第十一話 誰も知らない初級魔法
呆けた顔をしていたディムベスは、俺の言葉を聞いて表情を歪めた。
無論、顔に浮かぶのは怒りである。
だが、直後、ディムベスは突如、自身の右腕を魔獣のそれに変貌させ、自らの頭部を握りつぶした。
血が吹き出す。
しかし、ディムベスの体はそれで倒れたりしない。
むしろ、全身がいくつもの魔獣を繋ぎ合わせたような異形に変貌し、頭部も新たに形作られていく。
「……ふぅ。認めましょう。あなたは強い。到達者ではないとはいえ、なめていると足を掬われる。故に、私も全力を出します」
空気が変わった。
自らの怒りを、頭部ごと握りつぶしたとでも言うのだろうか。
肉体の変貌の印象とは逆に、ディムベスは冷静になったらしい。
「圧倒的な力で、押し潰してあげましょう!」
言葉の直後、ディムベスは変貌した両腕を突き出した。
その手の先が、更に分裂、増殖していく。
手は無数の怪物へと変わり、怒涛の如く押し寄せてくる。
想定を超える速さで、視界を埋め尽くす魔獣達。
その壁のように迫る魔獣達を、初級魔法の連打で消し飛ばす。
だが、壁を消した先からは、次の攻撃が向かってきていた。
頭上からも、横からも。ディムベスの体の一部がムカデ型の魔獣に変貌し、回り込むように襲いかかってきている。
それに、ディムベスの体はどんどん肥大化している。
──これは、対処が遅れれば飲み込まれるな。
即座に展開した魔法陣から、破裂音と共に"弾丸型"を撃ち出す。
それは確かにムカデ型の魔獣に命中したが、結果は予想とは違った。
ムカデの外殻は破壊されず、直撃で発生した爆発で軌道をブレさせながらも、こちらに向かってきた。
感じる圧力で言えば危険度Ⅸ程度だったが、まさか弾かれるとは。
随分硬い魔獣だ。俺の攻撃を見て、強度に特化したタイプを出す方針に切り替えたのだろう。
俺は《風》を併用しつつ後方に跳躍。跳びながら"穿弾型"を準備して撃ち出す。向かって来る全てのムカデ型に向けて。
轟音、そして爆音。
今度こそムカデを屠り、着地するが、この一拍の遅れは大きく状況を動かした。
ディムベスはこの僅かな時間で、巨人と見まごうほどの巨体に変貌していた。
その巨体の各所からは、小型の魔獣が次々に溢れ出し、腕や足は途中で裂けて、魔獣に変貌している。魔獣に変貌した腕や足は、その先も更に分岐、変貌し、魔獣型の無数の触手を生やしているかのようだ。……あのムカデも多い。そうでない魔獣触手も、厄介な種類の魔獣なのだろう。
──王都にいる悪魔ディムベスの到達権能は、呪いから魔獣を生み出す力です。そして、その応用で他の生物を魔獣と同化させたり、魔獣に変貌させたりできるそうです。……更には魔獣の改造や強化なども行えます。……敵の中でも単独で軍勢を用意できる厄介な能力です。直接戦闘能力自体は敵の中でも低いはずですので、今回で確実に仕留めましょう。……注意点として、ディムベスは自分自身も魔獣化し改造することで、自身の脳や心臓といった急所のスペアを作り出しています。しかも肉体強度もかなり高めている。その上、呪いの供給源さえあれば、傷を負った自身の肉体を魔獣に変化させることで、事実上の再生が可能です。一瞬で全身を消し飛ばすぐらいの攻撃でなければ倒せないでしょう。
王都へ出発する前にアステミリスから聞いた言葉を思い出す。
聞いていた通り、やつは一度自ら頭を潰したが、全く問題なさそうに行動している。
魔獣の発生、魔獣への変貌、改造……情報通りだ。
つまり、これほどの化け物でありながら、こいつは敵の中では弱い方らしい。
なかなか、世の中は広いものだ。
迫りくる魔獣触手。
柔らかそうな魔獣触手を"弾丸型"で対処したが、今度は飛び散った肉片が新たな魔獣に変化し、そのまま向かってきた。
厄介極まりない。
向こうが本気になったのだ、こちらも"穿弾型"を使うだけでなく……そう、火力面以外に関しても本気を出そう。
意識を切り替える。
ここからの戦いは雑魚を撃ち抜く「射撃」ではない。俺の命に手が届く相手との「殺し合い」だ。
高揚のまま、前に跳んだ。
さあ、思い出せ。
久しぶりの死地だ。
魔獣の息遣いに慣れる前。
五年前の未熟だった自分はどう生き延びた?
覚悟を決め、決死に魔力を振り絞っていたかつての自分の息遣いを聴く。
口元に、笑みが浮かぶのを自覚した。
全方位から襲いかかる捻じくれた凶器は、全てがこの体を引き裂いて余りある破壊力を持つ。
隙間なんてものはほとんど無い。
そのほとんど無い隙間に、体を滑り込ませる。
「ッ!」
今回の魔法の発動時、破裂音はしなかった。
やったことのは単純。
隙間の内側から外に向けて、魔獣触手を弾くように、隙間を広げるように魔法を撃った。
必殺の包囲網を裂いて、こじ開け、滑り込む。
体の操作を誤れば、こちらが容易く引き裂かれることだろう。
ああそうだ、これこそが戦いだ。
この相手となら、「殺し合い」ができる。
かつて日本にいたときには、一度も感じたことのなかった種類の高揚。
無理矢理隙間にねじ込んだ体に、追撃がやってくる。
崩した体勢を、《風》で弾き、整え、跳び躱す。
「死ねぇ!」
悪魔の声には愉悦の響き。
いいね、お前も愉しんでいるのか。
そうだよな、愉しいよな。
……興奮にのまれ、ハイになっている自覚はある。戦闘の高揚は、そうでなければ死が訪れるからこそのもの。恐れに飲まれれば死。絶望に膝を折れば死。故にそれを克服するために、この命に備えられた生存の仕組みだ。
その仕組みがもたらす高揚が、脳髄の奥底にまで焼き付いてしまった者。
そういう者をこそ、バトルジャンキーというのだろう。
俺はきっと、まだ、軽度のバトルジャンキーだ。戦いのために生きているわけじゃない。
ただ、今このときの高揚に身を浸しているに過ぎない。
単純な話だ。
俺は、どんなパーティーにも首を突っ込むタイプではないが……参加したパーティーは楽しむタイプなのだ。
お前も同じだろう?
さっきまでパーティーへの参加を渋っていた様子ではあったが……参加したからには楽しまないとなぁ! 愉しんでいるだろう?
なぁ? 悪魔。気が合うな。
すり抜ける、弾く、ねじ込む。
魔獣はあたかも密林の木々、蔦のように……いや、それをも超える密度で襲いかかってくる。
掠った腕の肉が抉れるが、気にもならない。
とはいえ、こっちばかり攻撃されるのも面白くない。
お前も痛みを感じたほうが、もっと楽しめるんじゃないか?
「ぐっ、がぁああああああ!」
轟音四連。
圧倒的な威圧感を放つ巨体に弾丸をぶち込んで、内側から爆ぜさせてやる。
……おいおい、それだけ変貌しておきながら、痛覚はまともか?
「はっ! 攻撃の手が緩んでるぞ! 悪魔!」
更に距離を詰める、詰める、詰める!
「あああ! ぬかせぇ!」
言葉と共に、頭上から無数の魔獣が降り注いでくる。
既に俺の位置は奴の真下にまで近づいている。
面で潰す選択肢は正しいだろうさ。
無論……俺はその正しい選択を叩き潰してやるが。
「撃発」
五発の"穿弾型"を正方形の頂点と中心に配置し、頭上に向けて同時発射。
俺の体が通り抜けられる風穴を開ける。
同時に跳躍。高速飛行の神秘式は残っている。
「死ねぇ!」
全方向から迫る殺意。
避ける、殺す、蹴る、跳ぶ、弾く、穿つ。
無数の死線をくぐり抜け、巨大な悪魔の鼻先に魔力の砲塔を向ける。
「撃発」
今のディムベスの巨大な頭部を消し飛ばす。
もちろん、魔獣の雨は止まない。
「効かないんだよぉ!!!」
「その割には必死な声じゃないか!」
敵の魔獣は律儀に俺を狙い続ける。
これだけの数がいながら、逃げゆく人々ではなく、全て俺を狙い続ける。
本気で戦うと決めた以上、俺に全ての魔獣を集中させ、完膚なきまでに圧殺するのがこいつのプライドなのだろう。
……そうだというなら、こちらもアステミリスのトドメの前に、ひとまずの敗北感を与えてやるのが、正しい返礼だろう?
アステミリスの攻撃のときまで時間を稼いだだけでした、では……俺がこいつに敗北を宣言するに等しいからな!
「死ね! 死ね死ね死ね!」
声と共に振り抜かれる魔獣触手の鞭。
ムカデ型も、妙な粘液を帯びているタイプもある。
それを避けつつ、準備する。
もうすぐ、アステミリスも来るだろう。
時間はない。
トドメは譲るとしても、その前に俺が敗北を与えてやる。
今までで最大の魔力を、固有回路に流し込む。
今回も扱うのは《風》。今日最大の《風》。"弾丸型"並みの高密度に圧縮したにも関わらず、ボーリングの玉のようなサイズだ。
タイミングを測る。
迫りくる魔獣をかいくぐり、巨体の真下に着地する。
撃ち出すのは真上。俺を覗き込むように倒した上体へ向けて。
今回は砲身はない。これは貫通するための弾じゃない。
これは、この巨体を吹き飛ばすためのものだ!
「吹っ飛べ」
轟音と共に撃ち出された砲弾。
防ごうとする魔獣たちを、連続する破裂音とともに多数の弾丸が粉砕し……本命の砲弾は狙い違わず巨体に命中した。
砲弾の炸裂は、尋常ではない規模の風を開放した。
凄まじい爆発音と衝撃。
俺自身にも暴風は襲いかかる。高密度の《風》を壁にしたが、それにしたって重い。
当然だ。
なにせこの魔獣の集合体である巨体を上空へと打ち上げるためのものなのだから。
気配的に、誰もいないとわかっていた建物が飲み込まれ、倒壊する。申し訳ないな。
「がぁっ!? ぐっ!?」
ここまで肥大化した体が、よもや吹き飛ばされるなんて思ってもいなかったろう?
そのうえ、きりもみ回転している状態では、まともに状況把握もできまい?
触手状の手足も、上空に跳ね上げられた巨体の回転に合わせて振り回される。
その振り回される触手に向けて、《風》を連打。魔獣触手を無理矢理回転する巨体に巻き付けていく。
そうして、全貌を把握するのも難しかった混合魔獣の巨体を、糸玉のような形にまとめた。
吹っ飛んだ巨体が上昇し続け、頂点に達するまでの僅かな時間。その間に撃ち込んだ初級魔法の弾数……実に百二十二発。《弾丸型》ほどの密度にはしていないとはいえ、なかなかに魔力を使った。
さて、準備は整った。
この状態なら……狙えるとも。
回避も防御も攻撃もままならない、そして、空中であれば周囲への影響も抑えられる。
糸玉のような巨体の落下が始まる。
作り出すのは再び砲弾。
今回は魔力の砲身も作り出す。
今回は《風》ではない。
不死の怪物への勝利方法。
一番メジャーなのは、石化や封印と言った完全封殺だろう?
固有回路を通して魔力を色付ける属性は「氷」。
氷属性に色付いた魔力で、世界の異相、魔法基盤より初級術式を写し取る。
膨大な魔力で生み出された氷の砲弾。
今回は球形ではなく、"穿弾型"に近い形状。
その先を魔力の砲身に向け、回転をかける。
「凍りつけ!」
タイミングは…………ここ!
今までで一番の轟音と共に、氷の砲弾を撃ち上げる。
俺の魔力を感じ取ったディムベスも対応しようとはしていたが、それも全て計算の内。
ディムベスの対処を全て撃ち落とし、砲弾をその巨体の中心に送り込む。
誇るがいい。
人の世に於いて、この魔法が使われるのはこの世界の歴史上初めてのこと。
存分に味わえ……俺の偉業の一端を!
その結果は劇的だった。
「な、なんだこれは! 氷属性だと!? 馬鹿な! 氷属性の初級魔法など、存在するはずがない!」
ディムベスの巨体が凄まじい速度で凍りつき、また、内部より爆発的に広がる氷に覆われていく。
「いいや、存在するとも。……ああそうだ、言い忘れていたな。俺はクルト。初級魔法の真理に至った到達者だ」
「なん……だと!? 馬鹿な! 我々が把握していない到達者だと!?」
ディムベスが驚愕の声を上げた。
糸玉の様になった巨体の奥、辛うじて見えていた目が驚愕に見開かれた。
しかし、その目も……おそらく口も氷に飲み込まれていく。
「俺は初級魔法の全てを知り、そして、基本四属性以外の初級魔法の扱いも理解した」
この世界には数多の属性がある。
その中で、火、水、風、土は基本四属性と呼ばれる。
初級魔法は基本四属性しか存在しないとされていた。
……だが、俺に言わせるなら、それはただの研究不足に過ぎない。
確かに、神がこの世界に最初にもたらした原初の初級魔法は基本四属性のものだったろう。
だが、他の属性についても初級魔法は存在する。
「これは氷属性初級魔法《氷》」
俺は、世界で初めてそれらの初級魔法の発動を成功させた。
「誰も知らない初級魔法だよ」




