第九話「原因が分かっても、すぐには直せなかった」
九話目です。山編の三話目。
原因が分かることと、解決できることは別の話です。凪は万能じゃない。できないことがある。その上で、何ができるかを考える話です。
焦らない凪と、焦りたくても焦れないゴルの、少し静かな話になります。
では、どうぞ。
朝、ゴルが来る前に、記録を読み返した。
昨夜、ある程度の見当はついていた。泉の水がどこに逃げたか。採掘によって割れた岩の、どのあたりを流れているか。でも、確信を持つには情報が足りなかった。
ゴルが入ってきたのは、日が高くなったころだった。
「読めたか」
「大体は。ただ、一か所分からない部分があります」
「どこだ」
記録を開いて、図を指さした。
「この、南の第三層の記録が、百年前で途切れています。その後が分からない」
ゴルが図を覗き込んだ。
「百年前に、山の南で大きな崩落があった。その後、立ち入れなくなった区域がある」
「その区域が、ちょうど今の採掘場所の近くですか」
「そうだ」
「崩落で地下の構造が変わって、もともと弱い場所があったのかもしれない。そこを採掘で割ったら、水が逃げた」
ゴルが黙った。
「証明できるか」
「直接見ないと、確信は持てないです。採掘場所の近くに行けますか」
「行けるが、危ない」
「どのくらい危ないですか」
「採掘している人間に見つかれば、追い払われる。岩人が近づくと、警戒される」
「私が行けば」
「転生者が一人で行けば、もっと危ない」
「ベルクに話を通せますか。採掘場所を調べたい、と」
ゴルが少し考えた。
「ベルクという人間は、話が通じるのか」
「森のときは、通じました。同じ調査部門なら、可能性はあります」
「人間に頼むのは、気が進まない」
「私も、なるべくなら自分でやりたいです。でも、今回は人間の採掘が原因です。人間を動かさないと、根本は変わらない」
ゴルが腕を組んだ。
岩みたいな腕だった。
「連絡を取る方法があるか」
「森の集落に戻れば、ベルクに伝えられます。少し時間がかかりますが」
「どのくらいかかる」
「往復で、四日から五日」
「その間、山はそのままだ」
「そうです。でも、急いで間違えるより、確認してから動く方がいいです」
ゴルがまた黙った。
長い沈黙だった。岩が動くのを待つような、そういう沈黙。
「分かった」とゴルはやっと言った。「ただ、その間に、お前にできることをやってもらいたい」
「やります」
「山の東側に、水が滞っている場所がいくつかある。昨日見た岩肌の苔の話もある。小さいことでいい。できる範囲でやってくれ」
「分かりました」
◇
その日から、三日間、山を歩いた。
ゴルか、護衛の一人が案内してくれた。
やったことは、地味なことばかりだった。
岩肌に苔を生やした。水が滞っている窪みの出口を少し広げた。枯れかけている低木の根元に水を送った。崩れかけている斜面の土を少し固めた。
どれも、大きな変化じゃなかった。
でも、積み重なった。
三日目の夕方、集落の上の見晴らしの良い岩に立ったとき、ゴルが言った。
「山の色が、少し変わった」
「そうですか」
「白い部分が、少し減った。気のせいかもしれないが」
「気のせいじゃないと思います。苔が水を保ち始めている」
「たった三日で」
「苔は早いです。条件が合えば、すぐ広がります」
ゴルが山を見た。
「泉は、まだ変わらない」
「泉は、地下の流れが戻らないと変わりません。それは、採掘の問題を解決してからです」
「時間がかかる」
「かかります」
ゴルが短く息を吐いた。
「岩人は、待つのは得意だ」とゴルは言った。「ただ、何もできずに待つのは、辛い」
「何もできないわけじゃないです」と私は言った。「今やっていることが、全部つながっています。苔が増えれば、山全体が少し湿る。湿れば、植物が戻りやすくなる。植物が戻れば、土が安定する。土が安定すれば、水が地面に染み込みやすくなる。泉の問題が解決したとき、山がその水を受け取れる状態になっているかどうかで、回復の速さが変わります」
ゴルが私を見た。
「やっていることは小さいが、つながっている」
「全部つながっています。切り離して考えない方がいいです」
ゴルが山に目を戻した。
「岩人の若い者に、教えてくれるか。お前がやっていることを」
「教えられることは教えます。ただ、私のやり方がそのままできるかどうかは分からないです」
「なぜ」
「私のやり方は、感覚に頼っているところが多い。説明が難しい部分がある。でも、考え方は伝えられます。何を見ればいいか、何に気づけばいいか。それだけでも、違うと思います」
ゴルが頷いた。
「明日、若い者を集める」
◇
翌朝、集落の広場に十人ほど集まった。
若い、といってもみんな私より大きかった。二十代から三十代くらいの岩人たち。みんな、少し緊張した顔をしていた。
「教えてください」と一人が言った。若い女性の岩人だった。名前はレナといった。「山を直す方法を」
「直すというより、手伝う、の方が近いです」
「手伝う」
「山は、自分で回ろうとしています。でも、何かが邪魔している。その邪魔を取り除くか、足りないものを足すか。それだけです」
「足りないものとは」
「水だったり、土だったり、植物だったり、場合によって違います。まず、今山が何を必要としているかを感じ取ることが大事です」
「感じ取るとは」
私は少し考えた。
「触ってみてください。岩でも、土でも、木でも」
レナが近くの岩に手を当てた。
「何か感じますか」
「冷たい。乾いている」
「その乾き方は、普通の乾き方ですか。それとも、おかしい乾き方ですか」
レナが少し黙った。
「おかしい気がします。もっと、こう、奥まで乾いている感じ」
「正解です」私は言った。「岩の表面が乾いているのは普通のことです。でも奥まで乾いているのは、水が長い間来ていないサインです。そういう感覚の違いを積み重ねていくと、山のどこが困っているか、分かるようになります」
ゴルが後ろで聞いていた。
レナが、また岩に手を当てた。
今度は、もう少し長く触っていた。
「山が、疲れている感じがします」
「そうです」
「昨日まで、気づかなかった」
「気づこうとすると、気づけるようになります。最初は感じにくくても、繰り返すうちに分かってきます」
他の岩人たちも、それぞれ岩や土に触り始めた。
真剣な顔だった。
◇
昼過ぎに、ゴルに呼ばれた。
集落の外れで、二人で話した。
「若い者たちに、教えてくれたことは良かった」とゴルは言った。「あいつらは、山が好きだ。ただ、何をすればいいか分からなかった」
「やり方より、見方を変えるだけで、だいぶ違います」
「見方」
「山を、変えられないものとして見るか。一緒に生きているものとして見るか。その違いです」
ゴルが少し黙った。
「岩人は、山と一緒に生きていると思っていた」
「思っていたんですね」
「今もそう思っている。ただ、何かが変わってきた。山が変わったのか、岩人が変わったのか、分からない」
「どちらも変わったんじゃないですか。山は人間の影響で変わった。岩人は、その変化に気づきながらも、どうすればいいか分からなかった」
「それが、百年で三百人から六十人になった理由か」
「一つの原因ではないと思います。でも、関係しているかもしれない」
ゴルが山を見た。
「お前は、正直だな」
「聞かれたことに、正直に答えているだけです」
「それが難しい」とゴルは言った。「聞かれたことに正直に答えると、相手が傷つくことがある。だから、みんな少し曲げて答える」
「傷ついても、正しい方がいいことがある、と思っています」
「なぜ」
「間違ったままだと、後でもっと傷つくから」
ゴルが短く笑った。
岩みたいな顔が、少し動いた。
「お前の世界でも、同じことを言われたか」
「言ったことはありましたが、聞いてもらえないことが多かったです」
「こっちでは聞いてもらえているか」
「少しは」
「それで十分か」
少し考えた。
「十分かどうかは分からないです。でも、ゼロよりはいいです」
ゴルがまた短く笑った。
「ゼロよりいい、か。お前はそういう言い方をよくするな」
「それが本当のことなので」
◇
夕方、集落に戻る前に、泉に寄った。
一人で行った。シロはレナたちと一緒にいた。岩人の子どもたちに囲まれて、満更でもない様子だった。
泉の底に、また手を当てた。
変わっていなかった。水はまだ戻っていなかった。
でも、地下の流れの感触は、昨日と同じだった。逃げた水は、まだそこにある。採掘の割れ目を塞げば、戻る可能性はある。
「待っていてください」
泉の底に向かって、言った。
山の精霊がいるかどうか、分からなかった。でも、言った。
「原因は分かっています。解決できるかどうかは、まだ分からない。でも、やってみます」
風が吹いた。
岩の間を通り抜ける、静かな風。
答えではなかった。でも、聞こえた気がした。
◇
翌日、森の集落に向けて出発した。
ゴルと、護衛の一人が、山の入口まで送ってくれた。
「帰ってくるか」とゴルが言った。
「ベルクと話がついたら、また来ます。採掘の場所を確認しに」
「待っている」
「レナたちに、続けてもらえますか。岩肌の苔と、水の滞りを直すやつ」
「言っておく」
「記録の続きも、できれば書いておいてもらえると、次に来たとき役に立ちます。今の山の状態を」
「書く者がいる」
「ありがとうございます」
ゴルが頷いた。
「一つだけ聞いていいか」
「なんですか」
「お前は、この山の泉が戻ると思っているか」
正直に答えようとした。
「五分五分です。採掘を止めさせるのは、簡単じゃない。でも、ゼロじゃない」
「五分五分か」
「今の時点では。動けば、もう少し上がります」
ゴルが、また短く笑った。
「正直なやつだ」
「ゴルさんが、正直に答えてくれと思っている気がしたので」
「その通りだ」
シロが私の横に来た。
「では、また来ます」
「待っている」
山を下り始めた。
振り返ったら、ゴルがまだそこに立っていた。山を背負って、岩みたいに立っていた。
また来る。
その約束だけは、守れると思った。
九話目、書きました。
今回は、すぐには解決しない話でした。原因は分かった。でも解決は次のステップが必要。その間にできることをやる。それが凪のやり方です。
レナへの「見方を変える」場面は、この話の中で大事なシーンでした。岩に触って「疲れている感じがします」と気づくレナ。技術を教えるのではなく、感じ方を教える。それだけで、できることが変わります。
ゴルとの「五分五分」の会話。凪は希望を大きく見せない。でも、諦めてもいない。正直に五分五分と言って、動けば上がると言う。それがゴルには一番響いた。
次話は森に戻ります。ガルとルナの話、そしてベルクへの連絡。山と森がつながっていく流れになります。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




