34_29:スローライフ(1)
特に何もない、平和な日常話です。
番外編集「34.28:大根」のクロエ視点となります。
しばらく留守にしていたルファンジアが帰ってきたのは、強盗事件から二日ほど経った頃だ。
「新型魔導飛行船のテストをするので、一緒に来てはいただけないでしょうか?」
そう彼女が頼んだ相手は、ザイオンではなく、マクシミリアンだった。
「いいよ」
と、マクシミリアンは安請け合いをするが、新型船のテスト飛行、というだけでクロエにとっては死亡フラグだ。
「魔導飛行船って、毎朝広場に着陸しているものと同じなの?」
クロエの脳裏に浮かぶのは、前世で見聞きした数々の航空機事故ニュースだった。
「あれよりも小型です。航行テストは何度もやっていて、安全性についての問題はクリアしたと思っています」
ルファンジアは自信満々に答えた。
「ただ、エルフ族以外の人間を乗せた事がないので、マクシミリアン様に一度試していただきたいのです。どこまで飛べるかのテストも同時に行いたいので、帰りはいつになるかわかりません」
飛行船で有名なのは、ヒンデンブルク号爆発事故だ。当初水素ガスが爆発の原因だと考えられていたが、後年、構造上の問題から静電気により発火したのではないかとも言われている。
魔導飛行船なら水素は関係ないにしても、逃げ場のない上空での火事は死に直結するし、圧縮空気で飛ぶのならエアコンのように周囲の気温を下げるから、防滴や氷結対策も必要だろう。
この世界では、空を飛ぶ乗り物の歴史が浅い。
想定外の事はいくらでも起こりえる。
前世の科学が発達していた世界でさえ、事故をできるだけ防ぐために百年以上も試行錯誤して、それでも航空機事故はゼロではなかった。ルファンジアの『安全性についての問題はクリアした』などという言葉を簡単に信じる訳にはいかない。
「空を飛ぶなんて、危ないよ?」
クロエは、マクシミリアンのシャツを掴んで行かせまいとする。
「上空は空気が薄いし、とても寒いのに」
「僕、寒さには強いよ?」
マクシミリアンはニコニコしながら言う。
「すっごく寒いの! 凍り付いちゃうかも知れないよ?」
飛行機の車輪部分に密航した人が、マイナス五十度近い寒さに耐えきれず死亡したというニュースも聞いた事がある。
「そこまで上空を飛ぶ訳ではないです」
ルファンジアが言った。
「魔導飛行船は魔法陣に魔力を流し、圧縮した空気を利用して飛ぶので、気圧が低くて寒いところは飛びません。悪天候に遭遇した場合は、自動的に魔法障壁場が発生します」
「でも、飛んでいる途中で魔力が尽きた時はどうするの?」
クロエの心配に対し、ルファンジアは、これは国家最高機密ですが、と前置きしながら言う。
「ザイオン様のリセットリングで、我々エルフは魔力を何度でも百パーセントに戻せるのです。理論上は、新型魔導飛行船はどこまでも飛行が可能です。いずれはこの国の上空に魔導飛行船がひしめき、空路を活用した新しい世界が訪れる事でしょう」
「大丈夫だよ。すぐに帰ってくるから」
マクシミリアンが、フラグにしか聞こえない台詞を口にして、クロエを抱き締めた。
彼の大きな身体を抱き返しながら、クロエは不安で仕方がなくなる。
マクシミリアンがいくら大きくて強くても、生身である限り墜落事故から生きては戻れないだろう。
緊急脱出装置はあるのか?
パラシュートの用意は?
前世で聞き覚えた言葉を、クロエはうっかり口にしそうになる。さっき、上空の気圧や気温の事をうっかり口走ってしまったので、これ以上ボロを出すわけにはいかない。
危険だと思うのは、前世の記憶があるからだ。
この世界には魔法があるから大丈夫、とクロエは自分を説得する。
本当は『行っちゃやだ』と、子どものように駄々をこねたかった。
でも、ただ心配だというだけで、マクシミリアンの行動を制限するような事はしたくない。
「危ないと思ったらすぐに高度を下げて脱出するのよ?」
クロエはそう念を押す。
「うん」
マクシミリアンは彼女を抱き締め、よしよしと頭を撫でた。
次の日、帰って来ないマクシミリアンを待ちながら、抱えている不安をどう解消すればいいのかとクロエは途方にくれる。
(こんな気持ちになるのなら、好きにならなければ良かった)
などと、今更どうにもならない事を考えてしまう。
彼女は意味も無く居間を歩き回っては、ソファに座り、じっとしていられなくてまた歩き回った。
ザイオンは食事の支度をしながら時折不機嫌そうにクロエを見たが、歩き回るなとは言わなかった。
「クロエ」
ユージーンが、居間を歩き回っていたクロエを抱き留めた。
「そんなに歩いてばかりいたら、疲れちゃうよ? ほら、座って。朝ご飯にしよう。今日のオレンジジュースは、僕が絞ったんだ」
「うん……ありがとう」
クロエは誘われるまま、席に着く。
通信機があるのかどうか、ルファンジアに訊けば良かった、とクロエは思う。
遠隔で情報を伝える魔法がきっとあるはずだ。ルファンジア達は軍隊のように行動している。連絡を取り合っていなければ、もっとバラバラな動きを見せるだろう。だから何かあったら、報せが来るに違いない。
便りがないのは良い便り、そう考えないと、不安に押しつぶされそうになる。
前世では、突然コースを離れて姿を消し、何が起こったのかわからない航空機が何機もあった。人口が多く、衛星で空から世界中を眺める事ができる世界でも、山や海に落ちれば見つけ出す事ができない。
アメリカ人女性飛行士アメリア・イアハートの行方不明事件は有名だし、眉唾物だと思っていたバミューダトライアングルでの不気味な遭難話も、異世界転生を果たした今では、案外本当かも知れないと思っている。
「こうしている間にも、どこかで墜落していたら?」
バミューダトライアングルで遭難したのは、プロペラ機だったはずだから、魔導飛行船と同じくらいの高度を飛んでいただろう。
プロペラ機を好んで出すアニメ監督がいたな、とクロエは思い出す。
『龍の巣だぁあ!』
突然頭の中に、老婆の台詞が蘇った。
アニメの主人公達が巻き込まれたスーパーセルのような悪天候に、ルファンジアの魔導飛行船が遭遇したらきっと無事ではいられない。
いくら魔法障壁が発動したとしても、暴風の中で機体は真っ直ぐには飛ばない。
木の葉のように揺さぶられる機体の中で、マクシミリアンとルファンジアは平気でいられるだろうか?
「ルファンジアが、意識を失ったらどうなるの?」
魔力を供給する人がいなくなれば当然、推進力は無くなる。
飛行船は落ちるしかない。
「意識を失う以外にも、ご飯を食べたり、トイレにも行くだろうから、その辺の対策はきっとしているはずだよ」
ユージーンの言葉に頷くクロエだが、最悪の想像をしてしまう自分を押しとどめることができない。
「そうよね。そのはずだわ。……でもこのままマックスが永遠に戻って来なかったら? 私達は、どこを探せばいいのかもわからない……」
急にザイオンが食卓に手を突いて立ち上がったので、クロエとユージーンはそっくり同じ動作で、窺うように彼を仰ぎ見た。
「今日の作業は休む」
そう言い置いてザイオンは、居間の奥にある勝手口から裏庭に出て行く。マシューの盛大な鼻息と鳴き声と、翼の音が聞こえたので、散歩に出たのだとわかった。
「彼も、弟が心配で仕方がないんだろうな」
とユージーンが呟く。
「それは……そうよね」
クロエは頷いた。
(子どもの頃からずっと、面倒をみてきたんだもの……)
不意に、クロエの胸が疼いた。
それは、自分がこれほど自己中な人間でなければ、ザイオンとマクシミリアンのように、兄妹として過ごしたユージーンとの思い出があったはずなのにという後悔からの痛みだった。
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