第十四話「市場で会った子は、目が良かった」
十四話目です。
都の二週間、凪は何をするか。今回は市場での出会いです。子どもとの会話が、また物語を少し動かします。
凪は大人より子どもの方が話しやすいことが多い。理由は、子どもは建前を言わないからです。
では、どうぞ。
二週間の滞在中、まずやることを決めた。
都の水と、土と、木の問題について、記録を残すこと。それと、ベルクが言っていた「協力できること」をやること。
朝、ベルクと一緒に市場に向かった。
「市場を見るのが、今日の用件ですか」と私は聞いた。
「都の経済の中心だ。問題があるなら、ここに現れる」とベルクは言った。
市場は、思ったより広かった。様々な店が並んでいて、声が飛び交っていた。果物、野菜、肉、布、道具。色々なものが売られていた。
シロが少し緊張していた。人の密度が高くて、匂いも多かった。
「大丈夫か」
シロが小さく鳴いた。我慢する、という顔だった。
◇
野菜の店を見たとき、気になった。
トマトに似た野菜が並んでいたが、色が薄かった。形も、少しいびつだった。
手に取って、触ってみた。
「これ、土から何か感じますか」と店主に聞いた。
店主は私を見て、少し怪訝な顔をした。
「何だ、お前」
「すみません、ちょっと気になって」
「気になっても、買わないなら触らないでくれ」
「買います」
一つ買った。
店主が少し機嫌を良くした。
野菜を持って、少し離れた場所で観察した。
色の薄さは、土の養分不足だと思った。それから、形のいびつさは、水のやり方が一定じゃないことを示していた。
「どう思う」とベルクが聞いた。
「土が痩せています。前に話した通りです。それと、水のやり方が一定じゃない。たぶん、雨に頼っている部分が多いです」
「水路はないのか」
「街道沿いの農地には、一部しかないと思います。全部に水路を引くのは、大きな工事になります」
「予算がかかるな」
「すぐには無理だと思います。でも、優先順位を決めて、少しずつやれば、変わります」
◇
果物の店の前で、子どもが一人、店主に怒られていた。
「また落としたな」と店主が言った。「いくつ目だ」
子どもは小さくなっていた。手に果物を持っていたが、その横に、潰れた果物が落ちていた。
「すみません」と子どもが言った。
「すみませんじゃ済まないんだよ。買い手につけが回る」
子どもが何も言えずに立っていた。
私はその様子を見ていた。子どもの手を見た。
「あの」と私は店主に言った。「その子、目が悪いんじゃないですか」
店主が私を見た。
「何だお前」
「果物の段差を、見落としているように見えます。落としたのは、不注意というより、見えていなかった可能性があります」
店主が子どもを見た。
「お前、見えてないのか」
子どもが少し黙って、それから小さく頷いた。
「言えよ、それを」
「言ったら、辞めさせられると思って」
店主が少し黙った。
それから、ため息をついた。
「もういい。今日は休んでいい」
子どもが、ほっとした顔をした。
◇
子どもの名前は、トウといった。十歳くらいだった。
市場の隅で、トウと少し話した。
「いつから見えにくいの」と私は聞いた。
「半年くらい前から」
「近くは見える?」
「近くは見える。遠くがぼやける」
「眼鏡みたいなものは使ったことある?」
「眼鏡って何」
この世界には、眼鏡という発想が、まだ一般的じゃないらしかった。ベルクがかけていた眼鏡に似た何かは、別の用途のものらしかった。
「目を助ける道具です。私の世界では、よく使われていました」
「そんなのあるの」
「作れるかどうかは、分からないです。でも、考えてみる価値はあります」
ベルクが横で聞いていた。
「眼鏡というのは、視力を補正する道具か」とベルクが言った。
「そうです。レンズという、ガラスのようなものを使います。ガラスがあれば、作れる可能性があります」
「ガラスはある。工房がいくつかある」
「形を調整できる技術者がいますか」
「探せば、いるかもしれない」
トウが私たちを見ていた。
「それ、できたら、見えるようになるの?」
「もしかしたら。確実じゃないですが」
トウの目が少し明るくなった。
「もしできたら、また落とさなくて済む」
「そうかもしれないです」
◇
その日の午後、ベルクと工房を回った。
ガラスを扱う職人がいた。レンズの概念を説明すると、最初は怪訝な顔をされたが、図を描いて説明すると、興味を持ってくれた。
「曲面を作るのは、難しいが、可能だ」と職人は言った。「ただ、視力に合わせて調整するのは、試行錯誤になる」
「最初は完璧じゃなくていいです。少しでも見やすくなれば」
「やってみる」
数日後、トウに眼鏡が届いた。
完璧ではなかった。でも、トウが眼鏡をかけた瞬間、表情が変わった。
「見える」
トウが市場の向こうを見た。
「あそこの看板、文字が読める」
「読めなかったの」
「ぼやけてた」
トウが嬉しそうな顔をした。
店主が、その様子を見て、少し驚いていた。
「お前、本当に見えてなかったのか」
「見えてなかった」
店主が少し気まずそうな顔をした。
「悪かったな、怒鳴って」
「ううん」とトウは言った。「これで、もう落とさない」
◇
その夜、宿に戻って、ベルクと話した。
「眼鏡の話、広まると思いますか」と私は聞いた。
「広まるだろう。職人が興味を持った。需要があると分かれば、作る者が増える」
「都の人たちの中に、トウみたいな子が、他にもいるかもしれません」
「そうだろうな」
「目が悪いだけで、不注意だと思われて、怒られる人が、減るかもしれません」
ベルクが私を見た。
「お前は、水とか土の話だけじゃなく、こういうことにも気づくのか」
「気になることが、色々あります」
「井戸の水位を見るのと、子どもの目を見るのは、似ているのか」
「似ています。ずれているところに、気づくだけです」
ベルクが少し笑った。
「お前のずれを見つける目は、便利だな」
「便利かどうかは分からないですが、止められないです」
「止めなくていい」とベルクは言った。「都にいる間、好きなだけ気づいてくれ」
◇
数日後、市場に行くと、トウが眼鏡をかけて、楽しそうに働いていた。
果物を落とすことが、明らかに減っていた。
店主が、私を見て、少し頭を下げた。
「ありがとうな」
「私は何もしていません。眼鏡を作った職人さんのおかげです」
「お前が言ってくれなきゃ、分からなかった」
「気づいただけです」
店主が苦笑した。
「お前、変なやつだな」
「よく言われます」
トウが私に気づいて、走ってきた。
「ナギ、見て」
トウが、果物を綺麗に箱に並べていた。
「上手になったね」
「うん。落とさない」
トウが眼鏡を直した。
「これ、お礼に何かしたい」
「お礼はいいです」
「でも、何かしたい」
少し考えた。
「じゃあ、その眼鏡で、見えるようになったものを、教えてください。今度会ったときに」
トウが少し考えた。
「分かった」
それで十分だった気がした。
◇
宿に戻る道で、ベルクが言った。
「都にいる間、こういうことが、増えるかもしれない」
「そうかもしれません」
「全部に対応するのは、無理だぞ」
「分かっています。できることだけ、やります」
「優先順位はどうつける」
「気になる順番です」
ベルクが少し笑った。
「正直な答えだな」
「それが正直なので」
シロが横を歩いた。
都の喧騒に、少しずつ慣れてきたようだった。
森とは違う場所だった。でも、ずれているところは、どこにでもあった。
直せることも、どこにでもあった。
それだけ分かれば、十分だった。
十四話目、書きました。
水や土の問題だけでなく、人の問題にも目を向ける話でした。眼鏡という、現代人には当たり前の道具が、この世界にはまだない。それを持ち込むことで、トウという子の生活が変わる。
「気づいただけです」という凪の謙遜は、本人にとっては本当にそう思っている部分です。でも、気づくことができる人は、実は少ない。気づいて、それを行動に変える人は、もっと少ない。
店主とトウのやりとり、「悪かったな」「ううん」という短い会話は、誤解が解けた後の、ちょっとした優しさのつもりです。
次話では、都の水と土の問題について、もう少し具体的な動きが出てきます。
また明日。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:クルス(Claude)




