ずかしいとはぶっ飛んだ死生観をお持ちのようで。


 生き恥なんて言葉があるぐらいだ、死ぬべき時に死ねず生きのびてしまったと考えているのかもしれない。

 生き汚くもがいて死ねなかったことを恥じているのなら、それは高潔な武人のような考え方だ。


 独特な死生観からも察せるように、死後の概念に関してもリリ独特な哲学が根底にはあるように思える。その根底にあるものを取り除くのを最初の目標としよう。


「死を知ったうえで恐れないのと、知らずに恐れないのでは意味あいが大きく変わってきます。私は当初、リリは超然としていて死を恐れぬ女だと思っていましたよ」

「潮恐れない? あの、聞きかじった知識しかないから間違ってたらごめんなんだけどさ。それは潮吹きってやつ……? お、恐れないもなにも詳しくないし経験がないよ」


 そりゃあ死の経験はないだろうさ。

 普通はなくても恐れるものなのだが、それをリリはわかっていないようだ。まいったな。


「まさかリリの口からそんな言葉が出てくるとは思いませんでした。ですが知識がないというわりに専門的な言葉を知っているじゃありませんか」

「ちっ、ちが……。ち、知識に偏りがあるのは師が特殊だったからだよ! これはたまたま知っていただけ……」


 まさかドワーフの極一部の氏族に伝わる『死を拭き』の極意を知っているとはな。

 とある気難しいドワーフの神父は言っていた。「己の弱さを拭える者こそが真に勇猛であり、真に誉れある戦士となりえる」と。


 弱さとは死への恐怖を指し、死への恐怖を拭い去るための精神鍛錬が死を拭きである。

 その氏族は幼子を勇敢な戦士に育てたいという願いから、「死を拭きとりて、勇みある人生であらんことを――」と、ことあるごとに祈りを捧げるそうだ。


「私はリリが死を拭きを体現したような方だと思っていましたよ」

「私ってそんな風にみえてたの!?」

「ええ、とても」

「そ、そうなんだ……。君ははいっぱい潮吹いた方が好き?」

「好きか嫌いかの話しとは少し違う気もしますが、拭けるなら拭けるだけ拭くのが理想的かと」

「そうなんだね……。勉強になるっ」


 拭っても拭っても死の恐怖など拭いきれるものではない。あくまでも理想論だ。そうあれるならそうありたい。実際には無理だけど。


「勤勉なのはいいですが勘違いはしないでくださいね。死を拭きとは、元来、生をこよなく愛する私のような者が習得するものであって。生き急ぐリリのような女性が求めるようなものじゃないのですよ」

「性をこよなく愛してるんだね……私も頑張らなくちゃだ……。でも私はイキ急いでいるつもりはないよ。無理やりイカされただけだもん」

「まだそのようなことを言いますか。まったく……」

 

 俺が言うから生きているという考えを捨て去ってもらい、自分の意志で生きられるようにしてもらわなければ。

 これではまたいつ無茶をして死んでしまうかわからず、目を離すと明日には死んでいそうだ。


「じゃあ君は吹くの?」

「拭きまくりですよ。生きたいから日々拭き続けています。まずは私をお手本とするのもよいとおもいますね」

「ほうっ!?」


 臆病すぎて一向に死を拭きの境地には至れていないが努力はしている。そうでなければナマラカインに挑もうなどとも思えなかった。

 昔の臆病すぎる俺だったら諦めて殺されていたか、リリを見捨てて逃げてしまっていたかもしれない。そう考えると俺も成長したものだ。


「後学のためにも見たいかも。いますぐ」

「自分を手本としろと言っておいてあれですが、死を拭きはある種の概念です。戦士論――今風に言えば騎士道精神、勇武の誉れのようなもの。尚武の気風に通ずる精神論の一つですので目に見えるものが全てではありません。今すぐ見せろと言われて見せられるものではありませんよ。普段から私を観察していてくれれば理解も深まるかもしれませんね」

「精子論で騎士道精子……? あっ、騎乗なんとかっていう跨ったりするやつだ? 師がいってたから知ってるよそれ」

「驚いた、御師様は随分と博識なようですね。その歴史は古く、実は数千年も前からある考え方なのです。主従に厳しく忠義に篤いドワーフの修養書が出どころだそうですよ」

「へぇ、ドワーフ発なんだぁ。体が小さいからかなぁ」

「たしかに小さな体を補うために生まれたという考え方は理にかなっていますね。でもどちらかと言えば性癖ゆえだと思います。彼らは生まれつき苛烈で豪胆な方が多いですから」

「性癖かぁ……ドワーフは性に向き合っていて純粋なんだね」


 リリの反応が思いのほかよくて、休ませたいのに会話が弾んでいる手ごたえがあるので舌が止まらない。


「ドワーフという種族の見方が根本から翻ったよ。そんな修養書があるなら是非読んでみたいかも」


 好奇心と知識欲が旺盛なのは司教とよく似ている。エルフとはそういうものなのかもしれない。

 司教も日がな本を読んでは知識を仕入れ、新たに作り出した毒薬を俺に試していた。


「死を拭きの根幹にあるのは恐怖の克服ではなく、恐怖といかにして向き合うかにあります。言い方を変えれば恐怖を忘れてはならないという戒めでもあるのです。リリのように生を恥じるなどもってのほか。生とは自ら狂ったように求めるべきと修養書には記されています」

「そうなんだ。君もそう考えているんだよね? 性を狂ったように求めるべきだって」

「もちろんですとも。私ほど生に執着する者などそうはいないでしょうね」

「胸を張って言えるほど強いこだわりがあるんだね」

「私が特別なわけではありません。生物はみな本能的に求めるものですよ」

「たしかに……それもそうかも。みんな教えられてもいないのにヤってるもんね」

「逆に痛みを求めて死にたがるのなどリリぐらいなものですよ」

「誤解しているようだけど、死にたいわけではなく人生を実感したかっただけだよ。生のためには性が必要だなんて思い至らなかっただけなんだ」


 つまり精霊の悪いところが出ていたんだな。


「難しく考えずに肩の力を抜いてください。生きたいなら生きたい。それでいいのです。だれに遠慮する必要もありませんからね」

「うん、イキたいなら力を抜いたほうがいいんだね。じゃあさ、もしもの話なんだけど……。その、君に精子が欲しいと言ったら……?」

「私は神ではありませんので生死を選ぶ権限などあろうはずもありません。ですが生に関してはお手伝いできるやもしれません。リリが欲するならば生だけは与えますよ。さきほどもそうお約束しました」


 俺が死ねと言ったら死ぬ――そんな重い責任を押し付けようとしないでください。

 人に生死を委ねようとする生気のなさは不安をあおり、守らなければならないという意思がより強固になった。心のパパとママがいまにも暴走しそうだ。


「くれるんだね……。でも神様? そんな大げさな話になるの?」

「大袈裟なものですか。まったく、そういうところが生を軽視していると言っているのですよ。こうして思い悩むというのはリリの中でも答えは薄々出てきているのではないですか? 私に尋ねずとも自分で決めてみたらどうでしょう」

「自分でキメろって、宗教的な話かと思ったら途端乱暴になったね」

「神を出しましたが、これは生死を問う哲学です」

「精子は医学じゃないの?」

「うーむ……確かに言われてみればそういう側面もあるかもしれません。学問の詳細な分類は難しいので置いておくとして、とにかくリリが感じるままに決めればいいのです。ただし後ろ向きにはならないでくださいね。どうか前向きでいてください」


 怪我をするとか臨死体験をするとか後ろ向きな方法で生を実感しようとせず、もっと前向きな方向で考えてほしい。


「うん、わかった。感じるままにキメて後ろ向きじゃなく前を向いてしなきゃダメなんだね。(正常位でするか、騎乗位でも前を向くと)」


 舌が回っていないのか妙な言い回しになっているな。まさか毒が残っているのか。


「でも私はそういうのにまだ疎いから。頭では何となく理解してるんだけど今すぐってのはまだ怖いかも……」


 死ぬ方がこわいよ。


「焦る必要はありません。自分のペースでゆっくり生きましょう。リリには私がついていますから。大丈夫、任せてください。悪いようにはしませんよ」

「うぅー……(初めては優しくしてくるんだ……好き)」


 苦しそうにうめきながら頬を肩に擦りつけられた。


 ――幼き頃、可愛い可愛いと司教が俺に頬擦りをしてきたのを思い出す。


 照れて油断したころに謎の器具を鼻に突きさされて毒霧を噴射された。

 毒自体の効果は大したことはなかったが、突然のことに驚いて転倒してしまい机の角に後頭部を強打して痛みに悶え苦しんだ。そんな俺を司教は慈愛に満ちた眼差しで見下ろしていたっけか。


 女性に対して少なからず苦手意識を抱いてしまうのは司教のせいな気がしてならない。

 今もリリの謎行動が嬉しくてたまらないはずなのに、急に毒を噴射されるのではないかと警戒してしまい幸せに浸ることができない。


「これからは生を実感したいからと安易に痛みを感じるために矢を受けてはいけませんよ」

「うん、二度とやらないよ。次は君の肉矢でイキたい(ウンディーネは男の人の陰部を肉矢って呼んでた)」

「なんのことですか? 私は肉屋ではなく神父ですよ」

「うん? なにが?」


 だいぶつかれているようだな。その証拠に話しがかみ合わなくなってきた。


 しかし野菜を主食にすると言われるエルフが肉を食べたいと言い出すのは面白い。生への渇望を血肉と食欲で満たそうとしているのだろうか。いい傾向だな。


「イキたいと言えって命令したのに今度ははぐらかすの?(焦らしだ……つらいのに好き)」


 はぐらかすも何も俺は神父であって肉屋ではない。

 何を勘違いしているのやら。まあ誤解は日常なのでかまわないけれど。


「命令したつもりはありませんよ。促しはしましたが」

「ふーん……」


 リリは疲れが限界に達したのかそれから話さなくなった。

 自分の髪を俺の鼻にさしたり口に入れようとする悪戯は続行されているが。


 あまりにもしつこいので「がぁー!」と驚かしてみると少女のようにキャッキャと喜ぶので俺の父性を大いに刺激する。

 しばらく子供と娘のやりとりのような遊びに興じ、あふれ出る父性を野放しにして散々かまってやった。


 楽しすぎる。ルカと遊ぶのも涎が出るほど楽しいが、娘のようにリリをかまってやるのも最高にたぎってしまう。



 鼻の両穴にリリの髪を詰められているところでちょっとした緊急事態に遭遇する。


 リリを無用に揺らさぬよう、魔物の気配にきをつけながら慎重に歩いていると出口の方から人の気配を察知した。


 リリもそれに気づいているらしく俺の鼻に髪をさしたまま止まっている。抜いてくれ。


 人数は7~10人といったところか。足音から察するに探索者のパーティーだろう。

 広くもない通路で隠れる場所もなく。靴を三足装着した全裸の変態という出で立ちの言い訳を考えていると、曲がり角から人が姿をあらわす。


 それは見覚えのある。忘れるはずのない男だった。

 全身を鋼の鎧でまとう聖騎士をリーダーとするパーティー、ティアスご一行である。


「…………」

「…………」


 一瞬ビクリと跳ねて鎧のこすれる音をたてるティアス。

 無言で木のようにかたまって立ち止まる俺。俺の鼻に髪をさして動かないリリ。


 曲がり角を曲がったら靴を三足装備した全裸の大男が鼻に髪をさしていれば誰だって驚く。ティアスを笑ってはいけない。そう思っても相手の気持ちを想像すると笑いがこらえきれず口角があがってしまい、余計に変態ぽくなってしまった。


「なんなんだい君は」


 なんなんでしょうね。


「変態にゃ」


 そう見えるでしょうね。

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