消えた魔物
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透明な新種の魔物はトロールの捕食に集中しているらしく、続けて攻撃してくる気配はない。
空中に浮かんでいるように見えるトロールから血がしたたり床を赤く染めていく。
血が溢れるたびに新種の魔物にも付着するのだが、時間が経つとすぐに消えてしまう。
どういった性質により透明になっているかなど見当もつかない。
透明になるような魔物は神話の域の生物だ。
神話に登場する存在など、実在するはずがないのだから詳しい討伐方法や戦略を学ぶはずもない。
歴史的な意義を問うための勉学や、歴史を紐解くための教養。人類発展を主としての研究ならば理解もできる。だが存在しえない魔物との戦いを本気で想定して勉強するなど、それこそ頭を疑われてしまう。
たとえるなら、俺が千対一の生本番セックスを想定して本気でその日に備えて鍛錬を積むようなものだ。
起こりえない、特定の限られたありえないものを想定した鍛錬など、呆れるよりも先に見るものに一定以上の不安を呼び起こさせるだろう。それこそ頭がおかしくなったと思われても仕方がない。
五対一ぐらいなら想定したトレーニングを積んでいるがな。
そも存在自体が確認されていなかった新種とされる魔物なのだから詳しい資料が残っているはずもなく。神話を学んでいてもその正体を今すぐに突き止める手掛かりにはなりえない。
過去にこの魔物と遭遇して生き残った者たちは、己の理解を超えるものとして神話という形で後世にのこしたのだろうか。
はたまた事実として書き連ねたものを現代人が神話というジャンルに変えてしまったのか。後者ならば初めに神話にジャンル分けした者をつかまえて説教してやりたい気分だ。もっとちゃんと調べろよ――と。
あれこれと考えているとトロールが床に落ちる。
それまで冷静でいられたのは、どこにいるかの判断がトロールを抱えてくれているお陰で可能だったから。こうなってはもうどこにいるかもわからない。
俺のことは次の獲物と定めているであろう。でなければ最初に攻撃など仕掛けてこない。
しかし俺が最も気にかけるべきは瀕死のエルに被害が及ばぬこと。
身を盾にしてでも彼女は守らなければならない。
最悪の場合は、せめて俺の血を彼女に――。
新種の魔物はトロールの血だまりの上にいる。
定期的に強弱する波紋から想定される足の先はトロールよりも小さい。
怪我の功名とやつか。はたまた不幸中の幸いか。トロールが先に戦いを仕掛けてくれて助かった――などと実際はそう前向きには考えられない。
踏んだり蹴ったりで一難去ってまた一難。弱り目に祟り目なところに泣きっ面にハチ。虎口を逃れて竜穴に入れば禍去って禍また至るといったところか。
トロールは巨体なのもあって血の量も尋常ではない。
お陰でトロールの死骸の周辺にいる間は魔物がどこにいるかだけはまだ把握できている。
ルカはこれ以上の境遇で生きていたのだと思うと状況もわきまえずに同情の念がわき、より一層優しくしてやりたいと思う。
ルカにとっては世界のすべてがこの透明の魔物と対峙していたようなものだったのだ。
帰ったらプリンを作ってやろう。
ルカは甘味に目がないので大喜びしてくれる。
いずれはベリーソースを使ったデザートも各種振舞ってやりたいものだ。
涙を浮かべて笑いながらスプーンを口に運ぶルカが思い浮かぶ。
「それを実現するにはとにもかくにも生きて帰らなければなりませんね……」
俺の呟きが聞こえたのか魔物が動く。
足ばかり見ていては繰り出される攻撃に反応できないだろうと正面を見るが、見たところで姿がないのだから意味がなかった。
食事のお陰でどこに頭があるかは予想できたが、攻撃のリーチもわからぬままだ。
戦闘になれば姿勢を変えるのは生物界の基本。トロールを捕食していた位置にあるままだとは考えない方がいいだろう。
頭は上か下か。
落ちた獲物をそのまま捕食するのではなく、魔物はトロールを持ち上げていた。ならば手やそれに相当する器官を持っていると考えていい。少なくとも四つ足の獣ではないのは確かだが、戦闘となると這うものもいる。
ウニやヒトデなどのように口が体の下側であるならば、相手の体長は凄まじいことになる。だが揺れる波紋とわずかに聞こえる生体の音から、大きさはトロールと同じか、それ以上であってもドラゴンのような大きさではないはずだ。
そもそもその大きさでは奥の通路に体が入らないのでここまでたどり着けていない。
であるならば凡その体長は見えてくる――。
足元で揺れる波紋は四つ。捕食をした際に使っていた器官を含めれば全部で六つ。
「昆虫……か?」
魔物の分析をすすめることで未知への恐怖が薄れていく。とはいえ恐ろしいのには変わりないが。
だが相手を知れば対策も講じられる。何も知らぬまま無暗に突撃するよりは賢い判断なはずだ。
トロールの血がもう一回り広がってくれればよかった。少しでも時間を稼ぐために石を投げて気をそらしたいところだが、下手に動けば何をされるかわからない。
何よりも時間を稼げば稼ぐほどエルの治療が間に合わなくなってしまう。
額に汗が浮かんでいるのがわかる。
こんなじっとりとした汗が浮かんだのは、たまたま通りがかった河辺で戯れる婦女子たちに覗きの嫌疑をかけられて以来だな。おっぱいのおの字も見えていなかったのに。せめて見せてから犯人扱いしてほしかった。
「やるしかないのですが……動かないですね」
直後に波紋が揺れて魔物が再び動きだす気配を感じ取る。
足運びの速さこそトロールよりも遅いが、前に進む動作を感じさせる確実に攻撃を意図した動きである。
どこからくるともわかぬ攻撃を受けられるはずもない。後ろに飛びのき、とっさに持っていたメイスを宙に投げる。
メイスは俺がいた場所で攻撃を受けてそのまま宙を浮遊し横へとスライドした――。
「わかりましたよ、あなたの正体」
これまでの観察と過去に学んだ魔物たちを照らし合わせて類似のものをいくつか思い浮かべていたが、これでようやく相手の目途がついた。
昆虫であると山をかけていたのが運よく当たっていたようだ。
「これは恐らくカマキリ――」
鉄製のメイスは鎌があるであろう場所に食い込んだまま宙に浮いている。
それをもう一つの鎌で外そうとしているのが手に取るように分かった。
目を開いたままベッドの上でセックスのイメージトレーニングをしていた成果がこんなところで役に立つとは思わなかった。何もない場所から姿が想像できる。
定期的に波紋が揺れていたのもカマキリが狩りを行うさいの習性であるところの体を揺らす動作のためだろう。
「その正体――ナマラカインでしょうね」
ナマラカインとは人間などの中型の獲物を好んで捕食するカマキリを巨大化したような見た目の魔物である。そしてこいつはその亜種といったところだろう。
ナマラカインであると特定できれば大体の大きさと頭の位置もわかった。攻撃範囲の距離感もこれでつかめる。
特定ができたところで相手が透明であるという事実は変わらないし、原種と全く同じ構造だとも限らない。だが、攻略の手掛かりとなる策は生まれた。
「相手が透明でこちらが不利ならば条件を変えてしまえばいい」
至極簡単な話である。
透明な敵であるならばこちらも透明になってしまえばいいのだ。
力任せに黒い神父服、上着をボタンごと引きちぎりながら脱ぎ去りナマラカインに投げつける。
当然上着は払われてしまうが、メイスとは違い柔らかな材質の上着はナマラカインのギザギザとした鎌に突き刺さったまま離れない。
邪魔な服を取ろうとしているが、精密作業のできぬ不器用な鎌の腕では右腕と左腕を行ったり来たりを繰り返して服をボロボロにするだけで取れはしない。
ナマラカインの最も楽な討伐方法はこのように大き目の布などを掴ませて油の染みさせた火矢で燃やしてしまうこと。
当然火矢など持ち込んでいないのですぐに持ち込んだランプを探す。
だがランプはエルのすぐ隣に置かれていた。遠い上に万が一エルのいる場所まで誘導してしまっては元も子もない。
すぐさまランプの投擲を脳内で否定し、頭を切り替えて別の方法を考える。
想定外だったのは、しばらくはもたつくであろうと思っていたナマラカインと上着の格闘はすでに終えられていたこと。
かわいそうなことに俺の神父服はもう服ではなくなっていた。あれはもう布だ。
俺の上着だった服がナマラカインの足元に広がるトロールの血の上にズタボロにされて落とされる。けっこう高いものなので修復できないほど傷めつけるのは勘弁願いたかった。
腰に巻いてい紐を解いて、長袖の貧乏臭いチュニックを脱ぐとすぐさまナマラカインに投げつけた。これで俺は上裸である。
学習能力の極めて低いナマラカインは再び服を鎌にさしてしまい、細々とした動作で取り除こうとしている。
魔物とは言え所詮は虫である。人間様の足元にも及ばない。俺が爆乳を見ると反射的に勃起するように、飛んできた物を反射的に切り裂こうとしてしまうのだ。
「あなたが虫で良かったですよ」
これが知性ある、知能の高い相手ならばこうはいかなかっただろう。
ナマラカインの討伐にはいくつかの方法がある。
遠距離からの攻撃や火矢による炎上がポピュラーではあるが、かなずしも近場に使える火があるとは限らない。それこそ魔法使いでもいなければ難しく。予め火矢を準備しておく場合などは討伐対象として依頼を受けたときぐらいのものである。
このような遭遇戦では近接による攻撃が推奨される。ただし生還の望みは捨てよという注釈がなされているのだが。
相手は昆虫の魔物であるということは、硬い甲皮で身を守られた外骨格生物である。
ティアスほどの威力のあるパンチが放てるバケモノならば素手でも甲皮を破壊できるやもしれぬが、今の俺には難しいだろう。
なにせ鎧もなにも着ていない上裸なのだ。カウンターを喰らえばよくて相打ちという状況である。防御力を頼りに攻撃できる状況ではない。
なので狙うは足関節――死角からの攻撃だ。
外骨格生物のほとんどは関節がもろい。
魔力で強化しているものの、それでも他の生物に比べれば体重を支えるのがやっと程度のものだ。だからこそ鎌の振り速度ははやくても足の運びは遅いのである。
問題はどう関節を破壊するかだ。
メイスは魔物のあたりをつけるために使ったので、ナマラカインの足元に落ちたまま。関節技を極めるにしても、時間をかければ鎌で切り裂かれてしまう。
だからこそ、相手を同等の立場にさせる。
こちらも透明になてばいいのだ。
「消えますよ――」
そう言って俺は、ひざ丈の下着の紐を解いてゆっくりとおろした。
「ッ――!?」
エルの方からなにやら声が聞こえた気がする。容体の悪化の合図ならばのんびりはしていられない。
恥ずかしがってゆっくり脱いでいる場合ではない。急がなければ。
鎌でチュニックを外そうとしていたナマラカインはにっちもさっちもいかず両手の鎌に引っかかってしまっている様子。
「そおおい! そい、そおい!」
その隙を突いて横に回り込み、のそのそと体を回転させているであろうナマラカインの胴体を踏み台にして、その頭に俺の芳醇な香り漂う温かい下着をかぶせてやった。
すぐに紐を引っ張るが、結局結ぶ時間などないのでこれにはあまり意味がなかった。
「さあどうですか私のパンツは!」
自分の股間の臭いの感想を昆虫に尋ねているみたいになってしまった。
エルに誤解されていないといいが。
反撃はあったが両手を封じられているナマラカインの攻撃は、俺の動体視力をもってすればそれほどの脅威ではなかった。
しかし両腕で衣服を掴んでいたため攻撃の勢いでチュニックが引き裂かれてしまい、服から布に変えられてしまう。
それでも鎌には布が二枚ついている状況は変わらない。
攻撃をする素振りを見せるものの、自身最大の特徴である鎌に布が張り付いたままなのは本能的に抵抗があるらしく。再び布を取ろうと細々と動いている。
加えて視界を塞ぐパンツも邪魔なのだろう、鎌を動かして外そうとしてはまた腕の布を気にしている。
「フンッ――!!」
足元に落ちていたメイスを拾い、間髪入れずに膝関節を叩く。
関節が弱いと言っても、それはピンポイントに叩ければの話しである。
透明で予測不能かつ、いつ攻撃に転じてくるかわからぬ魔物相手にのんびり狙いを定めているような暇はなかった。
「ぬおぉぉおおおおおッ!」
数度にわたりそれぞれ違う関節を叩くが効果はあがらない。
いまの俺を傍から見れば、靴だけを履いた全裸の変態が血で足を滑らさぬよう小股で機敏に動き回ってイチモツを振り乱しているように見えることだろう。
傍から見て考えるな。今は正気に戻ってはいけない。冷静にならずアドレナリン全開で戦闘に集中しろ。
全裸での躍動は続く。反撃を警戒して殴るが足元のおぼつかない、血で濡れた床ではどうしても力が伝わり切らない。
ふと思いつきでナマラカインの腹部にあたるところを殴ると、それまでとは違う反応を示した。激しく暴れたのだ。
「本には書いていなかったが、そうか考えてみればこちらの方がよほど弱点ではないですか」
余程効いたのかもはや布きれなど気にせずに暴れまわるナマラカインは俺のかぶせたパンツを滅茶苦茶に切り裂いてしまう。
まずい――そう思ったが声は出さない。
ナマラカインの背後を取ったまま静かに息をひそめる。
だがそのとき、ナマラカインに集中するあまり俺は完全に失念していた。
俺のいる場所にはエルの踏み抜いた。こんなもの誰が踏むのかという疑念をもった露骨な罠の仕掛けがあったことを。
「ん!? あぁっ!?」
飛びでたレンガを盛大に踏み抜いた俺はバランスを崩して倒れてしまう。
同時に飛び出す毒矢。その数はざっと見ても十を超えて連射されていた。
この数の矢を一本受けるだけで済ましたのかと、エルは俺の中で再評価路線に乗った。
しかしこれも不幸中の幸いか、矢は俺の鼻先と聖棒のスレスレを抜けていくものもあったが、そのすべてが俺には当たらずに通過していく。
そうして毒矢が向かったのはナマラカインの弱点とみなした腹部。
数十の矢が次々に、躱すことなど出来ぬ間隔で突き刺さっていく。
「――――!!」
ナマラカインは声とも違う、ガラスを爪でひっかくような不快な声で鳴く。
しばらくはその場で暴れまわったものの、やがて透明化が解かれていき、体を傾けて倒れてしまう。
「……やったか?」
このセリフはマズイ。不幸体質な俺にとってはフリにしかならない。油断大敵である。
念のためナマラカインに慎重に近づくと、実体を現しては透明になるを繰り返しているのを確認する。まさに虫の息と言った様子である。
「申し訳ありませんが人を襲った魔物に捧げる祈りはありません。ですがせめて苦しまず安らかにお眠りください」
ナマラカインの頭部へ渾身の力でメイスを振り下ろす。
勢い余ってレンガの床が砕けて飛び散り、ナマラカインの頭部もはじけ飛ぶ。
完璧にとどめをさしたところでエルを見る。
エルは呼吸を荒くしてはいるものの、まだ生きてくれていたので急いで駆け寄った。
「大変長らくお待たせしてしまい申し訳ありません、では続きを――」
エルが形の良い眉を下げて何かを訴えようとしていた。
治療の前に一応聞いておこうと耳を傾ける。
「ふ、ふふ、服っ……!」
あっ、全裸でしたね俺。




