消える魔物
トロールの出現によりエルの治療を一時中断する。
「急がなければならない時に限って長居する迷惑な来客のようですね」
俺に来客など来たことがないので言っている自分が一番ピンとこない例えである。
いまは来たとして俺を殺しにやってきたティアスぐらいなものだ。
「ホッホッホッホッヒーッ! ハァアアアア!」
興奮して何度も跳ねては屈伸してを繰り返すトロール。獲物を二体見つけたと喜んでいるようにも見えるが。かと思えば手を広げて叫び、牙を剥き出しにして威嚇してくる。
人間とは違い何を考えているかを予測できないのが厄介だ。
間違いないのは俺とエルを獲物としてとらえているということ。
トロールとは本来は森の中に潜んでおり、近くを通りがかった荷馬車や人を襲う。ときには人里に降りてきて甚大な被害をだす個体もいる。
こんなところに出現するのはどこかの森にダンジョンの入り口が繋がっているからだろう。
「いいでしょうかかってきなさい。相手にとって不足ではありますが」
余裕のあるふりをして髪をかき上げる。
エルが見ているかはわからないがとにかくカッコつけたい一心である。
内心は今すぐにでも誰かに助けを求めて逃げだしたい。
ちらりとエルを確認する。
苦し気に荒い呼吸をして、重力で潰れた巨大な胸を揺らしている。
トロールもエルが気になるしくエルの方をチラチラと見ている。スケベなやつめ。
俺がトロールでもそっちの柔らかく美味そうな双子の山脈に気がいくだろう。その点はトロールを責めることができない。
「私はこっちです! どこを見ていやがるのですか! そらそらそらぁ!」
エルに意識が向かないようにメイスで床を何度か叩いて挑発する。
視線を誘導したところで魔物がエルに向かわないよう移動し、エルを気にせず戦えるようにエリアを広げる。
十分に意識をこちらへむけ。戦闘可能なエリアを確保したところで床に落ちていた石を全力で投げつけた。
「ホキャ!」
投げた石はトロールの超反応用により弾かれる。
ティアスではないが頭蓋を砕くつもりで投げたのだが上手くいかないものだ。
しかし弾いた腕には多少ダメージがあったようで、腕を気にするそぶりを見せながら再び跳ねている。
それは怒りを表明しているように見えた。
「ホアホアッガァアアアア!」
というか怒りそのものだ。レンガの床を叩き砕いて大変激怒していらっしゃる。
トロールは一度の跳躍で距離を半分詰め、二度目の跳躍で横に飛び、三度目の跳躍で前方に回転しながら俺にとびかかってくる。
トロールが跳躍している間に床から引き抜いていたレンガを投げつけて牽制する。
投げられた石は骨盤に命中し空中でトロールのバランスを崩すことに成功した。
尻にでも入ってくれたら内臓を傷つけられたのだが、物が大きいのでそう上手くはいかなかった。なんか自分の聖棒みたいで哀愁を覚える。
「ホキョォオオ!!」
「むぅんッ!」
体勢を崩しながらも無理やり長い両手を振り下ろしてくるトロール。
遠心力を使った腕の叩きつけ。単純ながらも人間の拳打とは比にならぬ速さのそれは体重も相まって凄まじい威力を発揮する。
間一髪で横へ躱したが、硬いレンガの床ははじけ飛びくぼみができてしまっている。そこに俺がいたらと思うとぞっとする。
一際巨大な手は俺の巨体もその気になれば両手で包めてしまいそうなほど大きい。
一撃でもくらえばひとたまりもないだろう。
全体重を攻撃に乗せていたトロールの隙だらけのわき腹へ、足が着地するよりも早くメイスを潜り込ませるようにして叩き込む。
「そこですッ!」
「ギャウゥウウッ!」
肋骨を破壊したつもりだったが骨の砕ける手ごたえはない。硬毛に覆われたトロールを砕くには踏み込みがやや足りなかった。
レンガを粉砕しても骨が砕けた様子もないのだから防御力も相応に高いのは当然である。すぐに俺を目でとらえなおすほどの余裕があったのも恐ろしさに拍車をかける。
人間が相手ならばここで畳みかけるのだろうが相手は魔物である。予期せぬ反撃を警戒してすれ違うように前へと移動する。
さすがは野生、倒れて転びながらも俺からは視線を外さず体の軸を合わせてくる。命のやり取りにいっさいの油断がない。背後に回って後頭部に一撃を浴びせようと思っていたのだがそう上手くいくものではなかった。
しかしトロールは憎々し気に唸り、床を何度も叩いている。絶対に家に招待したくないタイプだ。カードゲームで負けたら暴れそう。
意識は完璧に俺に集中している。離れに倒れているエルへは気を払っていない。エルに危害を加えられる心配もこれでしなくてよさそうだ。
そうであるならば一対一の戦いである。
「さあ狩りの時間です。戦いを謳歌しましょう」
べつに俺が狩人というわけではない。
互いが互いを狩りあう、命を賭した決闘の始まりだった。かっこつけた言い回しはエルを意識てのことである。
俺が魔物と対峙する際に心がけとして行っているのは、動体視力にものを言わせた後手によるカウンター攻撃を主体とすること。臆病さゆえの防御全振りスタイルである。
魔物は俺以上の動体視力を有しているものがほとんどで。大概のモンスターには筋力でも劣る。そのため先を取る攻撃など自ら首を差し出す自殺志願に等しい愚行である。自ら隙を晒して殺されるような無様はごめんだ。
知能も人よりも低いからと、巨大な魔物をなめてかかっていけない。同じなめるなら俺の聖棒にしてほしい。
「かかって来なさい小悪党!」
メイスで床を叩くと、それにつられたトロールが腕を内側から薙ぐように払う。
体全体をつかって振り払われた腕をかいくぐり、足に踏ん張りを聞かせて斜め下から顔面にメイスを叩きこむ――はずだった。
頭蓋を叩き割るつもりで振るったメイスは空をきり、空ぶる音だけが虚しく響いた。
「……?」
躱されたのではない、そこに殴るはずだったトロールの首がなくなっているのだ。
亀のように引っ込められたわけではない。トロールにそのような能力は備わっていない。
首が胴体から切り離されていたのだ。
「なんっ――!?」
空ぶった勢いを殺せず半周まわったメイスは、伸縮機能が誤作動して己の膝裏を叩く。
膝の力がかくんと抜けて転んでしまう。
続けて俺の頭があった場所を何かが高速で通過した。
その何かを目で追うことはできない。
何かは確かに存在した。何者かの魔法による援護かとも考えたが、それならば俺の頭を狙う必要もない。
状況が整理できずかつてない窮地に鳥肌が立つ。
首を離されたトロールの体が前のめりに傾く。だが身体は一向に倒れなかった。
トロールの体は宙を浮き、横向きで固定される。
そして突如として腹が破られ、飛び出した内臓がくちゃくちゃという音とともに虚空へと消えていったのだ。
「なにかいるのですか?」
すぐに思い当たったことが一つ。老兵の忠告していた新種の魔物だ。
トロールの硬い毛で覆われた首を。特に毛量の多い首を難なく、瞬きもする間もなく一撃で切断する何かがそこにいる。
終わりである。
そんなバケモノに勝てるはずがない。
大抵の魔物には後れを取らぬ自信はあった。それこそドラゴンなどの大型種でもなければ怪我はしても負けはしないという自負がある。
それは俺の勤勉さが自信の裏付けになっていたからだ。
――子供の頃に司教から徹底した魔物の講義を受けていた。それも実戦を交えて。
こちらも死なぬために必死である。これは生きるためには必須の知識であると初日に感じとった俺は、司教の授業の予習復習を毎日かかさず。長い時間をかけて教団の図書館に置かれた魔物にまつわる本のすべてを読破した。
読破したうえでさらに復習し。個人の見解と司教の見解。本に書かれた情報の正確性なども緻密に調べ上げて現存する魔物への理解をさらに深めていった。
だから知られている魔物に対してのうんちくを語らせれば右に出る者はいない。
話す相手がいないので披露する場面もないが。
それゆえ眼前にいるであろう魔物には打つ手が浮かばない。
未発見の亜種などであればまだ応用が利くのだが、トロールを一撃葬る消えた魔物になど手立てが思い浮かぶはずがない。
かといって諦め、魔物の分析を怠っているわけではなかった。
一瞬の間に起きたことから察する努力はしている。
今わかることはひとつだけ――魔物が透明であると言う事だけだ。




