気づいちゃった!
オーク化が沈静化し理性を取り戻す。
依然として熱くなったままの頭でオーク化していたときの曖昧な記憶をたどったところ、何をしゃべったていたかまでは覚えていなかったが、治療は滞りなく済んでいるようだ。
オーク化時の記憶を何度も思い返す。エルの反応から察するに特段問題のある行動はしていなかったように思える。
オークは心優しく誠実で、他者を慈しみ愛する亜人であったという。
幼い頃はこの血が疎ましくもあったが、自分に流れるオークの血を誇りに思えるときもあった。まさに今がそうだ。
理性を手放したあとの俺は、普段の見せかけの優しさなどではなく、エルを一人の人間として心より愛してくれていた。
エルの不安が湧き立つ前に思い遣りをこめた言葉を何度となくかけてやり。とめどなく溢れ出る慈悲でもって包みこんでいるようだった。
性欲にまみれた神父としての俺とは違う。そこには性欲など欠片も見当たらない。
あるのは真っすぐな慈愛。親が子を愛するのと同じ無償の愛だった。
肌寒いとすら感じるダンジョンのなかにあっても体は火照ってじっとりと汗ばんでいた。
十分な量を飲まし終えているかは、本当の医者でもないので定かではない。だが俺が俺に意識を譲り渡したということは目的を終えて救済は完了したのだろう。
だが救済とは治療を施して終わりではない。
便利な治癒能力として使うのではなく、救済をすると決めたなら責任を持ってその者の人生に関与する覚悟を持つべきなのだ。ここで放置してしまうのはあまりにも無責任である。仮に忌み嫌われたとしても、そうすべき責任が俺には生まれている。
それは死を望む人間を無理やり生かした者の責任だ。そして人の一人を背負えぬほど俺は小さくはないつもりである。
特にエルからは、ルカにはない危うさを感じとっている。
放っておけばいつ気が変わって自死を選ぶかわからない。
今のところは生を取り戻す気力を得てくれたようが、それはあくまで一時的なものだろう。
根本にある想い人を失ったという取り返しようのない過去はこれからも彼女につき纏う。それをケアするのが俺の責任の取り方だ。
心が弱れば発作的に思いだしてしまい、自ら命を絶とうとする――そんな最悪な未来も起こりえる。極力目を離さぬよう経過観察を行うべきだろう。
恋愛すら未経験の童貞である俺には同調と共感は難しいが、死を選ぶほどなのだから半身をもがれたようなものなのだろう。半身ももがれたことがないからどちらにせよ共感できないけれど。
これより彼女は少しでも目を離してはいけない存在となった。
治癒をしたからはい終わりでは、今日起こるはずだった不幸がわずかに先送りされただけとなってしまう。
例え方は悪いが、捨て犬に一度餌をやるだけでは救いにはならない。それでは一度だけの幸運を与えて楽を覚えさせてしまい、犬の生きる力を削ぎ落してしまうだけだ。むしろ逆効果である。
拾った子犬を家に連れて帰るだけでも救いにはならない。毎日決まった時間に餌をやり、水をやり、散歩につきあい遊んでやり。限りない愛情を注ぎ続けて家族の一員として迎え入れてはじめて完全な救いとなるのである。
目があえば牙を剥いて吠えられるので俺にそんなハートフルな経験ができる機会はこれまで一度もなかったのだが。犬も猫も好きだから抱っこしたいのにいつも片思いである。
「あっ……あひ……あひゃい……あひひゃ……」
これからの展望を思いながら唇を離す。
オーク化するまえは絡みあっていたはずの舌に力はなくすんなりと離れた。
床に倒れているエルの背を抱いて起き上がらせようとしたが、まだ首の座っていない赤子のように体ごと首を後ろに倒し視点を宙にさまよわせる。
顔の火傷あとが薄れていた。直接聖水や聖液をかけたわけではないので完全には治りきらなかったようだ。もしかしたら浸透しきったころに遅れて治っていくかもしれない。
顔の火傷あとはあるものの、それでもなお評判になるのも納得がいく美しい顔である。簡単にはお目にかかれない、他を圧倒するに十分な美貌を取り戻しているな。
これほどの傑出した容姿であるならば人が寄ってくるのも納得である。だが自己肯定感が花びらよりも薄い俺では声をかけるものたちに共感はできそうにない。
ここまで美しいとかえって気後れしてしまい目を合わせるどころかまともに話すこともままならないだろう。
治癒効果で火傷あとが治りかけているのを、今さらになってそれが正しい行いだったのかと悩んでしまう。
顔を油で焼いたのは想い人を想うからこそだった。
彼女の体に刻まれた歴史と記憶を消してしまった罪悪は大きく。無意識に首までのびていた火傷のあとを指先でなぞる。
ピクンと反応したエル。
焦点の合わぬ目が彷徨い、なにかをさがすようにキョロキョロと動かし、俺と視線を合わせてぴたりととまった。
思わずその魔性とも言える美しさに惹かれ、もう一度接吻を――と、性欲にまみれた欲望に駆られかけ。それを鍛え抜かれた理性でもって抑えこんだ。
「治療は終わりましたよ。よく頑張りましたね」
もう唇を合わせる必要はない。
治療と偽り乙女の唇を欲望のままに奪うなどあってはならない。それは彼女が疎んだ者たちとは比べ物にならぬほどの邪悪である。
エルの顔を治してしまったことを後悔しかけていたが思いなおす。
彼女を前に進ませるためにはいつまでも過去に囚われたままでいさせてはいけない。そう考えを改めた。
このままではまた彼女は自らの顔を焼こうとするだろう。そんな真似はもうさせてはいけない。前向きな気持ちを少しでも持てるよう、俺の全精力を費やしてでも支えてやろう。
迷い傷ついた心を癒すのは神父の職務である。焦らず時間をかけてケアさせてもらおう。
「そう、いい子ですね。水で口内をゆすぐから口をあけてくれますか。うん、大丈夫、慌てなくていいんですよ」
「フゥハァッ……フゥフゥフゥー……、ふぅーう……うぅー……フクゥッ」
糸を引いた唾液がエルの顎に垂れているのを拭きとる。
この布を持ちかえって家宝にしたい。
「――っと、申し訳ありません。つい癖で子供のような扱いをしてしまいました」
エルは合わせていた目をそらし。ぎゅっと瞼を閉じてしまった。
大人の女性に対する誠意ある対応ではなかった。探索者として名をはせた勇者にしていい振る舞いでもない。見下されたと誤解して不快な思いをさせてしまった。
「はぁっ……ハァハァーフゥ……」
「おや……」
エルは素直に口をゆすぐとゆったりとした緩慢な動作で両腕を使いしがみついてくる。
顔ばかりみていたせいで気づかなかったが、いつのまにか腕も回復している。
これで顔の火傷は何故戻っていないのかがわかった。治癒の力は腕を元に戻すために使われていたせいで顔や毒までは中々及ばなかったのだ。
「フゥフゥフゥ……」
空気を肺に取り込もうとするエルを膝に座らせたまま、これまたルカにやるように頭を撫でてしまう。
いつも善いことをしたルカの頭をなでてやるのだが、薄い青と陽を映したかのような金色が混ざった瞳で俺を見上げ、満面の笑みを浮かべてくれる。
これが可愛いのだ。犬の尻尾がついていれば千切れんばかりに振っていそうな。喜びを隠しもしないルカの純真さには学ぶところも多い。
背中に回されていた腕に力がこもる。肩甲骨が温かい。
頼られているのだろうか。嬉しくて勃起しそうだ。
俺はルカから何も学べていないな。尻尾の代わりにチンポを振ってどうする。
いま勃起したらエルを天井に打ち上げてしまいかねないので気をつけなければ。
天上に打ち上げるというのは冗談でも比喩でもない。
――俺は寝相が悪いのを気にしていた。朝起きるといつも眠る前にはかけてあった毛布がベッドの下に落ちてしまっているのだ。
それをなおそうと思い司教に相談したところ「毎朝朝勃ちで毛布を跳ね上げているから一生無理ね。決まった時間に奮い立つから時報として便利なのよ? 勃起時計として売ってみたらどうかしら。私は大人買いするわ」と信じがたい事実を突きつけられたのだ。
それにしてもなぜそれがわかったのか。どうして毎朝勃起しているのを知っているのか。
俺が眠っているところに司教が居合わせている理由を尋ねると、「何言ってるの? 毎朝あなたに乗って寝顔を眺めているからに決まっているじゃない。いきなり毛布ごと飛び上がって楽しいの」と答えた。
その日、俺は自分の部屋に三個の鍵を取り付けた。
後日、鍵のない窓や天井から侵入されていたと知った。
「あのね……」
「ん? な、なんでしょうか」
「……なんでもないよ」
「そうですか。何か思いついたら遠慮なく好きなだけ言ってくださいね」
「な、ナニが思いついたら好きなだけ遠慮なくイっていい……!?」
「はい。私を案山子のようなものだと思ってぶつけてください」
「案山子だと思ってぶってください……? Mなんだね……」
蚊の鳴くような声で俺でも聞き取れなかった。
「あの、なにか?」
「う、ううん。なんか疲れたなって」
「そうですよね。ではしばらくここで休んでいてください。私は散らかったものを片してくるので」
エルの胸当てや荷物をまとめるため膝からおろそうとすると、死にかけの蝉が指につかまるそれのように手足を使ってしがみつかれた。
「やだっ」
一人にされるのが怖いのだろう。恐怖を覚えるのは生にとって良い傾向だ。
☆
あのときと同じ体験をした――。
はじめから、もしかしたらという思いはあった。
でも、確信が持てないでいたのだ。
彼と私の最初の出会いは街でぶつかったとき――。
人酔いしそうなほどの人間でごった返す中央市場。
そのなかにあって、ほかの有象無象を前景や背景にしてしまう一際大きく圧倒的な存在感を放っている。文字通り頭一つ二つ抜けた高身長の大柄な男の人がいた。
役者であれば一目で彼が主人公であるとわかるような。丸い世界の中心がそこにあるという不思議な感覚を覚えた。
人間は一人一人がそれぞれ物語の主人公として生きているとオノドリムは言った。
でも懸命に生きている人々のなかに彼がひとり存在するだけで、それらの人々をそのほか大勢の脇役にしてしまう。
横目に映っただけで自然と焦点を合わせてしまう彼の異様なまでの存在感に興味を持った私は、気づかぬうちに気づかれぬように彼のあとを追っていた。
遠目から彼を見ているうち、気づけばすぐそばまで近づいていた。
一定の距離を保っていたはずなのに彼にぶつかってしまう。
声をかけてくれたのに返事ができなかったのは、その声と匂いが胸に染みて口が動かなくなってしまったから。
呪言による拘束魔法をかけられたかと解呪を試みるも反応はない。心の中に『呪いはない』という精霊の声がする。
結局私は何も話せずにその場を去ってしまった。
☆
彼が酒場に入店した時点ですぐに気づいた。
騒がしい酒場の中であってもその存在感は健在だった。
嗅覚で追い、視覚で追い、彼の一挙手一投足をつぶさに観察する。
誰かが非難めいた声音で私に話しかけているような気もしたが、意識は全て彼に吸い寄せられていたので何も耳に入ってこなっかった。
この機に街でぶつかったことを謝ろうかとも思ったが中々その気になれず。どうしたものかと迷う。
そうこうしているうち誰かが剣を私に突きつけていた。
どうやら決闘を挑まれていたらしい。またかとうんざりする。
私は魔法使いなので決闘などしたら店を半壊させてしまうのに。
私に決闘を挑む者というのは、「俺の女になれ」「自分を振った復讐だ」「お前を倒して名をあげる」といった身勝手な理由ばかりで挑んでくる。
今回は理由を聞いていないが、多分同じようなものだろう。
相手を見極めてから選んでほしいものだとうんざりするが、この手の因縁にはなれている。今回は適当にあしらって死なない程度の怪我を負い。相手を満足させて負けたことにしようと考えていた。
するとカウンター席に座っていたはずの彼が、鼓膜と処女膜を揺らす大声を張り上げて華麗な踊りで衆目を集めだす。
何の真似か理解できなかったが、私のことを身を挺して守ろうとしているのだと知って、得も言えぬ興奮を覚える。
痛みを感じないはずの私の胸は張り割けそうなほど痛んだ。
あのときの少年を探すためオノドリムたちに送り出してもらったのに、たったの二度あっただけの男性に少年と同等かそれ以上の想いを抱いてしまっていると自覚した。
☆
自分が案外惚れっぽい女だとは認めたくはなかったが、体とは存外に正直なものらしい。
その夜、眠る前に少年を思い出そうとしても、頭に浮かんでくるのは彼が私を守ろうとしていたときの勇ましい姿だけだった。
彫の深い穏やかな顔と逞しい身体ばかりが浮かんできてしまい、どうしても眠りにつけない。
自分の体を慰める意味などないのだが、その日はじめて下腹部に手を伸ばそうとしてしまった。
無意識で未遂とは言え、少年を裏切って不貞をはたらこうとしたのは事実である。
私は自分を軽蔑し。ひどく落ち込んだまま眠りについた。
そして夢の中にまで彼は現れた。
☆
少年とはじめて出会ったときと同じように、彼はダンジョンで一人ぼっちで死を待っていた私のもとへ颯爽と現れた。
私を守るために魔物たちと戦ってくれている姿は、唯一の居場所であった湖を元に戻してくれた少年の姿と重なってしまう。
彼を直視すると胸の痛みは限界に達した。
見ないようにしていても服を着ていないのでつい目がいってしまう。
そうと気取られぬように気丈に振舞った。
最後はやはり少年を想いながら死にたかったから。少年こそ私の心を救ってくれた最愛の人なのだから。
嘔吐し、血尿まで漏らして死にかけている自分を見られるのは羞恥を極めた。
惨めな姿を見せたくもないので死なせてほしいと懇願したが、彼はまったく取り合ってはくれず。毒が入ってしまうと再三忠告しているにも関わらず聞く耳を持とうともしない。
そういう強引なところまで、手を引いて遊びに誘ってくれた少年と一緒なのかと気が緩んでしまった。
この人はあのときの少年のように私の心の中へするすると入ってくる。
☆
彼は毒を抜くのだと言い私の腹を吸った。
直後にくすぐったさと気持ちよさが私の腹部を襲う。
私は少年を裏切りたくない一心で言葉での抵抗をつづけた。
彼の巧みな話術に誘導されて何度も身も心もゆだねそうになり。体を貫く経験のない感覚は何度も意識を飛ばそうとする。
そのたびに幼い日の記憶を掘り起こしては気を強く持った。
どうして契約により痛みも何も感じないはずの私が感覚を取り戻しているのか気になった。
精霊に尋ねても一緒に未知の感覚を体験させられているようでろくに返事をしない。そして私もまた、体を包む感覚に抗うのに必死で、長く思考できるほどの余裕はなかった。
もしも違う男が同じような真似をしようとしていたならば、何もさせる前に精霊を使役して殺していただろう。
そうでなくとも魔術で身を守れたはずだ。でも私はそうしなかった。もはやそれが答えである。私は彼の行動に期待してしまっていたのだ。
最低の女である――。
少年を想うと涙が溢れ出た。
自分がこれほどまでに尻の軽い女だったとは。
彼の体液には人を癒す力が含まれているという。
事実お腹の傷は塞がり体を動かせる程度には毒も抜けていた。
治療にともなう副作用を散々浴びせられる。快感を得ることが再生につながることも理解できていたが、少年を思い出すと涙が出てしまう。
気にいった男なら簡単に股を開くようなふしだらな女が、あの純朴そうな少年に会っていいはずがない。
私の初めての恋はここで終わるのだろう。
そしてもう誰も追いかけてはいけない。
☆
理性を残していられたのは精霊との契約のお陰だった。
頭の中では精霊が聞いたこともない事件性のある嬌声をあげ続けている。
契約によって感覚を奪われ、一方的な感覚の共有をしているせいで、本来私が受けるはずだった感覚のほとんどを精霊が受け取っている状況――だそうな。
精霊はそれを絶叫や嬌声、おほ声まじりに教えてくれた。
精霊でも吸収しきれず私にも漏れてしまうような超常的な感覚は、精神体しか持たぬ精霊には覿面に効いていた。
今すぐに契約を解いてほしいと、蟹股のバカみたいなポーズとアヘ顔で懇願しているが、私はそれを完全に無視し続ける。
いまでも意識を保つのにやっとだと言うのに、もし精霊との契約を解除すればいったいどれほどの感覚を味わってしまうのか想像もつかない。私はあんな顔を人前でさらしたくはない。
これまで私の感覚や感情を一方的に搾取しておいて、今さらつらくなったから契約を解除したいというのは虫のいい話ではないか。
散々苦労させてきたのだから勝手に一人でイキ狂っていればいい。自業自得である。
そう心の中で言ってやると涙を流しながら謝り続け、『もうしませんからぁ! このままじゃ光の精霊になっちゃうぅうううッ!』と、私は特段困ることもなさそうな話で説得を試みてきた。
そして再び彼が傷口を吸うと、謝りながら私が味わうはずだった感覚によってありとあらゆる水分を噴き出しながら絶叫して転げまわっていた。
私の魔力と感覚を糧に生きているくせに。いつも偉そうに上からものを言う生意気な精霊だったのでとても胸がすく思いだった。
精霊は睡眠もしなければ気絶もしない。そのせいで正気を保ったまま快楽の渦に飲み込まれ続けている。
うるさいので声を聞こえないようにしたが、それでも次元を貫通してうっすら聞こえてきてイヤだった。なんか宿の隣の部屋で騒いでいる人みたいだ。
☆
低姿勢であったかと思えば突如豹変して強引な言葉で副作用を強要された。
その意味はちょっとわからなかったが、私と彼の間では行き違いがあり、彼が何かを勘違いしているように思える。
勘違いはともかく、彼の言葉には人を動かす力があった。
理性を強く持っていないと命じられるがままに躊躇なく従ってしまいそうな力強さがあるのだ。
彼の命令に従うのはさぞ心地よいだろうという予感もあった。
絶対に言わないだろうけれど「舌を使って丁寧に奉仕しろ」などと言われていたら、感覚がおかしくなっている私は無意識に従っていただろう。
そうでなくとも大丈夫だから任せろと言われるたびに身をゆだねたくなってしまう。その包容力に甘えたくなってしまうのだ。
そんな極限状態で「イキたいと言え」なんてと命じられてしまったものだから、私はつい流されてしまう。
酒場のゴロツキや臨時で組んだ仲間が冗談でもそんなことを言えば、二度とそんな目で見れぬよう精霊を使役して恐怖を植えつけただろう。少年の妻となる自分を性的な目で見られるのは不愉快極まりないから。
だが私は彼の言葉に従ってしまう。あまつさえ、従うことに悦びすら覚えてしまった。真っすぐに私を見据え、語気を強めて命じる彼に逆らうことができなかった。
私にイクことを命じた彼は居住まいを正すと大きく息を吸い込んで何かを切り出そうとしている。
「あなたの解毒を完了するには体液の注入がまだ足りていません」
「…………」
理屈はわからないままだが、私を快楽漬けにするという意味だろう。
口ではなんと言おうとも絶対に耐え抜いてみせる。たとえ精霊を犠牲にしてでも。
「体感した通り私の体液には体を修復する力が備わっています。それはもうわかりましたよね」
そう言われて自分の体を見ると怪我が治っている。矢にあけられた腹の穴も綺麗に傷がふさがっていた。
困惑する私をしり目に彼は話しを続ける。
「私にはオークの血がながれています。純血のオークなどではなく一部が先祖がえりをしただけの混じりなので――」
言語は理解できても話の半分以上も理解できなかった。
でもたしかに彼は言った。自分にはオークの血が入っていると。
すぐに少年と彼とが結びついた。
オノドリムは少年がオークと娘の子孫ではないかと匂わせていたから、少年もオークの血を引いているはず。そして彼はオークの血を引いている。
私の感じていた予感を補強するには十分な言質だと思った。
初めて彼を見かけたときから体が勝手に動いてしまうほどの運命的な何かを感じとっていたのだから。
でも、もしかしたら彼があの少年なのでは――というこじつけは早計な気がした。
人はつらいときにほど楽な方に流れようとしてしまうものだから、自分がそう思いたいからと都合よく解釈しようとしているだけではないのか。
恋する乙女というのは、運命だの宿命だの前世からの縁だのをこじつけてしまうと、ものの本には書いてあった。それはまさに今の私のようじゃないか。
少年が彼だなんて、そんな偶然があるはずがない。
一目惚れをして少年よりも好きになってしまった人が、ずっと好きだった人だなんて。それはもう偶然ではなく運命だ。
別々に流れていた二つの清流が深い森の奥で一つになるような奇跡。
激しい嵐の中で雨粒と雨粒が空中でぶつかり、一瞬だけ完璧な水の彫刻を作って消えるような偶然。
そんな邂逅を運命と言わずになんと言えばいい。そんな出会いをしてしまったら、私は正気を保てる自信がない。
一応精霊に尋ねてみたが、もはや人語も話せなくなっていたので使い物にならない。精霊は辛うじて『前にも経験がある』と言った。実際は『はえひもぉおッ! へいッへんんんんッ! ありゅ!』だったが、多分この翻訳で間違っていないと思う。
うるさい精霊に意識を割かれてぼんやりしている間に、私は彼のキスを受け入れてしまっていた。
反射的に開かぬようきつく唇を閉じた。
これ以上のことをされぬよう暴れようとして、精霊にも攻撃を命じた。
でも精霊は『アヘ』以外の言葉を使えなってしまいただのアホになっていたので、攻撃をする力も無くなっている。
触れるのはまだ治療のためだから仕方ない。でも治療のためであってもキスは許容できない。少年以外とキスをするぐらいならば死んだ方がましだ。
初めても最後も全てあの時の少年がいい。それ以外には動物が相手でも、偶然ぶつかっただけであっても許せない。
それが治療のために本当に必要な手順であるのは疑っていないが、イヤなものはイヤなのだ。
そうして、彼に無理やり唇を奪われて数瞬たったときだった――。
突然ありもしない記憶が脳内に流れこんできた。
それは湖の前でも体験したものと同じもの。
最初に幸せそうに笑う自分と、照れくさそうに笑う彼が向き合ってじゃれあっていた。
そしてすぐに場面が変わってしまう。
次はX字の特殊な器具に彼の手足を拘束し、私が魔術で無理やり衣服をひん剥いている場面。
その次に赤子を愛おしそうに抱く私と、その赤子を太い指であやす彼が視えた。私はその指を咥えて離さず、彼は焦っている。
赤ちゃんのように丸くなって眠る彼と、その頭を胸の中に抱く私。こっそり母乳を飲ませようとすると、勘づいた彼が赤ちゃんを指さして必死に抵抗している。
そして故郷の湖に裸で手を繋いで静かに佇む二人。あの日の少年のように笑う彼。こらえきれず襲いかかる私――。
次々に浮かんでは消える存在しない記憶。
数十、数百と矢継ぎ早に入れ替わる記憶は、そのどれもが胸を熱くさせる幸せなものばかりだった。
それが私の向かう未来の断片。未来の可能性の一つであると即座に理解できたのは、オノドリムにエルフの能力について詳しく聞かされていたからだ。
そしてようやく合点がいく。
私は毒沼のせいで能力をもたずに生まれたエルフなのではない。
唇を合わせると能力がつかえるエルフとして生まれたのだと。
そこから全てが繋がっていく。
あの日、少年と唇を合わせたときにも既に未来を見ていたのだ。
それまではオノドリムの話に出てきた、大昔にいたオークと村長の娘の夢を見ていたのだと思い込んでいたがそうではない。
考えてみればそんな不可思議なことが起こるはずもないのだから、すぐにでも気づけそうなもじゃないか。
少年は私を治癒するために膝を舐めてキスをしてくれた。今の彼とまったく同じように。
答え合わせは驚くほどスムーズに進んだ。
あどけない少年の横顔と、酒場で見た彼の屈託のない笑顔が一致していく。
そうして彼と少年――二人が同一人物だと確信するに至った。
どうして思い出せなかったのだろう。
私は既にあの時エルフの能力を使い少年との未来をみていたのだ。
少年とキスをしたときに、この未来を既に視ていた。暗い部屋で彼に抱かれながらキスをする私を。過去の私は既に視ていたというのに。
デジャブなどの脳が見せた錯覚では断じてないと今ならば言える。
自分に都合のいい解釈でもない。
少年と彼。過去の記憶と未来の記憶と現在が完全に一致していく。
力を抜いて彼を受け入れた。
私の口内に彼の舌が侵入し、得も言えぬ、性的とも違う幸せな感覚が口内全体に走った。
それまで考えていたすべてが頭から吹き飛んでしまいそう。
頭のなかが真っ白になり何も考えられなくなりそうになる。
精霊はもう完全にダメそうだった。
あの時もそうだった。精霊は半狂乱になっていた。
何故思い出せなかったのだろうと考える。あのときは容易く意識を飛ばされたせいで未来の記憶を夢であると混同したのだ。
腹部を舐められたときと同じ強烈な感覚は、何も感じないはずの体を大いに混乱させる。
彼の舌を舐めて唾液を交換すると信じられないほどの多幸感に包まれ。全身の細胞が入れ替わるかのように、身体機能が修復されていく奇妙な感覚を覚えた。
湖面に落ちた朝露が波紋を広げるように、優しい感覚は全身をめぐっていき。未来の記憶の断片がまた次々と流れては消えていく。
全てをゆっくりは見られなかったが、未来の自分はいつも笑っていた。
彼を見上げ。彼を見下ろし。彼を見守り。彼に跨り。彼に迫り。彼に抱き着き。とにかく彼しか見えていない。
それらの未来をもっと見たくて一心不乱に彼の唇を求めた。
そしてそのとき、意識しか持たぬ精霊が意識を失った。わたしの代わりに受け続けていた感覚の許容量をひっそりと迎えたようだ。
精霊は意識を失うが契約は解除されていない。
しかし契約者が契約を履行できない状態に陥っている。
それは、精霊が受けていた分も合わせたすべての感覚が私に流れ込んでくることを意味した――。




