第十八話「ルナが、精霊に好かれた」
十八話目です。
ルナと北の池に行く話です。凪がいない間、毎日森を歩き続けたルナが、何かに気づく場面です。
子どもは、大人より素直に世界と向き合えることがある。理屈より先に、体が分かることがある。ルナという子の、そういう部分が出てくる話です。
では、どうぞ。
朝、ルナが小屋の前で待っていた。
日が出る前から、待っていたらしかった。
「早すぎる」と私は言った。
「待つのは平気」とルナは言った。「毎日、森歩いてたから」
「毎日、どのくらい歩いてたの」
「朝と夕方、二回。ガルじいちゃんに、遠くには行くなって言われてたから、集落の近くだけ」
「それでも、続けてたんだ」
「うん。なんか、気になって」
「何が気になった」
「木が、毎日少し違う感じがするから」
私はその言葉を聞いて、少し立ち止まった。
「毎日、少し違う感じ」
「うん。同じ木なのに、昨日と今日で、なんか違う。うまく言えないけど」
「それ、分かるの、ちゃんと」
「分かるか分からないか、よく分からない。でも、気になる」
気になる、という言葉。
私が最初にこの世界でやったことも、気になるからやった、だった。
「じゃあ、池に行こう」
◇
池への道を歩きながら、ルナが色々聞いてきた。
「都って、どんなとこ」
「人が多くて、建物が多くて、木が少ない」
「木が少ないの、辛くなかった」
「少し、辛かった」
「だよね」とルナが言った。「森がないのは、なんか息苦しい感じがする。都の人は、それが普通なの」
「普通だと思っている人が多いと思う。別の状態を知らないから」
「知らなかったら、辛くないのかな」
「辛くても、それが当たり前だと思ってたら、辛いと気づかないかもしれない」
ルナが少し考えた。
「それって、なんか、もったいないね」
「もったいない」
「もっと良い状態があるのに、それを知らないまま過ごすの、もったいない」
トウのことを思った。
眼鏡をかけてから、星がきれいだと思ったトウ。
見えていなかったものが見えるようになった、あの顔。
「そうだね、もったいない」と私は言った。
「だから、ナギは直したいの」
「直したい、というより、気になるから、直す。でも、もったいない、という感覚も、あるかもしれない」
ルナが頷いた。
「私も、なんかそういう感じ、ある」
「どういう感じ」
「木が元気じゃなかったら、なんか、もったいない感じがする。もっと元気になれるのに、ならないのが、もったいない」
「そういう感覚、大事だよ」
「そう?」
「そういう感覚がある人は、気づける人だから」
ルナが少し嬉しそうな顔をした。
◇
池に着いた。
水は、都に行く前より、さらに透き通っていた。
底まで、はっきり見えた。水草が緑で、小さな魚が泳いでいた。
ルナが池の縁にしゃがんで、水面を覗き込んだ。
「きれい」
「来る前より、良くなってる」
「精霊が元気になってるから?」
「そうだと思う」
ルナが水面に手を近づけた。触れるか触れないかのところで、止めた。
「触っていいの」
「触ってみれば分かる」
ルナが、そっと指先を水に入れた。
冷たかったらしく、少し声を上げた。
「つめた」
「この時期は冷たい」
ルナが指を水に入れたまま、じっとしていた。
しばらくして、水の中で、青い光が動いた。
精霊だった。
水草の影から出てきて、ルナの指に近づいた。
ルナが息を止めた。
「動かないで」と私は言った。
ルナが頷いた。首だけ動かした。
精霊が、ルナの指先に触れた。
ルナの手が、少し震えた。驚いたのかもしれなかった。でも、動かなかった。
精霊が、指の周りをくるくると回った。
遊んでいるような動きだった。
「なんか、くすぐったい」とルナが小さく言った。
「じっとして」
「うん」
精霊が、ルナの指から離れた。
水面近くまで上がってきた。
ルナの顔の前で、ぴかりと光った。
ルナが、ぱちぱちとまばたきをした。
「目の前にいる」
「いる」
「ちっちゃい」
「ちっちゃい」
「かわいい」
精霊が、また光った。
分かってる、というような光り方だった。
◇
精霊が、少し離れた場所で浮かんでいた。
ルナが、それを見ながら言った。
「精霊って、話せるの」
「言葉じゃないけど、何かは伝わる」
「ナギは、分かるの」
「なんとなく」
「私も、なんとなく分かる気がした」
「何が分かった」
ルナが少し考えた。
「嬉しい、みたいな感じ。人が来てくれて、嬉しい。みたいな」
「たぶん、合ってる」
「ほんとに?」
「精霊は、自分たちの池を気にしてくれる存在が来ると、嬉しいみたい」
「ナギが来たときも、嬉しかったの」
「たぶん」
「じゃあ、私も来ていいんだ」
「いいと思う。精霊が嫌なら、近づかない。好きなら、近づいてくる」
「近づいてきた」
「そうだね」
ルナが、また精霊を見た。
精霊が、ゆっくり水の中に沈んでいった。
消えたわけじゃなかった。水草の間で、青い光がゆっくり動いていた。
「また来ていい?」と、ルナが池に向かって言った。
精霊が、水面をぱしゃりと叩いた。
ルナが笑った。
「いいって言った」
「そうみたい」
シロが池を覗き込んだ。
今回は、精霊が驚かなかった。
シロを見て、少し光が強くなった。
「シロのことも、覚えてるんだね」と、ルナが言った。
「何度も会ってるから」
「精霊って、記憶があるんだ」
「あると思う」
「じゃあ、私のことも、次来たとき、覚えてるかな」
「覚えてると思う」
ルナが嬉しそうな顔をした。
◇
池の周りを少し歩いた。
ルナが、植物を見ながら歩いた。
「これ、前はなかった」と、ルナが水辺の植物を指さした。
「増えてる」
「精霊が元気になったから?」
「水が良くなったから、水辺の植物が増えた。植物が増えたら、精霊も元気になる。どちらが先かは、分からない」
「どっちも一緒に良くなった感じ」
「そういうこと」
「つながってるんだね」
「全部つながってる」
ルナが、植物に触れた。
「これ、食べられる?」
「それは、ガルさんに聞いて。私は、食べられるかどうかは、あんまり分からない」
「ナギでも分からないことあるんだ」
「たくさんある」
「そうなんだ」
ルナが少し安心したような顔をした。
「全部分かる人みたいだから、なんか、すごすぎて」
「全然分からないことの方が多い」
「じゃあ、ナギが分かることって、何」
「ずれているところ。水が足りないとか、土が乾きすぎているとか、流れが詰まっているとか」
「それだけ?」
「それだけ」
「でも、それだけで、いろんなことが直せるんだね」
「直るかどうかは、分からない。でも、気づかないよりは、気づいた方がいい」
ルナが、また少し考えた。
「私も、気づけるようになりたい」
「なってきてると思う」
「本当に?」
「木が毎日少し違う、って言えた。それは、気づける人の言い方だよ」
ルナが、照れた顔をした。
「そう、かな」
「そうだよ」
◇
帰り道、ルナが言った。
「ナギ、いつまでいる?」
「しばらくはいる。山にも、もう一度行くけど」
「また、帰ってくる?」
「帰ってくる」
「ちゃんと言えた」
「ルナが練習させてくれたから」
ルナが笑った。
「もっと練習させてあげようか」
「もう大丈夫だと思う」
「じゃあ、次は何を練習する」
「何か、ありますか」
ルナが少し考えた。
「難しいことを、簡単に説明する練習」
「難しい」
「ナギの説明って、なんか難しい言葉は使わないけど、ちょっと遠回りなことがある」
「そうかもしれない」
「もっとぱっと言えるといい。子どもでも分かるように」
「それは、確かに大事だな」と私は思った。
「じゃあ、今日習ったこと、一言で言ってみて」と、ルナが言った。
「今日習ったこと」
「精霊と池と、つながってること」
少し考えた。
「池が元気なら、精霊も元気。精霊が元気なら、池も元気」
「それだけ?」
「それだけ」
ルナが頷いた。
「うん、分かりやすい。合格」
「ありがとう」
「私も一言で言うと、」とルナが続けた。「全部、友達になれる」
私は少し黙った。
「全部、友達」
「木も、池も、精霊も、シロたちも。友達になれば、分かることが増える」
「それは、すごくいい言い方だな」
「ナギの言い方より、分かりやすい?」
「ずっと分かりやすい」
ルナが、また笑った。
集落が見えてきた。
夕方の光が、木の間から差していた。
オレンジ色の光が、地面に模様を作っていた。
「きれいだね」とルナが言った。
「きれいだね」と私も言った。
シロが前を歩いた。
クロとキョロが、集落の方から走ってきた。
夕飯の匂いがした。
ガルが何か作っているらしかった。
今日も、ここに帰ってくる場所があった。
それだけで、十分だった。
十八話目、書きました。
ルナが精霊に好かれた話です。精霊が近づいてくるのは、ルナが毎日森を歩き続けたからだと思います。毎日触れていると、自然の方が慣れてくる。それは、凪が教えたわけじゃなくて、ルナが自分でやり続けた結果です。
「全部、友達になれる」というルナの一言は、この話の中で一番好きな言葉かもしれません。凪が色々と説明してきたことを、ルナが子どもらしく、シンプルに言い直した。木も、池も、精霊も、友達。それで全部説明できている。
「難しいことを簡単に説明する練習」というルナの提案。これは、凪だけじゃなくて、誰にとっても大事な練習だと思います。難しいことを難しく説明するのは、実は簡単です。難しいことを簡単に言えるようになるのが、本当に理解している証拠、とも言います。
次話では、山に戻る準備と、ゴルへの書類を届ける話になります。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




