エピローグ:腐れ縁
マイロディスが初めてセレディオスに会ったのは、母親に連れられてエルフの里ヴィニシエルに行った時だ。
細い顔に大きな目がギョロリと目立つ、小柄な少年だった。
「シャルシャ様の王配に選ばれるのは、僕だけでいい」
セレディオスは、あらゆる機会を捉えて競争相手を蹴落とそうとした。
食事にこっそりと異物を混ぜる、持ち物を隠す、汚す、寝所にグロテスクな虫を忍び込ませるという嫌がらせ行為が相次いだが、一度も犯人が明らかになることはなかった。
彼の母親が建国の英雄エリクシャナの妹だから、皆公然と非難することを遠慮したのだろう。
王配とは、直系のエルフと番って、次代の王の父となる存在だ。
里には大陸中から傍系エルフの少年たちが集まり、まだ満足に話せもしない小さな女の子の関心を引こうと必死だった。
マイロディスも母親からせっつかれたが、王配になるつもりなどなかったので距離を置いて眺めるだけにした。
(何が傍系のエルフ族だ)
母親が久しぶりに帰ってきたと思ったら、無理矢理にこの里へ連れてこられた。
王配が決まる数年後までは家に帰ってはいけないと言われて、彼は腹を立てていた。
だが王配争いは、ある日突然終わった。
シャルシャ姫が、里から姿を消したのだ。
当時里に走った衝撃、慟哭を思い出すと、マイロディスは重苦しく苦々しい気分になる。
その日の午後彼は、繁茂した緑の中に消えて行く人影を見た。
どうして自分がその場所に居合わせたのか、その前後に何をしていたかは覚えていない。
後に、一瞬の記憶を何十回も何百回も蘇らせては検証した。
人影の詳細は思い出せないが、確かに男だった。
その男は黒髪の小さな女の子を抱えていた。
あの時自分が大人にすぐ報せていれば、何か変わったのだろうか。
何も分からない子どもだった、という言い訳は通らない。
あの子がいなくなれば自分の家に帰れる、などという身勝手な考えが浮かんだことを、マイロディスは覚えていた。
自分は取り返しのつかないことをしたのだ、という考えを抱いたまま彼は歪んで成長した。
「どうにか二つ目も確保した」
マイロディスはもったいぶって、ブレスレットを上着のポケットから取り出した。
セレディオスの目が、貪欲な輝きを帯びる。
シャルシャ姫が失踪したあの日、セレディオスは泣いていた。
彼なりにあの幼い少女を大切に思っていたのだろうが、今ではそんな純粋さなど欠片も残っていない。
セレディオスが小綺麗に髪を刈り上げているのは、小柄な身体に対して頭が大きく見えるのを防ぐためだろう。
普通なら映えるはずの大きな目鼻立ちも、性格の悪さが滲み出て、どこか不気味な印象を与えていた。
「相当苦労したようだな」
身を乗り出してブレスレットを受け取ったセレディオスは、対面に座るマイロディスの破れた上着と血の付いたズボンを見て哀れむように言った。
手の甲にある噛み傷は包帯の下で膿んできているし、後頭部の傷は、縫った上から当て布をして、包帯で固定している。
「人型モンスターの登場は想定外だった」
マイロディスは二つ目のブレスレットを諦め、逃げ出すつもりでいた。
なぜ、王国人の兄妹と一緒に戦う羽目になったのか。
臆病者のふりをして、悲鳴でも上げて外に逃げ出せば良かった。
回復した魔力で魔法障壁を作り、化け物の間を掻い潜って逃げられたはずだ。
「少し多めにしておいたぞ」
差し出された重い小袋を、マイロディスは受け取った。
中に詰まった金貨を確かめる。
「助かる」
これだけあれば、しばらくは首都で遊んで暮らせる。
金払いの良さ、それだけがセレディオスの価値だ。
セレディオスはいそいそとブレスレットを腕に嵌めた。
転売するつもりじゃなかったのかと、マイロディスは小馬鹿にした目で見た。
首都で競売に出したら、高値が付く代物だ。
昨年の秋頃、『反魂の輪』として出品された時には最終的に二億で落札された。
目の前で、死んだ人間が生き返るという実例を見せられて競り手は狂乱状態だったという。
その後、次々に同じ型の魔導具が出品され、どれも高額で落札された。
「新型には、自動的に起動する魔法障壁も追加されているらしいな」
セレディオスは上機嫌で、手首のブレスレットを撫でた。
「そのせいで、しなくても良い苦労をした」
マイロディスは、でっち上げの借金話に動揺したユージーンの様子を思い出した。
真っ白い顔に、つつけば泣き出しそうな表情を浮かべて彼は里行きを了承し、ブレスレットを渡してきた。
あれ以来、川で溺れる子猫を見捨てたかのような後味の悪さがずっと付き纏っていた。
騙されたことを、今頃ユージーンは怒っているだろうか?
(怒るぐらいの元気があればいいんだがな)
後味の悪さが消えてくれない。
思わず助けてしまったのは、無意識下にあった罪悪感のせいだろう。
下らない。
「それじゃあこれで」
マイロディスは立ち上がり、客間の出入り口に向かう。
長居は無用だ。
セレディオスは、ブレスレットに刻まれた『製造番号』に気づかなかった。
凹みにはごく少量の龍紅玉が入れ込んである。
明らかに、追跡魔法を前提とした造りだ。
魔力で形作られた番号は、やがて厄災を引き寄せるだろう。
長年続いた腐れ縁もこれで終わりだ。
「待てよ」
セレディオスの声に、マイロディスは緊張を高めた。
気づかれたのかと思った。
(言われた通り持って来ただけだ。私も気づかなかった)
言い訳を用意しながら彼は扉の前で振り返った。
「ブレスレットはまだ他にもある」
セレディオスはソファから立ち上がり、姿勢を正した。紫のローブを飾る金の鎖が、シャラリと音を立てた。
「エルフ族直系の力を宿したこの魔導具を、王国人などに渡してはならない。君はこの意見に賛同した仲間の一人だ。残りも必ず手に入れてくれると信じている」
もっともらしい理由で欲望を覆い隠し、正義を武器に相手を操ろうとするこの男が、心底嫌いだ、とマイロディスは思った。
紫を基調とした服が高貴さを醸し出すと信じている様子も、滑稽に映る。
マイロディスは嫌悪感を上手に覆い隠した。
「……すぐには難しいな」
マイロディスは怪我をした両手を挙げてみせた。
「通信用魔導具も化け物に奪われたので、当分連絡はできない」
「わかった」
セレディオスは、渋い顔をした。
「早く治せよ」
まるで本当に心配しているかのような声音で、セレディオスはそう言った。
マイロディスは頷いて見せると、扉から外に出る。
大きな邸宅の廊下は寒々としていた。
階段を下り、玄関ホールの大きな扉を両側に押し開けて、外に出た。
陽光の照り返しに目が眩んだ。
彼は、白い煉瓦造りの大きな邸宅を見上げた。
エリクシャナの後釜として直系の側役候補になった直後、セレディオスは空き家だったこの館を買い入れた。
荒れた庭で、セレディオスに雇われたエルフたち数人が立ち働いている。
邸宅の周囲には、女神や軍神を形取ったと思われる等身大の彫刻が随所に立っていた。
元は白かったであろう彫刻は、風雨にさらされて黒ずみ、台座は苔だらけだ。
その向こうに、黒い建物が見える。
モンスターの牙や骨、頭骨で飾られた異質な邸宅、別名魔王城とも呼ばれるザイオンの居宅だ。
外壁には、目玉のような形状の魔導具が幾つも張り付いていて、周囲をくまなく監視している。
(王国育ちの彼の趣味は、私には理解できそうにないな)
不気味な城から視線を逸らしたマイロディスは、庭を横切り、短い階段を下りて正門を抜けた。
隣同士というこの立地なら、セレディオスに預けたユージーンのブレスレットは、確実に追跡魔法で探知されたはずだ。
だがザイオンはブレスレットには構わず、ユージーン兄妹の捜索を優先した。
(億単位の魔導具よりも、あの兄妹が大事ということか)
政治的なことはどうでもいいし、旧友セレディオスのことは尚更どうでも良かった。
ただ、自分にとばっちりが来ないかと心配だ。
長老議会の意向で動いただけなのだから、勘弁してもらいたい。
──万が一の時に、その言い訳が通用すると良いのだが。
翼の羽ばたく音が聞こえたような気がして、マイロディスはギクリと足を止め、頭上を見た。
気のせいだったようで、何もいない。
彼はこの白い館からできるだけ早く遠ざかるため、足早に坂道を下り始めた。
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