一段落つきまして
片づけをしようとしたところ、エルは何を言うでもなくしがみついて離れなくなってしまった。
本当に子供のような振る舞いだが体は大人だ。
一瞬たりとも気を抜けば聖棒が彼女を突き飛ばしてしまうだろう。
なぜ離れないのかは尋ねるまでもない。
それぐらいは察しの悪い俺でもわかる。
毒と怪我が治ったとは言えついさっきまで瀕死の状況であったのだ。奪われた体力というのはそう簡単には戻りはしない。丸一日ゆっくり休んでもまだ足りるかどうか。
ダンジョンのなかで十全に動けぬのはやはり不安なのだろう。戦える者から離れるのはエルであっても恐ろしいのだ。
そういうことならばダンジョンを出るまで責任を持って彼女を守ろう。
ダンジョンを出たあとは心のケアに尽力しよう。
☆
離れないエルを片腕で抱いたまま、付近に散らばっている荷物を残った片手で片づける。
もろもろの作業を終える頃にはエルも落ち着きを取り戻したのか、体を若干離し、膝の上に乗ったままの体勢で青い瞳でもってじっと俺を見つめていた。
甘えん坊な子供の母親になった気分だ。俺の中のママ味が膨れ上がり、ルカと一緒に椅子に並べてプリンを食べさせたくなってくる。
食べ終わった二人をいい子いい子と頭を撫でてやりたい……。
最高だ……想像しただけでも心のママが涎を垂らしている。
本人に伝えれば反感を買ってしまうであろうというのは目に見えているので口に出しはしない。そんな未来が容易く浮かんでしまうあたり、俺には未来視の能力があるのかもしれない。
「まだ痛みはありますか」
「ないぃ…………やっぱあるかも」
強がろうとしたみたいだが結局は正直に答えるエル。
探索者の意地と命を天秤にかけて悩んでいたのだろう。自分の命を優先して素直に答えてくれたのは確かな前進。喜ばしいことだ。
「であれば無理はさせられませんね」
やはり疲れているのだろう。ポスッ――と俺の肩に顎をのせてくる。
それはまるで恋人が甘えるようなポスッ――だった。
そのポスッ――の破壊力たるや想像を絶するものであった。
胸には様々な想いが去来し、抵抗する間も許されず涙腺という名の城門は易々と破壊された。最初から城門などなかったかのように涙が勢いよく溢れだしてしまう。
これは感涙だ。
勘違いではあるものの、恋人同士のような経験ができたことによる喜びの涙だ。
だってこれではまるで恋人が甘えてくれているようじゃないか。こんなの泣かずにいられるか。
「くっ……」
天井を見上げて涙がこぼれるのを堪えるが、その努力もむなしく頬を伝ってしまう。
「泣いてるの? なんで? どうして?」
「……埃に目が入っただけですよ。ご心配おかけして申し訳ありません」
「それは大変じゃない……? 心配が続くよ?」
まさか自分の胸の中に女性がいるという感動体験に脳の情報処理が追い付かず泣いてしまったなどとは言えまい。
しかしエルの返事のなかには確かな疲れが見て取れる。
こればかりは聖水も聖液も取り去ることができない。
「うーん……おぐぅっ!? にょおほおおお!?」
俺の涙が頬の火傷を残した部分に当たってしまったらしい。
修復を開始した皮膚がエルにくすぐるような快感を与えてしまっているようだ。
しかし変わった笑い方である。美人なのに愛嬌のある可愛さも持ち合わせているとはもはや敵なしだな。そりゃあモテるわ。
絶対に俺では手の届かない、遥か宇宙の彼方の星に咲く高嶺の花と言ったところだ。
こんな美女を誰が射止められるのだろうな。羨ましい。
☆
俺の涙をうけて弓なりにのけ反って痙攣していたエルだったが。ようやく落ち着いたのか、例のポスッ――をして元に戻る。
立て続けにともなればさすがに耐性もつく。
頭の中で「これは子供これは子供これは子供――」と無限に念じることでママ味を奮い立たせてなんとか落涙を回避した。
何度もポスッては俺の顔を覗き込むエル。
なんの意図があるのかはしらぬが、可愛すぎて理性が飛びそうになるからやめてほしい。ママ味防御にも限界はある。防御を貫通しようとしないでくれ。
何度も何度も覗き込んでくる彼女の顔の火傷は完全に回復していた。
さきほどの涙でちょうど足りたのだろう。
「オノドリム……世界に未知なものなどないという君の持論……。改めざるをえない未知を味わってしまったにょ……」
にょ? 噛んだのかな? 可愛いかな?
しかし彼女の言うオノドリムとは誰だろう――おそらく亡くなった想い人の名だろう。
天にいるであろう想い人に話しかけるエルに、俺からかける言葉など見つかろうはずもない。
盗み聞きは褒められたことではないので極力記憶に残らぬよう意識して。彼女の儀式めいた会話を聞かない振りをしておくべきだ。
「あなたはどう思う?」
聞かないように心がけようとしてるのに意見を求められた。
目の前にいるのに聞こえていないは無理があったか。彼女は最初から聞かれているつもりで話していたようだ。
「どなたかは存じませんが、そのような考え方をするというのは現実を重んじる主義の方だったのではないかと思います。ですが、既知な事象でも見る角度が変わるだけで姿も意味合いも変化するものですよ」
「ムズかしいね。それはどういう意味?」
想い人を否定されたと憤るのではないかとビクビクしていたがそれは杞憂だった。
俺はエルを侮りすぎているのかもしれない。これだけ柔軟で強固な芯を持った人ならば、時間はかかっても想い人の死もいずれは乗り越えられるかもしれない。
「そうですねぇ……たとえば長く続いた大雨などは、ときに災害起こす種となるので人の脅威となり忌み嫌われますよね」
「うん、雨嫌い」
「ですが、別の視点から見てください。雨の降りづらい地域や干ばつに苦しむ人々にとってはしばしば恵みの雨として歓迎されていますよね」
「じゃあ雨好き」
吸収がはやいというか影響を受けやすいひとなのだろうか。
しかし吸収のはやさなら私の聖棒も負けてはいませんよ。すばやく血液が浸透して目にも止まらぬ速さで勃起しますので。
「どんな物事でも見る者によって印象は変わりますし状況と場所にもよって受け取り方は変化するもの――というのは私の持論であり誰かに強制するものではありません。感じ方は人それぞれですので」
「感じ方は人それぞれ……確かに精霊はすごかったね。すっごい感じてた」
物事には色んな見方がある。
恋人のようなキスをしてしまったがあれは治療であってそれ以上でもそれ以下でもない。間違っても見方を変えて無理やり犯されかけたなどという誤解だけはしないでいただきたい。
「釘をさすようですが、私の言うことが絶対に正しいというわけではありませんよ。鵜呑みになさらず、その方のように今ある現実を直視した在り方も間違いではないというのを忘れないでください」
「ううん、目の前に未知の塊がいるんだもん……。森から動けない私の師よりも説得力があるよ」
想い人は御師様だったか。
動けないということは森で最期を迎えて墓の中にいるのか。
恋愛関係にあったのかという突っ込んだ質問はできないが。死ぬほどに苦悩したのだから心の寄りどころであったのは間違いあるまい。
そしてあなたの言う未知の塊は性欲の塊でもあるというのを覚えておいてほしい。
いつまでもあなたのような美女に抱き着いていられると、あなたの厚手の外套と薄いスカートを諸共突き破って中に侵入してしまうかもしれなませんぞ。
俺の聖棒はさながら破城槌。強固な城門を突き破るために生まれた生粋の攻城肉兵器である。
下着どころズボンをも容易く貫き。エルの下着はおろか肉壁の先の子宮口すらも易々突破するだろう。それだけのポテンシャルを聖棒は秘めている。
事実、勢いの良すぎる朝勃ちのせいで下着を何着もだめにしている。
買い替えるのも金がかかるし縫いなおすのも手間だ。だから最近は全裸になってベッドに入るようになっていたのだが、ルカと暮らすようになってそれも難しくなり困っている。
「リーア・リーナ・リーサ・リース……」
「な、なんの呪文詠唱ですか!?」
耳慣れぬ言葉の羅列。瞬間的に司教とのつらい修行の日々がフラッシュバックしてとっさにのけぞって顔を片腕でかばう。
魔法使いとしての素養もある司教には散々不意打ちで魔法を食らわされたものだ。毒とは違い耐性ができなかったので今でも魔法はこわいし痛い。
エルは、のけぞりすぎて床に背を預ける俺を不思議そうに見下ろし。笑ったかと思えば倒れるように重なって、呼吸を整えてこう言った――。
「私の本当の名前だよ」
そう言ってエルは深みのある青い瞳を潤ませる。
自分の名前を呪いの文だと間違えられたら誰でも泣いてしまって当然だ。
このあとめちゃくちゃ謝った。
☆
精霊による調査報告書――。
・契約主リーア・リーナ・リーサ・リースの限界到達数
【リーア・リーナ・リーサ・リース――わき腹3回】
【リーア・リーナ・リーサ・リース――唇11回】
【リーア・リーナ・リーサ・リース――口内12回】
【リーア・リーナ・リーサ・リース――喉3回】
【リーア・リーナ・リーサ・リース――胃2回】
【リーア・リーナ・リーサ・リース――髪2回】
【リーア・リーナ・リーサ・リース――鼓膜3回】
【リーア・リーナ・リーサ・リース――その他の要因28回】
・一口メモ
あなたはその程度で済んでよかったですよね
☆
・私の限界到達数
【光の精霊になりかけた闇の精霊――合計311309回】
・一口メモ
受肉すればもう少し耐えられたはず。私が特別敏感なわけじゃない。
・結論
殺す気か。




