第三話「話せば分かる、とは限らない」
三話目です。
今回はいよいよ人間側と接触します。凪は戦いません。魔法で圧倒もしません。ただ、話します。
それがうまくいくかどうかは、読んでみてください。
現実でも異世界でも、話せば必ず分かり合えるわけじゃない。でも、話さなければ何も始まらない。凪はそういうことを、なんとなく知っている人間です。
では、どうぞ。
朝、霧が出ていた。
森の中の霧は、街の霧と違った。湿っていて、冷たくて、でもどこか柔らかかった。木の幹が霧の中にぼんやり浮かんで、足元の草が露で光っていた。
シロが先を歩いていた。クロとキョロは私の左右についていた。
ガルは来なかった。止めるつもりはないが、一緒には行けないと言った。森人が人間の前に出ると、ろくなことにならないのだと。過去に何度もそういうことがあったのだと。
だから私一人で行くことにした。
一人と、狼三頭。
「お前ら、来なくていいぞ」
シロが振り向いて、また前を向いた。来る気満々だった。
◇
森の東の端は、思ったより近かった。一時間ほど歩いたら、木の密度が薄くなって、光が増えてきた。
そして見えた。
切り株だった。
大きな木の切り株が、何十本も並んでいた。最近切ったものと、だいぶ前に切ったものが混ざっていた。切られた断面が白いものは新しい。黒ずんでいるものは古い。
その向こうに、草原が広がっていた。
草原というより、ただの原っぱだった。草は生えているが、低くて、元気がなかった。土が固そうだった。木が全部なくなったせいで、雨が直接地面を叩いて、土が締まってしまったのだと分かった。
その原っぱの向こうに、天幕が張ってあった。人が動いているのが見えた。
五人、いや七人か。鎧を着た人間が数人と、地図らしいものを広げている人間が数人。
私は森の端に立って、向こうを見た。
向こうも、こちらに気づいた。
一人が指をさした。鎧の人間が二人、こちらに向かって歩いてきた。
私は動かなかった。
◇
近づいてきた二人は、三十代くらいの男だった。剣を腰に下げていた。私を見て、次にシロたちを見て、少し足が止まった。
「お前、何者だ」
低い声だった。警戒している声。
「通りすがりです」
「この森から出てきたな。魔族か」
「人間です。たぶん」
「たぶん?」
「転生者なので、細かいことは分かりません」
二人が顔を見合わせた。意味が分からないという顔だった。
「その獣は」
「友達です」
「魔族の獣を使役しているということは、魔族の味方か」
「味方とか敵とかじゃないんですが」
一人が剣に手をかけた。
シロが低く唸った。
「待ってください」
私は両手を上げた。武器は持っていない。パーカーのポケットには木の実が入っているだけだ。
「話がしたいんです。責任者の人と」
「何の話だ」
「この森のことです。切るのをやめてほしい」
二人がまた顔を見合わせた。今度は呆れた顔だった。
「森を切るのは国の命令だ。お前みたいなやつに言われて止めるわけがない」
「それは分かっています。だから責任者と話したい」
「なぜ止めてほしいんだ」
「切ったら困る生き物がたくさんいるので」
「魔族のことか」
「魔族も、普通の動物も、この森の水も、全部つながっているので」
沈黙があった。
一人が、小さく舌打ちをした。
「ついてこい」
◇
天幕の中に、地図を広げている男がいた。
四十代くらいで、鎧は着ていなかった。文官風の服を着ていて、眼鏡に似た何かをかけていた。名前はベルクといった。アルドの国の調査部門の責任者らしかった。
私を見て、少し眉を上げた。
「森の中から出てきた人間か。珍しい」
「こんにちは」
「ラグル族を三頭も連れているとは、ただ者じゃないな」
「たまたま仲良くなっただけです」
ベルクは地図から目を上げて、私をしばらく見た。品定めするような目だった。
「話があると聞いた。森を切るなと言いに来たか」
「はい」
「理由は」
「森がなくなると困ります」
「誰が」
「森に住んでいる生き物全員が。それから、長い目で見ると人間も」
ベルクは少し口の端を上げた。笑ったわけじゃなかった。面白い話を聞いたという顔だった。
「長い目で見ると人間も、か。どういうことだ」
「木が水を蓄えます。木がなくなると、雨が降っても水が地面に染み込まずに流れてしまう。川の水が減る。土が乾く。農地が使えなくなる。百年単位で見ると、森を切った土地は砂になります」
「それはどこで学んだ」
「別の世界の話です。同じことが起きていたので」
ベルクがまた私を見た。今度はさっきより真剣な目だった。
「転生者か」
「そうです」
「珍しいな。転生者は大体、都に向かう。なぜ森にいる」
「気づいたら森にいました」
「正直なやつだ」ベルクは苦笑した。「しかし、森を切るのを止めるわけにはいかない。国の命令だ。街が広がっている。木材が要る。農地が要る。それは事実だ」
「分かります」
「分かるなら、なぜ止めに来た」
「分かった上で、別のやり方があるかもしれないと思ったから」
「別のやり方」
「例えば、切った木を植え直す。切る場所をローテーションする。川の上流の森だけは絶対に切らない。それだけでも、だいぶ違います」
ベルクは黙った。
しばらく地図を見ていた。
「提案として持ち帰ることはできる」とベルクは言った。「しかし決定は国がする。私には止める権限がない」
「持ち帰ってもらえるだけで十分です」
「お前は何者なんだ」
「ただの転生者です」
「名前は」
「凪です」
「肩書は」
「ないです」
ベルクは少し考えてから、「魔王とは呼ばれていないか」と言った。
私は少し驚いた。
「なぜそれを」
「この森に理が戻ってきているという話が、少し前から出ている。昨日、三十年ぶりにあの白い花が咲いたという報告が来た」
「……花を咲かせたのは私です」
「やはりな」ベルクは静かに言った。「魔王が現れたという噂が立つ前に、お前を都に連れていった方がいいかもしれない」
「断ります」
「なぜ」
「都に行っても、花が咲かせられるか分からない。ここの方が、やることがある」
ベルクはまた私を見た。
長い沈黙だった。
天幕の外で、風が吹いた。木の葉の音がした。
「提案は持ち帰る」とベルクはやっと言った。「しかし保証はしない。国が聞き入れるかどうかは分からない」
「それで十分です。ありがとうございました」
私は頭を下げた。
ベルクが少し目を細めた。
「お前みたいなやつは、長生きできないか、やたら長生きするかどちらかだ」
「どっちですかね」
「分からん。だが、また会う気がする」
◇
森に戻る途中、シロが私の横を歩いた。
「どうだったと思う」
シロは何も言わなかった。言葉は話せない。でも耳がぴくりと動いた。
「たぶん、すぐには変わらない。でも、ゼロじゃない」
切り株の前で、立ち止まった。
大きな切り株があった。かなり古いもので、表面に苔が生えていた。切られてずいぶん経つ。
しゃがんで、手を当てた。
何も変わらなかった。切られた木は戻らない。
でも、その根の周りの土が少し湿った。根がまだ生きていた。根から、小さな芽が出てきた。
ゆっくり、小さな芽。
同じ木にはならないかもしれない。でも、何かになる。
「とりあえず、これだけ」
立ち上がって、また歩いた。
シロとクロとキョロが、ついてきた。
◇
集落に戻ったら、ガルが待っていた。
結果を話した。全部。
ガルは黙って聞いていた。
「変わらないかもしれない」と私は言った。
「それでも、話しに行ってくれた」
「話すだけなら、誰でもできます」
「できません」とガルは静かに言った。「私たちは、百年間、誰にも話しを聞いてもらえなかった。話しかけようとするたびに、追い払われた。だから、もう話すことをやめた」
私は何も言えなかった。
「凪様が話しに行ってくれた。それだけで、今日は十分です」
ルナが走ってきた。
「ナギ、おかえり」
「ただいま」
「お花、また咲かせて」
「どこに」
「あそこの、枯れてるとこ」
ルナが指さした先に、茶色くなった草むらがあった。
私はしゃがんで、手を当てた。
少しして、緑が戻った。小さな黄色い花が、ぽつぽつと咲いた。
ルナが「わあ」と言った。
それだけで、今日は十分な気がした。
三話目、書きました。
ベルクというキャラクターを出しました。敵ではありません。でも味方とも言い切れない。ただ、話を聞いてくれる人間。現実でも、こういう人は一定数いる。すぐには動けないけど、話は聞ける人。
凪は勝ちにいっていません。今日の交渉で森が守られるとは思っていない。ただ、ゼロよりマシな状態を作りに行っただけです。
切り株から芽が出るシーン、実際に木の根は切り株から新芽を出すことがあります。自然の回復力は、思ったより粘り強い。
次回は少し森の内側の話になります。魔族の世界と、この世界の「理」のことが、もう少し分かってくる予定です。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




