34_30:スローライフ(2)
「クロエに手伝って欲しい事があるんだけれど」
ユージーンが上着の裾を少しめくった。そこに、ホルスターに収まった小ぶりの銃が見えた。
「え」
急にクロエのテンションが上がる。
「いつの間に買ったの?」
前世日本では銃刀法違反という法律があり、モスタ王国では建前上危険物として、(本音はおそらく豊臣秀吉の刀狩り同様、庶民が貴族に楯突かないようにという理由で)銃は原則禁止だった。
カプリシオハンターズ共和国は基本的に狩猟国なので銃は合法だが、クロエの狭い交流範囲には近接武器使用者しか居なかったため、間近に銃を見たのはこれが初めてだ。
「ザイオンに渡されて少し練習してみたんだけれど、身体がふらふらしているらしくて、的になかなか当たらないんだ。どうしたら上手くなると思う?」
ユージーンの言う『ふらふらする』というのは、体幹がしっかりしていないという意味だろう。片足立ち、プランク、その他諸々の、某運動系ゲームで覚えたメニューがクロエの頭に浮かんだ。公爵家令嬢として部屋に引きこもっていた頃、刺繍の代わりに励んでいた趣味の筋トレがついに、役立つ時が来たようだ。
「初めから立って撃つのは難しいと思うから、体幹がしっかりするまでは椅子に座って撃てばいいんじゃないかしら。鍛錬メニューは私が作るね」
全身を酷使する必要が無いという点で、遠隔武器はユージーンに向いているのではとクロエは思う。そこまで考えて、ザイオンはこの銃をユージーンのために選んだのだろうか?
ただ余ってたから渡した、という事の方がありそうだが。
「鍛錬メニュー……」
ユージーンが呟く。
「慈悲深き神の手!」
「え?」
ユージーンは意味がわからなかったようで、戸惑ってクロエを見返した。
「その銃の名前よ。今考えついたの」
クロエは勢い良く立ち上がった。
まだ間に合う。
これから、兄との思い出を作っていけばいい。
「倉庫で古い椅子を見たような気がするから、探してくる! 訓練場で待っててね」
そう言うとクロエは、ユージーンの返事を聞く前に、1F東翼にある倉庫へと向かっていった。
倉庫には防護眼鏡もあったので、ユージーンと同じようにクロエも付けてみる。訓練場にはフォームを確認するための大きな鏡も設えてあった。
普通の眼鏡と違って、レンズ部分の周囲をぐるりと隙間無く囲む覆いがあり、破片が飛んでも目には当たらないようになっている。リセットブレスレットで怪我を無かったことにできるとはいえ、訓練の成果まで消えてしまうので、できるだけ使わずに済ませたい。
「うん、格好いい。スナイパーみたい」
肩まで伸びた髪を一つ括りにしたクロエが、鏡の中の自分に向かって親指を立てると、鏡越しに、後ろに立つユージーンが優しげな笑みを見せた。
突然愛おしさに貫かれ、クロエは振り向いて兄に抱き付いた。
昔に比べて、今が幸せ過ぎる。
だから、ちょっとした事が全て、この幸せを壊すフラグに思えてしまうのだ。
「大丈夫だよ、クロエ」
ユージーンはよしよしと彼女の背を撫でる。
「マックスはきっと帰ってくる」
クロエは頷く。
「……うん。きっと大丈夫」
その後二人は、午前中の殆どの時間を訓練場で過ごした。
ザイオンが帰って来た時、クロエはユージーンと一緒に、野菜の下拵えをしていた。
ユージーンが綺麗に芋の皮を剥く間に、クロエが不器用に芋の芽部分を抉る。
それを見るザイオンが、嘲笑うかのように口角を上げた。下手くそめ、というザイオンの心の声が聞こえた気がして、クロエは睨み返す。
ザイオンは彼女の不遜な態度を気にする様子もなく、キッチンで芋を手に取り、細長く加工し始めた。
(はいはい、大人の態度ね)
大人のつもりなら最初から、あからさまに馬鹿にしたような態度を取らなければいいのに、とクロエは思う。
マクシミリアンのいない食卓は、比較的静かだ。
ザイオンもユージーンも、自分から発言するタイプではないので、話題を提供するのはたいていマクシミリアンかクロエだった。
マクシミリアンは、動物や植物の話をするのが好きだ。最近も、森で見かけた不細工な鳥や、窓に張り付いていた巨大な蛾、散歩中にマシューが焼き払った触手だらけの植物の話をしていた。
誰かがそれに相づちを打ったり突っ込みを入れたりして、会話が続いていく。
そういえば少し前のあれは、変な会話だったな、とクロエは思い出す。
『さっき、門のところに大きな緑色の芋虫が二匹いて、一生懸命這い上がろうとしていたんだ。ずっと昔、ザイオンが読んでくれたニョキニョキニョッキっていう絵本の絵にそっくりだった』
ある日の夕食時、マクシミリアンがそう言った。
ザイオン、マクシミリアンに絵本を読み聞かせていたのかぁと、その場面を想像して面白がっていたクロエに聞こえてきたのは、センスのないザイオンの突っ込みだった。
『……食うなよ?』
ベタな冗談のはずなのに、本気で咎めているようにも聞こえる口調だ。
『芋虫なんて、食べる訳ないじゃない?』
思わずそう言ったクロエを、マクシミリアンがそっと窺い見た。
『……だよな』
ザイオンが、微妙な笑みを浮かべた。
『うん、食べる訳ないです』
マクシミリアンは頷いた。
『ザイオンが美味しいご飯を作ってくれるから』
それは裏を返せば、ザイオンが美味しいご飯を作ってくれないのなら芋虫も食べる、という意味に取れる事にクロエは気づく。
(まさかザイオンが毎食どころか、おやつまで手作りするようになった理由って)
というところまで考えて、そんな馬鹿なと、クロエは頭を振った。
(……お腹を空かせてるんじゃないかな、マックス。飛行船は、食事ができる造りなんだろうか?)
拠点に出入りできる時間が過ぎ、今日はもう帰って来ないとわかると、クロエは早々にベッドに入った。
(大丈夫。マックスは、大丈夫……)
オーバーオールを着た小さなマクシミリアンと、遊ぶ夢を見た。
鬼ごっこや隠れんぼ、走りっこに、鉄棒、ジャングルジム。場所は、前世で通っていた幼稚園の園庭だ。ブランコを高く漕いだマクシミリアンが、宙に舞って、見事な着地を見せた。
危ないから、もう飛んじゃ駄目、と言うクロエに、ニコニコと笑いかけるマクシミリアン。
ご飯ができたから帰るぞ、と幼いマクシミリアンを迎えに来たのは、割烹着を着たザイオンだ。
変だな、とクロエは思う。割烹着は日本のものなのに。どうしてザイオンが着ているのかしら──?
気がついたら朝になっていた。
たっぷり寝たはずなのにクロエは気怠くて、前日のようには歩き回らずに、居間のソファの上で脱力していた。
ユージーンが収納庫から出した野菜を洗い始めていたが、クロエは手伝おうとはしなかった。これまでにもキッチンで手伝おうとした事はあったが、たいていザイオンに『邪魔』と言われて追い出されてきたからだ。昨日も、クロエが芋の芽を抉っているところを見て、ザイオンは嘲笑った。あの上から目線、本当に気に食わない。
起きてきたザイオンは、不機嫌そうにクロエを睨み付けた。クロエは、夢に割烹着を着たザイオンが出てきた事を思い出す。変な夢だったけれど、小さなマクシミリアンと遊べて楽しかった。
(いつ帰ってくるの……?)
ザイオンはキッチンへ行って、ユージーンの挨拶に、ああとだけ返す。
パンとコーン入りのスクランブルエッグ、野菜ジュースの朝食を済ませた後で、ザイオンは言った。
「読み終わりたい本があるから、今日も作業は休みだ。マクシミリアンの代わりに、二人でマシューの散歩に行ってもらえないかな?」
ユージーンはまだマシューの事をよく知らないせいか、少しだけ臆した様子を見せたが、頷いた。それを見届けたザイオンは、汚れた食器をまとめ、キッチンへ持って行く。
クロエは仕方なく、出発の準備を始める。
倉庫から、使っていない革鎧一式を持ち出して、ユージーンに着せた。弾丸ベルトも見つけたので、腰に巻いてやる。どちらもおそらくは、ザイオンが以前使っていたものだろう。
「外で撃っても、当たらないと思うけど……」
ユージーンは大人しく着せられながら、自信無さげに言った。
昨日同様に防護眼鏡を付けてやりながら、クロエは言う。
「屋内で動かない的を撃つよりも、外で標的を狙う方が楽しいよ? マシューはやろうと思えば自分で獲物を捕れるから、外れても気にしないでね」
初めてマクシミリアンと一緒にマシューの散歩に行った時、ドラゴンはクロエが練習で狩った獲物を食事にした。けれど本当は、マシューはクロエよりもはるかに強くて、巨大なモンスターを一蹴りで殺し、その場でゴリゴリと食べてしまう。トカゲ型使役魔獣という事になっているので、公にはできないが、火を噴いて敵を群れ単位で焼き払う事もできる。
この間の強盗の仲間が襲ってきたとしても、マシューが居れば安心だった。
クロエが自分の革鎧に着替え、防護眼鏡も付けてマシューのところに行くまでに、ユージーンはマシューとの挨拶を済ませたようだ。
居間の奥にある扉からクロエが外に出ると、マシューの黒い鱗を、ユージーンはそっと撫でている。
「温かいね」
と、ユージーンは声をかけていた。
薄く開いたマシューの目が、彼に向けられている。
気のせいかもしれないが、青い瞳が優しく瞬いているように、クロエには見えた。
クロエは何とかマシューによじ登って、二人用の鞍を取り付ける。ちょっとした崖ぐらいの段差があるので、どうやってユージーンを乗せようかと思案していたら、ドラゴンが急に身体と前肢を傾けて、比較的上りやすい坂を作り出した。
「ありがとう」
そう礼を言って、ユージーンは自力で鞍まで上ってきた。
(この扱いの差は何なの?)
一瞬マシューと視線が合った時、クロエは嘲りの感情をそこに認める。
(性格の悪い飼い主に似たのね?)
ユージーンを前の席に座らせて安全ベルトの締め方を教え、彼女も締めている途中で、マシューが立ち上がる。
「高い……っ」
ユージーンが息をのんだ。
クロエが慌ててベルトを締めてユージーンの身体を後ろから支えるのと、ドラゴンが翼を広げて飛び上がるのが同時だった。
今庭の上にいたかと思うと、魔王城が一気に小さく遠ざかり、眼下に拠点全体の風景が広がって、あっという間に広大な森へと景色が移ろう。
初めは身体を竦めていたユージーンが、感銘を受けたように呟く。
「凄い……速い」
ドラゴンが調子づいてスピードを上げた。
風圧が凄い。ベルトがないと、身体が浮いてしまいそうだ。
顔に風が当たると、クロエの唇と頬がぷるぷると揺れる。テレビで見た事のある、巨大扇風機の前に立った某芸人の映像をクロエは思い出す。多分今あんな感じの顔になっているんだろうなと、クロエは思う。
風の音に紛れて、ユージーンの笑い声が聞こえた。
「勝手に顔が動く!」
「……そうね!」
生まれて初めて、兄の笑い声を聞いた。
クロエは一緒になって笑いながら、防護眼鏡の中で涙を滲ませた。
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