加速していく気持ち
「あと一息なはずですので今しばらくは耐えてください。必ず生かして帰りますので」
もう既に数など数えられないほど達しているのに彼はまだ私にイケと命じる。丁寧な口調と強引さの絶妙な塩梅が癖になる。
今すぐにでも抱いてほしいが、突然求めだしたらはしたない女だと思われてしまう。
尻の軽い女と思われるのだけはイヤだ。
誰に何をどう思われても構わぬが彼にだけは好感を持たれたい。彼の前だけは良い女でいたい。
吐しゃ物の臭いが口内にのこっていると気づく。
それでも彼は気にした様子もなく、あの時と同じように躊躇なく唇を寄せてきた。
汚れた自分に触れられて幻滅されるのがいやで反射的に顎を引くと、指で顎を持ち上げられ強引に唇を奪われてしまう。この強引さがたまらなく幸せだった。最高としか言いようがない。
姿はかわってもこの強引さは幼いころと変わらないのが嬉しい。手をひいてくれた彼のままでいてくれたのがとても嬉しいのだ。
彼は引っ込み思案な私の心を読めてしまうのだろうか。本当はしてほしいことを無理やりしてくれるもの。
こういう力強さやリードしてくれる優しさの総称として男らしさという言葉があるのだとウンディーネは言った。では彼は男らしすぎる男なのだろう。
精霊ですら受けきれなかった大きすぎる感覚が何度も間断なく押し寄せる。
死にかけていた体だけではなく死んでいた心まで蘇っていくのを感じた。
一度は花の枯れた植木鉢に、ロイズレッドという名の命の水が注がれると大樹が芽吹きだす――そんな感覚を覚える。
「大丈夫ですよ。ご安心なさい」
「うん……うんっ……!」
そう言われたらもう安心するしかない。
あれ? 不安ってなんだっけ?
とぼけているわけではなく本当に不安という言葉の意味を忘れてしまった。
不意にキスをしながら髪を撫でられる。
撫でられた髪すらも気持ちがいい。髪で達してしまいそうだ。
湖畔で転びそうになった私を抱きとめてくれたときと同じだ。
汚れていようとも毒におかされていようとも彼は私を抱いてくれる。
渇望していた感覚を次々に与えられ。パズルのピースを誤りなく高速で埋められるように、心の穴が彼で満たされていっぱいになっていく。
身をゆだねることに戸惑いも抵抗も迷いもない。
無我夢中で彼の舌を求め。動くようになった足を使って二度と逃すまいとしがみつく。
意識を飛ばしながらのキスを続けるうち、彼は人が変わったように精悍な顔つきになっていた。
その目で見つめられると心臓を光の矢で射抜かれたかのように苦しくなり、悦びのあまり声を出して泣きそうになってしまう。
そしてさきほどの誠実な彼からは想像もできない、甘くてとろけそうな言葉を次々に投げかけられる。
唐突に始まった囁くような愛の連打は、もはや愛撫と言っても過言ではないほど私をたぎらせた。
「――あぁ、いけない美しくて見惚れてしまっていたよ。君の髪はいつまでも見ていられる。光の魔法にかけられたかのような輝き……この髪を自由に触れられる者がいるとしたなら、それはもうこの世の全てを手にしたのに等しい」
元々火照り切っていた体がボッと熱くなる。熱すぎて溶けてしまいそうだ。
今まで髪には無頓着だったが絶対にこれからは手入れしようと誓った。
「泣いているのかい? ああ、なんてことだ。あなたは流す涙すらも美しい絵画のようにしてしまうんだね……。その瞳は雨上がりの湖に映る光そのもの。私をその瞳のなかにおさめていただけることを光栄に思う」
目など気にしたこともなかったが、もう彼しか見ないと決めた。
自己肯定感の高め方が神域にある。
「その鼻に触れる空気さえ蜜のように柔らかく甘く愛おしい……。鼻筋を辿る指先に、思わず時間を忘れるほどの悦びを覚えるよ」
優しく触れる彼の太い指。これは本で見た男性のアレよりも大きいのではないか。どうにかして今すぐ私の体におさめられないだろうか。この指を他の女に見られたくない。どこを見てもセクシーだ。まるで彼は全身性器である。
「驚いた……神々すら描き損ねた愛の完璧な形を、あなたの口は一つで具現化してしまっている。淡く薄紅に染まったその唇は破れやすい花弁のよう。手を伸ばすして触れることすら恐ろしい。そうか……私は蜜をたたえた花びらと唇を合わせていたのですね。どうりで甘い――」
もう壊していいからもっとキスして。壊れるぐらいキスして。下の花にもして。滅茶苦茶にして。耳が孕んでしまいそう。
☆
長い長い治療と、耳を孕ませる甘い時間が終わってしまう。
後半はもったいないことにほとんど気を失っていた。
愛する男からあれだけ言葉の愛撫とキスを繰り返されたら堕ちない女などいないだろう。
精霊はよく耐えた方である。アホのわりには頑張った。
「ほら、顎をあげてください」
「うん……」
孵化したばかりのヒナが初めて見た動くものを親だと認識する刷り込みのようだ。彼の言うことには本能的に従ってしまう。
今ここで脱げと言われても喜んで脱くだろう。そう命じてほしい。
子を孕めと言われたら迷わずあなたに圧し掛かろう。もう準備はできている。
「そう、いい子ですね。水で口内をゆすぐから口をあけてくれますか。うん、大丈夫、慌てなくていいんですよ――」
彼は私を子供のように扱った。
それがまた心地よくて、どうしようもない気持ちを消化するように体を押し付けて甘えてしまう。
お父さんと娘の禁断の愛というシチュエーションで激しく抱かれたい。
「――っと、申し訳ありません。つい癖で子供扱いしてしまいました」
絶対いいパパになる。ママにしてほしい。娘でもいいよ。
彼の声がいつまでも体内に反響し。身体はいつまでたっても潤ったままだ。
このまま溶けてしまい彼の逞しい肉体に入りこみたいとすら思う。
彼の人生そのものを自分のモノにしたいという熱望を抑えられそうにない。
あなたを私物化したい。
私を私物化してほしい。
あなたを独占したい。
私を独占されたい。
お互いが抱える悩みや不安を全て共有し、好物や苦手なものを全て把握し、あらゆる好悪を一致させ、ずっと裸で繋がったままできるかぎり同一化したい。
あなたの全存在を全肯定するから私の全てを受け入れてほしい。
あなたの求めにはすべて応じるからすべてに応えてほしい。
身長、体重、胸囲、腹囲、手頸囲、上腕囲、大腿囲、座高、肩幅、胸厚、腰幅、聴力、視力。
陰茎、陰嚢、肛門、膀胱総容積、利き手、歯の数、体温、笑い声、泣き声、鳴き声、各部位の体臭。
一分間の心拍数と呼吸回数、性趣味、交配可能な種族と性別、産毛を含んだ体毛の本数――。
あらゆるものを分析し、あらゆるものを分析してもらい、ありとあらゆるすべてを知り尽くし、すべてを知り尽くしてもらったうえで、何もかもを愛しつくして、愛しつくされたい。
ようするに私は再び恋に落ちているのだ。同じ人に二度目の恋をした。
こんな複雑な感情と執着は、一言でまとめれば恋としか形容のしようがないじゃないか。これが恋であるならば愛し合ったらどうなってしまうのだろう。
遠くから見ているだけではもう満足できそうにない。
贅沢は言わない。最初は毎日抱きしめてキスをしながら種をつけてくれるだけでいい。
我儘は言わない。朝は裸で繋がりながら起きて。昼は服を着て繋がりながら食事をして。夜は繋がりながら眠りにつかせてくれるだけでいい。
四六時中あなたの体の一部が私の中にいてほしい。ただそれだけでいいのだ。
しかし心の中では饒舌になっても、口からは思ったように言葉が出てこない。
心は彼に対する想いに正直になれても、これまでの孤独な人生が私を驚くほど臆病にさせていた。
「あのね……」
「ん? な、なんでしょうか」
「……なんでもないよ」
「そうですか。何か思いついたら遠慮なく好きなだけ言ってくださいね」
「な、ナニが思いついたら好きなだけ遠慮なくイっていい……!?」
「はい。私を案山子のようなものだと思ってぶつけてください」
「案山子だと思ってぶってください……? Mなんだね……」
私もどちらかと言えば受け身でそちら側だと認識していたが、彼が望むなら攻める側にまわろう。積極的になろう。
いや待て――。
これは勘違いなのではないか。
彼はそんなことを言うような人ではない。
私とは違い真面目な人なのだから、恋人でもない私にそんなことを言うだろうか。
どこかで誤解し、思い違いをしてしまっている可能性はないか。
「あの、なにか?」
「……う、ううん。なんか疲れたなって」
自分の想いを伝えようとすると言葉が出ない。好きすぎて無理。顔がよすぎる。
目を背けてもすぐに見てしまい。見るたびに新鮮な恋に落ちてしまう。
素直に好きだと言えばいいだけのに。それで関係が進むかもしれないのに。たった一言「好き」と言うだけでいい。なのにそれだけのことができない。
好きだと言おうとすると、昔の家族や同年代の子供たちにされたことが脳裏をよぎってしまう。
あの人たちみたいに彼に拒絶されるのが震えるほど怖い。震えると優しく撫でてくれるのなんなの。好き。
この好きという短くて簡単な言葉を発することが恐ろしくてできない。頭の中は好きで一杯なのに。口から出てきてくれない。
常に死を意識させられた新天地開拓の冒険も。もっとも苦労をして攻略した最深層のダンジョンも。私にこれほどの恐怖は味わわせたことは一度としてなかった。
私を好きだという確証を持てないまま告白をして拒絶されたらどうする。
拒絶されたら終わりだ。私の生きる意味はなくなる。迷わず死ぬだろう。
でも死ぬのが怖いのではない。拒絶されるのが怖いのだ。
さきほどまでの甘い言葉が心にもない嘘だとは思わない。
でも、嘘だとは思わないけれど、女として好きだとは言っていない。
女として愛していると言っていない。
容姿を褒めてくれただけで何の確証も得られていない。
彼は優しい。きっと誰にでも優しい。今日倒れていたのが私ではなくても彼は同じように助けていただろう。優しい彼だからこそ態度だけでは判断がつかないのだ。
未来の私はあんなにも大胆なのに、どうして今の私はこんなにも臆病なのだろう。
どうやってあの未来を手に入れたのか。未来の私に嫉妬してしまう。
ダメだ、下手なことをして未来が変わってしまうのが怖くなて何もできそうにない。
自分の容姿が醜いことを思い出し、余計に臆病になってしまう。
彼が他の人とは違い容姿を気にしない人だとわかっていても、少なくとも好意的な方向には作用しないだろう。
整えもせずにいた汚らしい髪。
醜いと評される酷い火傷あと。
不潔で臭い傷だらけな体。
右腕は失い耳も半分千切れてしまった。
片腕がない体ではバランスが取りにくく妙な歩き方が癖になってしまい笑い者にされることも多い。
彼の横に並ぶに相応しい見た目の女ではないことに引け目を感じる。
私が笑われるのはいい。雑音など耳に入らない。でもそのせいで彼まで誤解を受けて奇異の目で見られるのは我慢ならない。
もし彼を愚弄する者がいたら殺してしまうかもしれない――。
そこまで考えて異変に気付く。気づいたと言うよりは思い出したと言ったほうが正しい。あるはずの傷がない。ないはずの腕があるのだ。
そうだ、彼は私を治癒してくれたのだった。
ただキスをしていただけじゃない。彼に流れるオークの血がこの奇跡を可能にするのだと説明してくれていたじゃないか。感覚に溺れて完全に失念していた。
顔に触れると火傷のあとはまだ残っているようだが、以前よりは幾分ましなように思う。
毒の治療と傷口を塞いだだけではなく全身を治療してくれている。湖で私の命を救ってくれたときを思い出させ、改めて彼を見つめる。
可愛いという印象しかなかった少年が、これほどまでに勇猛かつ凛々しい顔へと成長するのか――。
泣きたくなるほどカッコいいんだけど。可愛いさは残したままカッコいいのずるい。好きすぎて涙が出る。涙が出るほど好き。一生推せる。
飛んで行ってしまった思考を戻す。
容姿が戻っているならばいけるかもしれない。
火傷を負う前は世の有象無象どもは私を美しいと評していた。彼もこの容姿を褒めちぎってくれていた。
これならば自信を持って彼に告白が――――できるはずがない。
もしも断られたらどうする。
結局はそこに戻ってきてしまう。
失恋の恐怖は、いじめられていた頃の恐怖や、昔の家族だった人たちに見捨てられたときとは比べ物にもならないほど恐ろしい。
世にいる恋人や夫婦はみな、こんな想いを経てつがいになったのかと尊敬の念を抱かずにはいられない。
未来も見えない人たちはどうやって想いを伝えているのだろう。
未来の私はどうやって幸せな結末を迎えたのだろう。
もう一度見たい。でもキスをせがむのにはするだけの理由がいる。
いきなりキスをしてほしいなどと強請るのは好きだと言っているようなもの。何か別の手段を講じなければ。
そうして、強い執着心と生まれたばかりの臆病な恋心は相反し。私にちぐはぐな行動をとらせてしまう――。




